詐称の友 11
『ねぇ、聞いた? 夕べ西側の海岸で――』
『ええ、聞きましたわ! なんて恐ろしい……』
外出したシャリアの護衛を行った翌々日の昼。
食堂が閉鎖されているのに伴い、生徒たちは各自で持参した昼食を食べるべく、中庭の数か所に設けられたベンチへと座っていた。
そこで食事をしつつ世間話を交わす、名も知らぬ生徒たちの多くは、揃って共通の話題に花を咲かせる。
いや花を咲かせるというのは少々語弊があるだろうか。内容は酷く物騒なものであり、刺激の強い話題であるのだから。
『何の話をされているのです?』
『あんた知らないの? 昨夜遅くに、西の海岸で女性の死体が見つかったんですって』
『それも噂では、この学院の職員だそうですわよ。ほら、食堂で働かれている恰幅の良いオバさま』
もっともお嬢様とはいえ、実のところかなり好奇心は旺盛であるらしい。怖がるどころか、むしろ嬉々として話を広げていく。
終いには尾ひれや背びれが付き、末端まで伝わる頃には原型を留めなくなっていそうではあるが。
ただ、今まさに彼女たちがしている内容そのものは、間違ったものではないようだ。
確かに食堂でそういった人物が働いているのは、僕自身も目にしている。そしてその中年女性が、島の西部に在る海岸で見つかったというのも事実だ。
『この前あった食堂での騒動、あのオバサンがやったって話しもあるよ』
『私も聞きました。確か書置きがあったとかで、自殺のようですわね。相当学院に不満を持っていたのでしょう』
『では私たちはそのせいであのような目に?』
生徒たちは頭に浮かんだ内容を、事実であるかどうかなど余所に置き、実しやかに囁き合う。
この情報に関しては、今のところ明確な根拠があるわけではない。
知らぬ間にどこかしらから噂が発生し、学院内では半ば真実として語られるようになってしまったのだ。
その後生徒たちはひとしきり食事しながら話をすると、午後からの授業のため揃って教室へと戻っていく。
中庭で食事を摂っていた他の生徒たちも、各々話を切り上げ教室へと帰る。
戻っていく彼女らが話していたのも、やはり先ほどの数人がしていたのとおおよそ同じ内容だ。
他の生徒たちが戻ったことにより、人数の少なくなった中庭。
そんな一角に在る比較的小振りなベンチへと、ポツリと残されたように居続けるのは、ヴィオレッタを始めとしたいつもの三名だ。
『さっきの話し……、本当なのかな?』
『今のところ何とも言えませんわね。誰かが流した悪質な噂である可能性もまだありますし』
『そもそも誰がこのような話を聞きつけたのだ? 昨夜見つかったにしては、学内に噂が届くのが早すぎると思うのだが』
彼女たちもまた、学内を駆け巡る噂の波に乗ることにしたようだ。
互いに耳にした信憑性の在りそうな情報や、実は死体となった女性が某都市の放った諜報員であったなどといった、荒唐無稽な噂話を口にする。
いったいどういった根拠で、そのような話になったのかはわからない。
もっとも他国へと潜入を行い、そういった人たちと接してきた経験のある身としては、一概に嘘とは言い切れないのではと思えてならなかったが。
ただこの三人は他の生徒たちよりも、冷静な判断が下せるようだ。直後にあくまでも噂であると口にし、状況を見極める必要性があるとした。
『どちらにせよ、あまり無責任に流言を広めないことですわね』
『ああ、まだ確証の持てる話ではないからな。ラナイもあまり気に病まぬことだ』
『う、うん……』
三人は互いに自制を促し、過度に不安を煽るような言動は慎むべきであるとの結論に達する。
ただラナイは若干不安気であるのは、自身も危うく被害に遭いかけたためだろうか。
もし噂の多くが事実であるならば、逆に不安の種は消えるようにも思えるのだが。
彼女たちは食べ終えた手製の弁当を片付けると、揃って中庭を跡にする。
午後の授業開始が近いためか彼女らは小走りとなり、すれ違う教師に注意をされつつも、明るさをみせつつ教室へと駆けこむ。
そこで各々自身の席へと腰を下ろしたところで、担任としてこの教室を受け持つ女性教師がやって来た。
その教師は壇上へと立つと、小さく咳払いをしてから重く口を開く。
内容はここまで学内へと広がっていた噂について。そしてその噂が、概ね事実であるというものであった。
