洋上の小鳥 15
曇天の空の下、遥か彼方に大陸南部の陸地が微かに見える洋上。
そこへ浮かぶ船の甲板では、戦闘とも乱闘ともつかぬものが繰り広げられることとなった。
反旗を翻した男たちに対し、武器こそ持たぬものの倍近い数の船員。
それらが入り乱れ、拳と刃物による血飛沫が舞い、一気に混乱の渦中へと陥るはめとなっている。
「レオ、甲板入口までの道を開けてくれ! 背後は僕に任せて」
「了解だ。突っ込む」
武器もなく素手で元船員たちを薙ぎ倒しつつ、レオへと指示を飛ばす。
すると彼は跳躍し男たちを飛び越えるなり、そのど真ん中へと降り立って瞬く間に数人を無力化。甲板から船室へと降りる階段への道を確保した。
どうやら彼の背を守る必要はないようだ。
その光景を見るなり、ジョルダーノは短剣を大きく振り回し牽制すると、船員たちへと指示を飛ばす。
「今だ、怪我人を下へ連れていけ! お前らはそのまま武器を探して来い、まだ幾らかは残っているはずだ!」
船上で鍛えられた船員の拳は、やはりある程度の重さを持つ。
しかし当然のことながら、拳よりも刃物の方がより重篤な負傷となるのは必然。
それら武器によって傷を負った船員たちを生かすべく、ジョルダーノは負傷者を船室へと誘導するよう命じた。
「お前らは入り口前を固めろ、連中を倒すのはそこの二人に任せちまえ!」
「「おう!」」
ジョルダーノがした発言へと忠実に従い、船員たちは船室への入り口を固めた。
その言葉に僕は若干の困惑をしつつも、船員らの前に立ち迫る敵との間へ条件反射的に立ち塞がる。
別にそれ自体は間違った指示だとは思わないが、まさか戦闘のほとんどをこっちに丸投げするとは思わなかった。
イレーニスの件に関してもだが、随分と人使いの荒い人物だ。
『まったく、こんな厄介事に巻き込まれるなんて。後で報酬の再計算を要求してやる!』
<客であったはずなのに、とんだ用心棒役ですね。もっとも、安くなったからといって、同盟領でその金は使えませんが>
『なら別の方法で請求するよ!』
このような事態に直面したのは、僕等自身の責任ではない。
船内に溜まり溜まった鬱積などが、偶然今回のタイミングで行動によって表面化しただけだ。
そんなのに巻き込まれ、あまつさえ用心棒も同然の行動をせねばならないのだ。減額どころか、逆に報酬を貰ってもいいのではないか。
などと考えている内、僕等は徐々に敵の数を減らしていく。
元船員たちは海賊とはいえ、腕力や身のこなしは軽いもののやはり本職の戦闘屋ではなく、戦い方は素人に毛が生えたようなものであった。
それでも本来であれば同じ船員同士、武器を持つ方が有利となるはず。
だが連中にとって誤算であったのは、僕等のような本職の傭兵がイレギュラーとして混じってしまったこと。
対峙する破目となった副長にしてみれば、さぞや苦々しい状況に違いあるまい。
おそらく僕等が乗船すると聞いた時、難色を示したというのはこのためだったのだろう。
「レオ、残り三人任せた!」
「了解だ。別に全員でもいいが」
反乱を起こした者たちは、もうほぼ全滅に近い状態だ。
その中でも今だ向かってくる半分をレオに任せると、僕は副長と対峙しているであろうジョルダーノへと視線を向けた。
彼は味方側の船員たちへと指示しつつも、抜身の短剣を振り副長と切り結ぶ。
相手は切り捨てる意志で来ているにも関わらず、どちらかと言えば無力化を目的としたジョルダーノの側が優勢であるようだ。
「キサマさえ……、キサマさえ居なければぁ!」
「だからどうした。そんな考えしてっから、テメェは先代に選ばれなかったんだろが」
細身の中剣を振り回す副長の攻撃を、ジョルダーノは確実に短剣で払っていく。
その最中にあっても、副長が叫ぶように発す憤怒の声へと平静に返していた。
なるほど確かに、このような理由で反乱を起こすような輩であれば、一番上に据えるというのは躊躇われるだろう。
ジョルダーノは次第に攻勢を強め、リーチで勝る副長を追い詰めていく。
僕が眼前の船員を残り僅かとし殴り倒した時、彼は遂に副長の中剣を弾き飛ばすことに成功した。
既に謀反の船員もあらかた甲板に蹲っており、これによって失敗は確実な物となったと言っていい。
「くっ……」
「別に殺しやしねぇよ。お前には相応の罰を受けて貰う、海賊らしく伝統的な方法でな」
甲板の隅へと追い詰められ、素手となった副長に短剣を突きつける。
