子鼠の餌
その夜、夕食を摂るため僕等は"駄馬の安息小屋"を訪れた。
入口から酒場内へと顔を覗かせてみると、そこは活気に満ちているとは言い難いものの、幾人かの傭兵たちが集っていた。
「ほれ、上がりだ」
「チクショウ! またテメーの一人勝ちかよ」
「負けは負けだろう。いいからサッサと出すモノ出しな」
数人の傭兵たちは立ったままテーブルを囲み、酒を片手にカードゲームと賭け事に興じる。
愉快そうに笑い、そして悔しがる様は傍目には粗野なもので、僕が想像する傭兵像そのものといった雰囲気を感じられた。
そんな酒場の中へと一歩踏み込み、チラリとヘイゼルさんに視線を送る。
すると彼女はすぐさまこちらに気が付き、僕らに対して小さく頷いた。
こちらの意図を察してくれているようで、おそらくは話しかけても問題ないという意思表示だろう。
「ん? 何だお前ら」
「ご歓談中失礼します。僕等は本日、訓練キャンプからラトリッジに配属された者で……」
「ああ、新入り共か! そういえば来るのは今日だったか」
僕等は意を決して彼らに近付き、横一列に並んで先輩の傭兵たちへと挨拶する。
するといかにも荒くれ者と言わんばかりな人たちは、思いのほか好意的な歓待をしてくれた。
正直新人である僕等に対し、序列を示すため恫喝される程度は覚悟していたのだ。
その少々意外な対応に、僕自身は少々肩すかしを食らったというのは否定できない。
「初日から挨拶に周るなんざ、良い心がけじゃねえか」
「まったくだ。新人はこのくらいわきまえてるくらいが丁度いい」
やはり酒場に顔を出しておいて正解だったようだ。
彼らは粗暴さが残りつつも破顔し、僕等新米傭兵を快く迎え入れてくれた。
それに話してみればなかなかに人も良さそうで、実際には行わないまでも、僕は安堵感から胸を撫で下ろす心境であった。
だが僕等が挨拶を済ませてから立ち去ろうとしたところで、背を向けた僕等に先輩たちが小さく告げた言葉は、鮮烈に耳へと残る。
「もっとも、挨拶が一日でも遅れてたら、それなりの"礼儀"ってもんを教えてやってたところだ」
その言葉を耳にした直後、ケイリーなどは僅かに背筋を震わせていた。
僕とマーカスの言葉に、反抗せず付いて来たのが正解だったと考えているのかもしれない。
彼らの言う礼儀の教え方が、どんなものであるかは想像に頼るしかない。
だが今は願わくば、僕等とは違うもう一組の新入り達が、今夜中に挨拶に来るのを願うばかりだ。
先輩傭兵たちから離れ、僕等は比較的壁に近いテーブルの一つを占有する。
そこへといつの間にか近づいて来たヘイゼルさんが、口を開きながら一枚の大皿を置いた。
「とりあえず無事に済んだみたいだね」
「ええ、おかげさまで。これといったトラブルもなく」
僕の言葉に、彼女は薄く笑う。
置かれた大皿の中身を見れば、何かの肉と芋を蒸し焼きにしたような料理が山と積まれていた。
ここに入ってからヘイゼルさんと会話するのはこれが初めてだ。
当然のことながら料理の注文などしているはずもなく、出されたこれにどういった意図が込められていることやら。
「連中からしたら面白みのない新入りだろうが、お前たちはそれでいい。目上に可愛がられて渡っていけるなら、それに越したことはないからな」
「そのようですね。今後も気を付けて行きたいところです」
「大抵の新入り共は、挨拶なんぞ後回しにしちまうもんさ。おかげで後から"洗礼"を受けるんだがな。残りの連中も早く来ればいいんだが」
やはり案の定だ。今日の内に来て良かった。
ヘイゼルさんの口にした"洗礼"という言葉からは、どうにも不気味な空気が感じられて仕方ない。
「洗礼……、ですか?」
「なぁに、新入り共が入ってくる度にやる、ちょっとした恒例行事さね。別にこっちだって本気で怒ってる訳じゃないし、小童共に社会教育を施してやる程度ってことさ」
そう言ってヘイゼルさんはニカリと笑う。
どのようなことをされるのかは教えてくれないが、あまり積極的に受けたい歓迎であるとは思えない。
僕等は面白みのない新人のままで居る方が、無難というものだろう。
「あの、ところでこれは?」
僕は眼前のテーブルに置かれた、山盛りとなっている料理の皿を指さす。
