警戒速度
<警告。集団の中に二名、弓の保有を確認>
エイダの追加する情報に、僕は頭へとよぎっていた案を打ち消す。
一案として襲撃に気付くフリをした直後に進路を変え、多少荷を落としてでも逃げ切るという手を考えていたのだ。
だが弓を持っているのであればそうもいくまい。
今通っているのは丘陵地帯なのだが、少々起伏や傾斜が激しく鳥車を転回するに手間取る地形。
もたついている間に気付かれるだろうし、その間に近づかれて矢を射られ、もし騎乗鳥に当たろうものなら逃げる事すらままならなくなる。
なにせ対象との距離は、既に三〇〇m程度しかないのだ。
この距離を走った直後に狙いすまして当てるのは至難の業ではあるが、不可能であるとは言い切れない。
「……ケイリー、ちょっと手綱を頼む。馬車の速度を落として、ゆっくりと進めてくれ」
「え、ちょっと!?」
咄嗟に発した僕の言葉に慌てるケイリーへと手綱を渡し、そのまま御者台から飛び降りて前へと走る。
助走を付けてマーカスの繰る鳥車へと飛び乗ると、御者台に座る彼の肩へと手を置く。
「マーカス、速度を緩めてくれないか」
「ど、どうしたんですか急に?」
「いいから早く。どうも向こうが怪しい」
状況が把握できていないながらも、僕の真剣な形相が功を相したのだろうか。
マーカスは僅かに手綱を引いて騎乗鳥の足を緩めると、怪訝そうに僕へと顔を向ける。
「向こうが怪しいって……、どういうことでしょうか?」
「進路上に森があるだろう、そこに少しだけ人影が見えた。野盗の可能性があるから警戒したほうがいい」
僕の言葉に、マーカスは手綱を握ったまま先を凝視する。
現状目視でこそ確認できないものの、エイダが言うのだ、おそらく間違いはないだろう。
こんな何もない場所でわざわざ森の端に潜んでいるあたり、碌な目的でないのは明らかだ。
「他の進路は……、難しいでしょうね。このまま引き返して別のルートを探りますか?」
「魅力的な提案だけど、相手が弓でも持ってれば逆に危険だ。このまま進むしかないと思う」
僕はあえて、可能性として弓の存在を提示する。
一頭立ての鳥車では、周囲の急な坂を苦も無く登るのは難しそうで、森を掠めるような進路でしか進むことができそうにはない。
荷車を放棄すれば容易に逃げ出せはするだろうが、傭兵団にとって金銭の種である品を易々と放り出すわけにもいくまい。
それに何よりも、戦死した傭兵たちの遺品だけは是が非でも持ち帰る必要がある。
かといって後生大事に荷を守っていれば、逃げることは出来そうになかった。
「戦闘か?」
「……おそらく」
「わかった」
背後の荷台からレオが問い、僕がそれに対し簡潔に答えると、彼もまた小さく了承を示す。
するとレオは後ろからついて来るケイリーの馬車へと、手信号を送った。
内容は"戦闘準備"だ。
エイダの情報によれば相手は十人。僕等は一人につき二人以上を、同時に相手しなければならない計算となる。
その内最低二人は弓を持っており、中遠距離から攻撃を仕掛けてくるのだ。
もしも荷や騎乗鳥を無傷で奪いたいと考えるのならば、あまり弓では仕掛けてこないだろうけれど。
「レオ、弓を取ってください」
「ああ」
レオとマーカスの二人は、急ぎ荷台に置かれた自身の得物を手元に置く。
こちらからは見えないが、ケイリーも同じく準備をしているはずだ。
僕もまた腰に差した真新しい中剣の柄へと僅かに触れ、始まるであろう戦闘へと備える。
<アルフレート>
『どうした?』
緊張感を高め始めた僕に、エイダはこれまでの機械的な報告を行う音声から一変。
感情らしきものが込められたような、少々柔らかい声をかけてくる。
<おそらくはこれから戦闘となるでしょう。大丈夫ですか?>
『……もう、覚悟は出来ているつもりだ。人を斬る経験なら、もう済ませた』
<なら良いのですが。ではご武運を>
