空路01
シャノン聖堂国の国境を越え、最初に辿り着いた町で一夜を明かした僕等は、陽も登りきらぬ早朝に出立した。
そうして比較的涼しい時間に出来るだけ多くの移動を行い、昼頃には次の町へ辿り着くというのを繰り返していく。
彼女の話だとこれ以上南下することになれば、暑さは厳しくなるため行動は夜間に限られるようになるという話しであった。
現在は国境越えから四日目。南西の海岸線にほど近い町へと向かっており、No.031によると、そこがミラー博士の研究所がある場所であると。
最終目的地となる場所はもう目と鼻の先ということで、今日の移動は短くて済みそうだ。
この四日ほど、暑い中延々歩き続けるのにも疲れ始めていたため、ここに来てようやく辿り着けるというのは、僕等にとってまさに朗報であると言えた。
「本当にここまで町以外は、見事に何もない荒野ばかりだな……。この辺りのことには詳しいのか?」
「道中必要なルートに関しては記録されている。それ以外の場所について詳しくは知らない」
周囲にはひたすら砂色をした土地だけが広がり、植物などの目が休まる色合いは一切見られぬ道中。
まだ日も昇ったばかりの、薄暗い荒涼とした土地を歩く中、僕は前を進むNo.031へと尋ねる。
しかし暇つぶし目的で向けたこの質問であるが、彼女は案の定振り返りもせず、淡々と返すばかりだった。
ただなにもこのような反応は今日に限った話ではなく、ここまでの道中ずっと。本当のAIであるエイダ以上の、実に機械的なやり取りばかりが行われ続けている。
「君だって元々この国の出身なんだろう。地元もこうだったのかと思ってさ」
「わからん。以前の記憶については、既に消去されている」
「そうだったな。悪かった」
続けざまに問うてみると、彼女は間髪入れず自身の記憶というものが存在しないものであると告げた。
確かにここまで話をしてきた限り、No.031はどうやらレオと同様に記憶の改竄が成されているようで、彼女の過去について問う度に同じ内容を口にするばかり。
どうしてそのような真似をしたのかわからず、少々探りを入れるためにした質問だったのだが、どうやら彼女の記憶は本当に消去されているようだ。
なので少々意地の悪い質問だっただろうかと思うも、No.031からは心情の揺れる様は見受けられない。
「なのにミラー博士へ恨み節の一つもないんだな。憎くはないのか?」
「わたしはあくまでも博士の道具だ。道具は恨みを持たない」
そんなNo.031へと、僕は更に意地の悪い問いを投げかける。
彼女は自身の記憶が改竄されていることを理解しているようなので、その件についてどう捕らえているかを知りたくなったためだ。
だがNo.031はこれまで通り変わらぬ歩調のまま、躊躇うことなく自身を道具と言い放った。
それは彼女が自身へ言い聞かせようとしているというより、本心としてそう考えているように思えてならない。
『だそうだ。道具は使用者を恨まないそうだよ』
<だとすれば彼女より、私の方がより高次の存在ですね。一応感情というものをシミュレートしていますので>
『てことは、エイダは僕を恨んだりするのか?』
<想像にお任せします。ですがもしあまりにも私を蔑にする言動が続けば、後ろから撃たれる可能性は捨てきれませんが>
内心で肩を竦めてエイダへ振ると、彼女はなにやら不穏気な言動をする。
若干冗談めかしているのが救いではあるが、もし実際にエイダの機嫌を損ねでもしたら、僕は非常に困った事態になるだろう。
情報の収集など、諸々の作業を多くエイダに任せている現状、彼女を軽く扱うなど恐ろしくてできたものではないが。
ともあれエイダとNo.031では、その在り様は似ていながらも、むしろエイダの方が自我というものを持っているようではあった。
エイダとやり取りを行いつつ、僕は隣を歩くレオへと視線を向ける。No.031との話を聞くことによって、彼がどういった心境となるのかが気になったためだ。
彼は僕の視線に気が付くなり、珍しく困ったように眉を顰めた。
その表情は「俺は道具じゃない」と言わんばかりで、同じ経緯で改造させられた存在でありながらも、こちらもまたNo.031とは大きく異なるのを実感させる。
やはりレオはこいつらとは違う。そう思いたい僕自身の感情に流され、安堵の息を吐く。
すると彼は僕の想像を越え、意外な言葉をNo.031へと向けた。
「俺はお前たちとは違う」
「……なんのことだ、No.002」
