洋上の小鳥 11
この日で航海も十四日目となる夜。現在地は大陸の南部に広がる、シャノン聖堂国の更に南の海。
ジョルダーノへと確認したところ、もう一日少々もすれば王国の南端部に在る、岬の近海を通過する頃であるとのことだった。
一応エイダにも衛星から確認してもらうと、おおよそ正解であるとの答えが返る。
ここまでの航海は、途中でイレーニスを拾った点以外は順調そのもの。
ただどうやら目前に迫る海域こそが、どうやら最初に聞いていた難所と言われる場所のようで、船員たちからは徐々に若干の緊張感が漂い始めていた。
その王国南端を掠めるように通過する直前。夜の食事を終え、半ば日課となっている食後の一服。
喫煙などはせず酒だけで行われるそれは、娯楽の少ない船員たちにとって、数少ない貴重なストレスの発散機会であった。
当然それは船長であるジョルダーノも同様で、彼は広い食堂内の隅へと陣取り、酒の満たされた小樽を美味そうに煽っている。
「ところで、一つ聞きたい事があるんだけど」
「なんだ? 言ってみな」
隣に座る僕は、強い酒のせいで若干赤ら顔となったジョルダーノに、軽い調子で話しかける。
話をするうちに多少なりと親しくなってきた僕らは、次第に敬語や丁寧語などを排して話すようになっていた。
この辺りは相手との相性などもあるが、彼がそういった言葉使いを許容する個性であるというのもあるのだろう。
「実際ロークラインとは、どういう関係なのかと思ってね。個人としてじゃなく、商会として」
「そんなことかよ。もっと酒の肴になるような、面白い話が良かったんだがな」
彼はつまらなそうな顔をし、再び手にした酒をチビリと口にする。
あまり好ましくない話題であるのか、それともただ面倒臭いのかは知らないが、決して面白い話を聞けるような類ではなさそうだ。
「まぁいいか。簡単に言っちまえば、雇用する側と使われる側。俺らは使われる側だな」
「……どういうことだ?」
「表の顔である商会、それと裏の顔として見せている海賊。実のところこいつは両方ともフェイク。本当の俺らはスタウラス国軍傘下の海上部隊みたいなもんさ」
若干勿体ぶったジョルダーノが言い放った内容に、僕は驚きを隠しきれない。
彼は自身を国の手先であると自称し、僕へと顔を向けてニヤリと笑んだ。
基本的にどの国も徒歩や騎乗生物などによる戦力が主体で、海軍に当たる存在を有してはいない。
それは同盟の実質的な正規軍に近いイェルド傭兵団でもそうで、内陸国である共和国も含め、多くは海での戦いには対応できていないのだ。
「実際には軍属……、ということなのか?」
「形式上はそうなっちゃいないが、軍のお偉いさんから命令を受けて活動している。ロークラインのジジイは、俺らと軍を繋ぐ窓口みたいなもんだな。本来は別の役職だろうに、ご苦労なこった」
嫌なモノでも思い出すように告げるジョルダーノは、それを洗い流さんばかりに再度酒を煽った。
どうやら彼らが海賊行為として行っているのは、国からの指示を受けてのものであるようだ。
よくよく話を聞いてみると、彼らが他の海賊を殲滅しているのも、国からの指示によるものであるらしい。
掃討した後は、同業者を潰す悪逆非道の海賊として自身を吹聴。抑止効果を狙うのであると。
過去には本当の海賊であったそうなのだが、ジョルダーノの先代に当たる船長の頃に捕縛され、生かす条件として海軍のような役割を担うようになったらしい。
「海賊じゃない一般の船を襲う事も、稀にあると聞いたけど?」
「時々はあるが、そいつだって禁制品絡みの取引をしているような船だな。積み荷を奪うのだって、そういった代物を回収するためで、俺らは奪ってどうこうはしちゃいねぇぞ」
「じゃあこないだイレーニスに着せていた服とかも……?」