そうして発したジョルダーノの言葉は酷く底冷えのするもので、彼の言うところの海賊伝統の罰というものがどういうものか、聞くのが恐ろしくなるような空気を漂わせた。
しかしどういう訳だろうか、背後の手すりと海によって退路を断たれた副長からは、どこか余裕めいたものを感じさせる。
苦渋に塗れていたはずの表情は歪み、今の状況に反し、むしろ勝ち誇ったようにも見えた。
「……そうはいかん。罰を受けるのはお前の方だよ、ジョルダーノ」
「なんだって? 今さらどう悪足掻きをするってんだ」
不敵な笑みと言葉を向ける副長に、怪訝そうに問い返すジョルダーノ。
いったいヤツはなにを考えているのか。首を傾げて思考を巡らせようとすると、副長は僕等へと真っ直ぐに視線を向ける。
いや、正確には僕等ではなく更に背後か。直後にその後方から、不意に静かな声が沸いて出た。
「相変わらず詰めが甘いですな、船長」
勝敗は決したとはいえ、今だ緊迫感の溢れる甲板の上。
そこへと聞こえてきたのは、そんな空気に似つかわしくない穏やかな声。
振り返ってみれば、船室への入り口となる開かれた扉の前に、一人の大柄な人物がノソリと立ち塞がっていた。
「上に立つ者として、時にそれは命取りになりますぞ」
「クレイグ……。お前今までどこに居た」
扉の前へと陣取っている人物。それは僕が最初に会ったこの船の関係者、クレイグだ。
そういえばどういう訳か、船内で三番手の立ち位置に在るはずの彼であるはずなのに、今まで姿を見せていなかった。
事が終わりかけた今になって、ようやく加勢に参じた……、というのとは違うようだ。
柔和な笑みを浮かべているはずのクレイグからは、なにやら不穏な空気が漂っている。
それは彼の後ろ手に回された両の手が、こちらに見えぬところへ隠れているのも一因か。
「なに、野暮用がありましてな」
「野暮用だと? こんな非常事態にか!」
ジョルダーノのお株を奪うような、飄々とした物言いをするクレイグ。
その彼へと怒声めいた言葉を向けるジョルダーノだが、表情からは焦燥感らしきものが刻まれつつある。
クレイグがこれまでどうして姿を現さなかったのか。その理由について、もう粗方察しがついているといった風だ。
この緊張漂う状況となればある程度、事の次第は想像がつくというものだ。
僕は姿を現したクレイグに対し、嘆息しつつ投げ槍に口を開く。
「ようするに、あんたも副長とグルだったってことだな」
「ご明察です。とは言っても、ここまで来れば隠しようもありませんな」
向けた言葉に対し、クレイグは悪びれることもなく笑う。察して当然、今更一切の弁明をするつもりなどはないとばかりに。
ようするに最初からこの人物は、副長の影に隠れて謀反を画策していた一人であったのだ。
「そうか……、まさかお前までもがな。副長を唆したのはお前か?」
「左様で。なかなか踏ん切りがつかなかったようで、行動を起こすまで随分と時間を要しましたが」
副長へと向けていた短剣の切っ先を下ろし、僅かに打ちひしがれたようにジョルダーノは問う。
するとクレイグはまたもや肯定を示し、小馬鹿にしたように副長へと顎を向けた。
これまで僕等と接した時に見せていた、温厚で気遣いの出来る老年の船乗りとは思えぬ素振りだ。
だがこれで確実にわかったことがある。ジョルダーノはこう言っていたはずだ、小心の副長にしては思い切った行動であると。
その答えがこれであり、副長の気質を思えば決して起こさぬであろう行動を起こさせたのは、この男が裏で入れ知恵をしていたからなのだ。
「君が新しく船長に選ばれて、不満を持っていたのは彼だけではないということです」
「……そいつは気付かなかったな。ったく、よくこれまで化けの皮を被り続けたもんだぜ」
「年の功、というやつですな。伊達に長年生きてはおりませんので」
会話の流れに気圧され、入口を固めていた船員たちは後ずさり距離を取る。
クレイグはその光景を見るなり軽く笑い、足元で気絶し転がっている造反組の男を蹴りあげた。
役立たずと言わんばかりの、仲間を仲間とも思っていない行為。それを笑顔のままで行ったのだ。
こいつは難物だ。自身が煽って戦わせた元船員たちを足蹴にするような気質を、穏やかな仮面で隠し続けていたのだから。
今にして記憶を掘り起こしてみれば、僕等の乗船に関してクレイグもまた難色を示していた。
最初に商会の建物で会って話をした時に、こいつはあまり良い顔をしていなかったではないか。
