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洋上の小鳥 17


 水が満たされた小さな小壷に、僅かな保存食が包まれた麻布。そして洋上を漂っていたイレーニスが持っていたような、一枚の小さな木の板。

 これらを一纏めにして持たされた男たちが僕の眼前、甲板の上で一列となって並んでいた。



「そんじゃ、早速おっ始めっか。最初の一人目だ」



 腰に手を当て面倒臭そうに告げるジョルダーノの合図に呼応し、船員の一人が武器を手にし、先頭に並ぶ男を前へと歩かせる。

 その先には部分的に取り払われた手すりと、そこから伸びる飛び込み台のような長い板。

 いや、のようなとは言うものの、実際それは飛び込み台であった。



「ゆ、許してくれ船長。出来心だったんだ……」


「黙りな。いいからさっさと落とせ」



 身体を震わせる男は、許しを懇願するため振り返ってジョルダーノへ向く。

 しかしその相手であるジョルダーノ自身の指示によって、湾曲した剣を持つ船員に追い詰められ、遂には伸びた板の上から海へと落下する破目となった。

 一人目が落とされる、次に二人目が。そうして次々と同様の荷物を持つ男たちが、半ば作業的に海へと落とされていく。



「なんというか、なかなかに残酷な罰だよな」


「我ながらそう思うがよ、こいつが何代も前から続く、海賊伝統の重罪者への刑罰だ」


「今は海賊じゃないってのに……」



 ジョルダーノの隣に立つ僕は、その光景を目にしゲンナリとした声で感想を漏らす。

 すると彼は乾いた笑いを浮かべつつ、軍からも認められた必要な行為であると淡々と返した。



 今行われているこれは、今まさにジョルダーノが言っていたように、彼ら元海賊に伝わる伝統的な裏切り者への処罰方法だ。

 極僅かな、二日か三日分ほどの食料と木の板だけを持たせ、そのまま海へと放り出す。

 放り出した後で船はその海域を離れ、そのまま永遠におさらばという訳だ。


 場所は謀反が起こった海域から、南西へ一日といった辺り。

 周囲には島の類などが一切見られず、一番近い陸地はここから北にしばらく行った王国領のみ。

 もしそこまで泳ぎ着ければ助かるのかと思いはしたが、どうやらこの辺り一帯には南へ向けた暖流が流れており、陸地どころかどんどん沖へと流されていくとはジョルダーノの言だ。



『つまり、死刑宣告も同然ってことだな』


<とてつもない強運に恵まれれば、いずれどこかの小島にでも流れ着くかもしれませんが>


『僅かだけどその可能性はある。だけどそれだけの距離を生きて流されるためには、食料が圧倒的に足りない』



 ずっと潮の流れに乗って南下すれば、多少なりと島が見えてはくるらしい。

 だがそこへは十日では足りないだけの日数が必要で、節約しても二日程度といった食糧ではあまりにも不足。

 なので微かな生存の可能性に縋ろうと思えば、同じく放り出された誰かから、食料を奪い取らねばならない。

 炎天下の遮るものがない空の下、小さな木の板にしがみ付きながら、生きるため互いに殺し合う必要があるのだ。

 あえて食料を渡しているのは、そうさせるためでもあると聞いた。



『だからといって運良く島に流れ着くとも限らないし、途中で嵐に遭う可能性も高そうだ』


<海洋生物という危険もあります。肉食性の生物によって、海中へ引きずり込まれる恐れが>


『そいつは恐ろしいな。なにが潜んでいるかわかったものじゃない』



 それらの危険を運良く回避しつつ、万に一つの可能性に勝ち島へ流れ着いたとしても、今度は孤独な無人島暮らしが待つ。

 海へ突き落される者たちにすればこれほどの絶望はないだろうし、なんとも残酷な刑罰なのだとは思う。

 だがしでかした行為が行為なだけに、あまり同情という面では感情が動かされることはなかった。




「さあ、次はお楽しみだ。アンタの番だぜ、元副長(・・・)