「あれは回収した荷の中に、偶然紛れ込んでいた内の一つさ。本来ならアジト近くに在る倉庫へ隠しておいて、定期的に軍が回収する手はずになってんだがな。名目上は商会として集めた交易品を、売却するって形になっている」
彼らはそうやって軍から資金を得、活動の予算としているようだ。
どうやら今回もそうする予定であったそうだが、その前に僕等が接触を計ったことによって、うっかり降ろしそびれてしまったらしい。
そう言う彼は、僕を見やると僅かに嘆息。少々よろしくない事態ではあったようだ。
知らなかったとはいえ、悪い事をしてしまっただろうか。
「ま、ようは使いっパシリをするだけの存在って訳さ」
「そんな集団が、長期間国を離れても大丈夫なのか?」
「一応は部下が島々に散らばってっからな。ちょっとしたトラブル程度なら、俺らが居なくても対処するだろうよ。それにあのジジイからの指示なら、待機してるよりもあんたらを送り届ける方がよほど重要ってことなんだろうさ」
ジョルダーノは目元に力を入れ、深く考えるような素振りを見せる。
どうやらロークラインのことを好ましくは思ってなくとも、彼がする判断そのものを疑ってはいないようだ。
その考えには僕も賛成で、彼は決して考えなしで決断を下すような人物ではない。
おそらくジョルダーノが言う通り、僕等を送り届けるメリットに対し、彼らを手元に置く以上の価値を見出したのだろう。
「で、いいのか? そんな重要な情報を、無関係な人間に喋って」
「お前が聞いたんだろうがよ。別にいいさ、お前もあのジジイに使われる側だったようだし、今更無関係ってこたないだろ。それにお前らとは同盟に着いたらおさらばだ、話を漏らす相手も居ないんだからな」
あっけらかんと言い放つジョルダーノ。
それはそうなのだが、こんな調子で大丈夫だろうかと思うのは、僕の考えすぎだろうか。
おそらくロークラインは、この件を漏らしても構わないと考えているとは思うが。
空になった木製のジョッキを揺らして中身が無くなったのを確認すると、ジョルダーノは自身が座る椅子を少しだけ僕の方へとズラす。
そうして快活な様子で絡むように僕の肩へと腕を回した。
楽しそうになにを話しかけてくるのかと思ったのだが、どうやらそう面白い内容ではないようだ。
彼はニンマリとした表情とは裏腹に、静かな低い声で独り言のように告げる。
「口には出してねぇが、これを快く思わないヤツも居るだろうよ」
「これ……、というと」
「軍の飼い犬になってることをさ。船員の中には軍が寄越した奴や、端から軍との連絡係として迎え入れた奴も居る。だが多くの奴等は、元々海賊としての立場を求めて入ってきた連中だ。想像との違いに不満を持つ奴が居ないとも限らねえ」
ジョルダーノが口にした言葉に、僕は僅かに背筋へと緊張が奔るのを感じる。
これは暗に、船内でいずれ反乱が起きる危険性を提示しているも同じなのだから。
彼の言うところの不満を持った船員たちが、いつそれを爆発させるとも限らないという話しなのだ。
「冗談だろう?」
「マジだよ。近いうちに、そいつが表面化する可能性がある」
「どうして……。もしかして、今回の航海が切欠になるとでも言うつもりか」
「そうだ。俺としちゃ、最近特にその危険を感じていた。だから本音ではお前らの依頼を受けたくはなかったんだよ」
ジョルダーノは肩を組みつつ、笑顔のままで苦々しい声を発した。
航海の期間が長くなればなるほど、鬱憤は明確に積み重なっていく。往復で数十日に及ぶとなれば、その程も大きくなるのだろう。
そういえば、最初に会った時の彼は、確かにこちらの依頼に難色を示していた気がする。よもやそれが、このような理由であったとは思いもしなかったが。
「先々代の頃までは、かなり無茶な暴れ方をしたそうだし、先代も軍の手先になる前まではそうだった。もっとも、当時を知る連中のほとんどは引退してるが」
「それなら、昔との違いに適応できずにってのは少ないんじゃないか?」
