詐称の友 05
『申し訳ないが、私はそういったモノに加担するつもりは毛頭ない』
『わたくしも同意見ですわ。そのような派閥争いなど、わたくし共には関わりの無いこと。どうぞそちらでご自由になさってくださいませ』
警護を始めて何日目かの夕刻。
一日の授業も全てを消化し、寮への帰途に就こうとしていた頃。彼女たちは数名の生徒たちに呼び止められ、教室の一角で向かい合っていた。
ただその様相は穏やかとは言い難く、最初こそ普通であった会話も、今では険悪な物となりつつある。
『な……、なにを仰って――』
『折角私共が誘って差し上げているというのに、断るつもりですの!?』
ヴィオレッタとシャリア、この両名が告げた言葉に、向かい合うクラスメートと思われる生徒たちは面食らった様子で顔を見合わせ、口々に声を上げる。
どうやらこの生徒たちは、二人を件の学院内に存在する派閥へと勧誘を行っていたようだ。
だがその勧誘もにべもなく速攻で断られる。拒絶されると思ってはいなかった生徒たちにとって、それは信じがたい返答のようでだった。
『貴女たち、ご自分の立場というものがわかってらっしゃらないようね。所詮貴女たちは中堅都市の商家の出。私共のリーダーを務めていらっしゃる方は、もっと高貴な――』
『ですからそのようなこと、わたくし共には与り知らぬことです。お引き取りを』
勧誘を仕掛けた生徒たちの中で、最も偉そうな態度の生徒が前へと歩み出る。
その顔をよくよく見てみれば、初日に随分と偉そうな態度で、ラナイに学内を案内するよう指図した生徒だ。
どうやら彼女は派閥のリーダーではないようだが、このクラス内ではその集まりの中で、もっとも上に立っている存在なのだろう。
彼女は居丈高な態度を示し、平然と要請を跳ね除ける二人へと、家の格を武器に抑えつけようとする。
もっともそれもあまり効果はなく、シャリアによっていとも簡単に突っ撥ねられる破目となっていたのだが。
シャリアにとって、そういったものは信条を制限するだけの枷とは成りえないようだ。
『下賤な血の分際でっ! その態度、覚えておいでなさい。いつか痛い目を見ますわよ!』
『ああ、覚えているとしよう。だが次に来る時は親の威光ではなく、自身の才覚で人を従えるようになってからにするといい』
捨て台詞を残し立ち去ろうとする生徒へと、負けじとヴィオレッタも言い放つ。
その言葉に顔を真っ赤に染めたその生徒は、二の句を次ごうとするも失敗し、そのまま他の生徒を従えて去ってしまった。
使う言葉はお嬢様らしいものであったが、最後の最後で本性を表してしまったようだ。
やはりこの閉鎖された社会は、酷く生まれによって立ち位置が変わるようであった。
「それにしても、ヴィオレッタも随分と言うもんだな。元の性格だろうけど」
<今後の立場を考えれば、些か不安にはなりますが……>
「別に問題はないさ、護衛対象に嫌われなければそれでいいよ。彼女自身もああいった人間に好かれたいとは思ってないみたいだし」
監視を行う尖塔の上で、僕は彼女らのやり取りを苦笑しながら眺める。
教室内に三人だけ残った姿を見るに、実際ヴィオレッタはさして気にもしていないようだ。
むしろ派閥へ引き込もうとした他の生徒に対し、やたら冷めた視線を向けているくらいであった。
彼女がした言動は、平穏な学院生活という面では、なかなかに難のある対応と言えるのかもしれない。
しかし任務を果たすのに支障が出るような状況ではないように思えるので、この件に関しては後で忠告するほどのものではないだろう。
「それよりもシャリアだ。まさか彼女がああも派閥を嫌うとはな」
<彼女が思いのほか気丈な性格だったのは誤算でしたね。それに付き合うヴィオレッタも似たようなものなので、楽と言えば楽かもしれませんが>
