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洋上の小鳥 02


 全体を赤茶色をした木材で作られた壁。それに所々へと掛けられた絵画。

 絵画は一部に裸婦を描いた物もあるのだが、比較的海をモチーフとした風景画によって占められているだろうか。

 そしてそれらを柔らかく照らす、植物性の油脂を用いた臭いのない洋灯。


 全体的にシックで落ち着いた基調の廊下を歩きながら向かったのは、緻密な彫刻が施された扉の前。

 その扉を開いて中に入ると、やはり廊下同様に落ち着いた内装の部屋が現れた。

 小振りな卓とサイドチェスト、そしてたった一つだけ据えられた、一人で眠るには少々大きなベッド。個室だ。



「ああ……、堕落する」



 部屋へと入って扉を閉めるなり、僕はその大きなベッドへと飛び込んで、仰向けに寝転がり声を漏らす。

 背に当たるベッドの感触は程良く柔らかで、板の上に藁と布を敷いただけの、簡素な物とは大きく違う。

 沈み込み過ぎないものの包まれるような至福の感触に浸り、意識を手放しかける。

 僕はここ数か月以上、いや記憶に在る限り、これまで人生で経験してこなかった心地よさに溺れようとしていた。



<眠るのは推奨しません。もう暫くすれば食事の時間なのですから>



 横になるベッドの気持ち良さに溺れていると、小さくも甲高いアラームの音と共に、エイダからの忠告が飛ぶ。

 彼女は僕の体調に関する情報を常に計っているため、眠りへと落ちそうになっているのを察したらしい。



「わかってるよ……。でももう少し堪能させてくれてもいいだろう」


<それこそ後からでも出来るでしょうに。何せ出港前の今日を入れて、四日間はここで過ごすのですから>



 抗議の声を上げるも、エイダからは即座に却下が下る。

 その言葉に観念し、名残惜しい気持ちを抱きつつも上体を起こし溜息を衝く。

 確かに彼女の言う通りだ。僕らはこれからの四日ほどを、この船の上で過ごすのだから。




 港町へと到着した僕等が目にした客船。それは想像以上の代物であった。

 スタウラス国東端の港から出る、フィズラース群島行きの航路は幾つか存在するというのを聞いている。

 航路だけでなく船の規格も大小様々で、下は十人も人が乗れば一杯な漁船に近い物から、上は乗員乗客合わせて二百人近くが乗れる大型船まで。

 ロークラインが乗船を手配してくれたのは、その大型客船。しかもとびきり上等な、最高級のサービスを提供してくれる船であった。



「いいんだろうか、こんなに贅沢をして」


<そこは享受してもいいのでは? 報酬の一部として受け取ったのですから>


「それもそうなんだけど、これ以外にも結構な額を貰ったしな……」



 腰かけるベッドの感触を堪能しつつ、エイダへと独り言のように問いかける。

 ロークラインからは、これ以外にもそこそこの金額を受け取っている。それだけに本当にここまでして貰っていいのだろうか、という気がしなくはない。


 臆しながらも船内へと入った僕等を迎えてくれたのは、執事と見紛うばかりな船員たちだった。

 彼らは僕等の荷物を全て代わりに持つと、すかさず部屋へと案内し、全員にウェルカムドリンクを振る舞ってくれた。

 その後は旅の疲れを口にすればマッサージを行おうとしたり、全て無料であるという船内のサービスを案内しようとしたり。

 ともかく至れり尽くせりで、逆にこちらを困惑させる破目となる。


 受け取った金銭に加え、手配してくれた船が想像を超えた豪華客船という待遇。

 カサンドラの口利きがあったとはいえ、あまりにも多い報酬に対し、逆に不信感を抱くのも当然と言えば当然ではないだろうか。



「でも部屋にトイレまではついていないのが残念だ」


<あとは入浴でしょうか。こちらは船の上なので、仕方がないとは思いますが>



