記憶
その時、僕はただ恐怖していた。
焦燥から歯を食いしばる父の顔と、恐怖に顔を歪め僕を強く抱きしめる母。
明滅を続ける赤い室内灯に、鳴り響く耳障りなアラート音と悲鳴。
座席の前面へと展開する立体映像には、危険を知らせる"WARNING"の文字。
船に搭載された人工知能は、しきりに女性の声で脱出を勧告する。
これらの情報が怒涛の如く押し寄せ、僕の頭はパンク寸前であった。
「クソッ! クソッ!」
父は必死の形相でコンソールを叩く。
しかしただ眼前に映像として映し出されるのは、ひたすらに蒼く巨大な惑星。
思うように動いてくれぬ航宙船をなんとか操作しようとするも、その甲斐なく上下もわからぬ状態で進む。
いや、進んでいるのではない。これは落下だ。
推力を著しく減退させた船は、惑星の重力に引かれてただ落ちていく。
抗おうにも手を打つ術は無く、逃げ出す事すら叶わない。
なにせエンジンは大破してしまい、緊急時に使われるはずの脱出艇は、身勝手にも自身のみ助かろうとした輩によって、既に空となっているのだから。
その逃げ出した脱出艇も、船を離れた直後に撃ち落されてしまったので、どちらにせよ無事ではいられなかったが。
今現在この船には僕と両親を含め、一人勝手に脱出した男を除いた六人が乗り合わせている。
別に知り合いという訳ではない、ただ偶然に乗り合わせただけの他人たちだ。
「何故だ……なぜ連中は私たちを攻撃する! 民間船だとわかっているはずだ!」
父がする必死の問いにも、返す者はない。
それは誰もが思っていることであり、誰もが知らぬ理由だ。
だが父とて答えを期待しての言葉ではないのだろう。
ひたすらに、どこかへと怒りや混乱をぶつけたいだけのように見える。
母はそんな父から目を背けるかのように、今まで以上にギュッと僕を抱きしめた。
僕も決して痛いとは言わない。
普段は気恥ずかしさから逃げ回っているはずの、抱きしめようとする母の腕。
だがこの時ばかりは、その痛みが命綱であるように感じていたのかもしれない。
「無理そうか……?」
「……ああ、残念だが。主動力は完全に沈黙、サブは生きてるが引力から離脱するだけの力はない。あとはコイツに期待するしかないだろうな」
コンソール前の座席に座る父の背後から、体格の良い髭面の老人がヌッと顔を覗かせる。
父は今までの粗ぶった声を収め、老人に言葉を返すと同時に視線を落とし、床に踵を打ち付けた。
"コイツ"というのが、僕等が現在乗っている船を指しているのは言うまでもない。
「小型船ではあるが、一応大気圏への突入には対応している。だが角度も速度も理想とは程遠い」
「頑丈さに期待するしかないか。姿勢制御は?」
「こっちからは操作を受け付けん。大気圏突入時に、プログラムがバランサーを起動してくれるのに期待するしか……」
深刻そうな二人の会話に、僕は不安が増大するのを感じずにはいられない。
それは他の皆も同じだったようだ。
僕を抱きしめる母や、背後のシートに座る二人からは強い緊張を感じる。
「ああ神様、私をお救い下さい……っ」
「いやだ……死にたくない……」
神への祈りと生への渇望。
鳴り続ける大音量のアラートの中にあっても、それはハッキリと僕の耳へと届く。
だがその願いが聞き届けられるかどうかは、それこそ神の裁量なのだろう。
僕等はただ、祈る以外に出来ることなどない。
「シートに座っていろ! 突入するぞ!」
後ろを振り返り、父は皆へ向けて声を張り上げる。
だがおそらく、その声の先にあるのは僕と母のみなのだろう。
父の視線は真っ直ぐに、僕と母を見据えており、他の人へと気を配る余裕があるようにはとても見えなかった。
声に反応した僕等は、シートへ身体を固定するアームを手動で下ろし、各々の席へと身体を沈める。
僕は母によってアームを下ろされ、小柄な身体を座席へと固定された。
次第に映像は赤く染まっていき、船全体が高熱に包まれているのが手に取るようであった。
僕は緊張に息を呑むと、船体は細かく振動していき、船内は一瞬にして真っ暗となる。
状況が理解できず沈黙すると、振動は徐々に収まっていき、しばらくして明りが復旧。
前方には船外と思われる映像が映し出された。
一面の灰色。
最初は故障であろうかと思いもしたが、直後に一転して景色が開ける。
眼下に望むは一面の緑と青。
海と森、そして一部に見える岩肌らしき色。
船内でワッと沸き起こる歓声。
なんとか無事大気圏の突入に成功したことへの安堵から来るものだった。
僕の背後に座る二人の男女は喜び合い、父へと労いの言葉をかける。
しかし当の父はと言えば、僕等に背を向けたままでかけられた言葉に一切の反応も示してはいなかった。
その背が緊張に固まっているであろうことを、僕はすぐさま理解した。
僅かに震える肩と、コンソールに置かれた手。
「……推力が足らない」
そして発された言葉に、一瞬にして船内は静まり返る。
言葉の意味を理解しかねてではないだろう。
わかっていても、それを理解したくはないために、思考が停止してしまったのだ。
「着陸はできん……突っ込む」
大気圏へと突入する際の激しい叫びとは大きく異なり、父は静かに告げる。
しかしその言葉によって、船内は再び狂乱に陥ることとなった。
金切り声をあげて叫ぶ女性に、アームに抑えられながらも暴れる男。
そんな中で母はただ無言で手を伸ばし、僕の手を強く握り締めていた。
母が僕を落ち着かせるように向ける優しげな視線と、父の「愛している」の一言。
そのさなか、映像に映し出される地表は刻々と迫り、一面が緑へと覆われた直後に僕は……。
▽
自身の激しい動悸に驚き、目を見開く。
身体を起こして周囲を見回すと、あたりは一面の緑。
木々と時折姿を現す動物以外には何もない、深い深い森。
霞む視界を振り払うかのように頬を叩くと、寝惚けた頭も些かハッキリとし始める。
「久しぶりだ……」
僕は誰にともなく、一人呟く。
随分と久しぶりに見た夢だったが、これは僕の記憶へと残る最も鮮烈な記憶。
まだ幼く、状況を把握するだけの理解力を備えていなかったであろう頃。
だが今であれば、ある程度は理解が出来る。
あれは僕にとって最も強烈な記憶であると同時に、人生で最も最悪な瞬間だったのだと。
小さくため息つくと、横になっていた硬く大きな一枚の金属板の上から飛び降り、土の地面へと足を着ける。
そこで調度足下へと転がっていた、機械部品の一つを拾う。
高度な技術によって作られているためか、それは数年もの月日を雨風に晒され続けても、錆びる気配すら感じられない。
とはいえ今となっては、これも用を成さないだろう。
落下の衝撃により大破し、本体から脱落した部品だ。今となってはその用途すら知れない。
背後を見遣れば、元は部品と一体であった大きな金属の塊。
この地における僕の我が家であり、遠き故郷との唯一の繋がりであるはずの航宙船。
だがそれも今日でお別れか。
僕は若干の名残惜しさを感じながら、必要な道具を回収するべく船の中へと向かった。