ハッピーダイス 03
ゲームを開始して半時ほど過ぎた頃だろうか。
僕の前で卓へと積まれた金属札は高く積まれ、かなりのプラスとなっていた。
エイダのサポートを得て他者の状況や積まれたカードを知り、勝てる状況であるかどうかが手に取るようにわかる。
そんな余りにもズル過ぎる状況では、勝ち負けを操作することなど造作もない。
なので本当ならば、もっと目立たない程度の勝利に抑えることは可能だ。
それでもこのような状況に陥ってしまったのは、途中からカジノ内全体で行われた、突然のルール変更のためであった。
『勘弁してくれ……。これじゃ目立って仕方ない』
<まさか賭ける最低額が引き上げられるとは思ってもみませんでした>
本来であれば、卓ごとに賭ける最低額や倍率などは決まっており、そこに沿ってやればいい。
だが突如として行われたのは、カジノ内全体での最低賭け金の大幅な変更。
配当の率も同様に大幅な変更をされ、先ほどから店内では阿鼻叫喚の声が響いていた。
『本来ならサッサと負けて帰るんだが、今は逃げられないな……。ここでしくじったら、膨大な金を払わされるぞ』
<ロークラインも最低限度しか保証はしてくれないでしょうし、負けた分は自腹になるかもしれません>
『冗談じゃない! こんな高額、払い切れるもんか』
突然に負ってしまう破目となった大きなリスクに、僕は内心で悲鳴を上げる。
ゲームから降り、高みの見物を決め込むという手は使える。
しかしそれを行うにはルールに則ったタイミングというものがあり、それ以外での途中離脱は許されていない。
そしてその逃げ場となる機会は、今の調子ではもう少しばかり先であるようだった。
周囲を見渡せば、卓の多くからは人が消え代わりに僕が居る場所の周辺へと人が集まっていた。
この店が比較的富裕層を相手にしているとはいえ、その高すぎるギャンブル性から、手を引く者が後を絶たない。
そして大損する前にゲームを辞退した者は、いまだ続けられている卓へと集まり、遠巻きにその様子を真剣に見入っているのだ。
これでは勝っても負けても大きく目立ってしまう。
「どうやら貴方は、なかなかにツキが味方してくれているようだ」
僕の背後から見ていた一人が、感嘆交じりな声を漏らす。
多くの人が集い人垣となった中に居たその男は、僕の前に積まれた金属板を眺め興味深そうな視線を送っている。
「なに、今日は運が良いようで。ツキが味方している今のうちに、稼がせてもらっていますよ」
「実に羨ましい。何かコツでもあればご教授願いたいところです」
「コツなどというものは……。しいて言えば、思い切りでしょうか」
僕は背後から話しかけ続ける男へと、適当な言葉を返す。
実際には賢いAIと、強力なセンサーを味方に付けるのが秘訣なのだが、いくら何でもそのような事を言う訳にもいくまい。
「それはなかなかに持ち難いモノですな。私などはどうにも消極的で」
「気持ちはわかりますよ。こちらも踏ん切りをつけるのに一苦労です」
男はその後も話しかけ続け、カードを繰る僕の背後へとピタリとつく。
僕は掛けられるその言葉を適当にあしらっているのだが、ある所で不意に妙な感覚を覚えた。
後ろについて話しかけ続けている男の言葉から、所々探るようなニュアンスが滲んでいるように思えたからだ。
ただ勝つための秘訣を知ろうとしているというのとは、少々異なる。
『もしかして、このカジノの人間かな』
<その可能性は高いでしょう。不正を行っていないか監視し、もし行っていれば排除する。そういった役割の人間が居ても、不思議ではありません>
たぶん今僕に話しかけているのも、その手段の一環なのだろう。
僕の思い過ごしかも知れないが、もしそうだとすれば好都合。逆に存分にこちらの動きを観察し、不正がないと判断してくれるならば問題はなかった。
だとしても、これ以上目立つのは避けたいところだが。
「そちらのお客様の勝ちです」
「ありがとう。でもそろそろ運が尽きそうだ、私はここでお暇しようかな。これ以上賭け金が上がっては、手に負えなくなる」
僕は金髪の女性ディーラーが発した言葉を聞くなり、白々しく言い訳をして手札を卓へと放り出す。
今が丁度ゲームから降りる絶好のタイミングだ。
予想外に大きく勝ちを上げてしまったが、ワザと負けて素寒貧になってしまうのも避けたい。
この様子では、途中でまた賭け金の最低額が変更されるとも限らず、必要以上のリスクを負うのは避けたいところであった。
席から立ちあがり、他の参加者へと暇を次げてその場を離れるべく踵を返す。
しかし僕は正直、見誤っていたようだ。この店が少々と言わず、大きな問題点を抱えているであろうということを。
「おい、ちょっと来てもらおうか」
踵を返した僕が正面へと見たのは、一人の男の姿だった。
先ほどまで僕へと話しかけていた人物とは異なる、野太く粗野さを感じられる声と大きな身体。
そこからヌッと伸びた腕は僕の肩へと至り、重く握りつぶさんばかりの勢いで指は肩へと食い込む。
「あの……、何か?」
「何かじゃねえ。調子に乗るのも大概にしねぇと、タダじゃ済まんぞ」
僕の肩へと手を置き締め付ける屈強な男は、ドスの効いた声で恫喝めいた言葉を発する。
その腰には小振りな短剣を差しており、それがこの賭博場における用心棒的な存在であることを物語っていた。
男たちはビリビリとした、殺気とも取れる気配を周囲に向けて撒き散らす。
この二人は向ける剣幕からして、どうやら僕のことを、何がしかの不正な手段を用いて勝ちを得ていると認識しているようだ。
「イカサマはここじゃご法度だ。当然破った以上罰を受けてもらう」
