分裂01
暗がりの中、ジリジリと燃える獣脂の炎。壁に掛けられた油皿に灯されたそれへと、小さな羽虫が飛び込み一瞬にして燃え落ちる。
儚い生命の終わりをもって、先行きの不安を暗示するよう光景。
そんな中で僕は目の前で座る男たちを前に、張り詰めた空気を吸い短く確認の言葉を向ける。
「どうしても聞き入れてはもらえませんか?」
「悪いな、もう決めたことだ」
燃料の節約のためか、薄くしか灯されぬ明りの下。彼らは僕の問いにチビリチビリと酒を煽りながら返した。
ここは普段僕等傭兵団の面々が利用している、都市ラトリッジへ構える専用酒場"駄馬の安息小屋"ではない。大通りから一本入った路地裏へと、所々に点在する酒場の一つ。
そこで話す相手は僕同様に、イェルド傭兵団に所属する数人の団員たち。いや、正確には団員であった人たちだ。
「別に団長を嫌ったって訳じゃねぇんだ。ただ俺らなりに考えた末なもんでな」
「ではこの先は独立を? それとも傭兵としては引退なさるつもりで?」
「まだこの稼業を辞める気はねぇよ。どこか拾ってくれる小さな町でも見つけて、細々とやっていくつもりさ」
僕は酒精の入っていないカップをテーブルへ置くと、彼らへ今後についてを尋ねた。
今目の前でテーブル越しに座るのは、イェルド傭兵団からの離脱をしようとしている傭兵たちだ。
彼らはつい昨日、団の上層部と直接掛け合い、離脱の意志を表明したばかりであった。
ただ戦力の減退を易々と認める訳にはいかず、僕はその彼らを引き止めるべく、駄馬の安息小屋の主人であるヘイゼルさんからの使いで来たのだ。
その彼らが傭兵団を抜けようとする理由はいろいろあるようだが、理由の内一つとしては、団が試験運用している銃の存在だろうか。
アレの存在によって、自分たちのような古い傭兵の居場所が無くなると感じた多くのベテランらが、こぞって自ら離れようとしているのだ。
僕がこうやって引き止めに来るのは、これで四組目。だが先の三組同様に、交渉の成功は叶いそうもない。
「ま、団長も引き止めに来ないようだからよ。好きにさせてくれるってこったろ」
「それは……」
「話はここまでだ。さっきも言ったが、俺らの意志は変わらねぇ。お前さんは達者でいろよ」
彼らはそれだけ告げると、この場の支払いとなる金を置き揃って立ち去る。
僕はテーブルの上に置かれた、手切れ金にも思える僅かな硬貨を見下ろしながら、深く深く息を吐いた。
実際傭兵団からの離脱が相次いでいるのは、歴戦のベテランたちに限った話ではない。
彼らを慕う団内の若手も大勢が同調し、こぞって傭兵団を抜けるべく荷物を纏め都市を跡にしている。
つい先日入ったような新米たちは訳が分からずオロオロするばかりだが、次代を担う僕等と同年代の傭兵たちまで去っていく事態に、僕は頭を悩ませテーブルへと突っ伏す。
「どうだ、調子は」
その突っ伏したまま、どうしたものかと悩む僕の頭の上から、突如として声が降ってくる。
顔を起こして見上げてみれば、そこにはレオとヴィオレッタ、二人の顔が薄明りに照らされ見下ろしていた。
二人もまたヘイゼルさんに頼まれ、離脱を考えている傭兵たちの下へ説得に言っていたのだ。
「まるでダメだよ、取りつく島もない。そっちは?」
「同じだ。……ナイジェルのヤツも着いていくらしい」
テーブルの向かい、先ほどまで傭兵たちの座っていた席へと腰かけるレオとヴィオレッタ。
その二人へと状況を問うと、レオは簡潔な報告と共に、久しく聞いていなかった名を出してきた。
ナイジェルというのは、僕とレオが訓練キャンプを卒業する際、同時に傭兵団へと入った同期の一人。
彼は早々に僕等と別の班へ配属され、以後は稀に顔を合わせるといった程度ながら、会う度に談笑を交わし食事をする程度の関わりではあった。
レオが言うところによると、その彼もまたベテランの傭兵たちに着いて、団を離れるとのことだ。
「困ったものだ。団の主力が軒並み出ていってしまうとはな」
「中核を担う戦力だからね。正直弱体化は避けられないと思う……」
給仕へと適当に注文をしたヴィオレッタは、苦悩を隠すこともなく肩を落とす。
