ノーラウザ・タイム 09
「懐かしい名だ。つい最近のことのようにも思えるが」
見た目から推測される年齢にしては、強い酒をハイペースで煽るロークライン。
彼は遠い目をして、通り過ぎた過去を労わるように口を開く。
おそらく彼にとって、団長と関わっていた時期は、それなりに良い過去として記憶されているようだった。
「他の連中は健勝かね? ヤツと共に傭兵隊を起こした連中だが」
「僕は昔の団長についてそう多くは知らないもので、当時の交友関係については……。ですが傭兵である以上、全員が健在であるかは断言しかねます」
「それもご尤もだな。ふむ、ではエイブラムはどうだ?」
そこでロークラインが例えとして口にした名は、僕の記憶に在る人物。
僕が最初にイェルド傭兵団に関わる切欠となった、レオやケイリーと出会った時、一緒に居た訓練キャンプの教官の名だ。
そういえば以前に団長は、エイブラム教官もまた古い馴染であると言っていたか。
ロークラインがその名を知っている点からして、彼は傭兵団の設立時期に行動を共にしていた一人なのだろう。
「もう一年以上会ってはいませんが、おそらくはお元気かと」
「ならば良い。当時アレは我らの中でも最も若く、血気盛んだったからな。どこかの戦場でくたばってやしないかと、気を揉んでいた」
「血気盛んだったというのは初耳ですが、あながち外れてもいませんよ。以前に負った負傷が原因で、今は一線を退いて訓練キャンプの教官ですから」
僕がエイブラム教官の現状を伝えると、彼はカラカラと愉快そうな笑いを上げる。
おそらくは彼の中で記憶に残る人物像と、今の姿に違和感を感じぬためだろう。
一瞬ヴィオレッタについても話そうかと思ったが、聞かれないうちは止めておくとしよう。
変に口を滑らす結果となっても困る。
「では他にも……、いや止めておこうか。昔語りに興じていては、きりがないからな」
調子が出て来たのか、ロークラインは更に具体的な名を出して様子を聞き出そうとする。
しかし思い直し自制したようで、言葉を収め老齢の割には伸びた背を正した。
どうやら本題に移ってくれるようだ。
「で、君は何を期待して私を呼び出したのかね?」
居住まいを正し、カップ内の酒を揺らしながら問いかけるロークライン。
単刀直入なその言葉は低く、鋭く巨大な刃のように、こちらを切り裂くかのようだ。
「……僕等はただ、無事この国を抜けたいだけです」
「ふむ、つまり君たちはこの国における行動の自由を保障して欲しいと。だが私がそれを叶えてやる理由はどこにある? 見返りも無しにかね?」
心臓が跳ねる。
怒気や殺意などは込められていないものの、その言葉からは明らかな圧力が発せられていた。
表情も変わらず、手は今も酒の満たされたカップを揺らすばかり。
そでもロークラインからは、背筋から汗の噴き出すような、強烈なプレッシャーが発せられている。
いい加減戦場にも慣れ度胸がついて来たと自負していた僕であったが、この人物から発せられる迫力は、これまで感じた事のない強烈さ。
ダリアといいロークラインといい、どうしてこう団長の関係者は化け物だらけなのか。
「団長は、"借りを返して欲しい"と」
「なるほどな。確かにヤツとは昔馴染みで、私も随分と助けられた。だが急に現れて借りを返せと言われても、そう易々と承諾など出来ん。何がしかの報酬が無ければな」
虎の子であった団長の言葉も、なかなかに効果を表してはくれそうになかった。
さてどうしたものか……。
その後も幾らかの言葉を交わすも、ロークラインは簡単にこちらの願いを受け入れてはくれない。
ただ話を聞いていれば、彼はどうやらスタウラス国における、情報を統括する立場にあるようだ。
つまりはライモンドが属するノーラウザ広報社の上に立つ人間であり、団長の言っていた通り、今も諜報の分野に携わっているというのが知れる。
「私は立場上、国の保安にも関わる人間だ。旧知の間柄と言える名を出されたからといって、そう簡単に目を掛けてやるわけにはいかん」
「それはわかります。実際僕も逆の立場なら、怪しいとは思いますし」
彼はただ、自身の職務に忠実なだけなのだ。
それを思えば、この尋問とも言えそうな会話も理解はできる。
結果彼と接触を計ったのは失敗だっただろうかと思い始めた時、ロークラインは一転して口調を和らげ、こちらへと意味深な言葉を発した。
「だが他ならぬヤツの頼みだ、限定的であれば国内での行動を許すのもやぶさかではない。条件次第ではな」
ニヤリという表現が音を立てるかのような、ロークラインの笑み。
皺の刻まれた彼の表情は、これまでにないほど歪み、こちらへと新たな不安を植え付けんとするかのようだ。
実際彼は何がしかの要求をしようとしているのは明らかで、僕は否応なく逃げ出したい気持ちに駆られる。
