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洋上の小鳥 16


 そのようなことを言われても。というのは、正直な感想ではある。

 実際僕は直前まで、ジョルダーノに生かしたままで捕らえるよう言われていたとはいえ、イレーニスを助けるためなら命を奪うのもやぶさかではないと考えていた。

 だが突如として性格を豹変させたかのようなエイダに驚き、一気に平静へと戻ってしまったのだ。



<なにを迷う必要があるのですか>


『そう言われてもな……』


<ただ悪党を斬ればいいだけです。子供を人質に取る卑劣漢(ゲスやろう)に、相応の報いを与えればいいのですから>



 一見して普段と変わらないものの、突如として部分的に発言が粗暴になったエイダの変わり様に、僕は動揺を隠しきれない。

 おそらく彼女は、いわゆるキレてしまったという状態なのだろう。

 AIがキレるというのもおかしな話だが、実際エイダが発している感情は、それに類するものに違いあるまい。



<今はまだイレーニスも、特別重症化するような怪我ではありません。ですがあの男は凶暴です、いつどんな凶行に奔るか――>


『ああ、わかったよ! 仕方ない、突っ込むとするか』



 なおも即座の攻撃を勧告するエイダに、僕は遂に根負けした。

 それにエイダは、勝手に起動させた装置を解除するつもりは毛頭ないようだ。

 そんな状態でいつまでも居ては、こっちが先に体力的に参ってしまう。なので弄する策も無いが、彼女の誘いに乗ってやることにする。



 装置の出力を最大にまで上げれば、向こうが迎え撃とうと一撃で打ち倒すのは可能。

 だが少しくらいは隙が欲しい。そこで横目でレオへとアイコンタクトを試みる。

 内容は「少しだけ囮になってくれ」だ。それなりに付き合いも長くなってきた彼だ、たぶん察してくれるだろう。


 そのような小細工を密かに弄していると、声が伝わったとは思えないが、ジョルダーノが大きな声でクレイグへ警告を発す。



「一つ、こっちにも人質になるヤツが居るのを忘れてねぇか」



 言いつつ彼は再び短剣を持ち上げ、すぐ横で甲板に腰を落とす男へと切っ先を向ける。

 それは手すりにもたれ掛り、今だ余裕めいた表情をしている元副長の男であった。

 彼はイレーニスを盾にするクレイグに対し、自身もまた同様の行為を持って対抗しようとする。


 だがそんなジョルダーノの行為も、クレイグにはさして効果を得られなかったようだ。



「人質というのは、副長のことですかな? 別に殺してしまっても構いませんぞ、そのような小心者。居なくとも不都合はないでしょうから」


「チッ。クソ野郎が、ちょっとは動揺しやがれっての」



 反対に人質を取ろうとするも、クレイグからはまるで動じた様子が見られない。

 一方でこれまで余裕をかましていた元副長はといえば、クレイグの発した突き放すような言動に驚き、愕然とした表情を浮かべていた。

 コイツは今になって気付いたのだろう。クレイグが自分を助けようという意志など、まるで持ち合わせてはいないというのを。



「とりあえずは全員投降してもらいましょうか」


「……俺らが思い通りになるとでも思ってんのか? 第一テメェらだけで、この後どうにかなんのかよ」


「言うことを聞かねば、想像通りの結末を迎えるだけです。それにここからは、然程危険な行程でもない。最低限の人数で十分ですよ」



 そのようなやり取りを行う両者を尻目に、レオは僕の向けた意図を察してくれたようだ。

 彼はジワリジワリと、死角となり易い場所へと移動を開始した。

 勿論それは密かに移動するフリで、クレイグにとってそれなりに認識できる動きであったが。



「動かないで下さいと言ったでしょう。この少年がどうなってもいいのであれば、話は別ですが」



 動くレオへと顔を向け、クレイグは手に持つナイフをイレーニスの首筋へと突きつける。

 触れるかどうかといった程度に向けられる刃へ恐怖するイレーニスを尻目に、周囲を見渡して甲板上に残る人間へと警告を発した。

 漏れなく警戒し、接近を許すつもりはないと言わんばかりだ。


 レオとジョルダーノは気を引くべく動いてくれているが、なかなかこちらから注意を外してはくれない。

 本性を巧妙に隠していたように、やはり慎重な男であるようだ。


 もし一瞬でも隙を見せたら、すぐに攻撃を仕掛ける必要性がある。なのでエイダが勝手に起動した装置は解除できない。

