ハッピーダイス 19
「ようやく終わったか……」
「申し訳ありません。ここまで手伝わせてしまいまして……」
夜間の曇天が嘘のように、カラリとした早朝の涼しい空気が髪を揺らす。
その気持ちが良い空気を全身へと浴び、僕とカサンドラは肺の中の澱んだモノを全て捨て去るように伸びをした。
「いいんですよ。そもそもカサンドラさんを手伝うために、わざわざここまで来たんですから。それにちゃんと報酬は用意されていますし」
「だとしても礼を言わせてください。私一人では、到底何もできず途方に暮れるしかありませんでしたから」
僕の謙遜とちょっとした含みを持たせた言葉に、カサンドラは色々と解放されたような感情を感じさせる、薄い笑みを浮かべた。
実際彼女は、今この時になってようやく本来の役割を果たせたと言えるだろう。
僕等は夜間の内に侵入した屋敷において、与えられた任務をこなし終えたのだから。
「き、キサマら……。ワシにこのような真似をしてタダで済むと思っているのか!!」
「ん?」
そんな任務を終えた清々しい空気に水を差すように、僕の足元からは苦渋に塗れた叫び声が響く。
声に反応して見下ろせば、足元には頭頂部が限りなく薄くなっている、一人の太った老人が。
その老人は贅肉によって埋もれた小さな目を吊り上げ、こちらを射抜かんばかりの形相で憤怒に顔を赤く染めていた。
「今に見ていろ! 明日には息のかかった兵たちが、お前らの息の根を止めるため街中に――」
「やかましい。悪党の分際で口を開くな、鬱陶しい」
そう言って僕はその老人の背を軽く足蹴にして黙らせる。
こいつは背後に立つ巨大な屋敷の主である、件のカジノ経営者兼、この都市における裏社会の顔役と言える人間であった。
つまりはあの被虐趣味であったバカ息子の父親であり、執事服の男を操っていた存在だ。
あのような凶悪な男を動かしていたにしては、随分と拍子抜けするような小物加減に、若干肩透かしを食らったような気にはなる。
だが踏み込んだ先の部屋で、大きなソファーにふんぞり返っていたコイツ以外、人は居なかったので間違いはないのだろう。
その老人は僕が背を蹴ったためだろうか、文句を口にするのを止めて咳込んでいた。
空の向こう、僕が生まれた世界の常識では犯罪者と言えどもこのような扱いは当然ご法度。
だがこの世界においてはそれも関係なく、今はただこのならず者を黙らせ、任務を終えたひと時の心地よさへと身を委ねる。
『とりあえずは、これで万事解決。あとは首都に戻るだけか』
<そうですね。現状受けた依頼に関しては、可能な限り達成し終えたと判断します>
再度伸びをする僕がエイダへと確認すると、彼女もまた同意し与えられた任務の終了を告げる。
共和国へと繋がる情報提供者である、裏社会の親玉はとりあえず捕縛した。
ただ肝心な共和国の諜報員は既に逃げ去った後であったのだが、これ以上は僕にも追いようがない。
後はロークラインに任せるほかはないだろう。
<それにしても……>
『どうした? なにか忘れていることでもあったか』
<いえ、ただカサンドラの態度が予想外であると>
エイダは不意に、どこか不思議そうな声を発する。
いったいなにがあったのかと思いはしたが、どうやらエイダが気になるのは、足元の老人を挟んで立つカサンドラについてのようだ。
カサンドラは立ったまま遠いオルトノーティの街並みを眺め、何やら物思いに耽っている。
『確かにな。正直このおっさんを捕まえた時点で、凶行に奔るくらいは考えていたけれど』
<私もそう予想していました>
『執事の男を自分の手で討ったのはいいが、そいつを操っていたのはコイツだ。こっちにも刃を向けてもおかしくはないはず』
<ですが生かしておく必要性は認識していたのでしょう。彼女は存外冷静であったようです>
僕とエイダは共に、こいつを捕まえた時点でカサンドラが、次なる復讐を成し遂げようとするのではと考えていた。
たぶんそうするのが普通であるし、もし仮に僕が彼女の立場であったなら、おそらく実行に移している。
なので彼女を止める準備だけはしていたのだが、結局それは無用に終わっている。
僕らの予想に反し、今のところ彼女がそういった行動を取る気配はない。
この老人の扱いに関しては、ただ淡々と自身の役割を果たそうとしているようにも見える。
そういった役割に徹することによって、意図して自身の憎悪を押さえようというのかもしれない。
しばし任務を消化した達成感とここまでの疲労から、つい座り込んでしまい時間が経過する。
そうしているうち、徐々に陽射しによって空気は温かくなっていき、直接当たれば少々汗ばみ始める程の陽気となっていった。
「陽も高くなってきましたし、そろそろここを離れましょうか。それに兵士の詰所へ行って、倒れている連中の回収もお願いしないといけない」
「そうですね。コイツを捕まえた以上、兵士たちの行動を遮るモノもないでしょうから」