 先ほど用を足しに行ったのだが、客室数を確保する必要もあってか、流石にこればかりは共用のを使わなければならなかった。

 細かな点を見れば当然要望はあるが、そこまで言うというのは、余りにも贅沢が過ぎるというものだ。



 僕は重い腰を上げて立ち上がると、部屋の隅に置かれた小壷へと満たされた湯冷ましを手にし、伏せて置かれたカップに入れて一気にあおる。

 水に浮かべられていたと思われる、柑橘の香りが心地よい。



<ですがこの船で助かったのでは? これ程の大きさの船であれば、ビルトーリオも比較的楽に過ごせるかと>


「そうだな、船酔いの恐れは減りそうだ。でも会う度に体調はチェックしてあげてくれ」


<了解しました。彼を無事連れ帰るのは、こちらの義務と言えるでしょうから>



 出港は翌日であり、まだ船は港に停泊中であるというのも一因だろうか。

 おまけに気候が穏やかというのもあって、今のところ船はまったくと言っていい程に揺れを感じなかった。

 出港すればそれなりには揺れると思うが、船体がこの大きさであれば、事前に想像していたほどではないはず。

 体力の落ちているビルトーリオにとって、楽な環境となってくれればよいのだが。



「ともあれ食事だな。早く移動して、出来る限り堪能しようか」


<それがいいでしょう。こんな待遇、滅多に受けれる物ではないのですし>



 出港前ではあるが、前日である今日の夜から食事は供されると聞かされた。

 船上ではあるが、ここは調理場が特別な仕様で作られているため、温かい料理が提供されるとのこと。ならば折角の機会、食べずにいるのは損でしかない。


 カップをサイドテーブルへと置き、扉へと向かい部屋の外へ出る。

 廊下に敷かれた柔らかな絨毯を踏みしめ、隣に在るヴィオレッタの部屋へと向かう。

 軽くノックをして呼ぶと彼女はすぐに出てき、食事に向かう旨を告げるとすぐさま飛びついた。



「ああ、当然行くぞ。船がこれだけ豪勢なのだ、食事も相応の物が出てくるのであろうな!」


「……たぶんね。船の上だし、どの程度の物が出るかは知らないけれど」


「いいや豪勢に決まっている! では行こうではないか。レオとビルトーリオが断ったとしても、私は一人だって行くぞ」



 呼びかけたヴィオレッタは意気揚々と部屋から出ると、さらに隣の部屋に居るレオを呼びに行く。

 余程テンションが高くなっているのか、彼女は乗船前からかなりの上機嫌だ。

 不機嫌で居られるよりはずっと楽でいいのだが、普段のツンケンした態度がないとどこか調子が狂う気がする。



 レオとビルトーリオを迎えに行った僕等は、そのまま食堂へと向かう。

 ビルトーリオに関しては、船の部屋を見てある程度安心したためか、食欲が若干戻っていそうなのが救いだった。


 食堂へと到着した僕等が見たのは、まるで船の一フロアを丸々ぶち抜いたかのような、広々とした食堂室。

 実際にはそのようなことは無いのだろうけれど、感覚としてそう思わせる程の広さ。

 その食堂へ踏み入れると、船に到着した時と同じく執事服の男が現れ、テーブルへと案内してくれる。

 全員が席に着くと早速食前酒が振る舞われ、否応なしに出てくるであろう料理への期待が高まるのを感じさせた。



「ほ、本当に豪華ですね……。自分などはこういった場所で食事をする経験がないもので、どうしたものやら……」



 出された食前酒を舐めていると、ビルトーリオがキョドキョドとした落ち着きのない素振りを見せる。

 彼は手にした食前酒を一気に飲み干すと、一息ついてこの場に圧倒されている自身の心境を吐露した。



「それはここに居る全員がそうですよ。まさかこんな船に乗せて貰えるとは」


「まったくだ。こんな豪勢な報酬を用意してくれた、依頼主さまさまだな。今回私はほとんど何も出来てはいないが」