「お前さんの言う通りだ。そういう点では、安心できる。だが一部には、先々代の当時を知ってるのが残ってる。そいつらの誰かが、筆頭に立って行動を起こすんじゃないかってな」
ジョルダーノは告げて手のジョッキを置くと、僕の顔を見るフリをして、もっと背後の方へと視線をやる。
僕へ振り向くなと言わんばかりな視線の先には、確かたむろする船員たちが居るはずだ。
「……その怪しいヤツの、目星はついているのか?」
「ああ。そいつは正直嫌味ったらしいヤツだが、意外とそういった不満を持ちそうな連中からの人望は薄くない。もしそいつらを唆して行動を起こすとしたら、おそらくアイツだろうな」
僕の背後から聞こえる、船員たちの談笑する声。
そこへと注がれるジョルダーノの視線と共に、僕の耳へ一人の人物が発する声が聞こえてきた。
嫌味ったらしい、という彼の表現が適切と思われるような、皮肉めいた言葉。
同じく卓を囲む船員たちへと向けられているであろうそれを耳にし、僕は僅かに眉をひそめた。
「本当にあの人が?」
「そうだ、あいつもかなりの古株で、先々代の当時を知っている」
「確かに気性には難がありそうだけど、だからと言ってそんな行動をするとは……」
「普通に接してりゃそう思うだろうよ。仮に性格を理由に疑ったとしても、普通は思い直すもんだ」
僕の頭へと浮かび、ジョルダーノが肯定したであろう人物。それはこの船でジョルダーノに次ぐ人物、副船長の存在であった。
名を明示してはいないが、口振りからすると彼を指しているので間違いはないだろう。
確かにあの人物はこれまで、僕等やイレーニスへと冷たく接していた。しかしだからと言って、謀反を起こす可能性があるとは飛躍しすぎではないだろうか。
「根拠は? 昔から居るってだけじゃ、理由としては弱い」
「こいつは論理的に説明できるようなもんじゃない、あえて言えば直感だな」
「直感って……、それだけじゃ疑うに足る理由にはならないだろうに」
「ご尤もな話だ。それに長く一緒に過ごしてりゃわかるが、嫌味ではあるが本来そこまでの行動を起こせるようなヤツじゃない。ああ見えてかなりの小心者だからな」
「だったら尚更……」
理由を告げるジョルダーノの言葉は、やはり根拠としては希薄なモノばかりだ。
だが彼は自身の予感に確信を持っているようで、他の船員に聞こえぬようにではあるが、ハッキリとした声で断言する。
「ヤツは先代の頃からずっと、二番手として船を支えてきた。逆に言えば、代替わりの時点で船長に成れなかったとも言える。うちは世襲じゃないんでな、普通ならあのオッサンが指名されていてもおかしくはない」
「ジョルダーノを恨んでいると?」
「俺に対してある程度そういった感情はあるはずだ。……確かにお前さんの言う通り、証拠を示せるような話しじゃないがよ」
ジョルダーノの言う通り、これは根拠として提示できるような代物ではない。あくまでも彼の予感や推測に基づいた話しに過ぎない。
だが彼の眼光は鋭く、自身の抱く考えを疑っているような気配は微塵も感じられなかった。
僕はさり気なくポケットに入れていた小物を床へと落とし、拾うフリをして食堂内を見やる。
そこには副長が他の船員たちと酒を酌み交わしている姿があり、ジョルダーノが言うような、謀反を企てるような気配はこれといって見られない。
「彼の方がずっと年上のはずだけど、どうして船長に指名されなかったんだ?」
「国なんてデカイ存在に逆らっちゃ生きてはいけねえから、俺らは大人しく軍の飼い犬に徹している必要がある。だがヤツは小心者ではあるがかなりの野心家だ、いつ国に牙を向くとも限らない。先代はヤツのそういった気質を見抜いていたんだろうよ」
「ロークラインとかは、いちど反抗した存在を見逃してはくれないだろうな……」
