詐称の友 02
翌日の午前、ヴィオレッタは早速ヨライア島内に在る学校へと向かい、前もって行われていた手続きを済ませ学校の生徒となった。
ヨライア寄宿学院と呼ばれるここは、同盟領各都市の良家の子女たちが集まり、数年を過ごす場として一部で有名な場所であるとのことだ。
そこへの編入初日。彼女は早速件の制服へと着替え、教室内で壇上へと立ち自己紹介をしていた。
『カンザディアから来た、ヴィルネラ・オラウドだ。よろしく頼む』
ヴィオレッタはハッキリとした声で、前もって決めておいた出身地と偽名を口にした。
カンザディアというのは、ラトリッジから南へ四〇kmほど行った場所に在る、小規模な都市だ。彼女はそこの出身であるという設定で、この学院で振る舞うことになる。
現在カンザディア出身者がここに通っていないことは、前もって確認してある。
名前もまた同様に偽名であり、比較的元の名前と韻の近いものを選んでおいた。
口調が普段通りのものとなっているが、この点は個性と言い張ってなんとか通じるだろう。
自己紹介を終えたヴィオレッタことヴィルネラへと、パチパチと鳴らされる拍手が降り注ぎ、とりあえず教室内は歓迎の空気へと包まれる。
『それではオラウドさんは一番後ろの席が空いてるので、そちらへ座ってください』
『はい、わかりました先生』
先生と思われる女性の言葉に従い、ヴィオレッタはツカツカと歩き席へと向かう。
歩く彼女の姿は、当然のことながら制服姿だ。事前にエリノアから聞いていた通りなデザインをした制服を纏い、普段あまり見る機会のないスカートを穿いている。
色を抜ききったような純白の制服は、案の定あまり似合ってはいない。
ただ自身がそう思うのは、普段見せている彼女の性格を知っているためであるせいか、他の生徒たちはこれといっておかしく思ってはいないようであった。
上手く資産家のお嬢様に成りすませているというのもあるのだろう。傭兵団団長の娘であるので、その点は嘘ではないのだが。
<ひとまずは潜入成功、といったところですか>
「そうだな。今のところ怪しまれる気配はなし……、と」
そんなヴィオレッタの様子を観察する僕は、エイダの言葉に頷きつつ状況を見守る。
潜入をしたヴィオレッタが教室内へ居るのに対し、一方の僕がこの光景をどこで見ているかと言えば、教室など複数個所を見渡せる尖塔の最上階であった。
廃城を改築して造られたこの学院には、所々に城の名残であった建物が見受けられる。この尖塔もその内の一つで、今では老朽化のせいか立ち入りが禁止されているようだ。
そこへと夜中の内に密かに潜入し、こうやって監視拠点として活用させてもらっている。
<映像の解像度はどうですか? もう少し細かく見る必要があれば調整しますけど>
「いや、問題はなさそうだ。ただ音声はもっと鮮明化して欲しい、肝心な話を聞き逃すかもしれない」
<了解です。調整を行いましょう>
エイダの確認に対し、僕は聞こえる音声をクリアにしてもらうよう指示する。
この場所から教室まで、おおよそ二〇〇mといったところ。そんな距離を肉眼と自身の耳で監視することなど不可能であるため、当然のように道具を用いていた。
これまでも度々使ってきた、航宙船と僕を繋ぐ中継器であるペンダント。これに搭載された各種センサーを駆使し、遠い場所の情報を集めている。
相変わらず、何気に便利な道具であるとは思う。
「お、もう一人も自己紹介をするみたいだぞ!」
<……なにやら楽しそうですね。自分が苦労をしないせいでしょうか>
そうして監視を始めていると、ヴィオレッタに続いて教室内で壇上に立つ生徒の姿が見えた。
エイダの言葉を無視してその生徒へと、ペンダントを介し脳へ投影された画像を拡大する。
『マクニスラから参りました、シャリア・トゥーゼウと申します。途中からの編入ですが、皆様どうぞよろしくお願いいたします』
こげ茶色をしたロングの髪に、細身ながらも女性としては高めな身長。おそらく十六かそこらと思われるその娘は、流麗な動作で生徒たちへ向けて一礼した。
小柄で童顔気味なヴィオレッタに対し、こちらは若干大人びているだろうか。
「あの娘がそうか……」
