銃工02
立て込んでいた事務処理や交渉事が一段落つき、ようやく得られた丸一日の休息日。
僕は惰眠を貪りたい欲求を辛うじて振り払い、イレーニスの案内でラトリッジ市街の奥深く、冶金職人街の一角へと来ていた。
「ここか……。見た所普通の工房だな」
その冶金職人街に建つ工房の一つへと辿り着くなり、建物を見上げ小さく呟く。
イレーニスが世話になっているという話を聞いてから、既に十日近くが経過してしまっている。
挨拶は少しでも早い方が良かったのだが、ここまでほとんど時間も取れず、ようやく仕事を終えた深夜では押し掛けることもできやしなかったためだ。
当然のように、手には手土産となる酒が一本持たれている。これは事前にイレーニスの話で、ここの家長が酒好きであると聞いていたためだ。
気分はさながら幼い子を持つ父親の心境であるが、実際保護者であるのは確かなので、ここは僕が挨拶に行くのが当然だろう。
「来たよ、ハルミリア!」
いつも家では明るいイレーニスであるが、仲の良い相手と会うことが嬉しいのだろうか。
普段よりも高い声のトーンで名を呼び、遠慮なく細い腕でドンドンと工房の扉をノックする。
すると僅かな間を置いて中からは返事が返され、直後扉は開き中から一人の人物が姿を現した。
「イリィ? いつもより来るの早くないか?」
「もー。言ったでしょ、今日はアルもいっしょに遊びに行くよって」
姿を現したのは歳の頃十三か十四かといった、……少年か少女かよくわからぬ若者。
おそらくはこの若者が、イレーニスの言っていたハルミリアという遊び相手に違いない。
ただハルミリアという名前からすると少女であると思ったのだが、短く刈った髪や動き易そうなパンツを穿いているのを見ると、どちらであるかがイマイチわからなかった。
イレーニスはこのハルミリアという子とは随分仲が良いようで、どうやら普段イリィという愛称で呼ばれているようであった。
僕を連れて遊びに行くという言葉はこの際置いておくとして、それ自体は非常に喜ばしい限りだ。
「聞いたけどさ、午前中だとは思ってなかったんだよ。勉強はいいのか?」
「うん、もう全部おわったよ!」
呆れたように入口へともたれかかるハルミリアの問いに、イレーニスは嬉しそうに返す。
彼には現在、引退し暇を持て余した商人を教師とし、時々勉強を教えてもらっている。なので日々僅かながら宿題が出ているのだが、ここに来るためそれを既に消化しているようだ。
少々歳は離れていそうだが、随分と仲の良さそうな二人は話を続け、半ば蚊帳の外である僕はそれを横から聞き続ける。
ハルミリアの声を聞くも、この年頃ではまだ声変わりもしていないため、やはり男女の区別がつき辛い。
だがそれとなく見てみれば、そのシルエットが僅かに少年のそれとは異なるのに気付く。
被っている厚手な半袖シャツの下からは、ハルミリアが少女であることを主張するように、グッと押し上げるモノが。
あまりジロジロ見る訳にもいかないが、おそらくハルミリアよりももう何歳か年上であるヴィオレッタよりも、多分この少女の方がより女性的なフォルムであるようだ。
「えっと、そろそろいいかな?」
ただいい加減この二人の会話を聞き続ける訳にもいかず、僕は申し訳なくも横から割って入る。
するとハルミリアはしまったとばかりに、姿勢を正して深く一礼した。
「えっと、団長さん……? すみません、話しこんでしまって」
「構わないよ。今日はイレーニスが世話になっている礼をしに来たんだけど、お邪魔していいだろうか?」
「も、勿論です!」
ようやく僕の存在を思い出したハルミリアは、恐縮した様子で扉を広く開けると、丁寧に中へ入るよう促す。
現在は僕も都市ラトリッジの防備を行う、傭兵団を任される立場。権力的には無いも同然な気はするが、それでも都市の名士の一角を成す存在となっている。
なのですっかり存在を忘れてしまっていた件もあってか、彼女は随分と緊張し動きはぎこちない。
