取捨 03
入口に掛かるスイングドアを勢いよく押し開け、駄馬の安息小屋へと飛び込む。
そこは先ほどとは異なり、酒を求めて十数人もの傭兵たちがたむろしており、若干の賑わいを見せ始めていた。
「どうした、お前もまた来たのか。よっぽどここが好きなんだな」
ずかずかとカウンターへと足鳴らし近寄る僕へ、ヘイゼルさんは面倒臭そうに呟く。
それはおそらく、帰ったはずのジェナが戻ってきた件に掛けている話なのだろう。
普段であればそういった言葉に、若干の冗談を持って返すのもやぶさかではない。だが今はそれどころではなかった。
「すみません、緊急事態です」
「……そうか、では簡潔に報告をしな」
ヘイゼルさんは僕の告げた言葉を聞き、瞬時に表情を引き締める。
この辺りは傭兵たちですら恐れる酒場の女主人らしき風体であり、自身も多くの戦場を経験してきた元傭兵といったところだろうか。
そんな彼女へと、僕はつい先ほど起こった押し入り強盗と、ジェナの子が攫われた件についてを伝える。
するとそれに応じて酒場内の空気は、ビシリと張り詰めるものへと替わった。
僕が真剣に説明をするのに加え、対応するヘイゼルさんが真剣な様子であるのを、酒場に集まった傭兵たちも察知したようだ。
「まさかよりにもよって、ウチに入るとはな……」
「現在五名ほどが近隣の捜索を行っています。そこで非番の団員にも、捜索を手伝っていただきたいのですが……」
「当然だ。お前らも聞いたな、こんな所で油売ってないで捜しといで! あんたらは宿舎を周って協力するよう伝えてきな!」
ホール内に居た傭兵たちは鋭い眼光を湛え、ヘイゼルさんの指示を受けて即座に行動を開始する。
飲んでいた酒の気配すら消え失せ、素早く走って向かう姿は、やはり相応に訓練された存在であるというのを窺わせた。
探す手がかりは乳幼児の女児であるということ。そして男が連れていると思われるという、この程度の手掛かりでしかない。
しかし数人で探すよりは遥かに見つかる可能性が高いというものだ。
僕がそんな団員たちの協力に感謝していると、ふと奥に続いている部屋から、人影が姿を現すのが見えた。
酒場内の薄明りの下へと出てきたその姿は、紛れもなくジェナのもの。
ここに戻ってきた段階で姿が見えなかったため、とっくに帰宅させられたものと思っていたのだが。
「あの……、なにかあったのですか?」
彼女はおずおずと、やつれて目元に隈の浮いた顔で問いかける。
どうやら奥で仮眠を取っていたようだが、酒場内が少々騒がしくなったため、気になって起きてきたようだ。
「何でもないんですよ、ジェナさんは気にせず家に帰って休んでください」
「ですが……」
まさか彼女に対し、「貴方の子供が誘拐されました」などと言えようはずもない。
おそらく攫ったのは売買目的。だとすれば連れ去った犯人を見つけ出し、無力化するなりしなければ取り戻すことは叶わない。
身代金でも払えば戻ってくるかもしれない、などという楽観的な考えを起こせるような土地ではないのだ。
だがそんな内心で狼狽する僕や、隠し事をしているのに気付いているであろうジェナを余所に、ヘイゼルさんは意外にも事もなげに言い放った。
「アタシの家に押し入った輩が居る。上の子たちは無事だが、アンタの子供が攫われた」
「そんな、まさか……」
「本当。たぶん人身売買目的だろうさね」
どういった意図なのだろうか。ただでさえ不安定な彼女に対し、畳みかけるように事実を突きつける。
当然それによってジェナは動揺し、フラリと身体を揺らし床へとへたり込んでしまった。
呆然とする彼女に近寄り手を取ろうとするも、ジェナはそのような気力もないのか、ただ呆然とヘイゼルさんの方を見るばかり。
本来であれば彼女にとって、あの子供は疎ましいはずだ。
だがそれでもこのように動揺してしまうあたり、相応には想うところがあるのだろう。
「こっちはいいから、お前は戻って捜索に参加しな。わかってるとは思うけど、もし見つけても捕らえるだけにするんだよ」
「了解しました。いったん家に戻って隊の皆も呼んできます」
膝を着いてジェナを見る僕へ、ヘイゼルさんはこの場を任せるよう告げる。
一刻も早く捕らえ、団の関係者宅で粗相をした輩へと、目にものを見せてやらねばならないということか。
ジェナのことが気にはなるが、今は攫われた子を見つけるのが先決だろう。
ヘイゼルさんからそういった意図の忠告を受けた僕は、ジェナから離れると踵を返して再度駄馬の安息小屋を跡にした。