エイダの言葉に、若干ながら緊張感が緩む。
AIが武運というものを信じるのかと、つい妙な疑問を覚えてしまったためだ。
だがこれで無駄に固くなることもないはず。
初めての実戦らしい実戦。ここをなんとか乗り越えねば。
沈黙した僕等を乗せ、速度を落とした鳥車はゆっくりと進んでいく。
おそらくは向こうもこちらの速度が変わったことによって、気付かれたのを理解したはず。
それは襲撃への準備を整えるためだったのだが、速度を緩めさせたのは失敗だったかもしれない。
エイダが異常を知らせた時点で対処していれば、もっと多くの選択肢があったはずなのに。
もっと早く行動を決断していればという後悔が、徐々に内へと沸き起こっていく。
僕は首に掛けたペンダントを手首に巻き、先端を手袋の甲に押し込んで戦闘の準備を終えた直後。エイダからの声が脳へと響く。
<警告。攻撃の予備動作を確認、映像を投影します>
エイダの声と共に、上空の衛星から撮られた拡大画像と、簡略化された地図が脳へと映される。
そこには弓を引き絞る男の姿と、男の居るポイントが地図上に赤いマーカーで記されていた。
「くそッ!」
僕は躊躇うことなく荷台に置かれている刃こぼれした槍を掴むと、装置を起動して身体能力を強化。
目標は脳内に投影された地図上で赤く表示されている、弓を持った野盗と見られる男。
全身のバネを使い、男目掛けて槍を一投した。
グッと弦を引き絞った男へと、投擲した槍が呻りを上げて迫り、画像上で男の肩口へと穂先が突き刺さる。
グラリと倒れる男の弓からは矢が放たれ、近くに立つ木へと突き立てられた。
訓練キャンプで幾度となくやらされた槍投げだが、まさかこんな所で役に立つとは思いもしなかった。
その時点で、他の男たちは弓を射ようとしていた男がやられたのだと気が付く。
「鳥車を止めるんだ、来るぞ!」
僕が叫ぶと同時に、五〇m弱ほどの距離となっていた森の中から、息せき切って男たちが飛び出してくる。
矢を番え引き絞るマーカスを残し、僕とレオは荷車から飛び降りると、剣を抜き放って一気に前進。
こちらに近寄らせぬよう敵との距離を詰めた。
駆けて接近しながらよく見てみると、野盗たちの手にはパイクや中剣など、あまり統一感のない武器が握られている。
だがそのどれもがよく手入れされており、素人同然の野盗が使うような、拾ってそのままの武器といった風体ではない。
パイクを持つ男は逆手に持った手を肩近くまで上げ、高く保持しつつも姿勢を低くした状態で接近してくる。
その様子から察するに……、
「レオ、こいつら傭兵崩れだ。気を付けろ!」
男たちの武器を構える姿は堂々としたもので、既に一人の仲間が倒れたというのに、微塵も動揺を感じさせない。
間違いなく、戦闘に関する訓練を受けた経験がある者たちだ。
おそらく食い詰めた傭兵が、野党に落ちぶれたのだろう。
「了解した」
レオは僕の声に反応し、大剣を背負うように構える。
そのまま対峙し迫る数人の野盗へと突っ込んでいき、手にした大剣を横薙ぎ一閃。
野盗の一人がその一撃を剣で受けたものの、レオの攻撃の勢いによりアッサリと剣をへし折られる。
そのまま胸の部分からバッサリと両断され、盛大に血液を撒き散らしながら、上下に分かれた身体は地面へと転がっていった。
早々に一人の野盗が死亡し、残りは九人。
レオは並々ならぬ実力を持つので、あと一人か二人くらいは問題なく倒せるはず。
あちらは任せて構わないだろう。
僕はレオとは別の野盗へと向けて接近する。
一直線に向かってくる男が振り下ろす大剣を、懐に潜り込むようにして回避し、そのまま腹へと剣を滑らせ切り伏せる。
ドサリという身体の落ちる音と、背後で転がる大剣の金属音。
僕の手に入れた武器は、丈夫さと引き換えに切れ味を犠牲にしているせいだろうか。
柄を握る掌へと、生きた肉の裂ける嫌な感触が生々しく伝わる。