「よくわからんが、俺はお前たちの仲間のようなものらしい。だが俺は道具じゃない」
突如として口を開き異論を唱えたレオの行動に、僕は意外な想いで彼の顔を凝視した。
実のところこの二人が真面に言葉を交わすのは、これが初めてではないだろうか。
ただそう考えたのは僕だけではなかったようで、そんなレオの姿にヴィオレッタまでもが目を見開き驚きを露わとしている。
加えてこの反応は僕等だけではなく、No.031にとってもそうであったらしい。
ここまで鉄面皮そのものといった彼女の表情であったが、同類であるはずのレオから向けられた発言によって、若干ながら感情の変化が生じたようだ。
「貴様も上に使われているだけだろう。我々と何も違いはしない」
「確かに俺がここに来たのは、団長に命令されたからだ。だがそれに従ったのは自分の意志だ」
ようやく浅い困惑を滲ませ始めたNo.031は、歩き続けながらもレオへと反論めいた言葉を放つ。だがレオもまた引くことなく、自身の意志を表に出していた。
本当に意外だ。普段のレオは僕やヴィオレッタの意見を聞くばかりで、あまり言動に主体性がないというのに。
まさかこうまで異論を口にするとは思っていなかったため、こちらとしては驚きを隠せない。
詳しいことまで理解はしていなくとも、No.031が自身の同類であるというのはレオもわかっている。その彼女を前にし、相応に想うところがあるのだろう。
「だから俺は道具でいるつもりはない。誰に作られたとしても」
「No.002、貴様は記憶を消去されているからそう言うに過ぎん。だが結局はミラー博士に作られた事実に変わりはない」
「知ったことか。そいつが何者だろうと、指図されるいわれはない」
前で横へと並び、歩き続けながらも口論は白熱していく。
共に口調は変わらず平坦ながらも、どこか互いにムキになりつつあるようにも思え、普段感情の色が薄い双方の、存外人間味ある一面が垣間見える。
本来なら案内役であるNo.031と揉めた所で、決して良い結果をもたらしてくれるとは思えない。
だが僕はここに来て、ようやく自身の我を出し始めたレオの言動が、若干嬉しく思えてならなかった。
止めなくて良いのかというヴィオレッタの視線に首を横へ振り、僕等は炎天下の荒れ地や砂漠を越えていく。
前を歩くレオとNo.031は、次第に二の句を継ぐ言葉が思い当たらなくなったのか、長い沈黙を経て時折一言二言の言葉を交わすに落ち着いていた。
そんな二人を苦笑しつつ眺めていると、次第に前方には小高い山々が見え始め、麓には荷車数台が横並びで通れるほどの、広い横穴が姿を現した。
「ここを通り抜けた先が目的地だ」
「……潮の香りがする。この先は海か」
「そうだ。ついて来い」
横穴の前へと差し掛かると、鼻先へと浅く潮の香りが通り抜ける。
ヴィオレッタはその匂いから、この先が海へと通じていることを感じ取ったようだ。
ここは王国西部の海沿いに近い場所。衛星で上から見る限りこの先には何もないが、案外他の町同様に、地下部分に建物が造られているのかもしれない。
躊躇することなく踏み込んでいくNo.031の後を追い、僕等も巨大な洞穴へと踏み込む。
中は人の通りを考慮してあるようで、地面部分にあったはずの突起が削られ、所々には灯りが灯され道が見えるようになっていた。
広い洞窟を進んでいくと、中ほどに石造りと思われる高い壁が姿を現す。
その前には十数人の王国軍人たちが歩哨として立っており、若干の緊迫感を感じさせながらこちらへと目を光らせていた。
「通行証を」
歩哨たちの前へと進み出ると、兵は簡潔な言葉と共に手を伸ばす。
すぐさまNo.031の取り出した通行証を受け取ると、兵は側に置かれていた洋灯を掲げ中身を読み始めた。
形だけではなくしっかり確認しているその様子に、同盟で騎士たちがしているのと正反対な、いたく真面目な印象を受ける。
しばし要点らしきいくつを確認し、No.031へと通行証を返すと、兵士は行って良いとだけ告げ道を開けた。
どうやら通行証そのものは正規の品であったようで、問題なく通しては貰えるようだ。
促され石壁へと向かい、一部に空いた通用門らしき場所をくぐって奥へ。背後の兵士たちに声が聞こえぬ場所まで離れると、僕はソッとNo.031の隣に並び話しかける。
「こんなに厳重そうなのに、よく無事に通れるだけの物が用意出来たな」
「わたしは詳しく知らんが、博士は要職に就いている。この程度の許可を取るのは造作ない」
