ノーラウザ・タイム 07
僕が告げたその名に、ビントゥーノからは小さくも確かな反応が見られた。
ライモンドなどはこれといった反応を示してはいないのだが、更に上に立つ人間であるビントゥーノにとっては、知る名前であるようだ。
彼は僕の目をジッと見据えると、これまで以上の静かな口調となって疑問をぶつけてくる。
「何処でその名を知ったのかね?」
「詳しくはお話しできません。まずはこの人物を捜し、会わせて頂かない事には」
僕が淡々と告げると、彼は難しい顔をして小さく呻る。
これは怒りから来るモノというよりも、単純に困惑や動揺からくるものだろう。
彼のする反応から察するに、団長が直前に教えてくれたロークラインという人物は、この国では随分と重要性の高い人間であるようだ。
あるいは重要すぎて、扱いに困る人物だろうか。
しばし考え込むビントゥーノは、言葉もなく視線を下へと落とす。
深い思考らしきものを行いつつ、時折こちらへチラリと目線を向け、あるところで意を決したように口を開く。
「……いいだろう。だが彼とは連絡を取るのも一苦労なのでね、明日まで待ってもらいたい」
「わかりました。それまではこちらの自由にしていて良いでしょうか? 手持ちの荷を現金に換えなければならないので」
「わかった。ただし宿の場所はこちらで用意させてもらおう。追々連絡をするのでね」
それだけを簡潔に告げると、ビントゥーノは立ち上がりそのまま部屋から出ていく。
随分と急いでいる様子がありありと感じられたので、このまま何処かへと行き、更に上へたつ人物へと僕らのことを報告するのだろう。
これは想像していた以上に、強力な切り札となったのかもしれない。
「なぁ、お前らは何もんなんだ? それにさっき出した名前。ワシはそれが誰だか知らんが、あんな焦っている上司は見たことがない」
ビントゥーノが去り、部屋へと残された僕等へと、ライモンドは顔を寄せ強い剣幕で問うてくる。
気持ちはわかる。彼は記者という立場上、そういった事を知りたがる性を持ち合わせているのだろうから。
「すみません、ライモンドさんにも教える訳には」
「……だろうな。ワシだって重要な情報は秘匿する」
そして記者であるからこそ、こちらがそう簡単に口を割るとは思わないようだ。
思いのほかアッサリと引き下がり、立ちあがった彼は部屋の入口へと向かう。
何処へ行くのだろうかと思っていると、その入り口付近で立ち止まり、こちらへと手招きするライモンド。
「ほれ、宿へと向かうんだろう? ワシらが懇意にしている所があるから、そこへ案内してやる。安くて飯は美味いから安心しろ」
「では、お願いします」
これ以上の他意は無さそうなライモンドの言葉に従い、宿への案内を任せることにする。
今から向かう懇意にしている宿というのは、おそらくノーラウザ広報社が職務上利用している場所なのだろう。
おそらくは宿の人間も息のかかった人たちであり、こちらを監視し易い環境が整っている。
そうとわかっていても、この場は大人しく従っておく方が良いはずだ。
宿へと案内をするライモンドに従い、ノーラウザ広報社の社屋から出た僕等は、再び彼の後ろを着いて歩きクヮリヤード市街の通りを歩く。
大勢の人が行き交うそこを通り、若干人手の穏やかな横道へ。
とは言えそちらも大勢の人が行き交っており、この都市が面積に対し、過剰なまでの人口を抱えていることを実感させられた。
時折小さく後ろを振り返れば、すぐ後ろにビルトーリオ。そしてヴィオレッタと続き、最後にレオが歩いている。
その中でもヴィオレッタの表情を視界に納めると、そこには不服そうな様相を湛えた、彼女の双眸がこちらを捉えていた。
『ああ……、あれは怒ってるだろうな』
<そうでしょうね。これまで一切話題に上らなかった、ロークラインという名が急に出てきたのです。何がしかの隠し事をされていたのを不愉快に感じても、おかしくはありません>
向けられる視線は酷く鋭いものであり、彼女が宿しているであろう不平不満が、手に取るかのようだ。
だが仕方があるまい。実際僕にしてもその名を聞いたのは、つい先ほどなのだから。
とは言えそのようなこと、彼女に正直に話すこともできない。
『"実はついさっき、団長と頭の中で会話していたんだよ"なんて言えやしない』
<面白くない冗談を言っているか、気が触れたと思われるのがオチでしょう>
『エイダや団長の正体を隠し続けるのも、骨が折れるな。いっそ全部暴露してしまおうか』
僕はこれまで何度が表沙汰にしてしまいたい欲求に駆られた、自身の正体を暴露するという行為について口にする。
皆と出会ってこれまで、ずっと隠し通してきた秘密。
いい加減隠すのも疲れてきたというのは、偽らざる想いであった。
