ハッピーダイス 09
カジノ内の空気は重い。
それは当然のことながら、突然姿を現し客を追い払い、責任者であるにも関わらずゲームに興じ始めたバカ息子のせいだ。
「なんだなんだ、他に挑戦するヤツは居ないのか」
周囲への挑発というよりは、命令に近いニュアンスだろうか。
例のバカ息子は自身が座る卓の前で仰け反り、他の客たちへと大きな声で呼びかける。
だが先ほどの光景を見てしまえば、その誘いに乗る人間など早々居はしないだろう。
何せ突然自身の負けが込み始めると、他の客をイカサマ師呼ばわりし、店の奥へと連行させたのだから。
案の定誰も来ようとはしないため、遂には自身の部下と思われる男たちを呼び寄せ、ゲームの相手をさせ始めた。
「どうしてここまで横暴を許すんだ?」
「スタッフも客も、皆逆らえないのですよ。何せ彼の父親はこのカジノの所有者であると同時に、無法者たちを束ねる顔役ですから」
それとなく卓を移動し、カサンドラが受け持つゲームへと移動。バカ息子の所業に対し、どうして何もしないのかを問うた。
客の多くは既にこの光景に白けて帰ってしまい、カジノの中は閑散とし始めている。
「通りで。子が子なら親も親だったか」
「普通に考えれば、このような真似をすれば色々と上手くいかなくなるものです。ですがそれを考えられるだけの頭は、持ち合わせていないようで」
「なるほどな。悪党は悪党なりに苦労していそうだ」
僕へとカードを渡すフリをしつつ、密かに話しかけるカサンドラ。
たった二人だけでゲームに興じるというのもおかしなものだが、他から見ればちょっとした世間話でもしているように見えるだろう。
酒でも片手に時折笑い声の一つも上げれば、そういう風には受け取ってもらえるはずだ。
<それで、どうするつもりですか? このまま遠巻きに見ていても、埒があきませんが>
『当然、何とかして奪うつもりではいる』
<どうやって? 今の変装では、最初に顔を合わせた時と少しの違いしかありません。やはり私の言ったように、もっと大きな変装を――>
『それはもういいから。とりあえず、こっちに任せておいてくれ』
しつこいエイダにそれだけ告げると、僕はカサンドラに断りを入れて、少しばかり慌てる彼女を置いて件のバカ息子がゲームをする卓へとゆっくり歩み寄った。
本来であれば六人かそこらは居るはずの卓も、今では普通の客が二人だけ。
おそらくはタイミングを逃したことによって、逃げそびれてしまった一般の客たちだ。
残る三人分の席には、バカ息子の配下である男たちが座り相手をしている。
楽しそうなのはあいつ一人だけ。
残りは全員、配下も含めて嫌々ながら相手しているという空気が、露骨なまでに漏れ出していた。
これに気付かない時点で、こいつは大概の阿呆であるとは思う。
「なかなかに良いツキをお持ちですね」
「ん? なんだキサマは」
近寄った僕は柔らかく背後へと沿い、バカ息子の前に積まれた金属板の山を眺め呟く。
ただ実際そこまで勝ちを重ねている訳ではなく、こいつは負けが確定した時点でディーラーへやり直しを命じ、勝つまで何度もリセットをさせているに過ぎない。
当然勝ちを表す板は増える一方で、このような真似をして本当に楽しいのだろうかと思わなくはない。
「これは失礼を。随分と楽しそうでしたので、つい気になってしまいまして」
面倒臭さを押し隠し、笑顔を張り付けて親しげに覗き込む。
僕は興味ありそうなフリを演じつつ、このバカ息子へと接触を計った。
「そうだろう。やはり俺ほどの腕があれば、この程度造作もないからな」
「素晴らしいですね。是非あやかりたいものです」
揉み手すらしかねない勢いで、ゴマを擦りつつ迫る。
するとこいつは上機嫌で笑い、自身の持つチップである金属板の一枚をこちらに放った。
おべっかを使ったことに対する、駄賃だとでも言うのだろうか。
『やっぱりイラつくな……』
<辛抱してください。そのくらいは解りきっていた事なのですから>
『仕方ないか。それにしても、コイツはこっちを覚えていないみたいだな』
やはり思っていた通りだ。
この男は何人もの人間を、難癖によって監禁し続けてきた。
なので僕一人の顔など覚えてはいないらしく、こちらに気付く様子が微塵も感じられない。