そこからこういった事態を察するのは流石に無理だが、思い返せばそれらしい予兆だったのだろう。
先日の一件でもそうであったが、ロークラインといい執事服の暗殺者といい、最近出会う年寄りたちは癖のある連中ばかりだ。
「ならテメェをぶっ倒せば、万事解決ってこったな」
「そうなりますな。ですが早まった真似をしないで頂きたい、下手に動けばこの子がどうなるかは保障できかねますので」
敵意を滾らせ手にした短剣を向けようとするジョルダーノへと、片手を向けて制するクレイグ。
いったい何をと思うが、ヤツのもう一方の手が背後で開く扉の向こうへと伸びているのに気付く。
その暗闇の奥へと伸びた腕を引き、掴んでいた存在を甲板の上へと引きずり出す。
「……まさか、テメェがそこまで落ちてやがったとはな」
「これは元々ですよ。単に間抜けな船長が気付かなかっただけで」
扉の向こうから姿を現した存在を目にし、ジョルダーノは眼光鋭くクレイグを睨みつける。
先ほどよりもずっと激しい、憎悪にも似たそれではあるが、この点においては僕も似たような感情を抱くこととなった。
なぜならクレイグが掴む手の先には、細く幼いイレーニスが居たのだから。
「こういった状況ですので、大人しくしていただきたい」
「クソがっ! 子供を巻き込んでんじゃねぇぞ!」
「おっと、動いてもらっては困ります。こちらとしても、あまり手荒な真似はしたくない。なにせ血で汚れてしまっては、折角の服が台無しになってしまう」
イレーニスの腕を掴むクレイグは、その腕を引き寄せ自身の前へ。
そうして自身へ向けられる刃の盾とし、今にも飛びかからんとしていたジョルダーノの動きを制した。
「そちらも動かないで頂きたい。そうでなければ、折角可愛がっているこの少年が、無残な肉片となってしまいますよ」
クレイグの粘性を感じさせる、嫌らしい声が僕とレオへ向けられる。
ヤツはいつの間にか手にしていたナイフを抜き放ち、前に立たされたイレーニスの頬へと押し当てる。
めり込んだ刃が微かに皮を裂き、痛みと恐怖からイレーニスは歯を鳴らす。
イレーニスがどうして掴まっているのか。ヴィオレッタが守っていたはずではなかったのか。
そう思うもある程度は仕方がないだろうか、こいつがこれまで本性を巧妙に隠していたのを考えれば。
おそらくヴィオレッタに近付き、イレーニスの護衛を替わるとか何か、それらしいことを言ったのだろう。
ここまで親切にしてこられただけに、容易に騙されてしまってもおかしくはない。
さて、どうしたものか。
どうにかして助け出そうと考えはするものの、ふつふつと沸き起こる苛立ちに、策を弄してイレーニスを奪い返すという思考が塗りつぶされていく。
いっそ装置を全開で起動して、一気に仕留めてしまおうか。
いや、それでも多少は動く隙を与えてしまう。その間にイレーニスが致命的な負傷を負ってしまっては元も子もない。
などと焦る思考で手段を選択していると、突如脳裏へと、エイダの淡々とした機械的な音声が流れてきた。
<身体補助装置を作動。戦闘への最適状態での起動に設定しました>
その声と同時に、自身の腕へと嵌めていた装置が勝手に起動。全身を電磁的なフィールドが覆い、戦闘可能な状態へと移行していく。
確かにそういった思考はしたが、まだ僕は何も指示をしてはいない。
何を勝手なことをとエイダに問い詰めようとするも、彼女はその前に僕へと一方的に言葉を叩きつけてくる。
<アル、狩猟はお好きですか?>
『唐突にどうしたんだ。……いや、別に特別好きってわけじゃないけど』
<それは失礼をしました。非常に生きの良い得物を発見したもので、つい>
『お前はいったいなにを言って――』
不可解な発言をするエイダを怪訝に思うと、突如として中継器を介し脳へ情報が転送され、視界内にいくつか赤枠のカーソルが出現する。
それはしっかりとクレイグの頭や左胸、鳩尾などを捉えており、それぞれに同色の文字が小さく記されていた。
「KILL」とだけ簡潔に表示されたそれを静かに眺めつつ、僕はこのような真似をするエイダへと静かに問う。
『え……、エイダ?』
<さあ、アル。獣狩りです、存分にお楽しみください>
普段と変わらない。それどころか彼女を起動した最初の頃とよく似た、ひたすら平坦で無機質な合成音声。
昨今の感情豊かな、人間臭さ溢れる言葉とは大きく異なるガイダンス。
そのまさに機械的とも言える彼女の声が、僕には底冷えするような殺意にも感じられていた。




