ハッピーダイス 18
戦闘回ぽいものなので苦手な方は読み飛ば…
粗悪なガラス越しに僅かな月明かりのみが差し込む、パーティーホールとも言えそうな広い空間。
どうやって点火するのか問いたくなるような高い天井に、贅を凝らしたと見える大きなシャンデリアが揺れている。
そんな空間で発された、絶叫めいたカサンドラの声によって、執事服の男との戦いは火蓋を切った。
カサンドラは次々と手にしたナイフを放つ。しかしそれらは易々と斬り落とされ、男の前へと転がり床を刺していく。
それも当然か。不意を打って放ったものを防御できるのだから、事前の警告を発して行われた攻撃を防げぬわけがない。
「なんだテメェ! たったこんだけかよ!」
男は甲高い声で、手持ちのナイフを鋭く投げつけるカサンドラへ挑発をし、床を蹴って接近。
手にした短剣を縦へ横へと振り回し、カサンドラへと攻撃を仕掛けた。
だが男の加虐的な嗜好が関係しているのだろうか。
決して一撃で仕留めようとはせず、からかうように僅かに当たるかどうかといった距離を刃が掠める。
その攻撃を後方へと飛び退りながら、彼女は上着に仕込んである投擲ナイフを投げ反撃を試みた。
「黙れっ! その減らず口、貴様を討った後で縫い付けてやる」
「やれるもんならやってみなよぉ、お嬢ちゃぁぁぁん」
恫喝めいた言葉で、男へと怒気を返すカサンドラ。
彼女は横へとステップを踏みながら、対象との角度を変えつつ攻撃を繰り返す。
一見すれば、カサンドラが押しているようだ。だがその実として彼女の攻撃は有効打足り得なく、その不利は疑いようがなかった。
カサンドラからは最初に攻撃を行った後、この階全体に響き渡るような声で、手出し無用と叫ばれている。
そういった理由も含め今のところ、僕は少しだけ後ろでその姿を眺めるばかりだ。
勿論いざとなったらすぐ交代するつもりでいるし、サポートを行える準備をしている。
それでもやはり彼女の心情を思えば、自身の手で討たせたいというのが本音ではあった。
「そ~ろそろ武器が尽きる頃じゃねぇのか。そしたらどぅすんだぁ? 今度はこっちまでこの玩具を拾いにくんのかよ」
男はカサンドラの武器が残り僅かとなりつつあるのを察していたようで、挑発的な言葉を投げかける。
肯定するのは癪ではあるが、確かにカサンドラが投げるナイフも見る限り、もう残り本数が僅かとなっている。
だからこそ、このように余裕綽々の態度を崩さぬのだろう。
このままではいずれカサンドラは攻撃の手段を無くし、逆に防戦一方へ回るのは必至。
しかしそれでもさして焦りを覚えていないのだろうか。
彼女は再びその表情を静め、残り少ない小振りなナイフを投げつけつつも、徐々に壁際へと移動を行う。
『なにをする気だ……?』
<現状有効になり得る手段があるとは思えませんが。彼女の力量では、遠距離から攻撃する以外には戦いようがないのでは>
僕とエイダが観察を続けつつも疑問を浮かべていると、カサンドラは着ていた上着を脱ぎ去りる。
腰には幅広の短剣が一本と幾つかの小道具が差してあり、手には最後の一本となっている投擲用のナイフ。
それを投げつけるも、当然のように易々と防がれ、数十本も隠し持っていた投擲武器の全てを失ってしまう。
壁へと追い詰められているようにも見える位置で、カサンドラは空間の中央へと立つ男と対峙し睨み合う。
しかしまだ手段はあるとばかりに、腰へと下げていた小さな筒を数本掴むと、男へと思い切り投げつける。
「……なんだ? これは」
床へと落下した筒は、落ちた瞬間に割れ中身を撒き散らす。
その散った液体らしき物を怪訝そうに眺め、男は足下に広がるそれを靴の底で払う。
直後、今まさに撒いた代物から発せられたのか、こちらにまでとどく異臭。
自身が知る物とは大きく異なるが、おそらくは酒の類だ。それもかなり高濃度に蒸留を繰り返した物に違いない。