外へと出た僕は、急ぎ路地裏から飛び出て大通りを駆ける。
だが通りをしばし走り、我が家へと至る路地が近くなり始めた頃、ふと思い立った。
イェルド傭兵団が本拠地を置き、治安維持の一翼を担っているこのラトリッジには、実のところ地下の犯罪市場というものが存在しない。
なので子供を取り引きしようと思えば、どこか他の都市へと行かなければならないのだ。
『エイダ、この街一帯はずっと上から監視しているはずだな?』
<肯定です。過去二十時間分、現在地周囲二〇kmを捉え記録しています>
『なら今から二時間以内で、街を出た姿はあるか?』
もしもそいつが既にラトリッジを発っているのであれば、都市内を延々探すのは無意味。
しかしまだ都市内に潜伏しているのであれば、他に現実的な対処の取りようも有るというものだ。
<いえ、確認できません。二時間前と言えばもう夕刻に近いですからね>
『好都合だ。誘拐犯がまだこの街に潜んでるなら、門を封鎖してもらえばいい。皆と合流するのはその後だ』
その報告を聞き、僕は裏通りへ入る道を通り過ぎ、大通りを真っ直ぐ走って門の内一か所へと向かった。
囲い込むのに成功すれば、あとは少しずつ包囲網を狭めながら探していける。
門を閉じることによる弊害の責任は、後で団長にでも説明してなんとかしてもらえばいい。
ただ難点があるとすれば、門を警備しているのが騎士隊の人間であるということだろうか。
世間的な風聞が良いとは言えない傭兵稼業とはいえ、イェルド傭兵団は騎士隊の連中と比較すれば、遥かに街の人たちから支持されていると言って過言ではない。
そんな傭兵からの頼みを、騎士連中が聞いてくれるだろうかという点だ。連中にとっては、子供が攫われたことよりも、自身の貧相なプライドの方が遥かに重要であろう。
そのような考えを抱きながら門へと向かうと、そこには暇そうに欠伸をしながら立つ騎士の姿があった。
本来であれば着ているはずの鎧も脱ぎ捨て、ダレた様子で見張りという名のサボりへと興じている。
「申し訳ない、ここの責任者を呼んでいただきたいのですが」
「あ……?」
駆け寄りその騎士へと声をかけるも、彼は呆としていたせいであろうか、こちらの言葉を理解するのに少々時間を要した。
かなり遅れた間を経て、面倒臭そうな表情を浮かべる。
その後自分は忙しいんだと言わんばかりに、どこかへ行けと軽く手を振り僕を追い返そうとした。
「非常事態です。どうか取り次いでもらえませんか」
「ここには居ねぇよ、出直してきな傭兵」
やはりこちらを相当下に見ているのか、騎士の男は何度聞いても居ないの一点張り。
本当に居るのか居ないのかは知れないが、どちらにせよ本来であれば常駐していなければならない責任者は、コイツ同様にどこかでサボっているようであった。
上空からの画像によれば、今のところ他の門からも誰かが出る様子はない。
だが傭兵たちが自身を探しているのに勘付けば、夜間という危険をおしても逃げ出そうとしかねない。あまり時間はないのだ。
僕は自身の職務を放棄する騎士への苛立ちを募らせた。
事情の説明をするもそいつはこちらの相手をせず、欠伸をしながら邪魔扱いをして追い払おうとし続ける。
いい加減腹も立ち、そいつを押しのけ勝手に門を閉めてやろうかと考え始めた時。背後からポンと肩を叩く感触を感じる。
「替わろう。こういった場合の対処法を見せてやる」
背から聞こえてきた声は、そのまま肩へ置いた手を引いて僕を下がらせると、グッと前へ出て騎士の正面へと立つ。
幾度か会って見慣れたようにも思えるその背。それは僕自身が所属する、イェルド傭兵団団長のものでであった。
どうしてこんな場所に居るのか知れぬが、団長は変わらず面倒臭そうな表情をする騎士へと、若干軽さすら感じる声で指示をする。
「ちょっと君、実は市街で幼児の略取があってね、犯人が逃げぬよう門を閉めておきたいのだよ」
「うっせぇな傭兵。そんなこた上に言え、俺が知るかっての。忙しいんだからどっか行きな」
団長の言葉を受けた騎士は、また一人面倒臭い相手が増えただけであると考えたのだろうか。さらにぞんざいな対応で、団長を邪魔者扱いする。
どうやらこいつは団長の顔を知らないらしく、ただ一介の傭兵の一人であるとしか認識していないようだ。
ただ僕自身も入団してから、しばらく経ってようやく団長の顔を見たのだから、騎士が知らなくても当然なのかもしれないが。
それにしても、こいつの反応はいかがなものか。