そのハルミリアに案内されて工房の中へと入ると、そこは当然のことながら、焚かれた炎によって茹だるような熱さであった。
手前には冶金に使うであろう燃料が置かれ、奥には煌々と燃え盛る炉が。
そのすぐ前に立つ人物は、扉から工房の中へ吹き込んだ風によって気付いたのだろうか、こちらを振り向くなり険しそうな表情を僅かに緩めた。
「おたくがイェルドんところのクソガキか?」
おそらくはこの工房の主であろう、壮年の域に差し掛かっていると思われる白髪の男。
その人物は工房内へと踏み込んだ僕へと、ジロリと一瞥しながら無愛想に問うた。
「ジジイ! いくらなんでもしつれーだろうが!」
「ハッ、なにが失礼だ。ワシは挨拶も交わしていない鼻っ垂れの若造に、下げる頭は持ち合わせとらんわい!」
そんな壮年の男に対し、ハルミリアはなにを言うんだとばかりに噛み付く。しかし向こうも負けてはおらず、炉に向き直り作業をしながらも口撃し返した。
年齢も性別もまったく違うものの、この二人はどこかソックリな空気を纏っている。なのでおそらく祖父と孫という関係なのだとは思う。
鼻っ垂れの小僧とは随分な言い様だが、半分はこの男の言う通りではあると感じ、僕はすぐ前へと出て名乗った。
すると彼はこちらを振り返りもせず、自身がハルミリアの祖父であると返す。ここは案の定だ。
ただそこで手土産の酒を置くと、振り返って見せた表情には、僅かに緩んだ口元が映る。どうやら話に聞いていた酒好きというのは本当であるらしい。
「まあいい、とりあえずその辺で適当に座って待っときな。もう少しで一段落つく」
ハルミリアの祖父はそう言って炉へと向き直ると、ふいごで風を送りながら中の様子をジッと観察する。
いったい何の金属を溶かしているのかは知らないが、なかなかに集中力の要る作業であるらしい。
あまりその邪魔をするのも悪いと思い、僕は彼の邪魔をせぬよう工房の隅へと移動した。
少しばかり窓から風が入り込む風に当たって涼みながら、ハルミリアの祖父が作業を終えるのを待つ。
その間イレーニスはハルミリアと一緒になって、炉から少し離れた場所で、ジッと行われる作業を見守っていた。
それはイレーニスが冶金に興味があるというよりも、ハルミリアの横に居るのが目的であるといった様子だ。
随分と懐いたものだと思いつつ、窓から入り込む風で工房内の熱気から避けていると、しばらくしてハルミリアの祖父は立ち上がる。
「待たせたな。とりあえず隣へ移ろうか」
彼はこちらを向くと、炉に当たり赤くなった顔から流す盛大な汗をぬぐいながら、出口へと向けて移動した。
その後に続いて外へと出ると、そのまますぐ隣の道を挟んだ向かいに位置する、一軒の民家へと入っていく。
たぶんここが彼とハルミリアの家なのだろう。
そこへと入るとすぐにハルミリアは台所へと行き、全員分の飲み物を用意し始めた。
少年のような格好と言動ではあったが、思いのほか気の利く子であるらしい。
ハルミリアが茶の用意をし、イレーニスがその横へ行くべく台所に移動している間、僕は彼女の祖父と面と向かって少しばかりの会話を交わす。
「悪いな、おたくのを引っ張り込んじまって。どこで会ったのか、いつの間にか仲良くなってやがった」
「構いませんよ。こっちとしても、一人で留守番をさせるのは心苦しかったので」
茶の用意を始めた二人が戻ってくる前に、彼は存外穏やかな調子で謝罪を口にした。
ハルミリアの前で言うのが気恥ずかしいのかはわからないが、先ほどまでの頑固そうな姿との違いに若干面食らう。
僕としては、彼がイレーニスを邪魔者扱いせず受け入れてくれたのには、むしろ感謝したいところだ。
時折傭兵団関係者の子供と遊ぶ機会はあるようだが、実のところイレーニスと歳の近い子は決して多くはない。
それに子を持つ傭兵たちが大量に去ってしまったことで、数は更に激減してしまっていた。
なので最近のイレーニスは一人家で本を読んでいることが多く、ハルミリアのもとで遊んでいるのはこちらとしても助かるのが事実だった。