立ちあがって腰辺りに着いた土を払い、カサンドラへと次の行動を促す。
いったん休んでしまったために、再度動き始めるのは億劫ではあるが、このままダレているわけにもいくまい。
何せカジノと背後の屋敷内では、打ち倒して倒れた護衛やらバカ息子が縛られた状態で転がっているのだ。そいつらを事態の証拠として回収して貰わなくては。
カサンドラが言った通り、兵士たちへと圧力をかけていた存在であるこいつが捕まったことで、彼らの行動を縛る制約は既にないはずだ。
僕はカサンドラから捕まえた老人を縛る縄を受け取り、オルトノーティ市街へ向けて歩を進める。
自身はあくまでも手伝いであるので、帰り着いた後は彼女に任せ、首都クヮリヤードへと撤収する準備を始めればいい。
帰ったら皆の為にも、少しばかり休息でも取ろうかと考える。
しかしそのように考え歩き始めたところで、後ろからついて来るはずのカサンドラがこちらを呼び止めるのに気付く。
振り返って彼女の顔を見やると、少々気恥ずかしそうな面持ちで一心に目を合わせていた。
「あの……。その前によろしいでしょうか?」
「構いませんけど……。どうされたんです?」
「おそらく私は、兵の詰所に行った後は状況の説明を行う為に、別行動を取らねばなりません。もうお会いできないかもしれないので、今のうちに」
とは言うものの、カサンドラは以降なかなか口を開こうとはしない。
何か言い辛い事実でも告げようとしているのか、それとも口にしようとした自身の思考を纏めきれていないのか。
ただどちらにせよ、彼女にとっては重要な言葉であろう。
僕はカサンドラが落ち着いて言葉と出来るタイミングを、何も問わぬまま待ち続けた。
しばしそうしていると、彼女は意を決したのか口を開く。
「私は残念ながら、貴方に感謝の言葉を伝える以外にできることがありません。ここまで手伝ってもらっておいて、見合うだけの謝礼を用意出来ない……」
「そこは気にしなくてもいいんですよ。前にも言いましたが、僕はカサンドラさんの上司から、手伝ってくるよう指示されたんですから」
「だとしてもです。私の想い人を手に掛けた相手を討てたのは、アルフレートさんのおかげ。せめて少しであっても恩を返したい、遠慮などせず私ができることを教えてはくれませんか」
ジッとこちらを見つめ、懇願するように言葉を溢すカサンドラ。
癖っ毛なブロンドの前髪越しに、真っ直ぐ向けられるその視線からは、全てを肯定するといった強い意志が感じられる。
とは言えいったい彼女に何を求めればいいというのだろうか。
彼女が多くの金銭を持っているとは思えないし、それなら首都に戻った時点で、ロークラインにでも請求すれば済むことだ。
何か物品を要求するにしても、やはり金銭と同様の理由で憚られる。
<これはチャンスかもしれません。アルが大人への階段を昇――>
『やかましい、黙ってろ』
カサンドラに気取られぬように心の内で首を捻っていた僕へと、エイダの余計な言葉が向けられる。
つまりはこれに乗じて妙齢の女性であるカサンドラへと、善からぬ欲求を突き付けてしまえばいいと言っているのだ。
だがそのような真似をするわけにもいくまい。彼女は真摯にこちらへと礼をしようとしているのだから。
なにもエイダとて本気で言ったとは思えないが、こちらはそれなりに真剣にどう誤魔化すかを考えているのだから、余計な茶々は遠慮願いたい。
「ハッ! そんなら姉ちゃんのデカいもんで喜ばしてやればいいじゃ――」
「お前も黙ってろ!」
突如として話へ割り込んできた老人の卑猥な言葉に、僕はつい今まで以上の力で蹴りを叩き込む。
まさかこいつまでもが話に入ってくるとは思わなかったので、うっかり加減するのを忘れてしまった。
別に問題はないだろうが。
だが確かにチラ見してみれば、この爺さんが言う通りカサンドラは服に隠れてはいるものの、少々立派な部分があるのかもしれない。
同じ隊に属するヴィオレッタとは、著しく異なる点の一つだ。
「お前も……、ですか?」
「ああ、いや。何でもないんです」
そんな僕の視線に気付いてはいないのか、カサンドラは怪訝そうに呟く。
ついエイダの後に同様の茶々が入れられたせいで、蹴る時にうっかり口を滑らせてしまった。
ただカサンドラも疑問が口を衝いたものの、幸いそれ以上突っ込んではこなかったが。
さてどうしたものやら。
カサンドラへと誤魔化しつつそう考えていると、ふと頭へと一つの案が浮かぶ。
このような内容で彼女が納得してくれるかは定かでないが、他に要求したいものも無いのだから仕方あるまい。
「では謝礼代わりに、一筆書いてもらえませんか。二人の人物宛てで」
「……そのようなことでよろしいので?」
「ええ、十分ですよ。僕としてはその方が都合がいい」
蹴りを入れて気絶した爺さんを原っぱの上へと放りだし、カサンドラを真っ直ぐに見据えて告げる。
今から話す内容は、特別秘匿するようなモノではないが、あまり聞かれて面白いものではない。
