詐称の友 20
そこからの数日、監視を続けはしたもののこれといった動きは起こらなかった。
夕暮れの放課後に教室へと残る三人は、普段通り教室の一角で顔を突き合わせ、破顔して笑い合う。
『本当か? 父親を相手に、よくぞそこまで言い切ったものだな』
『だってあまりにも小煩いんですもの。わたくしだっていい加減辟易しますわ』
『でもちゃんと謝っておかないと。後で手紙を出しておいたほうがいいよ……?』
寮に戻っても同じ部屋であろうに、彼女らはそれでもここで談笑をしている。自分たちの部屋とは、なにか異なる感覚があるのだろう。
今三人がしているのは、シャリアが父親と手紙の上で口論となり、ちょっとした断交状態となっているという話しについて。
その言葉にヴィオレッタは笑い、ラナイは困ったような表情を浮かべ関係の修復を促していた。
『向こうが謝って来るまで、わたくしの方から折れることはありませんわ』
『でも仲違いしたままじゃダメだよ』
『うむ、ラナイの言う通りだ。関係の修復を試みるのであれば、早いに越したことはないぞ』
腕を組み大きく息を吐くシャリアに対し、ヴィオレッタとラナイは早々の解決を薦めていた。
しかし実のところ、ヴィオレッタは既にシャリアの家族というか家そのものが、実在しない仮初のものであることを知っている。
ヴィオレッタへはここまでに起きた状況を、説明の出来ぬ部分を端折りつつも話し、シャリアらがラナイを狙っている事実を伝えていたからだ。
一方のシャリアもまた、先日逃した刺客の女と密かに接触しているのが確認されている。
つまりこちらがその事実に気付いていることを、聞き及んでいると考えて間違いない。
であるにも拘らず、彼女らはこれまで通り表面上平静を装いつつ、三人での交流を継続していた。
『言葉で拗れてしまったならば、やはり言葉でなんとかするしかあるまい。関係修復の理由付けであれば私も考えてやるぞ』
『そう……、ですわね。決定的に拗れる前に、なんとかしておかないといけません。ありがとうヴィルネラ』
なにやら意味深なヴィオレッタの言葉に、シャリアは僅かに俯きつつも同意を示す。
ヴィオレッタの告げた関係の修復というのが、本当にシャリアの話した設定上の親子関係に関してを指しているのかはわからない。
それでもどこか熱心さが伝わる言葉に、シャリアも頷く他なかったようだ。
そんな教室内でされる光景を眺めつつ、僕は相変わらず拠点とする尖塔の上で警戒を続けていた。
彼女らの会話へと耳を傾けつつ、自身の表情が疑念と困惑に歪むのが感じられる。
「シャリアはいったい何を考えているんだ……? 今さら隠し切れるもんでもないだろうに」
<奇妙な光景ですね。互いに正体を知っているというのに、今までと同じ態度で接し続けるなど>
つい口を衝いた言葉に対し、エイダも同様の感想を抱いたようだ。
僕には今まさに眼下でされる三人の会話が、作りものめいたように感じられてならなかった。
ヴィオレッタが普段と変わらぬ接し方を続けるのは当然だ。向こうが何のアクションも起こさない限り、こちらはこれといった手の打ちようがないのだから。
しかし一方のシャリアが、どうして未だもってこのような演技を続けているのか。
事実を知るに至ったヴィオレッタを始末しようとするでもなく、ただこれまで通りの日常を続ける理由はいったいどこに。
自身の口を衝いて出たように、僕はシャリアの考えを測りかねていた。
「ともあれ彼女がラナイを狙っているのに、疑いの余地はない。もし少しでも行動を起こせば、その時点で踏み込む」
<ヴィオレッタに任せないのですか?>
「一人で無事対処できるなら、それに越したことはない。けれどもあの調子じゃ、そう上手くは行きそうにないだろうし」
エイダの問い掛けに対し、僕はシャリアの隣で肩を竦めているヴィオレッタを見やりつつ答える。
今まさに彼女は普通の調子でシャリアと話しているが、その姿は直面した事実から目を背けたいと言わんばかりの素振りに見えてならなかった。
だがその気持ちも、ある程度は察してあげるべきかもしれない。
