法と暴力
「エイダ、犯人との距離は?」
<推定二五m。対象は徐々に速度を減少させています>
視界の悪さから対象を捉え辛く、僕はエイダによる案内を頼りに進む。
上空から監視を行ってくれている彼女は、追う犯人と僕との距離を正確に報告してくれる。
こういう時はやはり、文明の利器というやつのありがたみを感じて仕方ない。
「ったく、どれだけ倒して進むんだ。農家の人が泣くぞ!」
<ここまで育てるのには、並々ならぬ苦労があるでしょうからね。心中お察し致します>
「弁償はあいつに払わせてやるっ」
麦なのか何なのか、暗さでよくわからぬ作物を薙ぎ倒しながら、犯人は逃走を続けた。
エイダの言う通り作物の背は高いので、ここまで育てた農家の苦労がしのばれる。
これ以上に被害を増やさぬ為にも、早く捕まえてしまうのべきだ。
作物を育てる農家に心の中で謝罪を呟き、作物を踏み越えて一気に犯人へと距離を詰める。
犯人の背後から接近し、襟首を掴んで押し倒した。
その際に何故か、ナイフを持つ手とは逆の腕を振り回して抵抗するのだが、うつ伏せにされているためこちらには届かない。
ただ一応念のため、使えないよう手に持っているナイフは取り上げておく。
「もう観念しなよ。これ以上抵抗するようなら……、骨の一本は覚悟してもらう」
意図的に語尾へ若干の怒気を混ぜ込み、盗人の耳元で囁く。
すると盗人はビクリと反応し、背筋を震わせながら動きを止めた。
「そう、それでいい。あんまりこっちの手を煩わせないでくれ」
こういった恫喝も最近では慣れてきたものだ。
補給任務の最中遭遇する野盗や、時折棲家の近くで絡んでくる酔っ払い相手に鍛えられてきたせいだろう。
この一言で身動きを止めてくれたため、実際にわざわざ骨を折る必要性など無くなったのは助かる。
いい加減慣れてきたとはいえ、あの感触は決して愉快な物ではないのだから。
「ほら、立て」
すっかり大人しくなった盗人を立ち上がらせ、一旦畑の外へと連れ出す。
視界の良い場所に出たとはいえ、薄い月明かりではいまいち顔が判別できない。
なので未だにどんな輩であるのかは知れなかった。
そのまま村へと向けて移動を始めると、騒ぎを聞きつけたのだろうか、村の方から近づいてくる洋燈の明りが二つ。
近づくそれらを見てみれば、洋燈を手にしていたのはケイリーとレオだ。
防具こそ身に着けてはいないが、その手には剣が握られている。
マーカスの姿だけ見当たらない。
だがおそらくは、宿に残っているであろう依頼主の側で、護衛を続けてくれているのだろう。
「アル! 捕まえた?」
「一応見ての通り」
僕は後ろ手に捻り上げた犯人の腕を離し、ケイリーへ引き渡すように背をドンと押す。
たたらを踏んで地面に倒れた男の顔を、ケイリーが手にした洋燈で映し出す。
照らされた顔を覗き込んで見ると、僕はその顔に微かではあるが見覚えがあった。
「誰だっけこの人? あたしどっかで見たような……」
首を捻るケイリーの言葉に、僕も頷く。
彼女の言う通り明かりによって照らされた顔は、なんとなくではあるが見た覚えがある。
誰だろうと考えていると、エイダがその答えを提示してくれた。
<食堂の従業員であると推定されます>
「ああ……、そうか。食堂の配ぜん係だ」
この身覚えがある顔は、宿屋を兼ねた食堂で働いていた男だった。
顔を見たのも一瞬だけだったので、あまり気にもしていなかったのだが。
おそらくは金を持っていそうに見えた依頼主に目をつけ、盗みを働こうとしたに違いない。
「どうしよう、このまま騎士隊に突き出す? あのオジサンは殺せって言ってたけど」
ケイリーの言葉に、男は再度身を強張らせる。
彼は僕等が依頼主に雇われた傭兵であると理解しているはずだ。
その依頼主が殺せと言っている以上、おそらくその命令通りに動くと考えたのだろう。