 徐々に身体へと圧し掛かる装置の負荷へと焦れつつも、僕は僅かな好機を待つ。

 そうしていると、ふとヤツの背後で開いたままである扉の向こう。暗がりの中へと、一体の影が動くのを視界に捉えた。



『……任せるしかないか。もうこれは賭けだ』


<機会は一度きりでしょう。これを逃せば、イレーニスの負傷は避けられません>



 その見えた影は、僕等にとって幸運を運んでくれたに違いない。

 だがこれは大きな賭けであり、失敗すればイレーニスはクレイグの手によって大きな怪我を負う可能性が高い。

 もしもそうなってしまえば、この船上で手当てをするのは難しいだろう。

 だが他に手を考え付かない以上は、そこへとすがるしか手段はなかった。




「早く選んでもらいましょうか。投降するか、それとも少年を犠牲にするか」



 動きのとれぬ僕等を眺め、クレイグは挑発するように叫ぶ。

 苛立ちを撒き散らすような物言いで、ヤツは自身の勝利を疑いもしていないと見えた。

 だが直後、その背後から現れた存在によって、ヤツのした勝利宣言は易々と霧散することになる。



「どちらも選びはせん。その必要がないからな」



 不意に背後から聞こえた、怒気混じりな声。

 それに驚き振り向いたクレイグは、少しだけ呆気に取られた反応をした後、これまで聞いた事のない悲鳴を撒き散らした。

 よくよく見ればクレイグの腕へと、一本の小振りなナイフが突き刺さっている。

 おそらく食堂に置かれたテーブルナイフと思われるそれは、柄の部分に握る手が添えられ、暗がりの中から伸びていた。


 その柄を握る手が離され、中から人影が躍り出る。

 飛び出してきた影はクレイグへと体当たりし、ヤツが仰け反った瞬間に人質となっていたイレーニスを抱えようとする。

 しかしクレイグは掴んだ腕を離すことはなく、逆にイレーニスを引っ張りもろとも倒れ込んだ。



「離せ、悪党が!」



 扉の陰から飛出し、体当たりをかましたのはヴィオレッタだ。

 彼女はいつの間にか密かに背後へと忍びより、イレーニスを奪取する機会を窺っていたようだ。

 もっとも最後のところでは上手くいかなかったようで、倒れ込んだイレーニスを抱き抱えようとするも、咄嗟にナイフを振り回すクレイグによって阻まれる。



「すまん、しくじった」



 ナイフによる反撃から逃れ、飛び退ったヴィオレッタは僕の横へと並び謝罪の言葉を漏らす。

 あと一歩のところで奪い返せたのだが、思いのほか強い抵抗をしたようだ。


 だが彼女によって、大きな隙が生まれたのは事実。

 起き上がろうと甲板に手を衝くクレイグの背が見えた瞬間、僕はヴィオレッタへと言葉を返す間もなく、足へと力を籠め一気に床を蹴った。



<警告。イレーニスを害しようとしています>


『このまま行く!』



 一気に突っ込む僕に気付いたのか、クレイグがイレーニスにナイフを突き立てようとしている様を知らせる。

 だがここで動きを止めては、もう再度の機会は訪れてくれないかもしれない。

 イレーニスを盾にしても効果がないと判断し、こちらを迎え撃とうと考えるのに賭けるしかなかった。


 そしてその賭けは、どうやら勝ちに転がりそうだ。

 クレイグはすぐさまイレーニスを突き飛ばし、ナイフの切っ先を僕の方へと動かす。

 人質を取り続けても、効果がないと判断してくれたようだ。


 こちらにとってその対応は上々。人質さえ居なければ、容赦をする必要はないのだから。



『また思い直してイレーニスを盾にしようとするかもしれない、予備動作を見逃すな! それと一撃で仕留められそうな箇所を』


<了解です。現在の体勢ですと攻撃推奨ポイントは左肩、あるいはナイフが刺さったままの左腕でしょうか>



 身体と同時に強化された思考速度の中、エイダに指示しクレイグの観測を行わせる。

 視界内には再度赤いカーソルが出現し、肩と腕へ照準が定められた。



「くそガキがっ!」



 素手を振りかぶり迫る僕へと、クレイグは重低音の声で吼える。

 これまでのにこやかな様相など捨て去り、剥き出しの殺意をぶつけるかのようだ。

 その声と血走った目を無視し、ナイフを潜り抜け突進の末に肉薄。僕はクレイグの腕へと拳を振り下ろし、刺さったままなテーブルナイフの柄へと打ちつけた。


 重い衝撃が腕を伝い、貫いたテーブルナイフが甲板の床板へと腕ごと縫い付けた。