逃げ出した人間というのは多少なりと記憶に残っていようが、そこまでの段階で顔を覚える気がさらさらなかったためだろう。
こちらの顔を見ても記憶を掘り起こそうとする様子もなく、ただ見たこともない他人と顔を合わせた程度といった反応。
それが少々不愉快ではあるが、今はとりあえずそれは置いておく。
「では頂いたコレを使って、少々お相手願えますか?」
「俺とやろうってのか? 随分と自信がありそうじゃねえか」
「そのようなことは。ですがただ頂いたコレを現金化するよりは、楽しめそうだと」
小さく掲げる板をチラつかせ、僕は未だ名も知らぬバカ息子に誘いをかける。
するとこちらの誘いに触発されたのか、あるいは真っ当に相手しようという人間に飢えていたのか。
こちらの心情とは正反対に、愉快そうに口の端を釣り上げた。
「いいだろう。おいお前、コイツと代われ」
部下の一人である男へと顎で指示し、席を退かせる。
命令を受けた男はすぐさま了承すると、立ち上がり背後へと下がっていった。
横目で見た表情が安堵の色を浮かべていたので、やはり相手をするのは御免被りたかったのだろう。
空けられた席へと腰かけ、卓の上に転がっているダイスを見やる。
そこに有るのは何の変哲もない、四面や六面のそれだ。
ただこの中に混ざる至って普通な四面ダイスが、カサンドラの探しているという、何者かに襲われ奪われたという品に間違いあるまい。
ここにそれがあった。そしてこのバカ息子がそれを所有していたということは、故人である彼を襲ったのがこの連中である証拠その物であると言えた。
「ではお相手をさせて頂きます。この一枚だけで、どこまで持ち堪えるかはわかりませんが」
僕は受け取った一枚だけの金属板を卓へと置き、ディーラーを務める男へと参加を告げる。
周囲からはどこか挑発めいた僕の言葉に動揺したのか、若干のざわつきが起き始めていた。
取り巻きの連中は、僕に対し馬鹿な真似をしたと思っているのだろう。
他の人たちと同様に、何らかの因縁を付けられ放り込まれるのではないか。そう考えているのは間違いない。
<再度スキャンした結果、内部に別の物体を確認しました。おそらくは紙の類ではないかと>
『なら目的の物で間違いないな。さて、頂くとしようか』
<ですがどうやって? ただ掴んで逃げたのでは、何かの目的を持って奪ったと教えるようなものです>
何としてでもこれを回収し、中に入れられているであろう情報を入手しなければならない。
そうしなければこの任務は達成できないし、こなさなければ僕等は同盟の地を踏むための移動すらままならなくなってしまうだろう。
だが素直に奪っていったのでは、奪った品に重大な秘密が隠されていると考える切欠となってしまう。
なのでそのためにもこれを、秘密裏に他の四面ダイスとすり替える必要はあった。
その後に関しては、何をどうしようと大した問題とはなるまい。
『任せておけって。一応考えはあるから』
僕はエイダにそう伝えると、客が一人も居なくなったカードゲームの卓で、こちらへと心配そうな視線を送るカサンドラを見る。
彼女の諜報員としては不用意とも言える、不安そうにしている目元。
それへとこちらが何かを行おうとしていると察知してもらうべく、アイコンタクトを送った。
<ああ、そういうことですか>
『彼女の言葉が本当ならば、カサンドラに任せていていいはずだ』
カサンドラはこちらの意図を察してくれたのか、遠巻きに小さく頷き、ゆっくりと自身の受け持つ卓から移動を始めた。
どうやらこちらの考えを、しっかりと理解してくれたらしい。
今回頼みの綱となるのは彼女だ。
カサンドラが持つ、ある特技を活用することによって、目的は達せられるだろう。
命を奪った相手から盗んだ品を使っているというのは、おそらく戦利品のような感覚であるとは思う。
だが幸運にも件のダイスをこのような扱いをしている点からして、特別な構造によって中へと仕込まれている品が存在とは気付かれていない。
ならば十分に目的を果たせる余地はあると見た。
ゆっくりとこちらへと歩み寄る彼女の姿を視界に捉えながら、僕は一度だけお目にかかった彼女の技量を思い出していた。




