洋上の小鳥 07
フィズラース群島でカルリオーネ商会を探し当て、同盟までの乗船を依頼してから六日後。
僕等は三日ほどの準備期間を島内で過ごした後で、ようやく船上の人となることができた。
現在はフィズラース群島から南下し、大陸南東部の沖合い四〇kmといったところだろうか。
当然乗るのは、そこまで利用していた豪華な客船ではなく海賊船。
ただ構造そのものは商船と大して変わりはないようで、中は殺風景な木造の船室が並ぶばかり。
海賊船と聞いてイメージするような大砲もなければ、船首に髑髏が描かれたりもしていない。
この惑星においては火薬といった存在がないので、大砲が存在しないのは当然なのだが。
「なぁ、いい加減一杯くらい付き合ってくれてもいいと思うんだがね」
「しつこいぞ。私はお前のように軽薄な男は好かん」
「そりゃねぇぜ。こうやって危険を承知で国許まで送ろうってんだから、少しは愛想よくしてくれてもいいじゃねぇか」
そんな海賊船の乗客となって三日目。
僅かに軋む船内の狭い通路を共に歩くヴィオレッタへと、ジョルダーノは話しかけ酒に誘い続けていた。
その視線に僕が入っているのかいないのか、彼は僕のことなど眼中にないように、ひたすらヴィオレッタへとアピールを行う。
「これこそがお前にとっての仕事だろう? 例え本来のものとは外れた内容であってもな」
「その点に関しちゃ異論はねぇが、少しくらい楽しい思いをさせてもらわなきゃ、割に合わないってもんさ。何も俺の寝室にまでついて来いなんて言いやしねぇよ」
「当たり前だ。だが仮にそうだとしても断る、私はお前たちの気を慰めるために乗っているのではないのだからな」
ここまでの三日、彼女は延々とこの調子でジョルダーノの誘いを断り続けていた。
ただここまで見てきた限りでは、船員たちは海賊という職に対するイメージに反し、以外にも紳士な人たちが多い。
出で立ちも襤褸を纏っているなどということはなく、その風貌は船乗りというよりも、どちらかと言えば商人に近いだろうか。
『表の顔が海運業なんだから、別に不思議でもないか』
<いかにも海賊だと主張する外見をした人間であれば、寄港しても警戒されるでしょう。そう考えれば当然かと>
『気性もそこまで粗っぽくないし、思っていたよりも温厚な人が多いんだよな……』
エイダもまた、彼らの風貌に関しては同意見を示す。
最初に彼らの拠点に行った時に会ったクレイグにしてもそうだ。ガタイはかなり大きなものの、小ざっぱりとした服装と柔和な物腰で、海賊らしさを感じさせなかった。
なので別に誘いに乗っても別に問題はなさそうなのだが、ヴィオレッタ自身が嫌だと言っているのだから、無理に強制もできない。
ジョルダーノもそこをわかっているからこそ、こうやってヘラヘラとした笑いを浮かべながらも、僅かな望みに賭けて強引ではない誘いを続けているのだろう。
その軽薄そうな様相に反し、意外にも真面目な男なのかもしれない。
「俺らも男ばっかりの船旅で、潤いに飢えてんだって」
「そんな誘いに乗ってたまるか。一度許せば明日以降も酒盛りに巻き込まれるのが関の山だ」
どうやらこの男ばかりな船内では、どうしたところで多少の鬱憤は溜まってくるらしい。
その解消を目的として、潤いとして女性であるヴィオレッタに、酒の相手をしてもらいたがっているのだろう。
普段そういったモノの昇華をどうしているのか、多少気になる所ではある。
「まったく、しつこい男だ!」
「俺だってそう簡単に諦められねぇよ。下の連中に約束しちまったんだ、君を酒に誘ってみせるってさ」
「知ったことか。勝手な約束をする方が悪い」
それにしてもなかなかに食い下がらない。
ヴィオレッタは顔だけを見れば、気丈そうには見えるが好意を得やすい容姿をしている。
だがどうにも女性らしい起伏に乏しく、年齢をもっと下に見られる場合が多い。なのであまりこういったアピールをされる機会というのは、それほど多くはないのだが。
あるいはジョルダーノとしてはただ単に、女性であれば誰でもいいのかもしれない。
などと僕が失礼なことを考えていると、ヴィオレッタはいい加減ウンザリしたのだろうか。
ジョルダーノへと振り向き、堂々と断りを続ける理由を言い放った。