「まったくだ、あのジジイは容赦しないだろうよ。それと一つ根拠を示すとすれば、代替わりの際に、警戒するよう先代からコッソリ忠告されたからな。そいつが一番の根拠と言えば根拠か」
当然のことながら、人心を完全に把握するなど不可能であるし、特にこのような閉鎖空間であれば、不満が膨張することはありえる。些細な理由を切欠として。
だとしてもにわかには信じられない話だ。
しかしジョルダーノは軽薄そうに見えても、これでなかなか船員たちを上手く統率してきた実力がある。
そんな彼には、僕には見えないものがしっかりと映っているのかもしれない。
「どうして知り合って間もない僕にそんな話を? 信頼できそうな部下にでも話せば、事足りるだろうに」
「お前さんは質問ばっかだな。まあいい、理由の一つは船員たちに動揺を広げたくはない点だ。疑心暗鬼を抱いた状態じゃ、航海を続ける上で重大な失敗を招きかねねぇ」
「わからないでもない。二つ目は」
「もしそうなったとしても、お前さんらなら制圧できるだろうと踏んでさ。無事同盟まで辿り着くためには、さっさと事態を収めてくれたほうが助かる」
ジョルダーノは自虐するように息を漏らすと、こちらへと胡乱な視線を向けた。
つまりは体のいい用心棒というわけか。客であるはずの僕等であるが、彼はいつの間にかこちらを戦力と認識している。
もし本当に、船内でそういった騒動が起きてしまった場合に備えての。
「おそらく仕掛けてくるとすれば、王国南端の岬付近の海域を越えた先だ。そこを越えるためには、ある程度の人員が要るからな。疲れてへたり込んでる時を狙うだろうさ」
「まだ完全には信じ切れていないけれど……。とりあえずは了解した、注意だけはしておくよ」
「悪いな。もしオレの思い過ごしだったなら、帰ってから存分に物笑いの種にしてやってくれ」
ジョルダーノはそう言って僕へ新しい酒壷を渡すと、先に仮眠を取ると言って部屋へと戻っていった。
その背からは先ほどまで感じられた、緊張感や焦燥感に似たものは見られない。
あくまでも普段通りな、軽薄さといい加減さが混じりあったものだけだ。
一人残された僕は、ジョルダーノが口にしていた言葉を反芻する。
彼が置いて行った酒を空いたジョッキに移しつつ、エイダへと指示し簡略化した地図を脳へ映し出す。
現在地は大陸の南側、王国の最南端である岬あたりの海域へと、約一日といった距離まで迫っている。
最初に聞いた限り、難所であるそこを越えるためには、船内で謀反を起こしている場合ではないということか。
<案の定、雲行きが怪しくなってきました。やはり私の推測は間違っていなかったのでしょうね>
『僕がトラブルメーカーだって話しか? 少なくとも今回僕に非はないだろう……』
<偶然も重なれば偶然とは言い切れなくなるものですよ>
からかいの言葉を向けるエイダへと苦笑しつつ、僕は椅子の上で身体の力を抜く。
さて、これを皆に話したものだろうかと考えていると、黙ったはずのエイダは再度言葉を発してきた。
<それはともかくとして、本当にあのような人物が謀反など起こすものでしょうか?>
『副長なぁ……。癇癪持ちっていうか、気の弱さを虚勢で隠してるって感じがする』
怪訝そうに告げるエイダの言葉に、同じく疑問を抱く。
確かにジョルダーノの確信めいた予想を考慮に入れたとしても、いまいち納得のいかないものがある。
ああいった人物は決して珍しくはなく、大口を叩いていたとしても大抵は踏み切れないものだ。
もし仮に叛意を抱いていたとしても、実際に行動するようなタイプには思えなかった。
『何にせよ様子を見るとしよう。もし怪しい行動が見られたら、ジョルダーノに報告すればいい』
<了解しました。それとなく音声などの情報を収集しておきます>
エイダへと指示をし、僕は座っていた椅子から立ち上がる。
そこから船員の一人へ残る酒を渡し、休息を摂るべく一人部屋へと戻っていった。




