誓い02
狭く暗い階段を一人降りて行き、辿り着いた先で木製の扉を二度ほど叩く。
直後中から返された入室の許可を受け、扉を開き中へと入りこむ。そこで室内の明りを受けた僕へと、部屋の主は意外そうな声を向けた。
「……貴方でしたか。随分と間隔を置かず来たものですね」
「すみません、度々押し掛けてしまって」
部屋に置かれた執務机にもたれ掛っていた女性は、僕の顔を見るなり呆れた表情を浮かべる。
だが彼女がそう思うのも無理はあるまい。僕は前回ここへ来てから、まだ十日かそこらしか経っていないのだから。
「別にいいですよ。こちらとしては、ちゃんとお客になってくれるなら文句はありませんもの」
「そう言っていただけると助かります。勿論今回も、ちゃんと報酬は用意してきました」
「……なら結構です。とりあえずお座りになって」
手から下げた小袋を掲げ、目の前の女性へと金銭を持っていることを示す。
それらが鳴る音を聞いた彼女は、僅かに躊躇するような素振りを見せながらも、僕へと椅子を勧めた。
この部屋の主である彼女は、ここいら一帯の娼婦を取り纏め、娼婦から得た情報を元にし客へ売るという、情報屋稼業を営む女性。
その彼女へと然程期間を開けず再び会いに来たのは、僕らが新たな命令を下されたためであった。
一人情報屋である彼女と会いに来た僕は、その命令された内容を遂行するのに必要な情報を求める。
彼女は淡々と説明をする僕の話を、最初こそ平然と聞き続けた。しかし話しが進むにつれ、どうやら求められている内容がそれなりに難しいものであると悟ったようだ。
徐々に険しそうに眉は寄り、顎へと手を当て深く考え込む。
「"王国"への潜入ルート……、ですか」
「真正直に正面から山越えをしても、上手くいかないのがオチですから」
僕が情報屋に欲した情報は、国境を越えて他国へと至る道。彼女の言う王国というのは、都市国家同盟の南に位置するシャノン聖堂国を指す。
王国とは言うものの、シャノン聖堂国は国教となる宗教の教皇を頂点に据えた国。彼の国は他国に対して一切を閉ざした、完全鎖国状態を貫き続ける国であった。
今回団長直々に僕等へ下された命令は、そのシャノン聖堂国へと潜入し、とある対象と接触を行うこと。
団長から送られてきた文書にあった研究者の拠点というのが王国に在り、そこへと向かわねばならないのだ。
そういえばレオは以前、自身を王国の出身であると言っていた。なのであちらに研究所があるというのも、至極自然であるのかもしれない。
ともあれそのためにもまずは、彼の国へ至るための道を知る必要があった。
だが当然、王国とは商業面どころか政治の上でも繋がりはなく、人が行き来する正規のルートが存在しない。
国境には山々が連なっており、東の共和国との間に聳えるモーズレイ山脈ほどではないものの、それなりの険しさから行く手を阻んでいた。
土壌の関係か気候のせいか、その山は木々がほとんどないため、歩いていれば向こう側から発見されかねないのだ。
「私はこの辺り一帯に関する取扱いが主で、南部に関しては詳しくはないのですけれど」
「うちの団長が言っていました。確か貴女は、昔は南の方で活動をしていたと」
「……あの人も大概おしゃべりですこと」
情報の精度に自信がないためか、彼女は自身が王国との国境付近に関しては門外漢であると告げる。
しかし事前に聞いていた限りでは、随分前にこの情報屋と団長が知り合った頃、もっと南の方を活動の拠点としていたらしい。
なので団長から聞いていたその話を口にすると、フッと息を吐き彼女は団長へと悪態めいた言葉を呟いていた。
「一つだけ、心当たりが無いことも……」
「ではそれを教えて頂けませんか」
「ですがこれは、かなり古い情報です。今も有効であるかは確証が持てません」
そう言うと部屋の隅へと置かれた書棚へと向かい、なにかを物色し始めた。