「どちらにせよ護衛対象と一緒に居るには、気が合う相手になる必要があったから都合がいいさ。一番割を食ってるのはラナイだろうけど」
どうやらこの二人は妙に気が合うようなので、護衛のために自然と近くに居る状況が作れたのは、僥倖と言っていいのかもしれない。
ただ一つ難点があるとすれば、これによってシャリアは敵を作ってしまうという点だろうか。
ある意味こうなって初めて、ようやく護衛の意味が生まれたような気もする。
一方でここまで口を開いていないラナイを見れば、彼女はオドオドとした様子で、生徒たちが出ていった扉と、返り討ちにした二人を交互に見ていた。
別に自身を小間使いのように扱っていた生徒たちに未練はないだろうが、それでも揉めた状況は困惑するに値するものなのだろう。
『困りましたわね、あの方たちにも』
『まったくだ。このような風習に従うなど、馬鹿らしくてやってられん』
生徒たちを追い払ったヴィオレッタとシャリアは、顔を見合わせ同意し合う。
しかし若干思うところがあるのだろうか。一息ついたシャリアが玻璃の付いた窓の外を眺めると、溜息を衝くように漏らす。
『ですが一つ、心配事があると言えばあるのですが』
『なんだ? あの連中のことか』
『ええ。親の権力を傘に着て、わたくしたちの地元へ嫌がらせを行いはしないかと……』
『それはないだろう。いくらなんでも、親の側はそんなことをしてタダで済むとは思っていないはずだ』
シャリアがした心配事に対し、ヴィオレッタは軽い調子で一蹴する。
普通に考えれば彼女の言う通りだ。出自によって学内での立ち位置が決まるなど、所詮学院の生徒たちのみに通じる慣習でしかない。
今のところ相手を怪我させたわけでもない。親たちからしてみれば、あくまでも子供の間で起きた小さな小競り合いに過ぎないのだ。
普通の子供同士であれば、空気を読まぬ親が怒鳴り込んでくることも稀にあるだろう。
しかしここの生徒たちは、ほぼ全員が都市統治者や豪商の子女たちだ。下手に親が干渉しようものなら、後々面倒な事態になりかねない。
<面子が大事な人種でしょうからね。子供の我儘を聞いて嫌がらせなどすれば、陰で何を言われるかわかったものではありません>
「自分や家の評判を考えれば、娘に我慢させる方を選ぶだろうな。その代わりここでの嫌がらせは有りそうだけど……」
もし仮に彼女らが自身の親に泣きついても、このような理由であれば適当にあしらわれるか、説き伏せられるのがオチだ。
万が一その言葉を真に受けたとしても、真っ当な判断力を持つ人間であれば、何も行動を起こさないと考えるのが普通であった。
あの生徒たちの親が、打算的に物事を考える人物であるのを祈るしかないのだが。
シャリアもまたこちらが考えたのと同様、気にしすぎであると思ったのだろう。ヴィオレッタが軽い調子で返した言葉に、大いに納得したように頷く。
彼女は薄く笑みを浮かべると、小さく肩を竦めて自身の考えを馬鹿げたものとして打ち消した。
『それもそうですわね。ちょっと考えすぎでした』
『気にしすぎだ。万が一そうなったとしても、易々と他の都市の人間に手など出せはせん』
言いつつカラカラと笑うヴィオレッタ。
なんだかんだ言っても、結局のところはこれが最大の理由だ。同盟という集合体を作ってはいるものの、複数の都市国家の集まりである以上、他の都市とはつまり他国。
下手にそこの住人や商家へ手出ししようものなら、宣戦布告と捉えられかねないのだから。
場合によっては同盟内での内戦に突入しかねず、そのようなこと双方が望んではいまい。
そんな会話をし笑う二人へと、ラナイは密かに感心したような、あるいは悲しそうにも見える表情を向け呟いた。