 僕が目の前で粛々と行われる刑の執行を眺めている最中も、並んだ男たちはどんどんと落とされていった。

 そうして遂に残り二人となったところで前に出たのは、最初に首謀者であると思っていた元副長の男だ。

 彼は荷物を括り付けられる直前までは、他の船員を食い千切らんばかりの勢いで、激しい抵抗を見せていた。

 だが今ではそれも落ち着き、達観したような眼つきでこちらを呆と眺めている。



「最後に言い残すことがあれば、聞いてやんぜ」


「…………ない。いい加減覚悟はできた」


「そうか。最後の別れはヒデェもんだが、今まで世話になったな」



 ジョルダーノとそれだけのやり取りをすると、元副長は視線を逸らし無言のまま飛び込み台へと向かう。

 そこで突き落す係の船員の手を焼かせることなく、自ら躊躇なく海へと飛び込んでいった。


 少しだけ甲板の淵から身を乗り出して見れば、元副長は着水と同時に手から木の板を放り出すのが見えた。

 その後括り付けた荷物も自らの手で全て放り出し、浮かぶために水をかくこともなく沈んでいく。

 もう助かる見込みはないと考えたのだろう。辛い漂流を経て死ぬくらいであれば、今この場で溺れ死んだ方がマシといったところか。




「さて……、と」



 沈んでいく元副長へと一瞥もくれることなく、ジョルダーノは最後の一人へと目線をやる。

 彼はその場から数歩、最後の人物へと近寄り自身の短剣を抜き放つと、そいつへと突き付けて静かに問う。



「次で最後だ。一応アンタにも長く世話になったからな、遺言くらいは聞いてやんよ」



 次いでジョルダーノが言葉を向けたのは、当然のことながらクレイグだ。

 ヤツは後ろ手に縛られた腕に赤く染まった包帯を巻き、顔を大きく腫れあがらせてはいる。

 最終的には処刑同然の罰を与えるとはいえ、そこまでは生存させておくため応急処置だけはしておいたためだ。


 だがクレイグはジョルダーノの声にも特段動揺した様子も見せず、ふてぶてしく無言のまま。

 自らが直面した状況に対し、呆然としているなどということはないだろう。

 ヤツの本性を垣間見たのは僅かだが、それでもそんな生易しい輩ではないはずだ。



「ねぇのかよ。……まあいい、今まで世話になったなおやっさん」



 自身を裏切った存在であるというのに、ジョルダーノは未だクレイグに対しておやっさんと呼ぶ。

 これはこれまで持ってきた信愛の情によるものだろうか。

 ジョルダーノはそこまで言うと、曲剣を持つ船員に指示しクレイグを飛び込み台へと追いやった。


 ただこの時点になって、ようやくクレイグは重い口を開いた。

 ジョルダーノへと振り向くことなく、これまでかぶり続けていたであろう仮面と同じ表情を晒し、静かに独白するように呟く。



「ご健勝で。ワシは先に行っておりますぞ」


「…………本性なんぞ出さねぇで、その状態のおやっさんでいてくれりゃ良かっただろうが」


「温厚な子守りを演じるのも疲れるのですよ。たまには爆発させねばなりません」


「それで海に放り込まれちゃ世話ねぇな」



 互いに視線を合わせることもなく、動きを止めることもない。

 それでも丁々発止とやり合うのは、長く馴染んだ習慣をなぞるかのようではある。


 飛び込み台の先端へと辿り着くと、飛び込み台の板はクレイグの巨躯によって大きくたわむ。

 この深手だ、海水に飛び込んだ時点でショック死する可能性がある。それに未だに後ろ手に縛られたままで、碌に泳ぐことも儘なるまい。

 だがそのようなことは意に介していないかの如く、クレイグはアッサリと決心を済ませ海へと身を投げ出した。


 豪快な音をさせて着水し、僅かな間を置いて浮かび上がる。

 痛そうにしている様子はない。極端にやせ我慢をしているのか、それともあまりの激痛に認識が追いつかないのかは知れないが。



「よし、引き上げだ! 面舵、王国沿岸海域に向けて北進しろ!」



