ハッピーダイス 17
屋敷内を進む僕等二人は、途中に在る部屋を確認しながら階段を見つける度に上がっていき、二階三階と上を目指す。
ただその構造は面倒なことこの上なく、そのルートは例えるならつづら折りのようだ。
具体的には屋敷の端にある階段を上がる度、今度はまた屋敷の反対側まで移動しなければならず、そうでなければ上へと続く階段が存在しないのだ。
ここの住人であるカジノの経営者は、いったん上に上ったらなかなか降りてこないはず。
このような構造では、外へ出るのも一苦労だ。
「大丈夫ですか?」
「は、はい。問題は有りません」
五階へと上がるための階段を前にして、僕は後ろを歩くカサンドラへと振り返り問う。
ここまでの道中、幾度か隠れ潜んでいた黒装束たちに襲撃され、彼女も二度ほど戦闘に加わった。
カサンドラ自身本来であればこの程度でバテてしまうほど、生易しい鍛え方はしていないようだが、何せ僕とは異なり視界の効かぬ中でのものだ。
疲労は重く積み重なっていることなど想像に難くなく、思いもかけぬタイミングで膝を折ってしまう恐れがあった。
「とりあえず、少しだけ休みましょうか」
「……いえ、まだ動けます。私はほとんど戦っていないのですから」
「確かに早く終えるに越したことはないですが、休める時に休息は摂っておかないと。今は良くても、後で足枷になりかねない」
カサンドラには悪いが、ここは手厳しい言葉を使わせてもらう。
実際に彼女が動けなくなれば、僕は一人分余計に庇いながら戦う破目となってしまうのだ。
そのためにも、今のうちに多少なりと休まなくてはならない。
ただ彼女に休憩を促したのは、僕自身がエイダの補助や装備の力を借り、人よりも楽をしていることに対する申し訳なさも多分に含まれているのだけれど。
「……わかりました」
「すみません。では少しだけ休憩しましょう、座ることはできませんが」
あえてキツめな言葉で告げたせいもあるだろうか、カサンドラは俯き加減となりつつも、ポツリと呟くように了承をする。
壁へともたれかかり、カサンドラは息を落ち着けながら身体の力を抜く。
その彼女へと、僕は懐から取り出した小さな焼き菓子を半分に分け渡した。
自身は分けたもう半分を口へと運び、固いそれを少しずつ齧って溶かしていくと、極端に砂糖を使った焼き菓子の脳を焼くような甘さが染み渡る。
カサンドラを見れば、彼女も口へと焼き菓子を放り込み、暗がりを見つめながら静かに咀嚼していた。
ただ彼女はそこまで気にするほどの味ではないと感じているのか、顔をしかめるような素振りはみせない。
あるいはただ単純に、疲労からそれどころではないのだろうか。
『甘さがキツ過ぎる。濃いめに淹れた香茶でもないと、食べきれないぞこれは……』
<文句を言わず、必ず全て摂取してください。疲労状態での補給を行うのは、長時間の行動に必要不可欠です>
半分まで食べ進めた僕は、手に残る僅かな菓子の欠片を見つつぼやく。
しかしエイダはそれを許してはくれず、無理にでも食べさせようと促していた。
このような状況で間食などをとは思うが、これもまた確かに必要な物だ。
エイダの言うように、こういった最中だからこそ、最低限速攻性のある栄養を摂取する必要性がある。
この暴力的な甘さはどうにか改善できないかとは思うのだが、他に良さそうな品がないのだから仕方がない。
『わかったって……。ところで、あとどれだけ上ればいいんだ? 外に居た時は暗かったせいで、上の方が見えなかったけれど』
<一応は七階建てになります。この惑星には珍しい、かなりの高層建築ですね。首都クヮリヤードと比較すれば、然程ではありませんが>
上へと続く階段を眺めつつ、あとどれだけ進めばいいのかと思い質問をぶつける。
どうやら想像していたよりもずっと高い建物であるようで、ここまで上がってくるのに難儀したのも納得だ。
ただエイダの言葉によると、どうやらもう少しで最上階へと辿り着くようだ。なのでもうひと踏ん張りといったところか。
そこから二分ほど立ったままで休息を摂った僕は、口の中へと張り付く糖分に辟易し、懐から取り出した小さな水筒の中身を煽る。
入れられた水を口に含むと、殴りつけるような甘さはそれなりには洗い流され、ようやく人心地着けた。
水筒の残りをカサンドラへと渡すと、彼女も一口二口と含み気持ちを整える。
「行きましょうか。おそらくもう少しで最上階です」
「はいっ!」
小声ではありながらも、ハッキリとしたカサンドラの返事。この休憩によって多少ではあるが、彼女は気力を回復させたようだ。