「悪いがお前たちの期待には応えられない。私は既に売約済みなのでな」
「本当か? 相手は君たちの中に?」
言い放つヴィオレッタへと、食い下がるように問うジョルダーノ。
そんな彼の様子に満足したのか、ヴィオレッタは一歩横へと移動すると、普段では決してしない優しい力で僕の腕を掴み、そっと自身の身体へと抱き寄せた。
その後彼女は僕の顔を見上げると、これまた決して普段はありえない、穏やかな目元で微笑む。
「これとの仲は私の父も公認でな。誰一人として、私たちの間に入ってくる者を許す気はない」
「なんだ……、相手の男が隣に居るってのに誘っていたのかよ。参ったな、あんたも早く教えてくれりゃいいのに……」
どうにも気味が悪いヴィオレッタの言葉をアッサリと信じたジョルダーノは、ガクリと肩を落とす。
まぁ彼女の言っていることそのものは、別に間違ってはいない。
僕とヴィオレッタが、彼女の父親である団長公認というか、半ば強制的に設定された婚約関係であるというのは事実。
正直自分ですら、時々失念してしまっている事実ではあるのだが。
おそらくは彼女にしても、普段は然程意識をしてはいないだろう。
だがそんなヴィオレッタが、これほどの演技をしてまで断るというのは、よほど酒の席に巻き込まれるのを好ましく思っていない証拠だ。
僕の腕を抱く彼女の激しい動悸を感じられ、それが上手くジョルダーノを騙せるか戦々恐々としている、心境の表れであるようだった。
「理解したならば、今後もう私には構わぬことだ。このような軟弱な見た目の男だが、戦えば思いのほかやるものだぞ」
「わかった、わかったよ。流石に相手のいる女に手を出すほど、修羅場を好んじゃいないからよ」
降参とばかりに手を振るジョルダーノ。
彼はヴィオレッタへと謝罪をすると、チラリとこちらを見て、軽く肩を竦めた。
どうやらヴィオレッタが彼の誘いを断るために、僕を交際相手として設定したのだと気付いてはいるようだ。
いや、別にそれ自体は決して嘘ではないのだけれども。
なんとか誘いを断ったヴィオレッタを伴い、割り振られた部屋へと戻る。
その道すがら、偶然向かう方向が同じであったジョルダーノの隣へと並ぶと、僕はそれとなく先ほど抱えた疑問を問うてみた。
「それにしても、そんな娯楽に飢えた状態で、よく長い航海を耐えられるものですね」
「ま、そこら辺の事情はどんな船乗りでも同じだけどよ、解消の方法は様々さ。一番多いと聞くのは賭け事を解禁するって手段で、うちもそれを採用している。他には専属の娼婦を乗せる船もあれば、場合によっては男がその役割を果たす船もある」
口を衝いた疑問に、ジョルダーノは嬉々として言葉を返し始める。
何となく先ほどの内容が気になり問うてみただけなのだが、彼はそれを自分たちへの関心と捉えたようだ。
返された内容は、ある程度予想の範疇内の内容。閉鎖空間である以上、取れる手段などその程度に限られるだろうか。
だがジョルダーノがした説明に対し、その意味を計りかねているのが一名居たようだ。
「男が役割を果たす、とはどういう意味なのだ?」
僕等がする会話が聞こえていたであろう、前を歩いていたヴィオレッタは足を止め振り返る。
その表情は僅かに顰められ、彼が発した言葉の意味を本気で理解しかねるといった風だ。
「あー……、そりゃ何だ。女が居なくて困るから、代わりに男がそれを受け持つ訳で」
「だから、それがどういう意味かと問うている」
若干しどろもどろとなるジョルダーノへと、ヴィオレッタは追及の矛先を向ける。
彼女はどうやらその意味が本当にわかっていないらしく、先ほどまで敬遠していた相手であるというのに、自身の疑問を解消すべく迫っていた。
若干いい気味だと思わなくもないが、ただ聞いた話をした彼に、このような説明をさせるのも可哀想かもしれない。
僕はヴィオレッタの耳元へと顔を寄せると、その意味を簡潔な言葉で説明する。
すると彼女は一気に顔を赤面させ、僕等二人へと食ってかかった。
「ば……、バカ者! なにを言っているのだお前は!」
「う、うちの船での話しじゃねえからな!」
片や瞬時に顔を赤面させ、片や彼女が想像したであろう内容をすぐさま否定する。
実際女性が居ない場合、男がその代わりを成すとなればどういう意味かなど言うまでもないだろう。