しばし指さしで確認しながら、一点の薄い紙製の本を取り出す。それは溜めこんだ情報の一部が記されている品であるようで、パラパラとめくり内容を読み込んでいく。
彼女はその紙束をこちらへと持ってくると、軽くそれを掲げて意味あり気な目配せをする。
すぐさまその意味を察した僕は、懐へと入れた小袋を取り出しテーブルの上へと置く。
「まぁ、いいでしょう。正直正確性の保証をしかねますので」
前回よりも僅かに少ない額を渡すも、情報屋の女は納得し受け取る。
どうやら納得のいく額ではなかったようだが、あまり確証の持てない情報で吹っかけることもできないようだ。
それでも受け取ったのは、他に渡せる情報がない証明であるように思えた。
対面し座る僕は、資料片手に図を描きながら説明をする彼女へと、相槌うちながら聞き続けた。
曰く、やはり真っ正直に王国へ侵入するというのは不可能であるとのこと。なので人に見つからないであろう、特別な道を辿る必要があると告げられる。
「廃坑道ですか……。そんな物が」
「ですけど、これはわたしが生まれるよりもずっと前の話です。今も無事使えるか定かではありません」
情報屋の女が教えてくれたのは、大昔に掘られた廃坑道を利用するというものであった。
都市国家同盟とシャノン聖堂国の間には、昔から豊富な採掘量を誇る鉱床が眠っていると言い伝えられてきたらしい。
それを狙って、大昔に同盟側の都市が採掘を行ったということだ。
しかし偶然王国側の領地へと繋がってしまい、当然それを看過しなかった王国との間で、一触即発状態にまで至ったことがあるとのこと。
以来掘削はストップされ、その跡が現在も残っている。今回彼女は、それを利用しようというようだ。
「ですがそれだと、向こう側はとっくに塞がれているのでは?」
「普通に考えればそうなのですが、実はこの坑道跡、現在は王国が間諜を送り込むのに使っていると噂されているのです」
そのような経緯であれば、とっくの昔に潰されていてもおかしくはない。
だがそれでも彼女がこの案を提示してきたのは、現在に至っても別の目的で利用されている可能性が残っているためであるようだ。
もしそれが事実であれば、非常に危険なことは言うまでもないが。
「それなりの距離ですので、通るのに時間も要するでしょう。加えてもし噂が本当ならば、向こう側で王国の兵と遭遇する可能性もあります」
「噂に過ぎないのであれば辿り着けず、もし噂通りであれば戦いになると」
「ですが他にお教えできる手段はありません。坑道内の詳しい経路なども不明ですし、相当な距離があるため装備がどれだけ必要かも……。かなり危険な手段です」
「ですが他にないのであれば、行くしかありません。助かります」
説明を聞き終えた僕は、そのまま立ち上がる。
彼女がくれた坑道跡の場所を示す簡単な地図を受け取り、僕は早速退出しようとする。
実際これ以外に手段がないのであれば、危険とわかっていても頼らねばならない。むしろ一つでも望みがあっただけ、儲けものと言えた。
その去るべく向けた背へと、彼女は労をねぎらうように告げる。
「お気をつけて。またお客になってもらえる日を楽しみにしていますよ」
「ええ。そうありたいものです」
社交辞令的な面を多分に含んではいそうだが、無事を願う彼女へと礼を告げ退出する。
彼女にしてみれば、僕は傭兵団からの使いっパシリに等しい存在なのだろう。
ただ団長は少し前に、わざわざこの情報屋の女性に会いに行かせたのは、顔を繋ぐためであると言っていた。
なので今後もこの人とは、度々会う機会はありそうだ。もし僕が無事で帰ればの話だけれども。
狭い階段を登り、抜けた先の宿を出て大通りへ。
そこから少しだけ歩いた先に在る、この都市の目玉である娼婦らを必要としない行商人向け宿の一室へと向かう。
無言のままで扉を開け中へ入ると、そこにはレオとヴィオレッタ、椅子やベッドへ腰かける二人の姿があった。
「帰ったか。どうだ、収穫はあったのか?」
「上々。ただ少しばかり危険なルートしかなかったから、覚悟してもらう必要はありそうだ」