その返事を確認し、僕は頷き再び武器を構えつつ上へ目指して一歩ずつ階段を上り始めた。
▽
最上階である屋敷の地上七階へ。
他よりも若干長く感じられる階段を昇り終えた僕等は、眼前に伸びる光景に呆れを禁じ得なかった。
辿り着いたその最上階は、他の階とは異なりこれといった部屋もなく、一つのフロアを丸々ぶち抜いたような構造をしている。
そこの壁に据えられた窓と窓の間には、随所に絵画や武器が掛けられていた。
しかも絵画の題材は揃って、人の首を落とした処刑の光景であったり、人を火炙りにするというような、一目見て気持ちが晴れやかになるとは言い難い類の代物だ。
「なんて趣味の悪い……」
「ほ、本当ですね……。おどろおどろしいと言いますか、不気味と言いますか」
「あの拷問器具、やっぱりただの趣味だったんじゃないか……?」
僕とカサンドラは共に、掛けられた装飾のあまりな悪趣味さに辟易しつつも、ゆっくりと広い空間を進む。
視線の彼方、屋敷の間反対に近い位置には、壁と共に一つの大きな扉が。
おそらくはそこがこの屋敷の主人が使う居室であり、僕等が確保しなければならない相手が居る場所に違いあるまい。
所々に点在する物陰などに注意しつつ進んでいくと、ふとある地点で足が止まる。
エイダがなにがしかの警告を発した訳ではない。それにカサンドラから声をかけられた訳でもない。
それでも無意識に歩を止めたのは、ひとえに自身の直感と言えるものが警鐘を発したからであった。
<なにかありましたか?>
『ああ……。悪いんだがちょっと、前方をスキャンしてくれないか』
<了解しました。――完了。右前方一三mに、心拍の反応を感知。一体です>
予感に従って正解であったようで、待ち伏せをされていたようだ。
奴さんはかなり上手く潜んでいるみたいだが、あえてこのように立ち止まって確認すれば探知は十分に可能。
僕は自身の直感へと密かな満足感を得ると同時に、待ち伏せする存在に対して臨戦態勢を整えた。
「敵ですか?」
「ええ。後ろへ下がって」
そんな僕の動きに反応し、カサンドラもまた武器を持ち直して警戒を露わとする。
直後に前方を睨みつつ、僕が告げるよりも先に数歩後ろへと下がるあたり、随分と慣れてきたようだ。
外も徐々に晴れてきたのか、下の階を歩いていた時とは異なり、窓からは月明かりが差し込み廊下を明るく照らしつつある。
そこで警戒しつつ指定された一点を凝視していると、迎え撃とうとする側も身を隠すのを諦めたようだ。
スッと柱の影から姿を現し、直立不動の体勢で月明かりの当たる窓際へと移動した。
「いやはや、まさかお気づきになられるとは思ってもみませんで」
月明かりの下へと歩み出たのは、一人の男であった。
細身で白髪交じりな壮年のそいつは、柔らかな調子で口を開く。
格好は黒いジャケットに同じく黒のパンツ。そして白いシャツに加え、首元には結ばれた小振りなタイ。
「……執事?」
最上階へと来た僕等を待ち伏せていた存在。それは見た目からして、明らかに執事然とした格好の人物。
こんな場所で、しかも敵からすれば明らかな非常事態であるのを考えれば、この場に立っているのが似つかわしくはない。
しかしあれだけ上手く気配を隠して待ち伏せしていたのだ。ただの執事ということはないだろう。
「ご明察通り、私は当家の執事を任されておりまして。折角のご来訪で恐縮ですが、ご当主にお会いされる場合は、まず私を通していただかなければなりません」
「勿体ぶった言葉は要らない。つまりはあんたも護衛の一人で、這いつくばらせないと、奥には進めないってことだろう?」
一見して物腰柔らかな執事ではあるが、その声からは妙な迫力を感じる。
そんな執事に僕は挑発めいた言葉を投げかけると、予想していた以上にアッサリとその本性を曝け出す。
執事の男はこちらの言葉を聞き終えるなり、口元をニヤリと歪め、ケタケタと笑い声を上げ始めた。
「まあそういうこった、クソガキにしちゃ察しが良いじゃねぇか。国が差し向けてくるだけはあらぁな!」
ここまで丁寧であった口調は一変し、壮年の執事はガラの悪い言葉を放つ。
これまで薄く開けられていた目尻と、口の端は吊り上がる。
下劣とも言える愉快そうな表情と言葉使いは、男が纏う格好や歳とあまりにもチグハグで、一種の異様さすら感じさせた。
それにどうやらこいつは、僕等が国の命によって派遣された人間であると理解している。
いったいどこからか情報を仕入れたのかと思いはするも、おそらくは状況から推測をした結果なのだろう。
