鉄の一歩
約三分の一に当たる五人。
それが僕等訓練生の中で、人として真っ当な神経を持ち合わせた者たちの人数だった。
残る三分の二、総勢九人。
これらが今の時点で訓練生という立場から脱し、イェルド傭兵団所属の団員という称号を得ることとなる。
つまり、人らしい心を一時封印し、悪夢とも言える卒業試験に合格した者たちだ。
「仕方がなかったんだ。僕等はこれ以外に道はない」
先程まで漏らしていた嗚咽も収まり、今はただ俯くケイリーへと、慰めにもならぬ言葉をかける。
彼女もまた、僕と同じく三分の二に入り込んだ一員だった。
再び乗り込んだ鳥車には、卒業試験をパスした全員が乗り込んでいる。
行きにあったもう一台の鳥車には、最終試験で不合格となった正常な少年たちが乗せられ、元の訓練キャンプへと移動するため帰っていった。
だがおそらく彼らは、この先キャンプを追われる破目になるというのは想像に難くない。
「本当に……そうなのかな?」
「ああ、きっとね」
ケイリーの返す言葉に、ただ簡潔に自己の発言を肯定する言葉で諭す。
だが本当にそうだったのだろうか。
あの時は狂気に満ちた思考に支配されていたが、考えてみればもし傭兵としての道を選ばなくとも、いかようにも進む道は在ったはずだ。
畑を耕してもいいし、こっそりと町の片隅で暮らすのも悪くはない。
なのにどうしてあんな選択をしてしまったのか。
グルリと馬車の中を見回せば、皆一様に俯き、あるいは宙を虚ろな視線で眺め呆然としている。
無理もない。これまで実際に手を汚した経験のない僕等だ。
抵抗すら出来ぬ状態となっている人の命を自身が奪ったという事実は、未だにその手に残る感触として己へと突きつけられるかのようだった。
「アルは……何ともないの?」
掛けた言葉に反応するように、そう言って僕を見上げるケイリーの瞳は、得体の知れぬモノを見るかのようだ。
彼女からすれば、僕などは然程抵抗も無く人を殺したように見えたに違いない。
しかし……。
僕はチラリと、横目で荷台の隅へと視線を向ける。
そこには卒業試験の場へと向かう道中と同じく、一人風景の一部として溶け込まんとするレオの姿。
その服は僕等と同じく返り血によって激しく汚れ、血液は乾燥しドス黒く変色していた。
彼の存在が無ければ、きっと僕はあんなに早く行動へ移りはしなかったと思う。
それどころか、最後の最後まで腰が引け、結局はもう一方の訓練キャンプに戻る鳥車に乗っていた可能性すらある。
あの時赤く染まった彼の姿に、僕は触発されてしまったのだ。
「何ともないって事はないよ……。ほら、今だってこんなに手が震えてる」
ケイリーに見せつけるように、上着の下に隠していた右手を差しだす。
あの時剣の柄を握っていた右手は、それを思い出すかの如く強張り、未だ使い物にならない。
「でも……アルはあまり迷ってるようには見えなかった」
「おそらくだけど、傭兵としてやっていく覚悟が出来たんだよ。教官たちも言ってただろう、お前たちには覚悟が足りないって。レオが先にやったのを見て、僕にもそれが得られたように思える」
僕の言葉に反応し、彼女は一瞬だけレオへと視線を移す。
それを咎められた訳ではないだろうが、彼女はすぐさま視線を戻すと、怯えるように僕の袖をギュッと握り締めた。
その様子からは、普段見せる快活な姿とは大きく異なる印象を感じさせる。
彼女の瞳には、レオの姿が酷く恐ろしいモノに映っているのだろう。
それを否定するつもりはない。むしろ、僕にもその姿がおぞましく見えた瞬間はあった。
しかしそれ以上に、僕にはレオが野盗の命を奪った瞬間が、とても輝いて見えた。
張り付く朱い飛沫が陽光を受けて輝く光景に目を奪われ、それは僕の記憶へとしっかと焼き付いている。
だがそんな事は、とてもではないがケイリーに話せやしない。
話してしまえば精神状態を疑われるのが関の山だ。
たぶん、エイダにも同様に言われるのだろう。<医療機関への受診を推奨します>などと。
その後も不安定な状態となっているケイリーを安心させるために、続けざまに慰める言葉を吐き続けた。
「きっと大丈夫。戦力が足りないなんて言っても、僕等みたいな新米が出て行ってもどうにもならない。最初は後方支援になるよ」
次第に戦場に関する話題へと移っていったため、僕はすぐさま戦場で戦う訳ではないはずだと言い聞かせる。
とはいえこれは僕の予想に基づいた話ではなく、教官から直接聞いた話だ。
僕がレオに続いて試験をパスし、他の訓練生たちが終えるのを待つ間、エイブラム教官が話してくれた。
曰く、ある程度戦場に近い空気に慣れさせなければ、いざ武器を持って敵の前に出ても、足が竦む者ばかりで役には立たないと。
なので最近では、戦場に立たせる前に補給物資の運搬や、近隣の町々から受ける小口の依頼などを経験させる場合が多いそうであった。