つまり見つかった死体の正体が学院の職員であり、書置きにより食堂での一件が自身の行った行為であるとの告白であること。
加えて自ら命を絶ったであろうということについて。
『ですがくれぐれも、不用意に話を広めないように。島の人たちも不安になります、いいですね!』
女性教師は若干厳しい口調で、生徒たちに意味もなく噂を広めないよう自制を促した。
ただもう遅い。聞いたところ既に学内ほとんどの生徒がこの話を知っているようだし、この学院内に伝わっているくらいだ、市街ではとっくに住人たちの知るところだろう。
なにせ人口が千人少々という小さな島だ、この学院もそうだが日常の娯楽にも飢えている環境では、人死になどという事件は光の速さで伝わるに違いない。
女性教師はそれだけ伝えると、仕切り直しとばかりに午後の授業を開始する。
既に情報が出回っていたのもあってか、衝撃的な事実を突き付けられたというのに、教室内の生徒たちは意外にも平静に授業へと入っていく。
ただその一方、尖塔の上でその光景を見ている僕は腕を組み首を傾げていた。
<どうにもおかしいですね>
「そうだな。確かに最初の弩を使ったものや、その後の半端な毒物を使った点からして、素人臭いとは思うけれど……」
<しかもまだ見つかっても居ないのに、こんなにアッサリと自害するような人間を暗殺者に仕立て上げるものでしょうか>
犯人とされたのは、これまで至って普通であったはずの食堂で働く学院の職員だ。
噂が流れ始めた時に、高空の衛星に記録された画像を調べた結果、それが事実であるのは確認済みだった。
遺体の体形を見ても、弩を仕掛けたと思われる人影と一致していた。なのでその中年女性が、これまでの犯人であるのは間違いないのだろう。しかし……。
「金で雇われただけだろうな。場合によっては口封じされたのかもしれない」
<弩を仕掛けた人間と身体的な特徴は一致していますし、立場上皿に毒を盛るのも容易です。なので状況的に犯人であるのは間違いないのですが、流石に主犯ではないでしょうね>
呻りながら告げた言葉に、エイダもまた同意を示す。
この件がなかったとしても、いずれは画像の解析などを経て判明したのだとは思う。それにこれだけ不用意であれば、いずれ尻尾を出しただろう。
ただやはり、自ら命を絶ったというのが解せない。
向こうがこちらの持つ技術などに関して知っていようはずもなく、自身が追い詰められていると判断する要因などなかったはず。
なので失敗したことによって見限られ、背後に居る輩に始末されたと考えるのは自然ではないだろうか。
「まだ裏があるぞ。警戒を怠らないようにしよう」
<了解しました。監視を継続します>
学院内に居る刺客が一人減ったというのは、多少なりと安堵するに足る理由なのだろう。
しかしこれで終わりとは到底思えないどころか、更に危険な気配を感じたため、むしろ警戒を強めるべきであると判断した。
そもそもシャリアの父親が、どういったルートで危険を察知したのかすら定かでないのだ。
まだまだこちらの知らない、危険が潜んでいるのかもしれない。
<ところでアル、件の人物ですが>
「なにかわかったか?」
<やはり自害ではありませんね。先ほど海辺で崖の上から突き落とされる姿が確認されました>
緊張感を強めていると、少し前から島内全域の映像を記録していたエイダが、チェックを終えた旨の報告をする。
その光景を再生してもらうと、足元も覚束ないような暗い岩場の上で、一人の人物によって突き落される様子が捉えられていた。
やはりあの人物は自ら命を絶ったのではなく、誰かによって始末されたのだ。
おそらくは口封じのためであり、存在するかもしれない護衛に対し、脅威は去ったと印象付けるために。
この想像が正しいとするならば、まだシャリアは狙われているのに他ならない。
<ローブを纏っているため容姿は判別できませんが、動きからして賊はおそらく女でしょう>
「女か……。また学院内の人間である可能性はあるか?」
<不明です。ですが昨夜以降、学院の敷地へと出入りした人間は居ないようですね>
「だとすれば学院外部の人間か。近くに潜んでいないだけマシか……」
もしその刺客が島民でないならば、人の行き来が少ない島である以上多少は目立つだろう。
なにせヨライア島は観光地とは成り得ない土地であり、外部から来て上陸するのは男ばかりな船の乗組員くらいのもの。
女であれば多少は見つけやすいはず。