「イカサマ? 何のことですか」
男の隣には中肉中背というこれといった変哲もないが、同じく短剣を腰に差した男がもう一人。
その男が告げる言葉に、僕はそれこそ惚けた返答を返す。
イカサマを行っているのは確かなのだが、素直にそれを認められるはずもなければ、そもそも証拠を出すことすらできない。
面倒臭いことこの上ないが、ここは堂々とシラを切り通すのみ。
「それで、私がどのようなイカサマをしていると仰るので? 神に誓ってそのようなことはしていないし、何でしたら検査していただいても構わない」
僕は堂々とし、自身の潔白を主張する。盗人猛々しいとはこのことだが。
実際証拠など見つかるはずもないし、明確な根拠など示すこともできまい。
こいつらが今行っているのは難癖に近い行為であり、それなりの額を手にしようとしている客に対し、どうにかして金を払いたくないという意志が働いたに過ぎない。
周囲には他の客も大勢いるので、あまり強引な手段も取れないはずだ。
しかしこの二人はそのようなことは端から眼中にないのか、身体検査をするでもなく、根拠を提示するでもなく不敵な様子を浮かべるのみ。
「やってるかどうかを判断するのはこっちだ。俺がイカサマだと言ったら、そいつはイカサマなんだよ」
気だるげな印象を纏った声が、トラブルによって静まりかえったカジノの中へと響く。
二人の男よりもさらに後ろ。奥から響いたと思われる声の主へと視線を向けると、そこに立っていたのは小太りな一人の人物。
そいつは見るからに、客たちよりも遥かに上等そうな衣服を身に纏い、ニタニタとした嫌な笑顔を張り付かせていた。
おそらく風体からして、ここの責任者。
というよりも態度からしてカジノの所有者であるようにも見えるが、それにしては少々若いだろうか。
外見から察するに、おそらくはまだ二十代の前半といったところだ。
「おい、こいつはイカサマを使って不当に稼いでいた。それで間違いはないな?」
「私の目にはそのような……。いえ、行っていました……」
その小太りな若い男は声を発し、ジロリと視線をブロンドの女性ディーラーへと向ける。
問われた彼女は一瞬否定の言葉を述べかけるも、途中から発言の内容を一変。こちらから視線を逸らしつつ、男の告げた言葉を肯定した。
「それでいい。俺の言葉こそが真理だ」
「……はい」
男はヘドロのように粘着質な言葉で、女性ディーラーへと圧をかける。
雇われである彼女からしてみれば、ここの権力者である男の言葉こそが何よりも遵守しなければならないモノであるようだ。
有無を言わさぬとはこの事だろう。
事実がどうであれそのようなモノは関係なく、自身の言葉が絶対であり、真理であると。
僕は本当にイカサマをしているのだから、言っていることそのものは間違ってはいないのだが。
「だそうだぞ。これでお前は俺の城で無法を働いた、悪党で決まりだ」
「随分と強引なやり口ですね。このような真似をしていては、客も寄り付かなくなるでしょうに」
「そうでもない。むしろ面白そうな見世物ができて、喜んでいるだろうよ」
そう言って男は周囲を眺め、耳に障るように鼻を鳴らす。
見れば客たちは男の言動に不快感を表すどころか、興味深そうな様子で遠巻きにこちらへと視線を送っていた。
その視線からは同情や憐みの感情は映らず、好奇と期待の色ばかり。
どうやらこの金ばかり持っている客たちは、これを一種のショーとして見物するつもりなのだろう。
成金趣味な服を着た下種な輩の管理する店には、やはり著しく趣味の悪い客が集まっていたようだ。
見れば先ほど僕の後ろから話しかけていた男は、ただ小さく俯いて表情の一つもない。
やはり彼はここの人間であり、客たちの様子を探る役割を担っているようだ。
この男が僕を怪しいと告げたかどうかは定かでないが。
「ああ、なんということだろう。病に倒れている父に代わり、俺はこんなにも真面目に経営をしているのに、お前のような不正を働く輩が居るとは」
「嘆かわしいことです。坊ちゃんのお心が理解できぬとは」
「そうであろう。やはり下賤な者には、高尚な存在の苦労は理解できぬようだ」
まるで舞台の上で演じるように、男は自身が如何に真っ当であるかを部下まで交え強調する。
ただその芝居はあまりにも滑稽なものであり、悲劇どころか喜劇の出来そこないといったところだろうか。
小芝居にすらなれていない。
だが発言の内容からして理解出来た。つまりコイツは、いわゆるこのカジノを経営する者のバカ息子であるのだと。
父親である経営者が何がしかの理由によって倒れたことで、暫定的にその経営を代行しているのだろう。
その本来の経営者が、元々このような阿漕なやり方をしているかどうかは定かでないが、あまり我が子を育てる手腕は持ち合わせていなかったようだ。
「さて、不逞の輩にはついて来て貰おうか」
バカ息子がそう言い放つなり、再び僕の肩はガシリと掴まれる。
何処に連れていこうというのかは知らないが、決してこちらを逃がすつもりはないようだ。
「……穏便にして頂きたいものですな」
浅く息を吐き、この場は大人しく立ち上がり従う意思を示す。
おそらくこのバカ息子を含め、護衛の二人も実力的には大したことはないだろう。
それは幾度となく戦場を駆け、真剣で命をやり取りしてか人間であれば、ある程度は察することの出来るものだ。
しかし今ここで大立ち回りを演じてしまえば、今後の行動に差し障りが出る。
流石に賭博場の中で乱闘をしてしまえば、兵士も放ってはおかないだろう。
今騒動を起こすのは憚られたため、僕はひとまず様子を見るため着いていくことにした。




