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響きへ想いを05


 分厚い外套を脱ぎ長袖の服と肌着だけとなった僕は、一人玉の汗を流し金属糸を引き上げつづけた。

 背後では寒さで体力の落ちたラティーカが、心配そうにこちらを見つめ続けている。

 それが僕自身に対してのものであるか、それともいまだ登ってくる途中である、デリクに対するものであるかは知れない。

 ただラティーカを引き上げる時とは異なり、デリクは彼女より重量が有るとはいえそれなりに体力も残っている。

 握る紐からは自らの力で登る動きが感じられるため、先ほどよりはずっと楽に思えた。



「それで、下では二人で、どんな話をしたんだ?」


「どんな……、と言われますと」


「内容までは判別できなかったけど、叫んでるのが聞こえたからさ」



 荒く息を弾ませて引き上げつつも、ラティーカを助け上げたことで若干の余裕が生まれてきた僕は、外套を被りへたり込むラティーカへと問うてみる。

 こうなる少し前に彼女らは揉めていたのが、この一件で少しでも解消されていればと考えたためだ。

 助けに行ったデリクの存在が、上手くすればラティーカにはより良く見えたかもしれないと。



「悪いね。こう見えても僕は重いから、糸の強度もあって彼に降りてもらった」


「いえ、それは……。問題ありません」


「なら良かったよ。ここ数日上手くいってないみたいだったからさ」



 それとなくラティーカへと、僕とヴィオレッタが懸念をしていたことを告げる。

 ただ彼女はこの点を然程気にはしていないようで、首を横へ振っていた。

 もっともあんな深い暗闇で、一人凍えて助けを待っていたのだ。助けてくれるなら相手が誰であろうと、一向に構わないとは思うが。



「あの時は動揺していたんだろうけど、次からは不用意な真似はしないことだ」


「申し訳ありませんでした。……返す言葉もありません」



 僕は一人で突っ走り、結果として前方の不注意から亀裂へと落下したことを諌めておく。

 当然ラティーカはそれを言われることなど覚悟していたようで、背後で気を落として沈んだ空気を纏うと、消え去りそうな声で反省を口にした。

 ここまで痛い目を見たのだ、彼女であればもう同じ轍は踏むまい。

 だがそうなるに至った理由を思い出したようで、ラティーカは下がった体温ながらも恥ずかしさからか、僅かに頬を蒸気させる。



「……まさかデリクがそんな事を考えてただなんて、思ってもみなくて」


「傍から見てるとわかり易かったけどね。案外自分に向けられているものは、気付き難いのかもしれない」



 僕は上がった呼吸を整えながら、苦笑しながら人のことを言えぬ感想を述べる。

 実際僕はラティーカから向けられるものに確信を持てなかったが、ヴィオレッタとエイダから見れば露骨に過ぎるものであったらしい。

 今にしてみれば、おそらく隊に属する他の新米たちも、そのことには気付いていたのだとは思う。


 もっともラティーカにしてみれば、この事実よりも気になることがあるらしい。

 彼女は淡々と、僕に問うているのか自問しているのか定かですらない、小さな声でポツリと問いかける。



「隊長は、どう思ってくれたんですか?」



 その言葉を聞くなり、一瞬だけデリクを引き上げる手が止まりそうになる。

 どう思ってくれたか、と聞く辺り、きっとラティーカは僕がデリクに対抗意識を燃やしたかを尋ねたいのだろう。

 デリクを助けにやったことで多少はどうにかなるかと考えたが、デリクにとってはいまだ彼女との関わりが多難であるようだ。

 ここはある程度ハッキリと、彼女の好意に応えてはあげられないと告げるのも優しさだろうか。

 とはいえどう話したものかと、僕は下に居るデリクを意識しながらも、考えながら少しずつ言葉を絞り出す。



「好意は嬉しいけれど、今ここは敵地の中で、僕は君たちを率いる隊長としてここに居る」


「それは……、わかります」


「だからそれについて返事を返すことはできない。卑怯だと思うかもしれないけど、そうしないと隊内での公平が保てないからね」



 僕は金属糸を引っ張りデリクを引き上げながら、僕はラティーカを傷付けぬよう言葉を選び告げた。

 明確な返答を出来てはいないが、こんなところだろうか。かなり言い訳がましい気もするけれど。

 ラティーカはこのようなはぐらかしに納得してはくれまいが、今は他に言い様もない。



 決して彼女が本心からは納得してくれたとは思えない。

 しかし今のところはこれ以上の追及をしてこぬラティーカを余所に、僕は一心不乱にデリクを引き上げていく。

 そうしてようやく彼の手が亀裂の縁へとかかったのを見て、ようやく助け出せたことへの安堵が息として漏れた。



「お疲れ様。上がって少し休みなよ」



 そう言って気を抜いた僕は、踏ん張り登ろうとしていたデリクへと手を差し出す。

 しかしこの早すぎる気の緩みこそが、最大の問題であったのかもしれない。

 掴まってもらうべく手を差し出したところで、デリクがよじ登るため掴んだ亀裂の縁が崩れ、その身を落下させようとしていた。


 しまった、と。そう思った時点ですでに遅い。

 安堵からくる油断によって、デリクへと繋がれていた糸はもう手から離してしまっている。

 今からそれを拾い上げていては遅く、勢いの付いた状態では細い糸を握りしめる事も儘ならない。