彼ら海賊のみならず、僕等のような傭兵稼業においてもまた、それは然程珍しい話ではなかった。
男所帯となる集団では僅かなりと起こりうる事態であり、こういったモノに対しては比較的寛容な業界であるはずなのだが。
ただヴィオレッタにとってそれは刺激の強い話であったようで、若干の混乱に陥りジョルダーノへと驚愕の視線を送っていた。
逆に彼の立場としては、ここは是非とも勘違いを払拭したいところだろう。
赤面するヴィオレッタと、必死に自身の船は違うと説明をするジョルダーノ。
その二人を苦笑しながら眺めていると、突然エイダから嬉しそうな声が届いてくる。
<実に素晴らしい文化と言えるでしょう。このような逃げ場のない閉鎖空間だからこそ、人は性別を超えたより深い関係性となり、そこに新たなる――>
『たまに口を開いたかと思えばこれか』
突然なにを言い出したかと思えば、最近になって発症したと思われるエイダの悪い癖であった。
オルトノーティでの潜伏中に、僕をやたらと女装させたがったりした彼女は、自身のライブラリ内に存在した古い書籍データの影響を受けてしまったらしい。
一種のコンピュータウイルスにも似た、非常に厄介な代物だ。
『程ほどにしてくれよ。戦っている最中にそんな話でもされたら、気が抜けてしまう』
<ならばいっそのこと、アルもそういった趣味を持てばいいのです。逆に戦意の高揚に役立つやもしれませんよ>
なかなかにパンチの効いた冗談をかましてくれる。
エイダはその後も滔々と語り続け、自身の新たなる趣味についての理解を求め続けた。
僕の気付かぬところで人類の技術は、こうまでも人工知能に人格を与える程の進化を遂げていたようだ。
眼前と頭の中で行われる喧騒に、僕は若干ウンザリとし始める。
エイダはもう若干手遅れな気がしなくもないが、目の前の二人は置いてサッサと部屋に戻ってしまおうかと考え始めた時。
突如として周囲からバタバタと複数の人間が駆ける足音が響き、船内へとにわかに慌ただしい空気が漂い始めた。
その異常に対し、これまで誤解の訂正へと終始していたジョルダーノも、警戒から表情を引き締める。
彼がどうしたことかと状況を確認しようとした時、通路の奥から一人の人物が顔を覗かせた。
「ここに居たか船長。すまないが甲板まで来てくれ」
姿を現したのは、老年の割りには隆々とした身体を持つ海賊であるクレイグだ。
商会の拠点へと交渉に向かった時、最初に対応してくれた彼もまた、この船に乗船する船員の一人であった。
商会における彼の立場は副代表であったが、海賊としての立場では少々下がり、船内では三番手と言える立ち位置であると聞く。
「どうしたクレイグ。慌ただしいな、なにがあった?」
「漂流者だ。少しばかり潮の流れが速いようでな、助けるにしても一人や二人ではどうにもならん。副長も手が離せんようだから、上で指揮を執ってもらいたい」
クレイグは駆け足で近寄り、ジョルダーノへと指示を求める。
どうやら見張りが海を漂っている人間を発見したようで、助け出すための人手が必要とのことであった。
こんな広い海でよく見つけたものだと思うも、今は感心するよりも先に救助が優先。少しでも助けが要るだろうかと思い、僕とヴィオレッタは加勢を申し出る。
しかしジョルダーノは、僕等を海上での動きに不慣れな素人に過ぎないと考えたようだ。
「折角の申し出だが、遠慮させてもらう。気持ちはありがたいんだが、そっちにまで気が回らないかもしれない」
柔和ではあるが、キッパリとしたジョルダーノの言葉。僕は彼が発したそれに対し、二の句を次げなかった。
明確に邪魔であると言われたも同然であり、若干の腹立たしさはある。
だが言われているのは事実。クレイグは海流の速さに言及していたし、海の上を知らぬ自分たちでは、確かに足手まといにしかなるまい。
「そうか……。なら仕方ないな」
「悪いな。だがその代わり、俺ら海賊は奪うばかりが能じゃないってのを見せてやるよ。着いてきな」
ジョルダーノが堂々と言い放つのは、よほど海の上での活動に自信があるせいだろうか。
ならばお手並み拝見だ。僕とヴィオレッタは互いに顔を見合わせると、頷いて彼に続き甲板へと上がっていった。