「テメェ、酒でも振る舞ってくれようってぇのか?」
「似たようなものです。お世辞にも上等とは言えぬ酒だが、貴様程度の輩にはそれでも十分に過ぎるでしょう?」
「っクソが。上等だアマ……!」
挑発をしたつもりであったのだろうが、カサンドラはそれにさしたる反応すらせず、逆に嘲笑し返す。
それが男には不愉快であったのか、頬をひきつらせ手にした短剣を向けて一歩踏み出した。
その男へと、カサンドラは腰に下げていた小道具のうち一つを取り出して向けた。
取り出したそれは武器でもなければ、先ほど投げつけた液体の入れられた物とも異なる。
小さな金属製の棒が二本。僕も時折見かけるそれは、火打ち石の代わりとして用いられる、着火器具の類であった。
「なんだクソアマ。俺を焼き殺そうって腹かよ」
「まさか。この程度の火力でどうこう出来るほど、楽観的ではないつもりだ」
そう言ってカサンドラは、着火器具で予め先ほどの液体を染み込ませていたであろう布を手にして点火すると、それを男へと向け放る。
当然のように火は床に散るアルコールへと引火し、男の足元を赤く染めた。
男の靴にも液体は付着しているが、その前に数歩下がって移動したせいで、火は這い伝うこともなく、ただその場で燃え盛り始めるのみであった。
僅かな月明かりが存在するとは言え、未だ夜闇の中に在って室内は暗い。
その暗闇の中で燃える炎は煌々とし、視界を得るには十分なだけの光量を放つ。
「覚悟しろ……っ!」
カサンドラは壁へと掛けられていた一本の短槍を外し、姿勢を低く保って叫びつつ床を蹴って男へと接近を図る。
彼女がこれまで見せた戦闘は、主に投擲ナイフを用いてのもの。
見てきた限りそれの技量は高く、僕の知る限りかなりの修練を積んだ、卓越したと言ってもいい能力だ。
だがあくまでもそれは遠距離で戦うからこその優位性であり、自ら接近してはそれも失われる。
『なにを考えているんだ? あれだけではどうにもならないだろうに』
<このままではいい的になるのが精々でしょう>
動揺を誘うには、床に撒いた炎だけでは弱すぎる。
カジノで相手にしてきた連中とは異なり、眼前に立つ男は相応の経験を積んだ相手なのだ。
どうしてこのような選択をと思っていると、カサンドラの動きに少々おかしなものが混ざり始めたのに気付く。
彼女はつんのめるような、限りなく低い体勢で駆ける最中、突如として動きを停止。
そのまま上体を起き上げるなり、手にした短槍を振りかぶって勢いよく投げつけたのだ。
突進するように見えた動きはフェイク。
彼女の目的は、やはり遠距離からの攻撃であったということか。
しかし、たったそれだけで欺けるほど、あいつが生易しい相手であるとは到底思えない。
『ダメだ、また防がれるだけぞ!』
<肯定します。おそらくは牽制するのがせいぜいと言ったところでしょうか>
より小さく目視がし辛い投擲ナイフですら、何本と放っても全て防がれたのだ。
重量と威力があるにしても、より大きく飛ぶ速度の遅い短槍であれば、効果の程は言うまでもない。
ただ実際には、敵に防がれる云々という以前の話だったのだろうか。
投げた槍は回転しながら飛んで行くも、その方向は男ではなく遥か上空。
手からすっぽ抜けたようにも見える槍は、急角度の放物線を描くようにして、天井へと向かっていた。
「おいおいクソアマ、どこに投げてんだよ。遂にヤケんなっちまったか?」
カサンドラの放った槍の軌跡を目で追う男は、愉快そうにもつまらなそうにも見える表情を浮かべる。
なにかの策を弄しているとは予測していたのだろうが、その結果がこれであったことに、落胆や失笑を禁じ得ないのかもしれない。
しかし僕も槍が飛ぶのを見るにつれ、やはり彼女はこのような状態であっても、存外冷静であるのだと思えていた。