『凄いね……、二人とも。わたしなんて言いたい事も言えない性格だし、とてもじゃないけど……』
自信なさ気に下を向くラナイは、最初に会った時と同様に尻すぼみな声だ。
基本的に気の弱そうな娘であるだけに、堂々と自身の我を示し、向けられた悪意を堂々と跳ね除けたヴィオレッタとシャリアを、眩しく思えているようであった。
『そうか? ラナイもいっそガツンと言ってやればいいのだ、スッキリするぞ』
『ううん、わたしには無理。二人みたいに言える勇気がないもの』
彼女は快活に言い放つヴィオレッタの言葉を、首を横に振って否定する。
ここまで見た限り、確かに彼女は自身の意見を人にぶつける事が出来るような性格ではあるまい。だからこそ、そんな自身を下に見ている様子がヒシヒシと伝わってきた。
そんなラナイを前にし、シャリアは近寄りソッとその手を握る。
両の手で包み込み、安心させるべく身体を寄せ、諭すようにして静かに語りかけた。
『そのようなことはありません。ラナイだって、ちょっとの切欠さえあれば言えるようになります』
『……そうなのかな?』
『当然です。それに言いたい事が言えないというのは、本心では思っていることがあるのでしょう? 一度思い切って口に出してみればいいのです』
耳元で静かに語られる言葉に、ラナイは目を伏せ聞き続ける。
この二人もまた、知り合って以降随分と親交が深まっているようだ。
自らの思考によって落ち込んでいたラナイは、シャリアの言葉を反芻するように、一言一言に対し頷いていた。
そこから彼女はようやく瞼を開け、ソッとヴィオレッタの方を向く。
そんな様子に気付いたヴィオレッタも、軽く笑んでそこまでにされた内容を肯定する。
『シャリアの言う通りだ、自信を持つといい。自己をしっかりと保てれば、あのような連中の戯言など、相手にする必要性もないとわかる』
『わたしも……、二人みたいになれるのかな?』
シャリアから僅かに離れたラナイが、意を決したように問うと、二人は彼女に対して揃って頷く。
その様子を見て安堵したのか、彼女には若干の笑顔が戻り、置かれた自身の鞄を手にし帰ろうと告げた。
「相変わらず青春してるな。こんなに輝いてると、こっちの目が潰れそうだ」
<オッサン臭いですよ、アル>
揃って教室を出る三人を遠目に眺めつつ、僕は苦笑しながら感嘆の声を漏らした。
若干エイダには酷い言われようをされた気もするが、こんな小っ恥ずかしい光景を見せられては、誤魔化しの言葉くらい言わせてもらわねば。
それがわかっているためだろうか、エイダはその後はなにも言わず、ただ気恥ずかしさを紛らわす僕の言葉を受け流してくれていた。
ラナイの起こした感情の起伏も越え、彼女らは寮へと戻るべく廊下を並んで歩く。
それにしてもこの短期間で、随分と仲良くなったものだ。
などと思っていると、ふと彼女らが歩く廊下の先へと、不可解な物が見えるのに気が付く。
いや、正確には廊下ではなく、廊下から少しだけ離れた場所へ植えられた低木の陰に。
「あれはなんだ……? エイダ、拡大してくれ」
<了解しました。拡大と鮮明化を行います>
不意に見えたその物体がどうにも気になり、センサーの精度を上げ拡大を行う。
グッと近付いていく映像が脳へと投影され、低木の陰になっているせいで暗くなっている場所が鮮明化されていく。
おそらくは木材。庭木の手入れをするための道具かなにかだろうか、角材のようにも見えるそれを隠す葉を、映像を処理することによって仮想的に消していく。
そうしてようやく全容が見えた物体を目にした瞬間。僕は勢いよく腰を上げた。
「あれは……っ」
直後階段を下りるのも煩わしいと、二十m近い高さがある尖塔最上階の窓から飛び出した。
落下の途中で装置を稼働させ、身体能力を強化。途中に有る出っ張りへと浅く足をかけ、僅かに減速させつつ地面へ着地。