「とりあえず宿まで連れて行こう。それにこの村には騎士隊の人間は居ないはずだ」
再び男を立たせると、その背を小突いて進ませる。
その間男は僕等へと何度も懇願し、助けてくれるよう願っていた。
「頼む、見逃してくれ! 盗んだ物も返すし二度と盗みはしないから! 俺はただこの村から出る金が欲しかっただけなんだ」
「そんなのは僕等の知った事じゃないよ。言い訳はこっちの依頼主にでもするんだな」
なんとなくだが、僕等が訓練キャンプの卒業試験を受けた時の、野盗の姿と被る。
僕が斬った相手も、同じく助命を願っていたはずだった。
ただ今の彼に関して言えば、僕は別に殺してまで依頼主の言葉に従おうという気は起きずにいたのだが。
▽
「こ……、殺せええええぇぇぇええぇ!!」
案の定、盗人を目の前にした依頼主は怒り狂い、僕等にまたもや殺害を命じた。
命じたというよりは、ただ感情の赴くままに叫んでいるだけと言うべきだろうか。
近隣住民全てを叩き起こさんとするような大声で喚き、その眼を真っ赤に血走らせている。
「今すぐこの場で首を刎ねろ! これは命令だ!!」
僕等に対しても八つ当たりするかのように、依頼主はこちらを激しく睨みつけ命令をする。
押し入って金品を盗んだ男の行為は、間違いなく裁かれて然るべきもの。
ただ誰かの命を奪った訳ではなく、それをもってして死罪とするには余りにも過剰な罰だ。
そもそもそれを決める権限を、この男が持っているはずもない。
「申し訳ありません。その命令をお受けすることは……」
「なんだと!? ワシはお前らの主人だぞ、金を払ってるんだ!」
いったいこの男は何時から僕等の主人になったというのか。
あくまでも僕等は一時的に雇われただけであって、この男の部下になった覚えなど無い。
こちらを所有物の如き扱いをするというのは、少々どころかかなり不愉快であるのは否定できなかった。
「お前らは傭兵だろ! 殺すのも仕事の内だろうが!」
「確かに僕等は傭兵です。ですが今回お引き受けしたのは、あくまでも貴方をベルバークまで護衛すること。どうしても必要な場合はともかくとして、そこに殺人は含まれておりません」
金銭を積んで依頼されれば、稀に傭兵も戦場外で殺人を請け負う場合が存在すると聞く。
ただその多くは、都市などから下りてくる特殊な依頼であって、基本的に個人から請け負うことはまず無いと言ってもいい。
傭兵に対して、何がしかの依頼をする機会の多い行商人たちにとっても、これは常識であるはずなのだが。
「ならば依頼するからコイツを殺せ! 金を払えば文句はないだろう!」
「お引き受け出来かねます。彼は確かに犯罪を犯しましたが、首を刎ねる程の罪であるとは到底言えませんので」
それに今回、僕等自身犯人に武器を向けられてはいないし、盗まれた品を取り戻すのにもそこまで労は要らなかった。
野盗などの場合はむしろ討伐が奨励されているので問題はないが、それ等と異なりただの盗人相手では、殺してしまう理由など存在しない。
それに本音を言ってしまえば、この依頼主の思い通りに動いてやるのも正直癪だ。
「そういった依頼を受けるかどうか、僕等では判断がつきません。ですのでどうぞ、団の窓口へとご相談下さい。突っ撥ねられるとは思いますが」
依頼主は拳を握りしめ、わなわなと震える。
命令通りに動かない僕等に対して怒りを覚えているに違いない。
だが僕もいい加減、これ以上彼のご機嫌取りをするのも疲れた。
「クソッ!」
悪態ついた直後、依頼主は自身の荷物へと近寄ると、その中から一振りの短剣を取り出す。
護身用に持っていた代物だろうが、それを取り出した理由はこの状況に置いて明らかだ。
僕等が盗人を殺そうとしないのに業を煮やし、自らそれを成そうとしているのは間違いない。
鞘から抜き放ち、恐怖する盗人へと振りかざそうとする。
このまま切りつけるつもりなのだろうが、それをさせる訳にはいかない。