<それは妙案です。彼女にとっては理解の範疇外でしょうが>
『だよなぁ。この星の外に文明が在って、そこから来ましたなんて言っても納得するわけがない』
<ダリアなどは多少理解していたようですが、彼女も本気で信じていたとは思えませんし>
そういえば以前に出会ったヴィオレッタの母親であるダリアは、団長からそういった話を聞いたというような内容を口にしていた。
実際団長がどういう考えで教えたのかは知らないが、エイダの言う通り完全には把握しているとは言い難いようだ。
何にせよ、この後宿に入って以降、ヴィオレッタから追求という名の嵐が巻き起こるのは確実。
待ちうけるのが明らかなその災厄に、僕は歩きながら密かに覚悟を決めるしかないのだろう。
▽
「さあ、話してもらおうではないか。色々とな」
宿の部屋へと辿り着き、私物を置いて一旦また外出し、運んだ調度品の類を手分けして現金化。
そうして宿へと再び帰り着いた僕は、同じく戻っていたヴィオレッタによって部屋の隅へ座らされ、詰問とも尋問とも取れる圧をかけられていた。
針のムシロというよりも、気分はまさに断頭台へ放り込まれた死刑囚。
それほどまでに彼女の剣幕は険しく、こちらを射抜かんばかりの眼光だ。
過去にこれほど、ヴィオレッタが苛立っていたことがあるだろうか。
「悪かったよ、黙っていて」
「その理由を問うているのだ。どうしてこのような情報、私たちに黙っていたのだ」
「団長から……、いざって時のために切り札として持っておけって言われてね」
問い詰めるヴィオレッタの剣幕に押されつつも、僕はそれとなく思い付いた言い訳を口にする。
団長には悪いが、少々責任を押し付けさせてもらうとしよう。
直前に助かる情報をくれたのは確かだが、このくらいは許容してもらいたい。
「……いいだろう。実際それで窮地を乗り越えたのだ、不満を言うのはお門違いだ」
「助かる」
「だが私たちにくらいは、あの名がどういった人物のものかくらい、話してくれてもいいのではないか?」
団長の名を出したせいだろうか。
溜息衝き予想より早く解放してくれたヴィオレッタは、最低限これだけは教えろと、ロークラインについての情報を聞き出そうとする。
僕自身も対して知っていることなどないのだが、これくらいは教えねば彼女の溜飲は下がるまい。
立ち上がり部屋の外に出て人が居ないのを確認すると、皆を部屋の中央へと集め小声となる。
「正直言うと、僕もあまり知らない。ただ団長が以前付き合いのあった人らしくて、今はこの国で諜報を扱う役職に就いているはずだ」
「パ……、団長の知人だと?」
ついうっかりと、自身の父親に対する呼び方を口にしかけたヴィオレッタは、怪訝そうに首を傾げる。
彼女はこれまで、団長からこの名について聞いたことがないのだろう。
少々込み入った事情がありそうなので、話すのが躊躇われるような関わりであったのかもしれない。
「ああ。それもおそらく、かなり上の方に居る人物のはず。それはさっきビントゥーノがした反応を見れば、明らかだと思うけれど」
ただ見たままを告げるというのが、最も効果があるということか。
ヴィオレッタは口をつむぎ、ただ頷く。
彼女自身も見ていたあの反応は、何よりも説得力があったようだ。
それに伴って、僕が言っている言葉にも嘘はないと考えたのだろう。
考え込む素振りを見せながら、これ以上を問うては来ない。
<……ここで話している内容と、彼女が怒っていたという件については、私の方から団長へ報告しておきます>
『頼んだよ。後々で話しが咬みあわなくても困る』
とりあえず納得してもらえたかと安堵する僕に、エイダは気を利かせたのか、自身が代わりに連絡を取ると告げる。
エイダが団長と直接意思疎通を図ったことはないが、たぶんこれといった問題にはならないはず。
むしろここで一度くらい話をしてもらっておいた方が、これから先色々と不便がないとは思う。
「ともあれ明日以降かな。例のロークラインとかいう人に会って、話を聞いてからだ」
「わかった。……逆に面倒事に巻き込まれないよう、願うしかないだろうがな」
「そうならないよう祈っているよ。ここは団長の交友関係を、信用するとしようか」
ヴィオレッタは何やら厄介事の気配を肌に感じているのか。
団長の知人であると知ってもなお、多少なりと不安感を露わとする。
気にしすぎではないかと思いもするが、確かに彼女の不安もわからなくはない。
おそらく団長の知るその人物と関わりがあったのは、団長がダリアと共に行動していた頃の話しだろうから、最低でも十数年単位で会ってはいないはずだ。
年月が人を変えるなどということは、十分に予測の範疇であると言えた。