しかし残る刺客がその一人だけであるとは限らない。件の口封じされた人同様に、島民が刺客となっている可能性も高いのだ。
そこまで考えたところで、僕はつい先日来た、シャリアへの使いとされる女性を思い浮かべた。
確か彼女は帰途で乗る船の出港を待っているため、まだギリギリ島内に残っているはず。
ただいくらシャリアの命を狙っていた相手とはいえ、一介の使用人が報復をしたりはしないだろう。それ以前に、刺客を見つけ出す手段もないことであるし。
僕は馬鹿なと口にしつつ、かぶりを振って自身の考えを否定する。
しかし自身の考えを打ち消そうとした僕へと、エイダから意外な情報がもたらされることとなった。
<アル、関係あるかはわかりませんが、わかったことがもう一点>
「わかったこと……?」
<申し訳ありません。これは指示されていなかったので、こちらが勝手にしたのですが>
若干申し訳なさそうな口調で、エイダはおずおずと口にする。
珍しく持って回った前置きをするのが気になるが、もしこっちが指示していなかったとしても、それが重要となるかもしれない情報なら聞いておきたい。
「いいから話してくれ。少しでも情報は欲しい」
<はい。実は監視と並行し解析を行っていた、あるデータの解析が済みました。先日シャリアが使いと会っていた時に聞こえた、異音の正体についてです>
そういえばそんな物もあったのだったか。あの時は別段気にもしていなかったのだが、エイダは密かにその異音を解析していたようだった。
あえてこうやって報告してくるからには、多少なりと気になる結果が出たのだろうか。
<あれは予想通り、紙に対しての摩擦音であったようです>
「ああ、アレはそうだろうな。だけど家の人間から託された手紙か何かでも、読んでいたんじゃないのか?」
<そうではありません。正確には紙同士ではなく、紙に対しペンの類を奔らせている音です。それも二つ同時に鳴る時がありました>
エイダの告げる言葉に、頭へは次々に疑問符が湧き起こる。
シャリアは会話している最中に、どういうわけか文字を書いていたのだろうか。いやただ書いているだけであれば、その場で手紙への返事でも書いていたのかもしれない。
だが二つの同じ音というのはおかしな話だ。まさか二通を同時に書いていたとも思えないため、もう一方を書いていたのは使いとして来た女性であるのは間違いない。
世間には文字を書けぬ人も大勢いるが、幼少より教育を受けてきたシャリアは、そういったことを容易にこなせるだけの教養がある。
なので代筆をしてもらう必要もないし、そもそもそのような内容は一切話していなかった。
複数の人に同じ内容の手紙を出すため、あの女性が同時進行で書き写していたというのも考えられるが、やはりそれに関する会話が一切ないのは不自然だ。
となれば考えうるのは……。
「筆談、か」
<だと思われます。理由は不明ですが、よほど会話を聞かれたくなかったのでしょう>
「となると宿でしていた会話は偽装か。シャリアは既に、こっちが監視しているのをしっていたはずだしな」
あの時シャリアがしていた会話は、これといって何の変哲もない、使用人に対する近況報告の域を出ないものであった。
だが裏ではどういう訳か、表に出せぬ内容を文字でやり取りし、こちらを欺こうとしていたというのだ。
おそらく向こうは、筆談をする音まで聞かれていたとは思っていないはず。よしんばその音が聞こえたとしても、まさか音の解析までされるとは思っていないだろう。
「聞かれたくない話もあるんじゃないのか? 家の中に関する問題であるとか」
<十分にあり得る話です。ですが多少は疑いの目を持ってもいいかもしれません>
なにかを隠してはいるのだろうが、それがいったいどういった内容であるのかはわからない。
試しに音から書いた文字の内容を分析できるかを問うてみるも、流石にエイダもそこまでは無理であるようだった。
それにしてもエイダの言う通り、状況を含めどうにも怪しい。
そもそもシャリアが編入してきてから、まだ然程時間が経過していない。なのにどうして、わざわざ海を越えてまで使いまで寄越したのか。
加えてシャリアが危険であるというネタを、トゥーゼウ家の当主がどこから掴んだのか。
疑問は尽きず、僕は教室内でヴィオレッタと机を並べる彼女へと、若干の疑いが滲む視線で見つめていた。