膝へと若干鈍い痛みを覚えるも、それを無視して先ほど見えた場所へと向け、木立ちに隠れながら駆ける。
「なんであんな物がここに。エイダ、上からの監視で捉えていなかったのか!?」
<申し訳ありません、庭師や生徒など不特定多数が出入りする場所ですので。ですがここまで誰にも発見されていなかった点からして、置かれたのはそれ程前ではないでしょう>
「なら過去に遡って確認してくれ。それらしい人物を洗い出すんだ!」
僕は焦りを覚えつつ、走りながらエイダへと指示を飛ばす。
三人が進む廊下の近くへと置かれていた代物。それは弩あるいはボウガンなどと呼ばれる類の武器であった。
いったいいつの間に、誰が置いたのかはわからない。だがその鏃は廊下の側を向いており、通りがかる者を狙わんとしているように見えた。
何も知らず談笑しながら近寄る三人。彼女らがその前を通りがかるよりも先に、気付かれぬようその弩へと駆け寄る。
低木へと身を隠しながらそれを確認すると、確かに遠目からセンサー越しに見えた物と同じ物がそこにはあった。
ただ一点だけ予想に反し、それは発射できるような状態にはないようだ。
緻密に編まれた細い紐は、弩の引き金に相当する部分へと繋がっており、滑車を介して廊下の側へと伸びている。
しかしその紐は途中で低木の枝へと引っかかり、しっかりと張られていなかったせいか、風に揺られた拍子に若干枝に絡まっているようであった。
「なんだこの半端な仕掛けは。……とりあえず撤去しておくか」
目的からしてそれは誰かしらを傷付ける目的で設置された物。
しかしあまりにも杜撰に過ぎる設置に、僕は呆れを抱きつつも密かに撤去を行う。
固定されていた弩と矢を取り外し、小さな滑車を拾い適当にポケットへと突っ込む。
廊下へと伸びていた紐も切りはしたが、向こう側へと結ばれている物ばかりはどうにもならなかった。なのでそれだけは放置するしかないのだが、たぶんヴィオレッタは勘づくだろう。
それらをざっと取り払うと、近付く彼女らに見つからぬよう、再び潜んで尖塔へ向けて撤収した。
「やったのは素人同然のヤツだろうけど、これで護衛の意味が出てきたな」
尖塔の下、入り口となる鉄扉をゆっくり開けて中へ滑り込む。
そこで一呼吸置いてから手にした弩を見下ろし、暗がりの中で嘆息しつつ呟く。
これまで疑わしく思っていた護衛の意義だが、ここに至ってようやく必要性を確信しつつある。
いつあれを仕掛けたのか。エイダからの報告はまだだが、おそらくはついさっきだろう。
あの下手くそなトラップが仕掛けられていた廊下は、彼女らの前に他の生徒たちが通っていた。つまりその生徒たちが通った後で、最後に教室へ残っていた彼女らを狙って張られた物に違いない。
だとすれば狙いは三人の内誰かであり、おそらくはシャリアがその対象なのだろう。
<アル、確認が取れました>
「どうだ、誰がやったかわかりそうか?」
<いえ、残念ながら。設置した人影は捉えていましたが、全身を覆う格好をしているもので>
ここでエイダの報告が届き、弩を設置していると思われる姿が脳へ投影される。
時刻はつい数分前といったところか。予想した通り、彼女らが派閥への勧誘を断り、教室で話をしていた頃だ。
しかし彼女の言う通り、そいつは全身を布か何かで覆っているせいだろうか。性別や年齢など、探すのに有効となる情報は得られなかった。
ただ少々恰幅の良い人物であるようで、罠の設置後にのたのたと走り去っていく様子が記録されている。
体形やお粗末な罠など、プロの暗殺者による犯行とは思えない。
だがこれまで気を抜いていた警護任務が、真剣にならざるを得なくなっている事実に、僕は自身の表情が引き締まる感覚を覚えていた。