「ご自身で手を下されるつもりですか? ですが手配もされていない罪人を手に掛ける行為は、殺人と同列に罰せられる行為のはず」
こんな戦場だらけの荒っぽい星ではあるが、稚拙ながら一応はそういった法も存在する。
懸賞金の掛けられた犯罪者でもあれば別だが、ただの盗人を勝手に私刑にし、命を奪うのは許される行為ではなかった。
僕等が輸送任務の最中に襲ってくる野盗を斬るのは、討伐の奨励というのもあるが、それが自己防衛という名目の下に正当化されているためだ。
その辺りの法が都市によって多少異なっていたり、街の外でどうなるかといった部分で曖昧な面もあるのだけれど。
『……確かそうだよな?』
<肯定です。これまで収集した情報に寄れば、犯罪者を一般人が自己判断で裁く行為は許可されていません>
僕の問いかけに対し、エイダは間髪入れず返す。
ここまで方々でしてきた会話などから、エイダは法律に関する情報も蓄積を行っている。
記憶が曖昧な時など、それが役に立つ場面は多い。
「お前たちが黙っていればいいだろうが!」
「そうはいきません。それにコイツを宿へ連れ込んだのを、村人たちの多くが見ています。死体を誰にも見られず運び出すのも難しいでしょう」
誰かさんのした大声のせいで、狭い村に住む住人たちの大半が起きてしまっている。
今更何でもありませんでしたと言ったところで、誰が信じるというのか。
ここで盗人の男が死ねば、この中の誰かが宿の中で殺害したというのは明白だ。
罪を犯したとはいえ、村の住人である男が死んでは村人たちも黙ってなどいられるはずもない。
「こちらとしても、依頼者が罪を犯して捕縛されるのは本意ではありません。ここは我慢して頂きたい」
「ぐっ……」
今回の依頼料で今現在受け取っているのは、定められた額の半分ほど。
残りの半分は目的地に到着した後受け取る手はずであり、その前に依頼主が村人に拘束されてはたまったものじゃない。
それにこんな場所で血が流されては、今後部屋が使い物にならなくなる可能性すらある。
何の罪もない宿の主人にまで迷惑をかけるのは、余りにもしのびなかった。
「誰も怪我をしていませんし、盗まれた品も無事全て戻ってきました。この男はベルバークで騎士隊に引き渡します」
凶行に走っても、僕に止められるのがオチであると考えたのだろう。
依頼主は苦々しい表情のまま、振りかざした短剣を収めた。
代わりに盗人を荒々しく足蹴にすると、そのまま部屋から出て行ってしまう。
ここが自身の部屋であるというのに、いったい何処へ行こうというのか。
「良かったじゃないか、念願叶って他所の土地に行けるぞ」
僕は横目で見下ろし、蹴り倒された盗人へと声掛ける。
命だけは助かったと悟った男は、後ろ手に縛られた状態で息吐き安堵した。
ただし明日街へ行ったとしても、その直後には牢へ入る破目になるのだが。
「お疲れ、アル。なんか思った以上に大変だったね」
男に釣られてか、僕も重く息を吐いたところで、背後に立つケイリーによる労わりの言葉。
そういえば宿に戻ってからここまで、僕一人しか喋ってない気がする。
「そう思うなら手助けくらいしてくれよ……」
「ほら、あたし達じゃどうしていいかわかんないしさ」
結局最後まで手伝ってくれたのは、法に関する記録を確認してくれたエイダだけだった。
彼女を人数にカウントしていいものかはわからないが。
ただケイリーにしろレオにしろ、あまりこういった説得事は得意ではないのは明らかだ。
唯一加勢してくれそうなマーカスは、今現在外に集まった住人たちを宥めてくれている。
「ほら、敵勢適所ってヤツ? 頼りになるじゃんリーダー」
あっけらかんと、悪びれた様子すらなく言い放つケイリー。
リーダーと持ち上げる彼女だが、やはり僕にはただ、皆が面倒事を押し付けているだけに思えてならなかった。