これ以上血生臭そうな歓迎方法の話をされても、愉快になる事など無いだろう。
丁度話も一区切りついたところだし、先ほどから気になっていたことを問うてみた。
「入団祝いだ、アタシからのね。若いのが三人も居るんだ、このくらい朝飯前だろう。なんだ、不服かい?」
「いえ、そのようなことは……」
「だったら問題はない。冷めないうちに早く食っちまいな」
そう言ってヘイゼルさんは手をひらひらと振りながら、再びカウンターの奥へと戻っていく。
僕等は背を向けた彼女を見送った後で揃って押し黙り、置かれた料理を眺める。
一人では到底食べきれないのではと思える大量の肉に、同じく大量の蒸かし芋。
これまで居たキャンプでは、到底お目にかかれないような大ご馳走だ。
しばし呆然としていたが、僕はハッとして首を振る。
「とりあえず食べてしまおうか。折角の料理が冷めると勿体ない」
「そ、そうね。うん、出されたんだし食べていいんだよね……?」
言ったはいいものの、どうしたものだろうか。
こんなにも肉をふんだんに使うなど、ここまで過ごした訓練キャンプを思えば信じられない。
おそらく都市の統治者層でもない限り、一生の内そう何度もお目にかかれるものではないだろう。
たぶんこんなに大量の肉を見たのは、一年ちょっと前にレオが仕留めた大猪を解体した時以来ではないだろうか。
僕を含め、皆は大量の料理を前にし、なかなか動けずにいた。
だがそんな僕等の中でも、一人平然とした顔でナイフを手に肉を切り分け始めた者が。
「……食べないのか?」
取り皿に肉と芋をバランスよく取り分けたレオが、首を傾げながら芋を口に運びつつ問う。
大量の料理を前にしても平然と、ただ淡々と食事を始めていた。
丁寧に切り分けて綺麗に食べるレオに呆気にとられるが、食べる事そのものに異論などあろうはずもない。
僕等は顔を見合わせ、それではと手を付け始めた。
僕等が食事をする最中、ヘイゼルさんは次々と料理や飲み物を運び続けてくれた。
その多くは保存のきく根菜であったり、比較的酒精の弱い果実酒などといった、初っ端に出てきた肉に比べれば普通の品だ。
だが主食に麦粥ではなく、パンを出されたのには驚いた。
この辺りで主食として食べられる物は、最も安価とされる麦粥がほとんどで、窯で焼かれたパンなどは高級品の部類に入る。
先ほど挨拶をした先輩の傭兵たちは、一心不乱に食べ進める僕等をニヤニヤとしながら眺めている。
彼らも今の僕等同様に、キャンプでの粗末な食事を経験してきているはず。
そこには一抹の懐かしさが存在するようであった。
「あー……、もうダメ。これ以上食べれないよー」
すっかり空となり、肉の骨と皿のみが積まれたテーブル。
立ったままそこへと突っ伏すケイリーは、満腹とばかりに幸せそうな悲鳴を上げた。
それは彼女だけではなく、僕やマーカスも同様で、これ以上は飲み物すら口にするのは困難だ。
ただレオだけは、人一倍食べていたはずであるのに、一人涼しい顔をしている。
「よしよし、しっかりと食ったな」
皿を下げに来たであろうヘイゼルさんが、僕等の様子を見て満足気に頷く。
これら全ては彼女の奢りであるため、下手に残す訳にもいくまい。
「ド新人共は稼ぎも少ないからな。好きに遊べない代わりに、飯だけはたらふく食わせとけってのがうちのモットーさ」
「それは助かります。教官には少しだけ頂きましたが、なかなかに心許なくて……」
「毎度のことだが、新入り達には当座で必要なだけの額しか渡していないんだから当然さね。家のこともあって何かと要り様だろうしな」
エイブラム教官からは、全員に対して一定の額が配布された。
ただ最初の報酬を得るための当座をしのぐだけの額でしかなく、懐具合が非常に寂しいのは言うまでもない。
なけなしのそれは、棲家の修繕を進めていけばあっという間に吹き飛んでしまう程度でしかなかったのだ。
毎度奢ってはもらえないだろうけれど、少しでも食費が浮いて腹いっぱいに食べられるのであれば、この上なく助かるのは確か。
「そんじゃ食い終わったヒヨッコ共に、教えといてやるかね」
皿を下げたヘイゼルさんは、再び僕等のテーブルへとやってきて告げる。
いったい何を教えて貰えるのかと思えば、明日以降の僕等が取る行動についてであった。