これで人を斬るのは二度目。
視界の端に舞う血飛沫に不快を覚えるが、今はそれを気にしている場合ではない。
僕は次に向かってくる男へと目をやる。
正面へと対峙しパイクを構えた男は、小さくステップ踏みながらゆっくりと迫っていた。
細かく浅い突きの動作を繰り返しながら、前へ後ろへと移動しながら、時折深く突きを繰り出してくる。
それを剣の腹で弾いて踏み込もうとすると、瞬時に男は後方にステップを踏んで再び距離を取った。
長いリーチを活かし、中剣を持つ僕を寄せ付けない戦い方をするようだ。
「むぅ……、ハァッ!」
身体を半歩ずらすと、男が掛け声とともに突き出したパイクの穂先が、顔のすぐ横を掠めていく。
男の動きは正確で、非常に無駄がない。
僕やレオが最初に斬った相手の不用意さと比べれば慎重で狡猾。野盗たちの中でも、比較的腕の立つ方なのかもしれない。
野党などせずとも、普通にどこかの傭兵団に入り込めばいいだろうに。
僕は避けた流れのまま一歩踏み出すと、さっきと同様に男は後ろへと飛ぶ。
しかし今度はそれを追い、二歩三歩と素早く踏み込み肉薄した。
男は一瞬だけ苦い表情を浮かべると、パイクを横に薙いで柄の部分で僕を払い倒そうとする。
横腹へと迫る柄を、手にした中剣で受け止めると、刃にめり込んだそれから片手を離して腰へとやり、ベルトにぶら下げてある短剣を引き抜く。
この段になって、男は既に自身が追いつめられているのに気付いたようだ。
パイクを使い続けるのは諦め、手を離して自身も予備の武器を抜こうとする。
しかしその間も僕は前へと踏み込んでおり、男が武器を抜くには遅すぎた。
ドカリ。
刃が肉を抉るよりも、身体同士がぶつかる音の方が大きく響く。
「ぐ……、ふっ……」
逆手に持つ短剣が男の胸へと深々と突き刺さり、手に伝わるのは刃が骨を欠く感触。
短剣は左胸に潜り込んでおり、間違いなくそれは心臓にも達している。
この状態からでは、どれだけの医療を施したとしても助かるまい。
男が口から漏らす息は、既に言葉としては成り立っておらず、ただ生命の残り滓さえも搾りきろうとしているようだった。
絶望に顔を歪め、男は地面へと倒れ伏す。僕はその姿を尻目に、周囲を見渡した。
レオニードは既に二人を討ち、今は野盗の一人を相手に大剣を振り回している。
鳥車近くに目をやれば、地面にはマーカスによる攻撃を受けたのだろう、身体から矢を生やした野盗二人の死骸が横たわっていた。
ケイリーは一人の野盗を相手に対峙し、弓から中剣へと持ち替えたマーカスと共に挟み込んで優勢を保っているようだ。
僕が最初に弓手を、そして大剣とパイク使いの男を一人ずつ倒している。
ということはあと一人、まだ弓を持った男がどこかへ潜んでいるはずだった。
<警告。二時方向、遠距離武器による敵性行動を確認>
エイダの言葉に反応して見ると、脳内に投影される画像には、再び森の中で弓を構える男の姿。
最初に倒した相手ではない、それとは別の人間だ。
「くっそが!」
咄嗟に倒した男のパイクを拾い、最初同様に投げつける。
ただ放物線を描いて勢いよく飛ぶそれだったが、残念ながら今度は上手く当たってはくれなかったようだ。
男の手前に立つ太い木の幹へと、深々と突き刺さる。
しかしそれによって若干の隙が生まれたようだ、弓手は怯み矢を零れ落とす。
僕はその瞬間を好機と捉え、地を蹴り一気に距離を詰めていく。
とはいえまだそれなりの距離があったため、再度構えた弓手による攻撃が僕へと迫ろうとしていた。
引き絞った矢が放たれると同時に横へと跳んで回避し、ワンステップで再度前進。
僕のした回避を確認し、弓手が再び矢を取り出して番えた時、既に僕は相手に触れんばかりの距離へと接近していた。
目を剥きこちらを凝視する男の視線を受けながら跳躍、僕は手にした中剣を弓手の男へと向けて繰り出す。