力み過ぎた手から抜け飛んだように見える槍。それが正確に、一点を目指していると気付いたからだ。
『上手いもんだな。近距離での戦闘は苦手らしいけど、あれだけ出来れば上等だ』
<一芸は身を助けるということですね>
感心と共に見上げる視線の先を飛ぶ槍は、高い天井の中央。そこへと吊り下げられた、巨大なシャンデリアの根元へと向かう。
それは到達すると同時に、天井と繋ぐ鎖の間へと突き刺さる。
本来丈夫であるはずのそれだが、やはり巨大なシャンデリアの重量に加え、金属の疲労や寸分の狂いもなく当てられた槍によるダメージのせいだろうか。
ギチリという金属の裂ける音とともに、その重量を支えきれず落下を始めていく。
「……あぁ? 小細工ばっかしやがってよぉ」
しかしそのようなカサンドラの行為も大した意味はないとばかりに、男は舌打ちしつつも余裕の笑みを浮かべた。
いくら足下に燃える火があるとはいえ、落下してくるのがわかりきっている代物だ。
それにシャンデリアの位置は、真上ではなく僅かに離れた位置。それがわかっているためか、男はその場から動こうとすらしない。
落下すると共に、床が抜けそうな轟音を響かせ砕けるシャンデリア。
当然真下に立っていなかった男は、直撃を免れその身体は無傷。だが僕はカサンドラが狙わんとしているのが、直接的なダメージではないと気付いていた。
「っなんだコイツは!?」
ようやく驚きらしき声を上げる執事服の男。
そいつの周囲には、無数の半透明な欠片が宙を舞い、視界を奪うかのように散らばる。
それは落下したシャンデリアを構成する素材、大量のガラスであった。
僕が生まれた文明とは比べようがなくとも、この惑星にもガラスの類に関する製造技術は存在する。
ただそれらは基本的には非常に高価であり、一般の市民が目にすることはあっても、まず手には届かない品であった。
遥か彼方同盟の地に在るラトリッジでも、僕が知る限り団長の自宅や一部の高級住宅でしかお目にかかれない。
だがその高価なガラスが、贅沢にもこの屋敷ではふんだんに使用されている。それは窓然り、男のすぐ正面へと落下したシャンデリア然りだ。
『おまけに製造の技術が未発達なせいで、透明な色が上手く作れない。だからこそ、余計に効果的だ』
<最初から狙っていたのでしょうか?>
『おそらくな。流石にガラスの色までは頭に入ってなかったとは思うけれど』
弱い月明かりしか入らぬ暗さ。その暗さに慣れた目と、そこに煌々と発するアルコールが燃える炎。
加えて光を乱反射する、割れた無数の色付きガラス。
これらが合わさり、宙を舞うガラスに反射された炎の明りは、結果男の視界を著しく奪う破目となっていた。
そしてきっと、彼女はこの好機を逃しはすまい。
「うあぁぁぁあああああ!!」
雄叫びを上げ、腰に差した短剣を手に携えて駆ける。
その最中も思考を続け、素直に真正面から向かう事などせず、角度を変え斜めから突っ込んでいく。
舞い上がったガラス片が落下し終えるまでの、極僅かな時間を逃すまいと。
これは腕力や体力に劣るカサンドラが取れる、最も効果的であると判断したであろう行動。
必死に短い時間で選択したと思われるそれは、相応の成果を得られたようで、男は彼女を見失っているようにも見える。
ガラスの破片が自身を傷付けるのも厭わず突っ切らんとするその姿は、憎悪と決意が入り混じった力強さを感じさせた。
鮮血。
舞うガラスによって受けたカサンドラの血と、彼女が握る短剣が抉った男の血。
それら二つが飛び散り、火の色がより色濃くなったようにも感じる。
カサンドラが刺突した短剣の一撃は、男の腹部へと突き刺さっていた。
しかしそれは腹の端に近い部分であり、おそらく内臓までは達していない。致命傷にはほど遠いはずだ。
「……浅せぇぞお嬢ちゃんよぉ!」
痛みに苦悶の表情すら浮かべることなく、男はカサンドラが短剣を持つ手首を握る。