「くそっ!」



 無意識に悪態衝くと同時に、身を躍らせ落下し始めたデリクへと腕を伸ばす。

 辛うじて彼の袖へと触れるなり、強く掴んで落下を留めようとするも、踏ん張り身体を支えようとした場所は雪の上。

 ぬかるんだ地面ごと足元は滑り、デリクを支えるどころか自分まで亀裂へ向け引きずり込まれようとしていた。


 必死に両足を踏ん張るも、意に反しただ滑るばかりで力が伝わることもない。

 ようやく助け出せたと思い油断した自身を呪い、一緒に引きずり込まれそうになっていたのだが、不意に身体が亀裂へと吸い込まれる勢いにブレーキがかかる。

 いったい何が起きたのかと考える間もなく、この状況を利用して身体をひねり、亀裂内にあった岩の突起などへと蹴るように足を乗せる。

 そうやって両の足を踏ん張ると同時に、ズシリと腕や腰にかかるデリクの重み。



「デリク、早く上がってくれ!」



 僕よりも少々軽いとはいえ、そこはやはりある程度鍛えた少年一人分の重量。

 強い衝撃に身体が悲鳴を上げるなか、僕はぶら下がり呆然としていたデリクへと叫んだ。

 彼はその言葉にハッと我に返り、急ぎ同じように壁の突起などへと手をかけ、なんとか上へと這い上がっていく。



 彼が上へと登りきったのを見届けると、僕もまた同様に上へと登り、真っ白ながらも荒れた雪へと身を投げ出した。

 いつの間にか降りしきっていた雪は止んでおり、ヒンヤリとした空気を頬に受けながら荒く息を吐く。



「大丈夫でしたか、隊長?」



 仰向けとなって暗い空を見上げ呆とする僕へと、近寄り心配そうに尋ねてきたのはラティーカだ。

 彼女はどういう訳かその手に短剣を握りしめており、若干涙ぐんだ目でこちらを見下ろしていた。

 転んだままラティーカを見上げる僕は、いったい彼女がどうしてそのような物を持っているのかと思いきや、不意に身体へと違和感を感じる。

 性格には身体というよりも、纏っている格好に関してであったのだが、上体を起こしてよくよく見てみれば、着ていた衣服の裾が激しく裂け肌着が剥き出しとなっていた。


 そこまで見て僕はようやく得心がいく。

 デリクを掴み一緒に引きずられた時、一瞬だけその勢いが緩んだのは、ラティーカがこの短剣で僕の服を地面に繋ぎとめようとしたからなのだと。

 おそらく彼女は咄嗟に判断したようだ。自分の腕力と体重では、ただ掴んだところで一緒に落下するのがオチであると。

 実際僕とデリク二人分を支えるなど、体力の落ちていない状態のラティーカでもまず無理だ。そこで瞬時に取った行動が、それだったのだろう。



「すまないラティーカ、君のおかげで助かったよ。危く二人揃って真っ逆さまだった」


「いえ、隊長のお役に立てるのでしたら……」



 短剣を握ったままであるラティーカへと視線を合わせ、我ながら気の抜けた表情のまま礼を言う。

 するとラティーカは体力の低下から若干血色の悪い頬へ、浅く朱が差すのが見えた。

 だがせめて「隊長の」ではなく、「二人の」と言って欲しいところではある。

 もっとも当のデリクはいまだ雪の上で転がり、荒い息を弾ませグッタリとしているばかりで、彼女の言葉など聞いてはいないようであったが。


 ともあれ半ば無意識な行動であるのかもしれないが、彼女のおかげで助かった。

 短剣で服を地面へと繋ぎ止めた、ほんの僅かな減速が功を奏し、なんとか体勢を立て直せたのだから。

 そのラティーカは僕の後にデリクを眺め、多少ホッとしたような表情を浮かべる。

 彼が下に降りた時点で何を話したかは知らないが、少なくとも冷戦状態は解消されているようだ。



 僕がそんな様子に内心で胸を撫で下ろしていると、雪と風の止み静かとなった夜闇の中、誰かの叫ぶ声が聞こえてきた。

 幾度かその声が聞こえてきた後、遠くには複数の洋灯と思われる明りがポツリポツリと散見し始める。

 どうやら陣へと戻ったヴィオレッタが、助けを引き連れて戻って来てくれたようだ。



「こっちだ! 早く着てくれ!」



 途中で雪が止んだというのもあるのか、助けが来るのは思ったよりも早い。

 一応命に別状は無さそうだが、それでも長時間耐え続けたラティーカなどは、もう体力の限界も近いはず。

 僕は身体に力を入れて立ち上がると、大きく手を振ってこちらへ来る影を呼ぶ。



「ようやくこの任務も完了だな。どうだい、終えた感想は」



 暗がりの雪原から手にした明りを手に駆けよってくる、ヴィオレッタの顔を見た僕はようやく許される安堵に肩から力を抜く。

 そうして後ろで座り転がる二人へと振り返ると、一苦労であった今回の行程に関する一言を求めてみた。



「あたしはもう、雪国はこりごりです。寒いし身体が動かないし、足元は見えないし……」


「俺も、滑るのは勘弁してもらいたいです」



 デリクはようやく身体を起こし、ラティーカ共々こちらを向くと、ウンザリした様子で告げる。

 各々この環境や自身が遭った酷い目によって、もう当分は北部での活動はコリゴリといった様子。ただ戦うという点に関しての不満が出なかった点は、上々と言っていいのかもしれない。


 これだけ平然と不満が言えるならば、きっと大丈夫なのだろう。

 僕は体力の限界ながらもしっかりと悪態衝く二人に苦笑しながら、救助のため駆け寄るヴィオレッタらを眺め、再び大きく手を振った。



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