口調から感じる印象よりも、存外冷静な思考を持ち合わせているのかもしれない。
年齢にしては随分と下品なその男は、僕から視線を移動しカサンドラへと向ける。
すると舌なめずりをしつつ彼女を指をさし、笑い声を上げながら言い放つ。
「どうせそこの女もあの野郎と同じ、国の小間使いだろうが。懲りねぇ連中だなオイ!」
愉快そうに笑う執事に、不快さから自身の表情が歪む。
しかしその不快さと同時に、僕はこいつが発した言葉に気になる部分を感じていた。
それはカサンドラも同様であったのか、二歩三歩と前に出て僕の隣に立つと、強張った表情で口を開いた。
「野郎……、ですって?」
「ああ? テメェも少し前にぶっ殺した男の同業じゃねぇのか? どうせあの野郎も国が使ってる、間者かなんかだったんだろうがよ!?」
下品な男の物言いに、目を見開くカサンドラ。
その瞬間僕とカサンドラは察したのだ。彼女の相棒であった人物を殺した輩、それが目の前に立つ執事の格好をした男であるのだと。
実際に手を下したのが、親玉の側近であるというのは聞いている。
だがよもやこのような、下劣極まりない執事であったとは思いもしなかった。
僕は一瞬の困惑を経て、焦りと共にカサンドラを見やる。彼女の感情が爆発し、いきなり敵へ突っ込んでいく可能性を考えたためだ。
しかしカサンドラは思いのほか冷静であるのか、直立したままで投擲ナイフを持つ手をダラリと下げ、ジッと遠い目で男を見つめ続けていた。
「なるほどな……、貴様だったのか。あの人の命を奪ったのは」
平静な、抑揚もなく落ち着いた声。
波の立たぬ凪を感じさせるその声は、感情の色を失ったかのようだ。
「なんだ、テメェの男だったのかよ。あの野郎には思いのほか楽しませてもらえたぜぇ。他の奴ならアッサリ死んぢまうってのに、アイツは倍以上も耐えやがった!」
「随分と酷い拷問を行ったようだが、あれはお前の趣味か?」
「そうさぁ。うちのボスはああいうのに理解があるもんでよ、餌をくれる度に楽しませてもらってんだ」
男が告げる内容は酷く醜悪で、先ほどから酷く神経を逆撫でする。
だがやはりカサンドラの感情に変化は見えず、ただ淡々と質問をし続けていた。
発言からすると、この男と雇い主である主人は極端な加虐思考の持ち主であるようだ。
このフロアに飾られている絵を見れば、それも納得だが。
息子は引くほどの被虐趣味であったというのに、こうまで真逆とは。
「なぁ、テメェも楽しませてくれんだろうな?」
「そうだな……、もし私が倒れたならば好きにするといい。倒れたならばだが」
「言われなくてもそうさせてもらわぁな。まず爪を一枚ずつ剥いで、しっかり悲鳴を聞かせてもら――」
甲高い耳障りな笑いを上げる男は、カサンドラが告げる言葉へと愉快そうに反応し、己の煩悩を吐露していく。
しかし恍惚の表情でそれを述べている途中で、不意にその言葉は中断された。
ガキン。突如として広い空間へと鳴り響いた音は、金属同士がぶつかり合う鈍くも高い音。
直後に横を向けば、カサンドラの片腕は前へと伸ばされ、その手に握られていた投擲ナイフは姿を消していた。
「おいおい、あんまりじゃねぇか。予告も無しに投げるなんざ危ねぇヤツだ」
「貴様に言われる筋合いはない」
いつの間にやらカサンドラはその手に持っていたナイフを投げつけ、男へと攻撃を仕掛けていたのだ。
ただ刃は男へと届く前に、ヤツの手に持たれた一本の短剣によって弾かれてしまったらしい。
彼女の声は変わらず平静で、今まさにした行動とは大きく乖離している。
だがその時僕は、ふと自身のしていた勘違いに気付いた。
彼女は男がした挑発とも知れぬ言動に、感情を動かされていなかった訳でもなければ、ひたすら堪えていたのでもなかったのだと。
<怒髪天を衝く、あるいは堪忍袋の緒が着れた、と言う表現でいいのでしょうか?>
『……おそらくな。完全にキレてるな、これは』
エイダもまた、僕と同様の見解を抱く。
どうやら彼女はそのあまりにも激しすぎる感情によって、適切に表へと出せなかっただけに過ぎなかったようだ。
だがナイフを投げつけたことによって、ようやくその心情を口にできるようにはなったらしい。
カサンドラは男を睨みつけるなり、空気が激しく震えるのを感じさせる、大きな声で叫んだ。
「貴様は私が殺すっ!!」
叫ぶなりその上着を跳ね上げ、上着の下に下げられていた武器を月明かりに晒す。
それらを手に取るなり、彼女はグッと姿勢を落とすと、両の手に持った数本のナイフを全力で男へ向けて投擲した。