握った手を捻り上げて武器を手放させると、そのまま引き寄せて逆の手で髪を掴み持ち上げた。
「方法は悪くはねぇが、ちいっとばかし力が足りないんじゃねぇか?」
「くっ!」
「こちとら経験の量ってやつが違うんだよ!」
目元をいっそう狂気に歪め、いっそうカサンドラの顔へと寄せる。
新しい玩具でも手に入れたと言わんばかりに、ニタニタとした笑みで、粘り気のある言葉が男の口を衝く。
「今からゆっくりいたぶってやっからよ、マトモに喋れる前になんか言い残すこたぁねぇか」
男はこれから彼女に行おうという、責め苦の数々を想像しているのか、恍惚に顔を上気させていた。
言動からわかってはいたことだが、相当の変質趣味の持ち主であるようだ。
そんな男の問いに対し、カサンドラは痛みを噛み殺しつつも、ハッキリとした声で告げる。
「すみません、やはりダメでした。……お願いします」
「あぁ?」
彼女が発した言葉の意味を、男は理解していない。
カサンドラの言葉が、自身に向けられたものではないということを。
ついでに言えば、非常に不愉快極まりないことではあるが、こいつはカサンドラとのお遊びに夢中で、僕の存在を完全に失念していたようだった。
「上出来ですよ。思っていたよりもずっと」
カサンドラの髪を掴み吊り上げる男の背後。そこから突如として発された声は、当然ながら僕のモノだ。
その声に反応し後ろを振り向くと同時に、男の肩口へ向けて短剣を振り下ろす。
もぐり込んだ刃は幾ばくかの抵抗を経て抜け、カサンドラを掴んでいた方の腕を斬り飛ばす。
失った自身の腕が存在した場所を、悲鳴すらなく呆気に取られ眺める男。
その男から離れたカサンドラは、呆とする間に取り落とした短剣をすかさず拾い上げると、男の喉元を貫いた。
幅広の刃に気道を塞がれ、声を出すのすらままならぬ執事服の男。
そいつの見開かれた目が白く反転し、無数のガラスが散乱する床へと崩れ落ちていった。
滔々と流れ出る血液が床を這い、未だ所々に燻る炎と混ざっていく。
「ようやく黙ったか……。声を聞いているだけで頭の痛くなるヤツだな」
いくら制されていたとはいえ、カサンドラが傷付けられるのをただ眺めているはずもないであろうに。
男は興奮から彼女しか見えていなかったのか、それとも僕など端から相手にしていなかったのか。
今ではそれも聞きようはないが、何にせよ不愉快極まる。
「……すみません、結局手助けしていただいて」
「別に構いませんよ、元々そういう役割ですし。それに止めを刺したのはカサンドラさん自身ですから」
ガラスによって傷だらけとなったカサンドラは、直立の後深く頭を下げる。
実のところ、ここへと至る道中でカサンドラとは話をしていたのだ。
彼女の相棒を手に掛けた輩が目の前に現れた場合、極力一人でなんとかして仇討ちをしたい。いざという時までは、自身に任せてもらいたいと。
最初に叫んだ、あいつを自身の手で殺すから手を出すなという言葉。あれは実のところただのブラフであった。
仇として討つというからには、ただ倒すのではなく、その命を奪うという意味に他ならない。
立場上私怨に駆られて行動するのもどうかとは思うが、僕はその願いを受け入れいていた。
床に転がる執事服の男の人間性から考えれば、捕まえたところで碌に証言も得られはしないだろうし。
「それよりも、まだ終わっていませんよ。最後の仕上げが残っていますから」
「そうですね……。行きましょう」
僕の言葉に頷き視線を先へと向けるカサンドラ。
そこにはまだ一枚の大きな扉が存在し、先には足元のこいつを動かしていた親玉が居るはず。
ようやく果たした復讐の余韻を早々に捨て去り、先へと向かうことにしたようだ。
既にそこへ居たのは復讐に燃える人物ではなく、自身の役割を果たそうとする諜報員としての姿をしたカサンドラであった。