<そのようです。事前に知らされていた外見とも一致しますので、間違いはないでしょう>
ヴィオレッタに次いで名乗った娘へと、僕とエイダは注目し意識を向ける。
このシャリアという娘こそが、今回潜入したヴィオレッタが護衛を行う対象となる人物だ。
護衛を依頼したのは、都市国家マクニスラで布製品の製造を営むという、トゥーゼウ家の当主とされる男。今回この学院へと編入する、自身の娘を護衛して欲しいというものであった。
マクニスラという都市は、同盟の南に在るシャノン聖堂国との国境近くへと位置する都市であり、そういった布製造や被服産業が盛んな土地だ。
『はい、結構です。ではトゥーゼウさん、先ほどのオラウドさんの隣へ』
自己紹介を終えたシャリアもまた、先生に着席を促される。
ただこれは運良くと言っていいのかどうか。護衛対象である彼女は、護衛をする側であるヴィオレッタの隣の席となったようだ。
近い故に護り易いとも言えそうだが、逆に近すぎるのも問題に思えなくはない。
その後すぐに授業は始められ、しばしこれといった異常も起らず時間が経過していく。
ただ授業ごとの短い合間には、編入生である二人へと生徒たちが押し寄せ、思い思いに質問をぶつけていた。
『お二人は同時に編入なされましたけど、お知り合いでいらっしゃるのかしら?』
『学内にとても良いカフェがありますの、お二人もご一緒にいかが?』
『わたくしも南部の出身ですのよ。よろしければそちらのお話などを――』
群がる生徒たちは、編入生であるヴィオレッタとシャリアを質問攻めとしていく。
このような閉じられた島の、更に閉鎖された学院という社会。そこに突如として二人もの人間が現れたのだ、関心が向くのは当然なのだろう。
ただどの娘も同じような話し方をしており、特徴的な格好というのもあって正直個々の区別がつきにくい。
しかしそんな中、一人の娘がスッと前へと歩み出る。
いったい何であろうかと思っていると、彼女はなぜか周囲の生徒たちが発する言葉を制し、静かに笑顔で質問を投げかけた。
『お二人とも、どういったお家のご出身ですの?』
その向けた質問へと呼応するように、教室内の空気が一変する。
ここまで二〇〇mも離れているというのに、どこか緊張感すら感じさせる空気が、僕の肌をヒリつかせるようにも思えた。
どうやらヴィオレッタもまた、変わった空気をしっかりと感じ取ったようだ。
若干狼狽えつつも、隣に座るシャリアと共に自身の出自を答える。
『大したものではありませんわ。わたくしの生家は、代々細々と布製品を製造しておりまして』
『わ、私も似たようなものだ。規模こそ小さいが、地元では武器を扱っている』
二人がそう返すと、突如として質問をした娘からフッと笑顔が失せるのが見えた。
彼女はそのまま声を発することなく去っていき、それと同時に周囲を取り囲んでいた生徒たちも、一斉に関心を失ったかのように散らばっていく。
中には舌打ちでもしそうな表情を浮かべ、ブツブツと何かを呟く娘までもがいた。
当然ヴィオレッタは、急に変わった生徒たちの態度に戸惑いを隠せない。
普段では余り見せないような、オドオドとした態度を僅かながら見せ、生徒たちを無言で見送るばかりだ。
<どういうことでしょうか?>
「こいつはキツイな……。想像以上に激しい世界みたいだ、この学院って所は」
<よく事情が呑み込めません。詳細な説明を求めます>
眼下で繰り広げられた光景に、エイダもまた困惑を隠しきれない。
ここまで親しげに、そして興味深げに取り囲んでいた生徒たちが、突然掌を返し散っていったのだから。
休憩時間が終わったからなどという、至極真っ当な理由などではない。これは彼女たちが、二人の出自を知ったからこそ取った態度なのだろう。
「つまりあの生徒たちは、二人の利用価値が低いと判断したんだと思う。都市統治者の子女でないなら、わざわざ愛想を振り撒く理由がないってことだよ」
<ですが統治者を親に持たぬとはいえ、そこまで違うものでしょうか? 大きな商家であれば、そういった所を遥かに凌ぐ資産を持っていると思いますが>
「普通に考えればそうだ。下手な都市統治者よりも、商人の方が影響力が大きいなんて珍しくはない。ただどうやらこの学院じゃ、出自による差は絶対なんだろうな」
