我が棲家
僕ら四人に与えられた住居はラトリッジ市街の路地裏、その更に奥へと存在した。
確かヘイゼルさんは、現在使われていない民家であると言っていたはずだ。
だが道を行く僕等の目の前に現れた"棲家"、それは想像以上に酷い有様だった。
無人の民家と言うには、些か言葉が大人しすぎるだろう。
いや、些かどころではない。これはれっきとした"廃墟"と言うべき代物だ。
「こいつは……かなり掃除しないとダメだな」
「掃除っていうか、改修工事が必要なんじゃないの?」
「むしろ建て直した方が早いと思います……お金がありませんけど」
建物の中へと踏み込んで唖然とし呟いた僕の言葉に、ケイリーとマーカスはなかなかに的確な返しをしてくれる。
確かに二人の言う通りなのかもしれない。
壁はボロボロで瓦礫同然。床板は所々が腐っており、今にも底が抜けそうだ。
さらに天井近くへと目を向ければ、蜘蛛の巣がそれこそ無数に。
それが現実に可能かは置いておくとして、マーカスの言う通りいっそ建て直した方が早いのではと考えさせられる。
そんな予算など存在しないのだけれども。
「団の仕事も回ってくるだろうし……少しずつ直していくしかないか」
一晩二晩夜露を凌ぐ程度ならばともかく、ここで生活していくとなると流石に厳しい。
とりあえずは予算のかからない範疇で手直しを進め、柱や梁などのどうしても必要な部分は団に請求するしかないようだ。
「幸いにも最低限掃除する道具は用意してくれてるし、今夜寝る部屋だけでも片付けようか」
「そうですね、残りは明日以降少しずつ進めていきましょう」
僕等にあてがわれたのは、意外にも大きな空き家であったため、部屋の数には事欠かない。
ただし湿気や雨漏り、虫によって床板などが木材が蝕まれており、負荷がかかれば崩れかねない代物。
特に二階部分などは、使うという発想すら抱かせぬ程に論外であった。
人ひとりどころではない、猫一匹の体重すら不安にさせる。
<警告。建材の劣化により崩落の危険性があります。速やかに退去してください>
案の定、エイダはなかなかに恐ろしい警告をしてくる。
僕も危険であるというのは同意だし、可能な限りそれを受け入れて移動したいというのが本音だ。
『崩落の危険性はどのくらいだ?』
<今後一切修繕を行わないとした場合、一年以内に崩落する可能性は推定で七%程度と予測されます>
『修繕をしなければか。なら却下だ』
一年以内でその確率ならば、かなり高いとは思う。
だがここは団から支給された家であり、「ボロいから嫌です」などと言えるものではない。
少々恐ろしいが、少しずつ直しながら騙し騙し使っていくしかないか。
気を取り直した僕等は、一階の中でも比較的損傷の少ない一室を見繕い掃除を始めた。
本来であれば、ケイリーのために一部屋用意するのが理想的。
しかし現状使えそうな部屋がここしかないため、しばらく彼女には我慢して貰わねばならないようだ。
「当面は布で仕切ろうか。部屋の修繕が済んだら、そっちに移動してもらうってことで」
「あたしは別にそこまで気にしないんだけど……?」
「ちょっとは気にしてくれよ。こっちは一応健康な男なんだからさ」
ケイリーは自身が特別扱いされるのを嫌っているようだった。
だが彼女には、この点に関してだけは受け入れてもらわなければ。
今は大丈夫だろうが、僕等とてそういった衝動が無い訳ではない。
これから仲間として活動していくことを考えれば、最低限のラインを引いておくのは必要な事だ。
とりあえず手分けして掃除を進めていくが、僕はその最中にそれとなく、これから先仲間となる皆の様子を観察した。
少々失礼かもしれないが、共に戦う前に彼らの人となりを改めて確認したかったのだ。
戦い方だけではなく、こういった行動一つ取っても個人の性格がよく現れる。
「……なによ?」
「いや……掃くのはいいんだけど、ゴミを床の穴に落とすのはやめてくれよ」
「わ、わかってるって! ちょっと楽しようとしただけじゃない……」