事情は僕と団長が話しているというのに、これが嘘であると思っているのか、さして慌てる様子もない。
「ま、どうしてもってんなら話しは別だがよ。ほら、誠意ってもんがあるだろ?」
ふと騎士の男は、良い考えを思い付いたとばかりに、下卑た表情を浮かべ掌を上にして突き付ける。
その意図するところなど、考えずともわかる。相手をしてほしければ、袖の下を寄越せと言っているのだ。
これは毎度のことではあるが、騎士というのはよくこういった要求をしてくる。
しかしこのような非常時にも行われるそれに、僕は憤慨を覚えていたのだが、直後に団長の取った行為にそんな感情も消え失せてしまった。
団長は突き付けられたその手を取ると、逆の手を握りすかさず騎士の顔面へと叩き込んだ。
直後倒れるのを許さないとばかりに、握った手を引き寄せる。
陽も落ち暗くなった正門に、騎士の甲高い悲鳴と骨の軋む静かな音が響く。
「やれやれ……、君は状況が理解できていないようだね」
「て、テメェ。なにをしてっかわかって――」
口調だけはあくまでも穏やかに、ただ決して目が笑ってはいない団長は、罵声を浴びせようとする騎士の胸ぐらを掴むと、片腕だけで軽々と持ち上げた。
締め上げられ暴れる騎士の顔からは、夥しい血が流れている。
おそらく鼻の骨が砕けたためだろうが、そのようなことも気にはせず、団長は片腕で持ち上げたままでグッと騎士を近くに寄せた。
「君たちの役割は、街の人々を守ることだろう? ならば必要な行動を取りたまえ、見張りもせずどこかで眠りこけている君の上司と共にね」
そう言いつつ団長はもう一方の手で男の腕を掴み、容赦なく捻り上げる。
より強い悲鳴を発す騎士をしばし痛めつけてから放り出すと、団長は騎士をブーツの底で蹴り飛ばして地面へと転がす。
転んだ状態でこちらを向く騎士は、突然振るわれた暴力によって強い恐怖心を感じているせいか、ガチガチと歯を鳴らしつつ大きく頷いていた。
「早く行け」と団長が簡潔に言い放つと、そいつはすぐさま起き上がり、何度か転倒しつつも門の上の方へと駆け上がっていく。
さっきは知らないと言っていたが、おそらく上にこの場の責任者が居るのだろう。
上がっていく騎士の後ろ姿が見えなくなったところで、団長はこちらを振り返る。
やはりその表情は変わらず、悪戯っぽい笑みを浮かべているだけなのだが、やられた側にとってはむしろそれが怖いのかもしれない。
「こういう場合、少々脅したところで問題はない。少なくともこの街において、今では我々の方が連中より格上だ」
「そ、そうなのですか……?」
「ああ。騎士も下っ端連中は威張り散らしているが、逆に上の連中は大人しいものだよ。時々挨拶回りをして親交を深めているしね」
事もなげに言い放つ団長。脅すだけとはいいつつ、しっかり殴ったような気もするが、とりあえずそれはいいだろう。
親交を深めているというのが、言葉通りの意味であるとは思えない。僕の脳裏には今行った行為を、騎士隊の幹部にもしている団長の姿が鮮明に描かれていた。
ただどうやら騎士隊幹部が、団長に逆らえぬ状態であるというのは本当であるようだ。
「それに今はこんな場所で時間を食っている場合ではあるまい? 少々手荒なのは仕方がない」
「っと、そうでした。僕は他の門も周ってきます!」
「頼んだよ。こっちは任せたまえ」
団長の言葉でハッとし、一言だけ断りを入れて走り出す。
任せるよう告げる声を背に、僕は全力で駆け建物の合間を縫って別の門へと向かった。
そちらで先ほど団長がしたのと同じ手段を取るかは……、向こうの出方次第だけれど。
あの場を団長に任せ次の場所へと向かう最中、僕は急ぐ中でも疑問を覚える。
誰かに門へ向かうと知らせた訳でもないというのに、どうして団長はあんな街の隅に現れたのだろうかと。
ヘイゼルさんから事情を聞いたにしても、少々早いように思えるのだが。
などと考えていると、その答えは頭の中へともたらされることとなった。
<それでしたら、私が連絡を取りました。勝手かとは思いましたが、その方が何かと早いと思いまして>
「そうだったのか。いや、助かったよ」
答えはエイダが自身の判断で、団長と通信を行い知らせたためであった。
団長に助力を願うよう指示してはいないのだが、実際それで助かったのだから文句の言いようもない。
勝手な行動をしてくれたエイダへと密かに感謝をし、僕は全ての門を閉めるべく、足へと力を込め暗がりの市街を駆け続けた。