教室内の所々でひそひそと漏れ聞こえる、生徒たちが発する声を拾い集めつつエイダに答えていく。
おそらく同じく教室に居るヴィオレッタにも聞こえていないであろう、それらの会話を集めた限りでは、今エイダに話した内容でおおよそ間違いではなさそうだ。
生徒たち曰く、「ただの庶民ではないか」「下賤な者に話しかけて損した」、などといった具合にだ。
「想像以上に厄介だな、この場所は。出自による階級社会が構築されてる」
<恐ろしいですね。女子生徒ばかりの施設と聞いて、誤解をしていました>
「まったくだ。こいつはヴィオレッタも苦労しそうだな……」
エイダも漏らした通り、ここはかなり恐ろしい場所であるようだ。
純白の可愛らしい制服へと身を包んだ女子生徒たち。おそらく親御からは天使に見えているであろうその存在は、実のところ制服の内側に黒々としたヘドロを抱えていたのだから。
あるいはその親たちも、この学院という場所へそういった目的を持って放り込んでいるのかもしれない。
政治闘争を常とする者の子女が多く集まるが故に、そこで利用できそうな関係を構築し、あるいは他者同士の関係を破壊していく。
一見して平穏に見える西方都市国家同盟の、裏でされる都市間における対立。この学院では、そういった構造の縮図が見えるようであった。
その後再開した授業であったが、やはり教室内の空気は若干異なる。
ここまで歓迎ムードであったものが崩れ去り、遠くに遭ってもギスギスとした空気が肌に感じられる。
ただ時折チラチラと、転入組である二人へと視線を向ける存在が確認できた。
密かに彼女らは机の下で小さな紙へとメモを取ると、教師の目を盗んでそれを他の生徒へとリレー式に渡していく。
僅かに中身が表に見えたのを拡大し、鮮明処理を行って盗み読む。
「こいつは酷い。派閥闘争まであるのか……」
<ここまでくると笑いそうになります。この歳でよくここまで捩じれたものですね>
エイダの発した呆れの言葉に、僕は無意識のうちに頷いてしまう。
僅かに見えた紙に書かれていたのは、編入組の二人を自分たちの派閥に引き入れるかどうかといった内容。
学院内で幾つかそういったグループが構成されているようで、自陣に戦力として迎えるかを相談しているようであった。
あの二人を交遊関係としては微妙と判断しても、戦力の一部としては使い道があると考えたのだろう。
正直今すぐに乗り込んで、そんな下らないことしてないで真面目に授業を聞けと言ってやりたい。
<本来であれば貴重なはずの紙を、このような行為に使う時点で、彼女らが相当な富裕階級であるのは間違いないのでしょうが>
「出自と品位は比例して高くならないってことだな。悲しいことに」
そんな生徒たちを眺めている間も、授業そのものはつつがなく進んでいく。
だがある所でそれも区切りがついていたのか、学院内へと鳴り響いた鐘の音に合わせ、教師はその日の授業終了を告げた。
立ち上がって一礼し、三々五々散らばり寮へと戻り始める生徒たち。
そこで早速いずれかの派閥が声をかけるのかと思ったが、どうやらそうではないようだ。
クラス内でも派閥で真っ二つに分かれているのか、双方が牽制し合うような様子が見られる。
ただ睨み合うような教室内で、ヴィオレッタとシャリアへ出自を問うた生徒が前に出て、教室の隅で一人座っていた生徒へと声をかけた。
「ラナイさん、お暇でしたらお二人に学内を案内して差し上げては? わたくしたち、この後は少々手が離せないものでして」
「わ、わかりました……」
声をかけられた生徒は、その言葉におどおどとしながら起ち上がる。
ちょっとした提案、という体で告げた内容ではあるが、実質命令も同然なのだろう。されたのはおそらく、立場的に弱い娘に違いあるまい。
その娘の淡いアッシュブロンドの髪から覗く視線は泳ぎ、ヴィオレッタよりもさらに小柄な身体は、縮こまっているせいでより小さくみえる。
どこか怯えた小動物のようにも見える娘は、席へと座ったままであるヴィオレッタとシャリアの前へと立つと、オドオドとしながらも着いてくるよう静かに告げた。