ケイリーは半ば怒鳴るような、言い訳にもならぬ言葉で反論する。
ここまでの一年ちょっとで彼女に関しては多少理解してはいたが、ケイリーはなかなかに豪快な性格であると言っていい。
箒を持って掃くのはいいのだが、埃を壁に叩きつけるかのような掃き方をする。
もっと正確に言い表わせば、豪快というよりも大雑把。
これは訓練キャンプにおける戦闘訓練の最中でも同様であり、彼女はよく防御を疎かにして突っ込んでは、教官たちに説教を食らっていた。
戦場に出る頃には、その悪癖が直っていればよいのだが。
「アルフレートさん、床の補修で必要な物なんですが……」
「別に二人と同じように呼び捨てで構わないよ、ここはもうキャンプじゃないんだから。で、どうしたんだ?」
「えっと、これから先も使うとなると、部分的に直すよりは床板一枚丸ごと交換した方がいいと思うんです。そこまで高くなるとは思えないので」
「そうだな。一応明日は自由行動でいいって話だから、材木商にでも当たってみようか」
マーカスは訓練キャンプに居る間は僕と接点がなかったが、ここまでの短い時間でその人となりはある程度把握できた。
彼は一言でいえば、気の利く人だ。
掃除の最中も率先して行動し、僕が道具を探そうとしたらすぐに目的の物を察して差し出してくる。
今は自身に割り振られた役割を終え、ケイリーの掃除を手伝っていた。
頼りになると同時に、中にはそれを疎ましく思う先輩傭兵も居るんじゃないかと心配になる。
性格が純朴そうであるだけに、その点が心配と言えば心配か。
正直もし当人にやる気があるならば、このチームのまとめ役として動いてもらいたいところではある。
最後に、レオニード。
彼に関してはあまり言うことも無い。
気質の全てをわかっているなどと言うつもりはないが、今ではそれなりには理解できてきた。
「これは……どうすればいいんだ?」
「使ったことない? ここの紐を引っ張れば口が開くから、その状態で塵取りとして使うんだよ」
「すまん……知らなかった」
僕が装置の力を借りて、身体能力を強化した状態を除けば、この中で最も戦闘能力が高いのは彼だろう。
若干天然気味なところも見られるし、人付き合いも決して得意ではない。
だが決して冷たい人間という訳でもなく、むしろ密かに感情的な面が垣間見える時もある。
未だに要因の特定には至らぬ謎の怪力と、これまで何度か見て来たあの溺れそうな瞳の色は気になるところではあるが、それ以外は至って普通な口下手なだけの少年と言っていい。
「いいよ。何でも聞いてきなって」
「ああ、ありがとう」
ただ彼に関して、僕とケイリーはこれまで、一つの共通した感想を抱いてきた。
おそらくはマーカスも、今まさに似たような事を思っているのだろう。
僕等は揃って、レオの動作や仕草が気になっていたのだ。
一挙手一投足が目を引くと言っていいのだろうか。
あまり教養のない僕にしても、彼の所作からはある種の洗練されたものを感じ、どこか場違いな空気であると思わずにはいられなかった。
。
ただこれまでは、プライベートな面もあって踏み込んだ事を聞けずにいた。
しかしこれから先一緒にやっていくのだ、抱えた疑問を払拭するというのも、多少なりと必要かもしれない。
「なあ、レオ」
「……どうした?」
「そういえばレオは、どのあたりの生まれなんだ?」
僕の問いかけにレオは瞬間ピクリと反応したかと思うと、手を止めしばし黙りこくった。
視線が下へと落ち、言葉に迷っているようにも見える。
やはり聞いてはならないことだったのだろうか。
彼の流麗な動きからは、何処かで高い水準の教養を身に着けているように思えてならず、どうしてもそれが気にはなっていたのだ。
だがそれは彼にとってあまり触れられたくない事柄であったかもしれない。
「ごめん、あまり話したくないことだったかな。もう聞かないよ」
「そうじゃない。ただ……」
レオは"ただ"と言って再び口を噤むと、少しして気を取り直したように話し始める。