だが、今更やっぱりナシなどと言えようはずもない。
「……条件とは?」
「うむ、大人しく聞いてくれるようで助かる。実は君も知っての通り、この国は現在共和国と一時的な休戦状態にある。随分と長く続いた戦争で、国力も落ちているからな」
「ではやはり、それを回復する期間だけの休戦であると」
「その通りだ。多くの兵が散っていった上に、どうしたところで予算も限られる。代わりに矢面に立たされる他国には悪いがな」
ロークラインはそう言ってこちらをチラリと見やる。
彼は僕等がどうして国境を越えて共和国に侵入したのか、それを察しているようだ。
「だが休戦したとはいえ、水面下では互いに探りを入れ合っているのは当然のこと。現に我々も諜報員を送り込み、共和国の様子を探っている」
「……そうだとは思いますが、僕のような他国の人間に、そのような事を話してもいいのですか?」
「別に構いはすまい。腹を探るために人をやるなど、どこの国でもやっていることだ」
アッサリと言い放つロークラインの言葉に、僕はつい誰も居ない酒場内を見回してしまう。
おそらく酒場兼宿の周囲には、彼の配下である人間が警戒に当たっているだろうことは想像に難くない。
とはいえこのような内容、平然と口にして良いものだろうか。
そんな僕の心配を他所に、彼は気にした様子もなく舌を回し続ける。
「しかし当然のこととは言え、探られて愉快であろうはずもない。何とか情報を渡すまいと思うのは当然だ」
「そう……、ですね」
「それに裏切って情報を流そうとする自国民も居るため、水際で対処するのもなかなか難しいのだ。おまけに諜報組織同士が互いに牽制し合っている状況では、容易に相手を排除することも叶わん」
これといった抑揚もなく話し続けるロークラインの言葉に、僕は彼が何を求めているのかを察した。
つまりは共和国の諜報員であったり、そちらに協力しているであろう、内通者への対処を任せたいというものだ。
「おっしゃりたい内容はわかります。ですが僕等は、そういった専門の要員ではありません」
「なに、ここまで逃げおおせた実力があるなら十分だ。もし敵の排除が叶わずとも、逆に君らが陽動役となってくれればそれでいい」
物言いは軽く、そこまで大きな期待を掛けられているようには思えない。
だが交換条件としてとはいえ、あえて余所者に任せようという時点で、相応の危険性があるのだとは思う。
彼の言葉は有無を言わさぬ迫力に満ちており、こちらが否定することを許さない。
やはりヴィオレッタが感じていた、ノーラウザ広報社へと入る時の嫌な予感は、結局当たりだったのだろう。
ロークラインが告げた内容に僕が返答を逡巡していると、彼はやはりそれだけでは了承せぬと察したのだろうか。
仕方ないとばかりに顎を手に当て考え込むと、多少なりと色を付けてくれる提案を口にする。
「そうだな……、ではその代わり上手くいけば、国内での行動を一切許可するとしよう。フィズラース群島までであれば船の手配もするし、一定額の報酬も用意する」
「一切の行動をですか」
「当然のことながら法には従ってもらうが、身元を保証する証はこちらで用意しよう。無論のこと偽造品なので、国外に出た直後に処分はしてもらう」
事務的な連絡事項を伝えるように、淡々と言い並べ始めるロークライン。
僕はここまで一切了承を示したつもりはないのだが、彼の中では既にこちらが協力するのは確定事項であるようだ。
実際もうここまで来れば、断る余地はないのかもしれないけれども。
「君たちにやってもらう内容だが、ここから北東に数日行っ――」
「あの、まだお受けするとは言っていないのですが」
とはいえこのままなし崩し的に了承するのも面白くはない。
形だけとはいえ、多少の抵抗もせねば恰好がつくまい。
ただやはり案の定というべきか、彼は主導権はこちらに有るとばかりに、堂々とした態度を崩さず語る。
「これは私としても、最大限に譲歩した結果であると受け取ってもらいたい。この国は直接同盟と争う間柄に無いとはいえ、本来であれば立場上君たちのような存在を大人しく通す訳にはいかんのだよ。協力をしないのであれば、私は在るべき職務を全うするまでだ」
「……わかりました。その代わり報酬は確約してください」
「その点は誓おう。では早速これから取ってもらう行動について説明しようか」
ロークラインはこちらの逃げ道を塞ぐように、事実をありのまま伝えてきたようだ。
どちらにせよ断る余地などなさそうではあったが、こうまで言われては断れはすまい。
急にこのような事態になって、いった皆にどう説明したものやら。
僕は彼のする説明を聞きつつ、頭の片隅に明日になってからする言い訳を考え始めていた。