 海へ放たれたクレイグが流されていくのも確認せず、ジョルダーノは整った顔を歪めることもなく船員たちへ指示を飛ばす。

 ただその声質は、若干の苛立ちが含まれたような棘があるもので、クレイグへの罰を執行するのに一切の躊躇いが無かったとは言えないものに思えた。


 船員たちはそれを察しているのか否か、指示に反応して操船のために素早く行動し、舵や帆を操作していく。

 船体がグッと傾き、船の向きを北へと修正。海上を吹く風に引っ張られるようにして船は進み、一気に海域を脱出せんと走る。

 この場に長く留まって暖流に流されてしまえば、必要以上に時間も食うし物資も不足していく。用件が済んだなら、サッサと離脱しなければならないようだ。




「悪いな、こんなことに付き合わせちまって」


「いいよ、ある意味で貴重な経験になった。海賊式の処罰方法も含めてね」


「嫌味かよ。思ったより性格の悪いヤツだな」



 ひとしきりの指示を終え、ジョルダーノは深く息を吐く。

 そして僕へと妙な事態に巻き込んだ謝罪をし、逆にこちらはおどけて返すと、彼は苦笑し僕を軽く罵った。

 性格の悪さ云々に関しては、あまり否定するつもりはない。最近自分でも自覚し始めたところだ。



「ま、あとは寝てれば同盟領に着く。もう騒動も起きねぇだろうし、ゆっくりしてな」


「そうさせてもらうよ。ところで……」


「まだなんかあるのか?」


「いや、大丈夫かと思ってね」


「なにがだよ。船長ってのはこう見えて忙しいんだ、邪魔しないでくれるとありがたいんだがな」



 多少なりと傷心しているであろうジョルダーノへと問うてみるも、こちらの質問に対し意味が解らないとばかりに返す。

 それは放っておけというよりも、自身の職務に没頭して忘れたいという意志にも思える。

 ならば余計な口を挟むのは野暮というものか。僕は手を振り一人船室へと降りていくジョルダーノを見送った。


 一人残された僕はひと気のない甲板後部へと移り、放り出された複数の謀反者を見やる。

 だが既に謀反者たちは遠く、穀物の粒程度にも見えるかどうかといった距離まで離れてしまっていた。

 その遠くなりつつある連中は、これから自身が生き残るために、他の連中を溺れさせる戦いを繰り広げるのだろう。



「執行される側にとっては、絶望そのものだろうな。処罰されなかった船員にとっても、下手な行動を採れば明日は我が身だ」


<それでも今回のように裏切りが出るのです、よほど船長という役職が魅力なのでしょうか>


「さあね。こればっかりは、あの二人に聞かないとわからない」



 密かにエイダとやり取りを行いつつ、放り出された者たちを眺めるも、その姿は徐々に遠ざかり僅かな陰すら認識できなくなっていく。


 結局クレイグが謀反を起こした本当の理由はわからず仕舞いだ。

 捕まえた後でジョルダーノが動機を問い詰めたそうだが、結局は何も吐き出さなかった聞く。

 単純に船長という立場を望んだのか、それとも自身を取り巻く環境を壊さんとしたのか。もしくはただ異国の地へ渡り、軍の監視下にない自由を求めたのか。

 あるいは最後に発したように、溜まった鬱憤の発露がこういった手段だったのかもしれない。




「気にしても仕方ない。考えても結論の出ない話だ」


<そうするのが無難でしょう。それよりもイレーニスの様子を見に行かれては? もう落ち着いている頃ではないかと>


「それはただお前が気になるだけだろうが……」



 軽口を叩き合いつつ、僕は用のなくなった甲板から引き揚げ、船室へと降りる扉へ向かう。

 比較的暖かい地域の洋上とはいえ、長時間風に晒されていれば身体も冷えてくる。

 そのような言い訳をしつつ、エイダの言う通りイレーニスの様子を見るため、背後を振り返ることなく船室へと戻っていった。



10万pvです。

読んでいただいているという実感を糧に、これからも密かに続けていきたいところです。

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