このイェルド傭兵団においてではあるが、団が請け負う依頼は大まかに分けて二種類。
普通に想像する通り、戦争屋として都市や騎士隊などに雇われ、前線で戦闘をこなすというのが一つ。
もう一つは行商人や商会、町などからの依頼によって動く、比較的小規模なものだ。
「前者は傭兵としての花形だな。戦士としても目立つし功績として上げやすく、動く額も大きい。団の主力商品であると言える」
「想像する傭兵といえば、僕等もそれです」
「だろう? 対して後者はあまり一般的な印象こそないが、これまた決して珍しい物でもない。その代わり依頼者が個人なだけに、報酬額は知れているがな」
ヘイゼルさんが今している話は、僕等が街に到着した直後に説明された内容とほぼ同じものだ。
ただ改めて説明してくれるからには、まだ言わんとしていることがあるのだろう。
「どちらにせよ相応の危険性があるのには変わりないが、後者の方が比較的安全と言える。お前たちには戦場に出る前に、その個人から請け負う依頼で経験を積んでもらう。それと並行して雑用係も待ってるがな」
「あの、雑用と言うと具体的にはどういった……」
おずおずと小さく挙手したマーカスが問う。
僕等はすぐにでも、何がしかの戦闘行為に従事するのを覚悟していた。
それは先ほどヘイゼルさんが告げた、小規模な依頼を僕等が担当するというものだ。
「色々さ。補給品の購入に運搬、戦場を巡回してる娼婦の案内と護衛。これから傭兵としてやっていくなら、知っておいて損はない」
「いつも新入りがそういったことを担当するのですか?」
「いいや、これはこれで経験やらコネが物を言うからな。本来はそういったのを専門にやる連中が居るんだが、今はキナ臭くなってきた北方での拠点構築に出払ってる」
どうりで酒場の中に傭兵たちの姿が少ないはずだ。
今現在、これといってラトリッジ近辺がゴタついている様子はない。
であるにもかかわらず、巨大な規模を誇る傭兵団の団員たちが姿を見せていないのは、それが理由であったようだ。
居残っている先輩傭兵たちは、多少の怪我によって一時戦場を離れ、療養を兼ねた休暇の最中であるとのことだった。
故に僕等へと、その代わりとして補給の任務が与えられるのだろう。
多少肩透かしであるのは否定できない。とはいえヘイゼルさんの言うこともごもっとも。
これから先、長く傭兵として稼いでいく気があるのならば、補給や裏方の役割を知っておくのは重要なはずだ。
「わかりました。では早速明日から動きますか?」
「いや、明日は前もって言った通り、休息日で構わない。どうぜボロボロな家の修繕もしなけりゃならんし、武器も新調する必要があるだろう?」
クツクツと笑うヘイゼルさん。
この様子だと、僕等の家が廃墟同然であるというのを知っているようだ。
あれを直すというのも、新入りに対する洗礼の一種であるのかもしれない。
「修繕にかかった費用は、詳細を纏めてアタシに提出しな。最低限必要な分は、団が支給してくれるはずだ」
「了解しました」
「だが勿論全額じゃないぞ、生活していくのに最低限必要なだけだ。精々下敷きにならないよう、気合入れて直しな」
大きく笑いながら、ヘイゼルさんはカウンターの向こうへと戻っていく。
先輩の傭兵たちがヘイゼルさんへと近寄り、何事か尋ねている。
僕等との話を聞き出そうとしているのだろうか、談笑する様は楽しそうだ。
「それじゃ、サッサと帰って明日に備えようか?」
「そうですね、明日は忙しくなりそうですし」
マーカスの賛同を得て、僕等は席から離れて酒場の外へ。
少しだけヒンヤリした外の風を受け、満腹の身体を心地よく伸ばしていると、頭の中へとエイダの声が響く。
<警告。飲食代金の支払いをしていない可能性があります、至急確認することを推奨します>
……どうやらヘイゼルさんの入団祝いという言葉の意味は、エイダには理解できていなかったようだ。
『奢りだったんだよ。このまま帰っても罪にはならないから安心してくれ』
僕は最後に、「このポンコツめ」と冗談めかして頭の中で告げてやると、エイダは小さく反論を行う。
<アルフレート、お言葉ですが私には現状、特別なトラブルは発生しておりません。念の為メンテナンスを実施しますか?>