 ビルトーリオの言葉に苦笑し、僕とヴィオレッタは共に本音を口にする。

 食堂の内装は船内の廊下と同様にシックで、随所に置かれた調度品が豪華さを演出している。

 あまりにも華美が過ぎると嫌らしいが、そのような印象を感じさせないため、注意深く計算されて配置されているのだろうとは思う。

 本当に随分と金がかかっており、本来であれば乗船のために支払わねばならない船賃が気になって仕方ない。



「まさか国から連れ出してもらえた上に、こんな贅沢までできるとは思ってもみなかったもので」


「もしかして、一生安い金で僕等に酷使され続けるとでも考えていましたか?」


「それは当然でしょう、自分は文句を言えるほど強い立場ではないのですから。おまけにここまでの道のりや身体の状態を考えれば、見捨てて置いて行かれるかもと思っていましたし……」



 ビルトーリオもまた苦笑し、カップに注がれていた水を煽る。

 どうやら彼はここまで、いつ見知らぬ土地で放り出されるかも知れないという恐怖と向き合い続けていたらしい。

 そう考えれば、彼には悪いことをしていたのかもしれない。

 ビルトーリオの体調を蝕んでいたストレスの根底に、僕等への不信感が存在していたのだから。



「ここまで連れ回しておいて、流石に置いて行くつもりはありませんよ。それでは余りにも無責任ですから」


「そう……、ですよね。ははは、すみません。変に疑ったりして」


「ですので安心して食べてください。とりあえずはこれからの数日間、大人しくしていれば体調も戻るでしょうし」



 僕がそう告げると彼は安堵の笑みを浮かべ、運ばれてきた二口分程度の野菜で作られた前菜を、あっという間に平らげる。

 完全には不安感を払拭はしていないと思うが、どうやら食事に手が付けられる程度には落ち着けたらしい。



 その食欲を取戻し始めたビルトーリオと、続いて料理に手を付けるレオとヴィオレッタを眺めつつ、僕も前菜に手を付けながら心の内で嘆息する。

 ひとまずビルトーリオには否定したが、彼が言っていた置いて行くという可能性が、常に存在しているのを内心否定できなかったためだ。


 もしも仮に、何か不測の事態に遭遇して危機的な状況に立たされ、誰かを囮にして逃げねばならないとなった場合。僕は迷わずビルトーリオを生贄とするはず。

 彼を無事連れ帰るメリットは確かに存在するが、だとしてもレオとヴィオレッタには変えられない。



「ともあれ、折角の食事を堪能しましょう。丁度次の料理も出てきたところですし」



 僕はビルトーリオへ食事を促すフリをして、自身の思考を振り払う。

 仮定の話を気にしても仕方がない。実際にそういった選択をする必要がないかもしれないし、帰還への目途が立った今ではその恐れも低いのだから。

 今はただ、目の前に置かれた料理や環境を享受すればいい。




「なんだ、食欲がないのか? しょうがないヤツだ、ならば私が代わりに食べてやるとしよう。勿体ないからな」


「って、食べるよ。食べるから!」



 思考の中へと没入していると、ヴィオレッタは僕の皿に置かれた小振りな魚の切り身へとフォークを伸ばし、横からかっ攫っていく。

 このような高級な場所でやる行為とは思えず、半ば呆れを隠しきれない。

 本当にこの娘は、良い所のお嬢さんなのだろうかという疑問が沸々と起る。


 ヴィオレッタとのやり取りを見ていたレオは珍しく薄く笑い、ビルトーリオはにこやかだ。

 時間はかかるだろうが、このまま船を乗り継げば、僕等の地元であるラトリッジに帰り着く日は来る。

 そう考えると頬が緩み、自身の機嫌が良くなるのを感じた。

 それはそれとして、彼女に取られてしまった魚を取り返しにかかる必要はあったが。



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