ライフ・サテライト 01
周囲一面を緑の草に覆われた一面の丘陵地帯。そして所々に通る小さな小川が視界へと映る。
そこを通りガタリと跳ねる車輪の振動と、跳ねた水の飛沫。草原を吹き抜ける風が心地よい。
数十日以上にも渡る逃避行から一変、僕は荷車の固い御者席で、嬲るような睡魔に襲われていた。
<我慢してください。もう少しで経由地に到着しますので>
「わかってるよ……。でも正直厳しい」
揺れる荷車の上でうつらうつらとする僕へ、エイダは眠気を覚ますべく大音量の音声を響かせる。
それでも襲い掛かる眠気には抗い難く、時折白濁した意識によって、次に目を開けた時は微妙に違う風景という状況が頻発していた。
「いい加減無理だ。すまない……、誰か代わってくれ」
<誰かとは誰ですか。今はアル一人しか居ないのですから、代わる者などありませんよ>
呆とする頭でエイダへと返すも、彼女はしっかりしろと言わんばかりの口調で、他に交代要員が居ない事を告げる。
そうだ、今この鳥車に乗っているのは僕一人。
普段行動を共にするレオやヴィオレッタ、最近まで帰路を共にしていた、ビルトーリオとイレーニスも居ないのであった。
この手綱を離してしまえば、いったいどこへ向かうかわかったものではない。
<起きなければ延々アラームを鳴らし続けます。夜中寝ている最中、夢に出るほどの音量で>
「……わかったから。起きるよ、でも少しだけ休憩させてくれ」
しつこく起きるよう迫るエイダの言葉に観念し、僕はいったん手綱を絞り、荷車を引く騎乗鳥の進みを止める。
そこから降りて荷車の車輪に輪留めをかけると、荷台から湯冷ましが入れられた水筒を取り出し一口ふくむ。
そこから身体を伸ばして軽いストレッチを行いつつ、霞がかった頭を振り払う。
つい先日、本来の帰還ルートからかなり大回りをした末に帰還を果たした僕は、一人休む間もなくラトリッジを発った。
本来であれば、あまりに大変な任務からの帰還であったため、団長からは十日以上の休みを頂戴したはいる。
だがとある事情によって、その間ノンビリと家でくつろいでいる訳にはいかなくなったためだった。
今現在一人寂しく向かっているのは、フラウレート大森林と呼ばれる、同盟領西部へと広がる森林地帯だ。
そこの奥地には、僕がこの惑星へと降り立つ時に乗っていた航宙船が存在する。
これからその場所へと赴き、現在使用しているのに替わる、新たな衛星を打ち上げようというのだった。
普段僕がエイダとの意思疎通や、高空からの情報収集に活用する衛星は、既に打ち上げてから十年以上の月日が経過している。
小型軽量を目的とし、そもそもが非常用であるそれは、あまり耐用年数が長い方ではない。
以前に行ったメンテナンス時に若干の不調が発覚していたのに加え、最近はエイダとの会話中にも僅かにノイズが奔ることがあった。
なのでかねてから機会があれば、船に幾つか備えられているスペアを打ち上げようと考えていたのだ。
「にしても、まさか団長の分までついでに頼まれるとは……」
<向こうからすれば、渡りに船だったのでしょう。打ち上げは人に見られてはならないので、どうしても居住地域以外で行う必要がありますし>
「そいつは理解できるけど、せめて任務扱いにしてくれたらいいのに」
ひとしきり身体を動かし終え、ある程度頭も覚め始めた僕は荷台の積み荷を眺める。
そこには金属と樹脂によって構成された、一抱えほどの塊が鎮座しており、周囲に緩衝材代わりの布が敷き詰められていた。
これは打ち上げのために出発しようとする僕が預かった、団長専用の衛星だ。
僕が航宙船から打ち上げた物を使い高空からの情報収集を行っているように、団長もまた専用の衛星を非常時にのみ用いている。
衛星の交換を行うため休暇中は遠出すると団長に報告した際、ついでに自分のもやってこいと押し付けられたのだった。
<体のいいタダ働きですね。あくまでも形式上は休暇中なのですから>
「内容が内容だけに、人に愚痴も溢せやしない……」