なにせ周囲に数少ない、同世代かつ同性の友人が二人も出来たはずであるのだ。その片方が正体を偽っていたとしても、早々割り切れるものではないはず。
いざ事が起きた時、ラナイを護るべく敵となったシャリアを斬れるか。それは僕どころか、当人にすらわからないに違いない。
『ねえ……、二人とも』
ヴィオレッタとシャリアの二人について考えていると、不意にラナイの声が聞こえてくる。
見れば彼女はおずおずと二人の間で俯き、なにやら言いたそうにしている様子が見て取れた。
『どうしたのだ?』
『……ううん、なんでもない』
シャリアから視線を逸らし、ヴィオレッタは問いかける。
その声からなにか深刻気な気配を察したのか、ヴィオレッタもまた怪訝そうな面持ちで会った。
『今の言葉で、なんでもないという事はありませんわよ。なにか聞きたいのであれば、気にせず仰ればいいのですわ』
『そうだぞ。今さら遠慮などする仲でもあるまい』
気にせず口にするよう促す二人の言葉に、ラナイは伏し目がちとなっていた視線を上げる。
そうして開かれた目を見た瞬間、僕は彼女がただのノンビリとした娘なだけではないのだと感じられた。
ここまで見てきた限り、ラナイは基本穏やかでどこか抜けている面がある娘だ。
いわゆる口さがない人からすれば、"トロい"と言われてしまいかねない性格であるのだとは思う。
しかし彼女は実のところ、直感の働く人間なのではないだろうか。
そのように考えていると、やはりラナイに抱いた感想が事実であるのを表す言葉が飛び出す。
『二人とも……、わたしに隠し事してない?』
『な、なにを言っているのだ急に』
『そうですわ。どうしてわたくしたちがラナイに隠し事など』
ラナイが突如として問うた内容に、二人には僅かな動揺が奔るのが見て取れる。
ただここまでの二十日以上、二人の間に挟まれ過ごしてきたラナイは、そこに流れる微かな異常を察していたようだ。
僕は音声を介してのみあの場を監視しているため、実際その場に立ってはいないからわからない。だが彼女はここで感じられるものとは別の、特別な空気を感じ取っているのだろう。
暫し彼女は無言のまま、否定を吐く二人の声を聞き続けた。
だがある所でかぶりを振ると、二人に対し断りを入れ教室を跡にする。どうやら先日刺客に仕立て上げられたのとは別の教師から、用事を言い渡されていたようだ。
他に誰も居ない教室で、二人残されるヴィオレッタとシャリア。
少しの間無言で立ちつくしていた二人であったが、ようやく重い息を吐き声を出したのはヴィオレッタであった。
『上手く隠していたつもりだったが、わかってしまうのだな』
『ええ、本当に。呆っとしているように見えて、案外勘の働く子ですわ』
互いに視線を合わせることもなく、ラナイの出ていった教室の扉を見つめ話す。
そこには先ほどと同様に、正体を知っていることなど感じさせぬ空気が漂っていた。
しかし今回はもうラナイが近くに居ない。そうなればもう素知らぬフリをする必要もないようだ。
『まさかお前がラナイを狙っていたとはな……。相棒から聞いた時には耳を疑った』
『先日わたくしの仲間が、かなり手酷い目に遭いましたからね。どうやら彼はかなり手強い相手のようですし、誤魔化すのも難しいでしょう』
静かな調子で語るヴィオレッタの言葉に、シャリアは一切の否定をすることはなかった。
こうなっては隠すことなど不可能であるし、そもそも今の段階まで来て、そうする必要性すら無いと判断したようだ。
そのシャリアへと変わらず視線を合わせることもなく、ヴィオレッタは苦笑しつつ返す。
『本当は信じたくなかった。ただアレは人を繰った言動をする厭味ったらしいヤツだが、それでも私は信用しているのだ。そいつが断言した以上、お前がどこぞやのお嬢様などではなく、ただの暗殺者であると判断するしかあるまい』
『今更否定するつもりはありませんわ』
追い打ちをかけるも、やはり全てを認めるシャリア。
一方のヴィオレッタもまた、今更彼女のする肯定に対し動揺はしない。ただ黙々と、しかし苛立ちをぶつけるように語り続ける。
『お前の正体に、私はまったく気付けなかった』