「そう言ってくれるとありがたい。あいつはまだ修行中だが、どうも最近は身の入り方が悪くてな。だがあの小僧が工房へ来るようになってからは、良い格好をしたいのか真面目にやりやがる」
「それは……、役に立ってると言っていいんでしょうか?」
「一応はな。ま、動機なんてのはこの際どうでもいい。真面目にやるようになったんだからよ」
ハルミリアの祖父はそう言ってカラカラ笑うと、適当にテーブルへと置いてあったカップを手に取ると、土産として持参した酒を入れようとする。
しかし途中で思い留まって止め、湯冷ましへと手を伸ばしたあたり、まだこの後も仕事は続くようだ。
第一印象よりも快活な彼へと、僕は茶の用意をするハルミリアについて問うてみた。
「ではいずれ彼女が、あの工房を継ぐことに?」
「いや……。あいつまだガキのくせに、上の兄貴たちよりも見どころはある。だがこの稼業は基本的に、長子が継ぐってのが鉄則でな」
少々難しそうに言う彼の口調からは、無念と言わんばかりの空気が感じられる。
ハルミリアには上の兄弟が数人居るようだが、口調からすると彼女はその兄たちよりも冶金職人としての才能に恵まれているようだ。
しかし彼の言う通り、生まれた順番によって工房を継ぐことが難しいのだろう。
とはいえ別にこういったことは珍しくはなく、例えば都市の統治者なども長子継承が基本で、それより下の子供たちは不遇な扱いを受けるというのも珍しくはない。
これはこの都市や地域の風習というよりも、この惑星で一般的な概念であるため仕方がないとも言えた。
ただハルミリアに関してはそれに加え、少女であるということも理由となるらしい。
彼女の祖父はついでにと補足するように、彼女が継ぐには難しい稼業であるとも口にする。
「あいつは手先も器用だし、跡継ぎの居ない鍛冶屋にでも預けるかとも考えたが、そっちも似たようなもんでな」
「女性では難しいですか……」
「装飾職人なら女の職人も多いが、あいつの趣味じゃねえからな。かといってこのまま家で延々手伝いだけさせるのも可哀想ってもんさ」
彼はそう言い深く溜息を衝く。ついさきほど侃侃諤々やりあっていた割には、存外孫娘が可愛いらしい。
秀でた才を持ちながら、生まれた家ではそれを活かす術がない。
かといって余所に目を向けても、既存の冶金職人や鍛冶屋では、同じ理由で彼女を受け入れてくれる所が見つからないようだ。
それにハルミリアはどうやら、装飾品の類に関心を持たぬタイプである模様。なので女性も一本立ちし易い装飾職人には向かぬであろうと、彼は頭を悩ます素振りを見せる。
人よりも恵まれた才能を持っているが故に、祖父である彼の立場としては、惜しいという想いが非常に強く感じられてならないのだろう。
この手の問題はどこにでも付き纏ってくるらしい。僕自身も傭兵団の後継云々で走り回ったばかりなため、なにやら気持ちはわからないでもない。
ただそこでふと、僕は最近抱えていた問題の一つを思い出す。
傭兵団内でも予算や人手という問題で、現在は停止状態となっているある事柄。だがこの問題が逆に、ハルミリアにとっては良い話となるのではないかと。
その件に関して少しばかり考え込み、どうかしたのかと問われたのに返そうとするタイミングで、丁度イレーニスとハルミリアが茶を持って戻って来た。
「何の話をしてんだ?」
「ん? ああ、丁度お前さんのことをな。どっか良い引き受け先がねえかってよ」
「……って、そんなの人様に話すことじゃねぇだろ!」
戻って来たハルミリアと彼女の祖父は、顔を合わせるなり再び丁々発止とやり合う。おそらくはこれがこの二人の、普段通りな会話なのだろう。
だが一つの案を思い浮かべた僕は、軽口を叩き合うその二人へと割って入り、一つの提案を口にした。
普通の鍛冶屋が女性を受け入れるのが難しいなら、普通ではない所ならばその限りではない。
「そちらさえよければなのですが……。一つだけ、彼女が職人として立てる場所に心当たりがありまして」