別の離脱志願者の下へ行き引き止めをしていた彼女の方も、結局は上手く説得することができなかったのだろう。
彼女の言う様に、今回出ていった傭兵たちは皆、傭兵団の主力として動いていた者たち。
若くもそれなりに経験を積んだ層や、その彼らを引っ張るベテランといった、最も傭兵としての戦果を上げる世代だ。
そんな彼らが大勢離脱してしまっては、イェルド傭兵団の弱体化はまず免れぬはず。
「団長は何と言っているのだ?」
「それこそヴィオレッタが直接聞けばいいだろうに。……サッパリだよ、団長は何も言ってこない。僕もただヘイゼルさんから頼まれて説得してるだけで」
腕を組み思案するヴィオレッタは、自身の父親である傭兵団団長の意志を尋ねてくる。
しかし僕とて答えたくもそうはいかない。実際団長からはこれといった指示もなく、ただ事態を傍観しているかのよう。
というよりもむしろこの事態に拍車をかけているのは、団長自身に彼らを引き留めようとする意志を見せていないことにある。
まるで団員たちが離脱するのを良しとしている。いや、むしろ気にもしていないといった様子だ。
いったいどういう事なのだろうと、僕とヴィオレッタは団長の不可解な意図に対し首を捻る。
だがそうしていると、不意にレオが若干申し訳なさそうに口を開いた。
「実は俺も誘われた」
「誘われたって……、まさか団を抜けることをか!?」
「少し前からな。二人がここを離れている時だ」
レオは事もなげに、自身もまた傭兵団を離れる誘いを受けていたことを告げた。
僕とヴィオレッタが北方へ行っている間にも、ベテランたちの離脱が続いているという話は届いている。だがレオまでもがそれに誘われていたとは思いもしなかった。
だが考えてもみれば、彼は一対一での斬り合いのみならず、敵集団に単騎で斬り込むという状況で無類の強さを発揮する。
混戦乱戦、突撃戦などを信条とする昔ながらの傭兵にとっては、是が非でも取り込みたい戦力であるのかもしれない。
もっともレオはすぐにその誘いを断ったようだ。理由は単純に、僕等と行動している方が気が楽であるため。
自身の身の上を知っている僕等の方が、よほど安心できるということだろうか。
「……実は私もだ。こちらに戻ってすぐ、他の隊に属する娘たちからな」
「ヴィオレッタにまで?」
「彼女らは私が、団長の縁者であるとは知らぬからな。そうと知っているほど上に居る人たちは、今のところ団を離れようとはしていないが」
注文した飲み物を受け取ったヴィオレッタは、声のトーンを落とし、レオ同様に自身も誘いを受けていたことを告白した。
そのこと自体も驚いたのだが、存外平静なヴィオレッタの様子にも、少々意外な物を感じずにはいられなかった。
確かに彼女の言う通り、団長の親戚というか娘であると知っていれば、その娘たちも離脱を誘ったりはすまい。
ただ彼女がその誘いに乗らなかったのは、父親が団長という立場であるということだけではなく、抜けようとする者たちの見通しの甘さなどを理由として挙げる。
「私に言わせれば、流れに任せて団を抜けたところで、到底上手くやっていけるとは思えん」
「まあね。小さな町で護衛役に納まるくらいならともかく、戦場を渡り歩くなら相当の覚悟が必要だ」
「悪いがあの者たちから、それが出来る姿は想像できん。早々に音を上げて戻ってくるか、廃業するのがオチであろう」
そう言って酒精の入ったカップを荒々しく置き、ヴィオレッタは辛辣な言葉を吐き出す。
少々手厳しい言葉ではあるが、おそらくその通りなのだろう。あくまでも僕等がここまで不自由することなく順当にやってこれたのは、傭兵団という組織の中で補助や後ろ盾を活用してこれたため。
物資の入手もそれなりに専門の人員が居たし、輸送だって分担されていた。
行動の計画を立ててくれる上が居たため、こちらはそれに従っていればよかったのが、独立するとなればそれらも含め、一切合切を自分たちでやらなければならない。
何もかも、信頼の欠片すらない時点からの再スタートは、離脱を選んだ者たちにとってより困難であるのに疑いの余地はなかった。