本来であれば今頃、ようやく帰り着いた我が家でゆっくり骨休めをしているはず。
ラトリッジ市街に在る公共浴場などにも行き、旅の垢を落としてリラックスし、酒場やカフェに入って一服するなどという行為もできたはずだ。
それが丸々潰れてしまうという事態に、なにやら納得のいかないものを感じてならない。
ただどちらにせよ、いずれ交換作業は行わねばならなかった。
面倒ではあるが、この機会に全て済ませておいた方が後々楽というものだろう。
「でもイレーニスには可哀想なことをしたな。留守番をあんなに嫌がるとは思ってもみなかった」
<ヴィオレッタやレオにも慣れてはきたようですが、アル以外には言葉が通じない以上、その側が良いと考えるのは当然です>
「できるだけ早く帰ってやらないと不安だろうな。拗ねられても困るし」
僕はグッと伸びをしつつ、ラトリッジへ置いて来たイレーニスを思い出す。
懐いてくれるのは嬉しいのだけれど、流石にイレーニスをこの作業に同行させるわけにはいかなかった。
そこで皆に守りを頼んだのだが、イレーニスは別れ際に随分と駄々をこねていた。
実際エイダの言う通り、言葉の通じるのが僕だけしか居ない現状では、離れることへの不安感を強く感じるのは当然なのかもしれない。
「それにビルトーリオの件もある。早く彼に研究室を用意してやらないと」
<当初の約束でしたからね。使い方次第ですが、彼の研究は有用です。改良と生産性の改善が見込めれば、今後活用法は無数にあるかと>
「上手くすればエンジンの類が造れるかもしれない。蒸気機関をすっ飛ばして、ガソリン式のをね」
ビルトーリオが共和国の研究施設で生み出した、自然資源を用いた燃焼物の生成技術。
あれは地球における原油に相当する性質を持つもので、それらと同様の活用法が見いだせる可能性を秘めている。
そう考えればやはり、共和国から連れ出して正解だった。
急速な技術革新などこの惑星には必要ないかもしれないが、それでも敵性国家がそれを持つのは避けたいところだ。
身体を動かし続けながら、エイダと会話を行っていくうちに身体が熱を持ち始める。
そうしていると徐々に眠気も拭え、思考は次第にハッキリとしていった。
「それじゃ、もうひと踏ん張りするか。町まではあとどれくらいの距離だ?」
<ここから真北へ十五kmといったところです。あと少しですね>
もう一度だけ伸びをしてから問うと、経由する地はもう目と鼻の距離であると告げる。
徒歩であればともかく、鳥車に揺られていればすぐの距離だ。それこそちょっと考え事をしていれば、すぐに町の外観が見えてくるだろう。
今日は野宿ではなく、ベッドと温かい真っ当な食事が摂れる。
そう考えれば自然と気持ちは逸り、早々と経由地である町へ向かうべく、僕は意気揚々輪留めを外し御者台へと滑り込んだ。
▽
この町に来るのはいつぶりであっただろうか。
確か前回来たのは旅立ちを決め、航宙船を離れたその日。まだイェルド傭兵団に入る前であった僕が、広大な森を通り抜けようやく辿り着いたのがここだったはずだ。
町の名前は……、なんであったか。
入口の簡素な造りをした門を通り過ぎ、土と石混じりのメインストリートを荷車に揺られて進む。
以前に来たのはもう二年以上も前なのだが、その時とまるで変わらない町の様子に、安堵の想いを抱くと同時に不安感も増していく。
確かあの時は、町から搾取する野盗を打ちのめしたことによって、町の住人たちから逆に恐れられてしまったのだったか。
「暑い。顔が蒸れる……」
<町中では我慢してください。面は割れているのですから、騒ぎになっても困るでしょう?>
時期的に比較的気温は高いのだが、顔を晒したくない僕はスッポリとフードつきのローブを被っていた。
あれからしばらく経っているし、僕もそれなりに顔つきは大人びているはず。
だがあれだけ派手に立ち回った以上、まだ顔を覚えている人が居てもおかしくはない。
これはこれで目立つ気もするが、顔を見られて警戒されるよりは多少なりとマシなはずだった。