そこそこの人数が配置された門を、容易に通れたことを問うてみる。
実のところそれは大したことではないのかとも思ったが、どうやらNo.031の言いようだと、それなりに権威ある通行証であったため通れたようだ。
おそらく道中見てきたような、諸々の技術と引き換えにその地位を得たのだろう。なので今は無事通行できたことを喜んでいのかもしれない。
ただ逆に言えば、そのような権威ある地位の人物が用意した通行証、兵士たちにも覚えられてしまったのではないだろうかという不安はあるのだが。
若干の懸念を抱きつつも、門を越えた僕等は洞穴内を進んでいく。
そうしていくうちに徐々に視界は開け始め、洞穴内の前景を火の明りが照らしていった。
そこは海に面した崖に空いた、巨大な洞窟の中に造られた都市。
ずっと高い天井に向かい、斜面には無数の家々が建てられ、通りには多くの人が行き交い喧騒が響いていた。
海沿いという事もあってか、ベタつきこそするものの潮風が吹き抜け、洞窟内ということもあり都市の空気はヒンヤリとしている。
「驚いたな。こんな場所に町を築くなんて」
「まったくだ。ここであればそれなりの広さも確保でき、陽射しも避けられるということか。……だが危険ではないのか?」
町並みを眺め簡単の声を漏らす僕に、ヴィオレッタも同意と共に懸念を口にする。
確かにこのような場所、万が一天井が崩落でもすれば一貫の終わり。そのようなことを気にしていては暮らせないだろうが、それでも初めて見る者にとっては危険に思えて仕方がない。
ただこれは杞憂であるようで、No.031は頭上を見上げ言い切る。
「このあたり一帯の地盤は固い。町が出来てから一度も崩落したことはないはずだ」
「ならここの他にも、近場に同じような町があったりするのか?」
「王国内でもこういった構造の町はここだけ。他に丁度良い場所がない」
あまり王国の地理に詳しくはないと言っていたが、自身の拠点とする研究所がある土地だけに、ここばかりはその限りではないのだろう。
歩き町中へと向かっていくNo.031はこちらの質問に対し、淡々と装飾を削ぎ落した説明を続けていった。
それにしても、こんな広い洞窟が自然に作られていくには、いったいどれだけの時間がかかったことだろうか。
僕は先導するNo.031の後ろを歩きながら、明りに照らされ朱く浮き上がる街並みを眺める。
しばし都市内の光景に感嘆しながら、薄暗い町中を歩き続けると、No.031は一軒の建物の前で立ち止まった。
そこは見るからに宿といった様相で、入口の奥からは昼間であるというのに、酒の臭いと愉快そうな喧騒が漏れ聞こえてくる。
「今日はここで休む」
「了解だ。目的の場所へ行くのは明日になるのかな」
「そうだ。早く入れ」
目線と声で入るよう促すNo.031の指示に従い、僕等は騒がしい宿の中へと足を踏み入れる。
そこはやはり僕等や他都市の住人同様、白い外套を羽織った客が店内の椅子を埋め尽くさんばかりに、各々酒を楽しんでいた。
ただ宿そのものとしてはあまり流行ってはいないようだ。部屋を借りると主人は意外そうな表情を浮かべ、二部屋分の鍵を渡してくる。
都市への入り口が厳重な監視下に在る以上、外部からやって来る人などたかが知れているのかもしれない。
鍵を受け取るなり客間のある三階へと上がり、男女に分かれて部屋へと入る。
そこでようやく、道中初めてとなる真っ当なベッドへと横になり、身体の力を抜きながらもレオへ向け心情を探るように問うてみた。
「さて、遂にここまで来たわけだけど。……どうするつもりだい?」
「どうする、とは?」
「これまでずっと隠し事をしていた僕が言えた義理じゃないだろうけど、ミラー博士はレオにとっての関係者だ。会ってからどう行動するのかなって」
おそらく明日には、件のミラー博士と顔を合わせることになるのだろう。その時レオがどう対応するか、目下の心配事はそこであった。
怒って殴り掛かるか、それとも自らを生み出した存在として親のように接するのか。それはわからない。
ただもしも仮に、レオが何かの切欠で本来の記憶を取り戻した時、彼が今のまま僕らの仲間のままで居てくれるという確証が持てなかったのだ。
そんな僕の不安感を余所に、レオは一言だけ、「さあな」と呟きベッドへ横になる。
実際その時にどうするか、自身でも予想しかねている様子だ。
背を向けるレオを横目に僕はただ一つ、これから先も彼が仲間で居てくれるよう願うばかりであった。