「それに、そうしている間に戦闘が小康状態になるかも。そうなったら僕等の出番はないだろうね」
もっとも、そうなってしまえば僕等は食いっぱぐれてしまうのだが。
小声で話す僕等の会話だが、漂う空気から周囲の少年たちが聞き耳を立てているのがわかる。
僕の言葉に、周りから密かな安堵の気配が漏れた。
皆が震えるのは、これ以上人の命を奪う事に対する忌避感からではない。
おそらくは、骸となっていった男たちの姿を自身に重ね合わせてしまったのだ。
自身が同じような目に遭うかもしれないという、恐怖感を拭い去れずにいるに違いない。
「なぁ……本当にそうなのか? 俺たちが今向かってるのって、戦場のど真ん中とかじゃないよな?」
一瞬は全員が安堵したかに思えた。
だがやはりその中でも、不安を拭えない者は当然のように存在したようだ。
一人の少年が緊張からか額に汗を浮かべながら、僕へと近寄り問う。
その言葉は事実を聞きたいというよりも、安心するために同じ言葉を求めているのであると思える。
「ああ、間違いないよ。さっき教官が言っていた」
「そ、そうか……なら安心……だよな?」
彼以外の者もまた、隣り合う仲間たちと小声で呟き合い、互いに不安を打ち消そうとする。
なるほど、確かに教官の言う通りであると思える。
もし仮に今の彼らがこのまま戦場に放り出されでもしたら、敵を前にして怖気づくばかりで、身動き一つ取れないと確信できる。
ただ腰を抜かし、震えたまま打ち取られる瞬間を待つばかりだ。
僕自身とて、同様である可能性が無いとは言い切れない。
そんな僕等の様子など端から気にも留めていないのか、レオは一人だけ変わらぬ様子で隅へと座り俯き続ける。
今の会話を聞いて何を考えているのか、あるいは僕等のことなど眼中にすら無く、そもそも聞いてすらいないのか。
それすらも定かでない。
彼は普段から物静かではあり、あまり表情へと感情の色が現れない。
ただ決して感情の起伏が無い訳ではなく、今までも多々歳相応の感情が見え隠れしている。
しかし野盗を斬って以降の彼がいったい何を考えているのか、僕にはよくわからなかった。
その後は鳥車の中も随分と静かなものだった。
とはいえ時折、自分自身へと暗示をかけるかの如く小さな呟きが漏れ聞こえる。
乗り合わせている誰が言っているかは知れないが、その内容は僕が伝えた教官の言葉。
ケイリーもまた、時々思い出したように僕の袖を掴んでくる。
きっと誰もが皆、内に抱えた不安が膨らんでいくのを実感しているというのが、僕には強く感じられていた。
▽
道中に幾度もの食事と睡眠を挟み、そして何度となく御者を務めるエイブラム教官と交代をしながら。
卒業試験から二日後にたどり着いたのは、とある街の正門前だった。
入口の脇に飾られた石のプレートには、何がしかの文字が彫られている。
それをエイダに読ませたところ、"ラトリッジ"と記されていることが判明した。
たぶんそれがこの街の名前。
同時にエイダへこの場所がどこかを尋ねると、今現在最も戦火の激しいと思われる地域から、西に数日といった場所であると告げられた。
エイブラム教官に聞いてみれば、ここは西方都市国家同盟の一角を成す中規模の都市国家であり、傭兵団の重要拠点の一つであると言う。
おそらくはここが僕等の最初に配属される場所であり、この地で僕等は傭兵としての第一歩を踏み出すことになるのだ。
御者台に座るエイブラム教官が、正門脇に立つ騎士らしき人物と二言三言の言葉を交わす。
騎士は鳥車の荷台に乗った僕等をジロリと一瞥すると、それ以上これといった反応を示すこともなく「行ってよい」とだけ告げた。
その言葉を受け、教官は会釈すると街の中へと向けて走らせる。
騎士隊の男がした態度は、随分とぞんざいではあるが、それも致し方がないか。
都市にもよるそうだが、ある種の特権階級に位置する騎士たちからしてみれば、僕らなど取るに足らない雑兵程度にしか映らないに違いない。
街へと入って以降も、荷台の上で揺られたまま進んでいき、正門から伸びる大きな通りを走る。
その間の僕等はと言えば、ただ馬車の上で周囲を見渡しながら、感嘆の声を上げるばかりであった。
「あたし……こんな大きな街に来るの初めて」
ケイリーは外を眺めながら、唖然とした後に呟く。
視線の先には綺麗に舗装された道と、行き交う多くの人々。
中でも道行く女性たちは、小奇麗な服と装飾品で張り合うようにその身を着飾っていた。
砂と汗、そして埃まみれの僕等と比べれば、まるで住む世界さえ違うと思える姿。
街そのものの規模も、中規模というには随分と大きく見え、僕が過去に経験したことのない活気に満ち満ちていた。
彼女はこれまでの数年、そのほとんどを訓練キャンプの中で過ごしてきたのだ。