 クレイグの声にもならぬ絶叫が響き、強すぎる痛みのせいか開ききった瞳孔が鈍く光る。

 だが激痛の最中にあってもヤツは反撃を試みた。必死の抵抗からナイフを振り回し、横で倒れていたイレーニスの腿を浅く裂く。



「っフザケんな!!」



 薄く血を撒くイレーニスの姿を見、頭へと一気に血が上る。

 直後無意識のうちに、膝を振ってクレイグの顔面を強打。その頭を掴むと、二度三度と続けて膝による打撃を見舞った。

 最初の一撃だけで、おそらくクレイグの意識は飛んでいるのだろう。

 それでも沸騰した意識は治まらず、その後も幾度となく膝や拳による打撃を叩き込む。


 この時点で僕はクレイグに対し、別段生かしておく必要性も感じてはいなかった。

 だが若干一名、そうは考えていない人物が居たようで、背後から僕を取り押さえるべく覆いかぶさる。



「待て、殺すのだけは勘弁してくんねぇか!」



 羽交い絞めするように抑えるのは、焦った様子を示すジョルダーノだ。

 彼は断固たる意志を持つと見える声で、殴り続けることによってクレイグが死ぬのを止めようとしていた。

 どうしてそのような真似をとは思うが、彼は最初の時点から一貫して言っていた。謀反を起こした者は捕らえ、それなりの罰を与えると。



「どうしてもか?」


「どうしてもだ。イレーニスが傷付けられてムカっ腹が立つのはわかるが、こいつの処遇は俺に任せちゃくれねぇか?」


「……わかった」


「すまねぇな。約束するよ、ここで死んだ方がマシだって目に遭わせてやっから」



 ジョルダーノの言葉に説得され、血に塗れた拳を下ろしクレイグの髪を掴む手を離す。

 巨漢がドサリと甲板へ落ちた音を耳にし、僕は呆然と尻餅をついたままのイレーニスへと歩み寄った。

 その目には僕が映っているのか否か、見開かれてはいるものの、意識があるかはハッキリとしない。



「大丈夫か? すまない、怪我をさせてしまった」



 膝を付き声をかけるも返される言葉はなく、ただ口を半開きとしたイレーニスは虚ろな瞳を向けるばかり。

 少々しくじった。自身が傷付けられたのもあるだろうが、やはり幼子には衝撃が強すぎた光景だったようだ。




「とりあえず、中へ戻ろう」



 そう言って僕は放心のイレーニスを抱き抱えると、足元のクレイグをジョルダーノへ任せて船室へ降りていく。

 後ろからはヴィオレッタとレオも着いて来ており、共に面倒な事態に巻き込まれたことへの徒労感がありありとしていた。


 その最中、背後を無言のまま歩くヴィオレッタへと、僕は首だけで振り返って告げる。



「丁度いい時に来てくれて助かったよ。でも今まで何をしていたんだ?」


「ああ……、ちょっとな」



 彼女は若干バツが悪そうに、引きつった表情で斜めに下を向く。

 だがその気持ちも当然かもしれない。イレーニスの護衛を任されていたのに、結局はクレイグによって連れ出されてしまったのだから。

 詳しく聞いてみればやはり想像した通り、隠れていたヴィオレッタの部屋へとやって来たクレイグが、イレーニスを安全な場所へ連れて行くと言ったらしい。


 若干迷ったそうではあるが、結局イレーニスをヤツに任せた後のヴィオレッタは、おかしいと気付くまで船内で負傷者の手当てに終始していたようだ。



「よもやあのような虚言を信用するとは……、一生モノの不覚だ!」


「ジョルダーノでも見抜けなかったからな……。仕方ないと考えるしかない」



 後悔を口にする彼女へとフォローをするも、やはりその程度では納得せぬようだ。

 通路の先頭を進む僕を小走りとなって追い越し、前へと出ると抱えるイレーニスへと手を伸ばす。



「この責任は私にある。イレーニスは私が連れて行こう。二人は上で倒れた連中を」


「……わかったよ。この子が落ち着くまで、諸々を任せる」


「賜った。だが後で様子を見に来てやってくれ」



 部屋へ戻ってからの手当てと、イレーニスが正気に戻るまでの看病。彼女はこれらを一人でやろうというようだ。

 実際僕も油断していたため、彼女一人を責めるつもりは毛頭ない。なのであまり気にしすぎずともいいのだが。

 だがそれで多少なりと贖罪の気持ちを軽減できるというのであれば、彼女に任せてもいいのかもしれない。


 いつの間にか落ちるように眠っていたイレーニスをヴィオレッタに預け、僕はレオと共に再度甲板へと戻った。



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