「いや……なんでもない。俺は"王国"の出身だから、あまり詳しく話してもわからないと思う」
彼の言葉に、僕等は揃って手を止める。
それはレオのした返答が、僕等がする想像の斜め上をいっていたからに他ならない。
レオの告げた"王国"というのは、正式な名称を"シャノン聖堂国"と言う。
正確には王国ではないそうなのだが、一人の教皇を頂点に据えた形式を取っていることから、周辺国家からは"王国"という通称で呼ばれている。
他の大陸については知らないが、この大陸には王政の国が存在しないため、この通称でも通用するのだ。
「そっか、それじゃ説明されてもわからないかも。王国は広いらしいからね」
「ああ……」
王国と呼ばれるその国は、大陸中南部から南部一帯にかけてを支配する一大国家だ。
しかし他国との国交は著しく制限されており、人の行き来もほとんどないと聞く。
必然、王国に関する情報はまったくと言っていい程に入ってこず、街の名前などを知る者もまず存在しない。
僕はエイダを通じて衛星から地理情報などを得られるが、それ以上のことは知りようもなかった。
実際僕自身、王国の出身であるとする人物は彼以外に知らない。
「あまり……人には言わないでくれるとありがたい」
「わかった、約束する。このことは決して言い触らしたりしない。二人もそれでいいよな?」
僕の問いかけに、ケイリーとマーカスは揃って頷く。
別に隠そうとしていた訳ではなさそうだが、レオには悪い事を聞いてしまったかもしれない。
謎めいた国である王国から来たとなれば、それだけで十分注目の的となるのは火を見るより明らかだ。
レオも何がしかの事情を抱えて来たのであろうし、僕等がこれ以上とやかく言う筋合いはない。
それに僕等は今ではチームとなっている。
仲間の秘密を守るというのも、また重要な事だろう。
それは傭兵として以前に、人としての問題か。
「さあ、早く掃除を片付けてしまおう。サッサと終わらせないと、すぐに陽が暮れてしまう」
僕は会話によって止まってしまった掃除を再開するべく、大きく声を出す。
レオの出身に関して新たな疑問が生まれたとはいえ、それに対して突っ込んで聞く訳にもいくまい。
むしろあまり意識せぬよう、余所へ意識を向けておく方がいい。
「わかりました。……ところで話は変わるんですが、夕食はどうするんですか?」
マーカスもまた同じく話題を逸らそうとしてくれているようだ。
掃除を進めながら、どこか呑気な雰囲気を纏った声で、この後の食事の心配をする。
「そうだな……また少し歩くようになるけど、ヘイゼルさんの所で食事も出してくれるみたいだから、そこに行こうか」
「えー! でも酒場なんでしょ? あたしお酒あんま飲めないんだけど。それに酒場って大概料理がさ」
ケイリーの強い不満の声。
だが彼女の気持ちも少しは理解できなくはない。
一般的に酒場と言えば、出す食事はあくまでも酒の肴程度。
質や量を求めて行くような場所ではなく、それに関しては僕も同意見であった。
「でもタイミングが合えば、他にも団員の人たちが居るかもしれない。初日に挨拶しておいたほうが、色々と面倒がないと思う」
「ボクもそう思います。後になって挨拶が遅いと言われるのも困りますし……」
マーカスは再び僕へと助け舟を出してくれる。
渋るケイリーの説得には、僕一人の言葉では説得が難しそうだっただけに正直助かる。
「……わかったわよ。レオもそれでいい?」
「ああ、問題ない」
一応は了承したと思われるケイリーの問いに、レオはこれといった逡巡も無く答える。
彼にはそういった抵抗感はないようで、考えるまでもないといった様子だ。
僕はこの場に居ない教官たちへと、密かに感謝の念を送る。
このメンバーであれば、少々のことではトラブルにはなりそうもない。
なによりもマーカスの存在は、間を取り持つのに大きな役割を果たしてくれそうだ。
僕は彼にも少しだけ視線を送って、心の中で感謝の言葉を告げた。