時折外に出ることがあっても、それは僕と知り合った時のように、訓練の一環として僻地へと行く程度。
ケイリーがそれまで何処で育ってきたのかは知らないが、生まれたのはここよりもずっと規模の小さな場所だったのだろう。
<新規データを取得。地理情報を更新しました>
僕等のする会話や街の景観などの情報を収集しながら、エイダがラトリッジに関する情報を更新していく。
それを聞き流しながら、ケイリーの好奇心混じりの言葉に、僕は苦笑しながら同意した。
実際僕もここまで活気のある街へと来るのは初めてだ。
船の墜落した森から出て最初に辿り着いた町は、こことは違いもっと小規模で、どこか牧歌的な雰囲気が漂っていたように思える。
それにこの惑星に落ちてくる前に住んでいた星も、開拓従事者以外にはほとんど人がいない辺境だっただけに、ここまで活気ある場所は存在しなかった。
なので僕がこれまで経験した中で、このラトリッジという都市は最も都会であると言ってよい。
大通りを進む鳥車は、しばらくすると道を一本外れ、裏道へと入り込んでいく。
そこは鳥車一台が悠々と通れるだけの広さこそあるものの、周囲の建物によって日光は遮られ、昼も尚暗い。
路の所々には転がる酒壷や、折れた角材などが散見する。
喧騒と活気に溢れる表通りとは一変、この路地裏には堅気の者たちが談笑しながら歩くような表の世界とは異なる、一種の異様な空気が漂っていた。
僕にはここが街の暗部に繋がっているのだと、そう思えてならない。
だがその街の裏側であっても、相応に人々は営みを続けているようだ。
裏通りにも次第に店がその姿を現し始め、全身を黒いローブで覆った怪しい輩や、酒のせいか呂律と足取りのおかしな男たちの姿が見えるようになってくる。
そんな中を進む鳥車の上で、僕等がどこか不安に襲われながらしばし。
唐突に停まったのは入り組んだ路地裏に建つ一軒の酒場前。
そこで小さく笑むエイブラム教官に促された僕等は、鳥車から降りて店の中へと歩を進める。
中へと入るとそこは、想像していた通りただの酒場だった。
それなりに広い店内に、いくつも並べられた丸テーブル。
カウンターなどの一部を除き、その多くは席の無い立ち飲み式だ。
「入口で突っ立ってないでサッサと入んな!」
入り口で困惑する僕等へと、突然に大きな声が響く。
その方向へと目をやると、店の奥に在るカウンターテーブルの向こうに一つの影が見えた。
幾つも並べられた小さなコップへと、少量ずつ酒を注ぎ顎で招く妙齢の女性。
彼女が声の主であったのだろう。
「椅子はねぇが好きな場所で楽にしろ。だがそっちの隅とカウンターは指定席だ、近づくんじゃねえぞ」
酒場の給仕にしては、随分と粗野な言葉使いをする女性だ。
いや、こんな治安の悪そうな路地裏に在る酒場だ、むしろこのくらいでなければ務まらないのか。
それにこうやって連れて来られたのだから、この酒場は傭兵たちの御用達なのかもしれない。
荒くれ者の多い傭兵たちを普段から相手にしているのであるとすれば、彼女の言動も多少は納得がいく。
そんな彼女に促され、僕等は各々が好きなテーブルの前へと着く。
すると酒場の給仕と思われる女性は腕を組み、堂々と言い放った。
「クソったれな訓練をやりきったド新人共、とりあえずは歓迎してやる。お前らが居るこの店の名は"駄馬の安息小屋"、アタシが主人のヘイゼルだ。二度は言わないから覚えておきな!」
ヘイゼルと名乗った女性は、荒々しい笑みを浮かべて僕等を一瞥する。
給仕であるかと思ったのだが、彼女はどうやらこの酒場で頂点に立つ人物であるようだ。
よく見れば今まで気づかなかったが、袖から覗く組んだ腕は思いのほか逞しい。
酒場での仕事も重労働ではあるだろうが、それとは異なる方法によって鍛えられたように見える。
そう、例えば武器を振り回して出来たモノに近いような。
「今でこそ引退しちゃいるが、こう見えてアタシも長年傭兵稼業で生きてきた身だ。舐めた真似をしようもんなら叩っ斬るよ!」
案の定だ。彼女は僕等と同じく傭兵であった。
よく見れば、カウンターの向こうには剣が置かれているようで、台の淵から柄の部分が僅かに覗いている。
意図して見えるように置かれたものではありそうだけれど。
この場所まで僕等を連れてきたエイブラム教官は、ヘイゼルさんと幾らかの言葉を交わして僕等へと小さく手を振ると、酒場の外に出て鳥車を繰り何処かへと去って行く。
随分とアッサリした別れではあるが、案外傭兵なんてのはこんなモノなのだろう。
ここからはヘイゼルさんが、僕等の扱いを引き受けるようだ。
彼女は酒場の主人であると同時に、僕等がこれから所属するイェルド傭兵団の関係者でもあると告げる。
緊張する僕等を眺め、ヘイゼルさんはまあまあ満足した様子を表情に浮かべていた。