「構わんよ、そのようなもの毎度のことだ」
部屋へと入るなり問うてきたヴィオレッタへ、僕は肩を竦めて静かに告げる。
情報屋から聞いた話が全て事実であったと仮定して、その場合下手をすれば敵の只中を進むより酷い行程となるかもしれない。
刃を交えるのとは異なる危険性に、二の足を踏んでしまいそうにはなる。
もっとも彼女はそのようなこと、さして気にもしていないようだ。軽く言い放ち自身の武器を手入れし始めようとしていた。
座ったままで説明を求めてきた二人を前に、僕も椅子へと腰かける。
そこで情報屋から聞いた話をしていくと、共に行動の面倒臭さに対し、やれやれといった態度を隠そうとしなかった。
「大まかにはわかるけど、正確な場所までは不明だ。向こうに着いたら、入口を探し回る必要がある」
「難儀なことだ。王国領も近いことであるし、かなり暑いだろうな……」
「南方だからね。ただ山の麓に在る森の中だそうだし、少しは陽射しが遮られると思うけれど」
武器を手入れする手を止め、ウンザリした様を見せるヴィオレッタ。
確かに大陸の南部である王国は、乾燥と強い日射を常とする非常に暑い地域。それくらいのことは伝わっている。
なので暑さの中で延々見つかるかどうかも知れぬ坑道を探すのに、気が乗らぬのも当然の反応だった。
それなりに木々がある場所であるため、その点では救いかもしれない。
ただ逆に言えば森の中であるが故に、探すのは余計に苦労することだろう。そういった場所に在るからこそ、入口が見つからずに済んでいるのだとは思うが。
「レオは王国の出身なのだろう? 最初にどうやってこっちへ来たのだ」
可能ならば面倒な作業を省きたいヴィオレッタは、腕を組み話を聞き続けるレオへと問う。
彼がこれから向かおうとする王国の出身である以上、あちらから同盟の領土へと移動した手段は存在する。
もし確実であるなら、それを利用したいということだ。
「……わからん」
「わからんって……。そんな幼少期の話ではないのだろう?」
「悪いが、正直覚えていない。山を越えたとは思うが、そのルートまでは。海を渡ったのでないことは確かだ」
そのレオは、自身にその際の記憶が希薄である旨を告げた。
彼は僕よりも前に傭兵団の訓練キャンプへ入ったが、それでも物心つくような幼少期の話ではないと聞く。
ならばある程度記憶がありそうなものだが、どうも何かの事情で隠そうとしているというよりも、表情を見るからに本当に記憶にないようだ。
彼はあまり嘘の類が上手ではないため、そういった点ではすぐにわかってしまう。
ならばどういうことだろうかと考えはするものの、僕はすぐその理由らしきものを思い出す。
そういえば団長からもたらされた文書の中で、レオに関する記述の一部として、同盟へ送り出す際に記憶の改竄が行われていたことを示す一文があった。
それがどのタイミングで行われたかは知らないが、どうやって来たかわからないというのは、それが理由であるのだろう。
「ならば自力で探すほかないか……」
「すまんな」
「今更言っても仕方あるまい。私も観念した」
おかしな話しではあるが、レオが嘘を言っていないことはヴィオレッタにもよくわかったようだ。
彼女はその場で立ち上がって軽く伸びをすると、苦笑しながら僕等へと目配せをする。
二人は早速、明日にはこの都市を発つべく荷造りを始める。
僕はそんな二人を眺め自身の荷物を背嚢の中で整頓しながら、これから向かう南方へと思考を巡らせた。
衛星から見下ろしての画像を見る限り、国交がない点と散見する町々の規模が小さい以外は、これといって変哲もない国だ。
しかしどうやらレオが生み出され、改造を施された連中と研究者が居るのは彼の国。一筋縄でいくはずもない。
レオと動揺の戦闘能力を持つ、敵の戦力が大勢待ち構えている光景を思い浮かべてしまった僕は、想像する暑さに反し微かに背が震えるのを感じられてならなかった。