それに少々人に聞かれるのが気恥ずかしい内容も含むので、気絶していてくれる方が助かる。
「まず一つは、ロークラインに宛ててです。相当世話になったという理由で、報酬に多少の色を付けてくれるよう頼んでもらえますか?」
「彼が了承してくれるかは保証しかねますが、お安いご用です」
「そのロークラインには色々あって船の手配を頼んでいるのですが、ここまで長く旅を続けて疲れているもので、少しでも良い船室を確保したいんです」
「わかりました、頼んでみましょう。それでもう一人は誰へ……?」
快く了承してくれたカサンドラは、大きく頷き安堵の笑顔を浮かべる。
遠慮などするなと言った手前、それなりに大事を頼まれるとでも考えたのだろうか。
あるいはエイダが冗談交じりで言ったような、下世話な方面の要求をされる可能性が頭をよぎったのかもしれない。
告げた相手が男であるだけに、これは当然なのだろうけれども。
その彼女がもう一人についてを問うと、僕は若干の恥ずかしさに躊躇しつつも、息を整えて告げた。
「次に……。今回共に行動し戦った、相棒に宛てて」
その言葉に、カサンドラは首をかしげた。
実際ここまで彼女と行動する中で、僕の仲間であるレオやヴィオレッタとは接点がなかった。
そういった同行者の存在は匂わせたのだが、今のところ具体的に名を告げたりはしていない。
なので彼女が怪訝そうにするのも当然。
ただ僕が言っているのは、宿で待っているであろう二人に関することではなかった。
「相棒……、ですか?」
「はい。その女性とは短い間でしたが、変装しての潜入やらで愉快な想いをさせてもらいました」
僕が若干冗談めかして口にした言葉に対し、カサンドラは何を言わんとしているのか察したように苦笑する。
ここまで言えば彼女も、その相棒というのが自身を指し示しているのだと理解したようだ。
「なるほど。ではその相棒であるという女性への手紙は、何を記せばいいのでしょう?」
「そうですね……。とりあえずは、無理をせぬようにと」
僕の発する言葉に対し、カサンドラは瞼を半分落としながら無言で聞き入る。
それは他者に対する言葉を聞こうとしているようにも見えるが、ただ自身へのメッセージをしっかりと受け取ろうとしている風にも思えた。
「表に感情を出していないだけで、きっと彼女は傷付いている。だから無理をせずに、必要な時に誰かを頼ってくれればと。余計なお世話でしょうけど」
「……余計だなんて、そんなことはありませんよ。きっと」
言い終えたのを確認するなり、カサンドラはスッとこちらを再度見やり、静かな口調で語る。
視線からは穏やかさが溢れ、彼女が現実を受け入れ始めているのが知れた。
おそらくこれであれば、自棄となることもあるまい。
そんな彼女へと、僕は軽口を叩いてみる。
「だといいんですけどね。これまた余計なお世話でしょうが、早く乗り越えてまた良い人でも見つけてくれれば、僕としても安心なのですが」
「でしたらアルフレートさんなんてどうです? たぶんその人も、貴方と一緒であれば辛い思い出を乗り越えられるかもしれません」
調子づいて叩いてみた軽口であったが、カサンドラから返ってきたのは思いもよらぬ反撃であった。
カサンドラの瞳は僅かに潤み、どこかこれまでとは違う色でこちらの目を見据える。
彼女はこれが、自身に関する内容であると理解していないはずはない。
だとすればこれはいったいどういうことか。僕はその時カサンドラの真意を測りかね、呆気に取られて視線が泳ぐばかりであった。
いや、本当は言わんとすることなどわかってはいるのだが。
「……冗談ですよ。アルフレートさんは、なにかの事情でうちの上司に巻き込まれただけなんでしょう? その人に構っている時間なんてないはずです」
「え、ええ……。あ、いやそんなことは」
「大丈夫。そうやって心配してくれるだけで、その人は持ち直せるはず」
こちらをからかうように、カサンドラはクスリと笑む。
その向けられた笑顔によって、僕は自身が吐いた言葉に対し、次第に恥ずかしさから顔が熱を持ち始めるのを感じてしまう。
一方でカサンドラはと言えば、そんな僕の心境に気付いてしまったようだ。
クスクスと笑みつつも、芝居がかった臭い演技で付き合ってくれていた。
<どうやらこういった話しに関しては、彼女の方が上手であるようで>
『……だな。否定のしようもない』
年の功であるのか、それとも恋愛経験の総量であるのか。
僕は年上の女性であるカサンドラにいいように弄ばれ、手酷いしっぺ返しをくらってしまった。
だがそんな愉快そうにする彼女を見ていると、安堵の気持ちが沸く。
今はまだ彼女の心の底では、失った相棒に関するものを引きずっているはず。だがこの様子であれば、きっと本当に立ち直ってくれるだろうと。
自身ですら照れ笑いとも苦笑いともつかぬ表情を浮かべつつ、僕は笑んだまま空を見上げるカサンドラの姿を眺めた。