「サッサと町を出て森に……、って訳にもいかないか。どこかで宿を確保しないとな」
<さすがに今から森に入るのはお奨めしません。最低ここで一泊し、早朝に移動を開始するべきかと>
この鬱陶しい格好を脱ぎ去るためにも、早く町を抜け出したいとは思う。だが今からフラウレート大森林へと入っても、もう間もなくすれば日没だ。
いかに戦いに慣れたとはいえ、広大な森を夜間に進むというのはあまり褒められた行動ではない。
なにせ森には多くの肉食獣を含む野生動物が徘徊しており、気を抜けば大事に至りかねない。
おまけにこのフラウレート大森林は、どういう訳か特に他とは異なり大型生物が多く、危険地帯としても知られる土地なのだ。
それに森へと入る前に、どこかへとこの騎乗鳥と荷車を預ける必要がある。
流石に足場の悪い森へとこれで行くことなど出来ず、ある程度信頼に足る相手に預けなければ、盗まれてしまう恐れは捨てきれない。
「と言ってもな……。確かここって宿が二軒か三軒しかないんじゃなかったか」
<肯定です。以前に訪れた時はそうでした>
あまり良い思い出がない土地だけに、どうしても発言は消極的になってしまう。
場合によっては開き直って札束を積めば、宿も部屋を貸してくれるだろうし、荷車の管理だって引き受けてくれるだろう。
だが僕とて決して奇異や畏怖の目で見られるのを望んでいるわけではない。気付かれずそっと事を成せるなら、それが一番なのだ。
そんな僕へと、エイダは若干の間を置いてさらに肩を落としたくなる事実を告げる。
<ですが見る限りですが、内一軒はあれ以降に廃業してしまったようです。なのでこの町に現存する宿は、前回来た時に利用した一件だけとなりますね>
「選択肢は無しか。世知辛いもんだな」
<こんな人も寄り付かぬ地方で、一件宿が在るだけ上等でしょう。いい加減観念してください>
エイダの決断を迫る声にうんざりしながら、僕は騎乗鳥の手綱をしならせ先へと進む。
他に選びようがない以上、そこを利用する以外に手はない。もし難色を示されでもすれば、団長から預かった金銭を使い、大目に宿代を支払えばいいのだろうか。
などと考えていたのだが、僕はそこで不意にとある人物の存在を思い出す。
荷台に揺られながらその人物の顔を思い出し、少し進んだところで手綱を引いて騎乗鳥の歩を止めた。
<そういえばこんな人も居ましたか>
「ああ、この人であればたぶん手を貸してくれるはずだ」
進みを止めた場所へと降り立ち、目の前に建つ一軒の家屋を眺める。
入口の扉脇には一枚の看板が下げられており、そこに書かれていたのは"衣料品店"を表す簡素な文字。
記憶が正しければ、ここで間違いはないはずだ。
「御免下さい」
一呼吸置いてその扉を引き、木製のドアチャイムが鳴るのを聞きながら店内へ足を踏み入れる。
夕刻が近く陽射しの強い外と比べ、一転中は薄暗く静かで涼しい空気が漂う。
声を出すもこれといった反応はなく、一瞬留守であろうかと思う。だがよくよく見れば作業台の前へ置かれた長椅子の上で、横になって高いびきをかく人の姿が。
「失礼。もう閉店の時刻でしょうか」
「んん……。なんだ、客か? って誰だお前さん。この町の住人……、じゃないようだが」
長椅子で眠る人物へと声をかけると、その中年男性はノソリと起き上がる。
直後眠そうに大きな欠伸をし、マジマジとこちらの顔を眺めた。
だが彼は僕を見ても誰であるのかわからないようで、寝惚け眼の目を擦りつつ、怪訝そうな表情を浮かべている。
そういえば顔を隠すために、フードを被りっぱなしであった。
僕はパサリとそのフードを脱ぎ、薄暗い中でその男性へと顔を晒す。
「……お前さん、確かあの時の」
「ええ、ご無沙汰しています。その節はお世話に」
衣料品店の店主は、ハッとしたように僕の顔を指す。
どうやら顔を忘れてはいなかった彼の記憶力に内心感謝しつつ、僕は以前少しだけお世話となった、店主を起こすため手を差し出した。