「ベテランの人たちは、そこら辺を理解はしているだろうね。それでも抜けるって言うんだから、ここまできたら止められやしない」
「だが本当に連中が抜けると言い出したのは、武器だけが理由なのか? こう言っては何だが、傭兵としてやっていくならうちの団以上の環境はあるまい」
「……一応、理由に大体の予想はつくけど」
半ば流出は止まらぬと諦めを口にする僕へと、ヴィオレッタは怪訝そうにその理由を問う。
この西方都市国家同盟における傭兵稼業の内、イェルド傭兵団はシェアの半分以上を占めるという一大組織。
そんな傭兵団を出て行くには、相応の理由というか動機が必要となる。それはなにも試験運用を行った銃器による、立ち位置の揺らぎだけが理由ではあるまい。
「理由とはなんだ?」
「僕……、かな」
「お前が? 言っている意味がよくわからん」
気まずい面持ちで小さく告げた言葉に、ヴィオレッタは首を傾げる。
見れば横でこの話を聞いていたレオもまた、似たような態度を表しジッとこちらを見ていた。
二人が向ける視線にどこか居心地の悪さを覚えながらも、僕はボソリと根拠となる理由を示す。
「最初に説得へ行った人たちから言われたんだよ、『団長のお前に対する扱いも、俺らが出ていく理由の一つだ』って」
僕は面と向かって言われた言葉を、嘆息しながら二人へと告げる。
先ほど説得に失敗した相手で四組目なのだが、一番最初に行った相手から受けたのがこの言葉だ。
考え直してくれと伝えた僕に対し、彼らが開口一番に告げたこの内容は、これまで僕自身も密かに懸念し続けていたことであった。
「団長が僕を重用して、色々と任せているのが気に入らないそうだよ。これまで戦ってきた先輩を差し置いてって」
「なるほどな。いつかは言われると思っていたが……」
「でもこればかりは否定のしようがない。実際に団長からは贔屓されていると思うし、同期の他者よりずっと多くの重要な任務を振られているんだから」
団長の娘であるヴィオレッタを預かって以降、というよりも僕の素性が悟られた辺りから、ずっと諸々の便宜を図られていたのは否定できない。
それは僕が団長と同様に地球圏の出身であることなどが発端となっているのだが、何故だか団長はこの依怙贔屓を隠そうという気すらなかったようだ。
だがそれもいずれは爆発するのではと、僕等は遠くない将来表面化するであろう不安を抱え続けていた。
全員がそうであるかはわからないが、確かに周囲から見れば理由のわからぬ重用によって、僕がその立ち位置を上げているように見えたろう。
これまで別段それが表に出ることはなかったが、特に同年代であったり少し上の世代の傭兵たちからは、実のところ密かに快く思われていなかったのかもしれない。
「僕だけが離団に誘われてないのは、その辺りが理由かな」
「それだけが理由とは思えんが、まさかこんな大事になるとはな」
「細かな不満は誰にだってあるもんだよ。それが積もり積もって、こういう形で現れたんだろうさ」
この傭兵団も創設してから二十年ほどが経過していると聞く。地球圏に存在する企業などとは比べようもないが、徐々に組織としては澱みも生まれてくる頃なのだろう。
ゆっくりと、だが確実に。一見して口の端に上らぬ小さな不満や、僅かな迷いといったものは積み重なっていく。
今回一部の人望ある傭兵たちが、独立という形で行動を起こしたことによって、雪だるま式に事態は転がっていったのかもしれない。
「どちらにせよ、とりあえずは団長の意向を確認しないと」
「そうだな。……善からぬことを考えていなければいいのだが」
僕はいつまでもここに長居して話しこむのも如何かと考え、話を一旦区切って立ち上がる。
それに同意するように立ち上がったレオとヴィオレッタだが、腰を上げると同時に、ヴィオレッタは意味深な言葉を呟いた。
結局は娘であるヴィオレッタが、最も長い時間を団長と過ごしてきている。その彼女が言うのだ、僕にはその言葉から不穏な気配が漂っているように思えてならなかった。
いい加減ヒロインとの関係を進展させておきたい。