『それは褒め言葉と受け取っておきますわよ。想像以上に上手く成りすませたものです』
『我ながら、よくぞここまで騙されたものだ。その口調もいい加減やめてはどうだ? 本来のものではあるまい』
『お生憎様。もうずっとこの口調ですもの、いい加減慣れてきましたわ』
ようやく視線を合わせた二人は、これまでしてきたような軽口を叩き合う。ただその会話からは、どこか名残のようなものを感じずにはいられなかった。
仮初のものであったのは間違いないだろうが、だとしても二人は友人のように接してきたのだ。
今思い返しても、シャリアにしたところで演技にしては上手すぎた。案外彼女の側も、ヴィオレッタ同様に半ば任務を越えた部分があったのかもしれない。
そうして少しの間、互いに今までを振り返るように言葉を交わす。
しかしいい加減続けるのも憚られたのだろうか。シャリアは振り切るように身体をヴィオレッタへ向けると、若干大仰な身振りで腕を広げた。
『確かにおっしゃる通り、わたくしはマクニスラの商家に生まれた娘などではありませんわ。あくまでも、ただの下賤な暗殺者風情。で、だからといってどうされるつもり?』
自虐的な気配すら漂う、シャリアの挑発的な発言。
意味するところとしては、正体を知ったから何か行動を取るのかといったところだろうか。
それは僕等が受けた任務が、あくまでもシャリアの護衛でしかないという点に回帰するものであった。
『貴女方がすべきは、わたくしの護衛。ラナイを護るなど任務外の内容なのでしょう? よろしいのかしら、勝手な行動を取って』
『構わん。どうせ減給と謹慎程度で済むだろう、それよりも大事なことがある』
『大事なこと……?』
向けられたものに動じることもなく、真っ直ぐに見据えて返すヴィオレッタ。
なにかを覚悟したような物言いに、シャリアの繭は僅かに顰められた。
『ああ。友人の手を汚させない、そのためなら私は上からの命令くらい無視してやるさ』
堂々と、むしろ微笑みながら言い放つヴィオレッタ。
そんな彼女の言葉に対し、シャリアは暫し唖然とした表情を浮かべていた。
まさかこれから敵になろうかという相手から、そのような言葉が聞かされるなど、夢にも思わなかったようだ。
しばしその唐突な発言に呆けていたシャリアであったが、あるところで小さく溜息を衝き苦笑する。
『……本職の傭兵にしては、随分と割り切れていない人ですこと。わかってはいましたけれど、貴女は相当甘いですわよ』
『今になってようやく自覚したよ。身内の話になると、こうも判断が鈍るものかとな』
対立する関係となったにしては、随分と軽い空気。以後の接し方は違えど、その点ではこれまでと変わるモノではないという事だろうか。
軽口を叩く友人同士という関わりそのままに、彼女らは明確な敵対の意図を口にしていた。
ここまで話したところで、これ以上この件で交わす言葉はないと判断したか。
シャリアは背を向け扉へと向かうと、手をかけて開き教室から出て行こうとする。
その背へとヴィオレッタは声をかけ、彼女の足を止めた。
『このまま演技を続けるのが面倒であれば、今すぐ相手してやってもいいのだぞ?』
『止めておきますわ。直接やり合って勝てるとも思えませんし』
『では後日にするとしよう。私の方も今はお前を倒す理由を明示できんからな』
それだけ言い合うと、二人は別れヴィオレッタのみが教室へと残る。
彼女は窓際へと歩み寄ると、縁に寄りかかり外の景色を呆と眺め、無言のまま考え事をしているようであった。
幾度かヴィオレッタの表情が、柔らかいものや険しいものへと変化する。
そうしてある所で真っ直ぐに僕が居る尖塔へと視線を向けると、ゆっくりと口を開いた。
『すまんな……。お前も私を甘いと思うだろう』
彼女自身は声が届いているとは思っていないはず。
だとしてもそれは、僕に向けて吐かれた言葉であるのに間違いはない。
周囲へする説明の内容はさて置き、この場でシャリアを討っておけば後々面倒がないのはわかりきっている。
それでもヴィオレッタが手を下せなかったのは、危いながらも続くシャリアとの関わりへの、未練であるように思えてならなかった。




