ノーラウザ・タイム 06
『ヴィオレッタは、一見して平然としています。おそらく全く気にしていないということは、ないと思うのですが……』
『今はこういった状況だ、一旦弱音を吐いてしまえば、自力で持ち直せないと考えているのだろう』
僕が告げたヴィオレッタの様子に、団長は断定的なニュアンスを込めて告げる。
やはり長年共に暮らしてきた親子だけに、そういった心情的な理解も出来るということなのだろうか。
幼い頃に両親を失った僕には、よくわからないところではあるが。
そのように考えつつ、チラリと横目で彼女を見やる。
するとそこには変わらず、出された香茶のおかわりを口にしながら、肩の力を抜いているヴィオレッタの姿があった。
今は気を抜いているようだが、やはり彼女なりに苦悩しているであろうことは、想像に難くない。
『現状、ご報告できることは以上です』
『わかった。また何か報告の必要が生じれば、君の方からコンタクトを取ってくれて構わない。手段に関しては、君のAIが把握していることだろう』
『了解しました。ではこれで失礼させて頂きます』
ともあれ団長に伝えられる事の全ては話した。
僕は団長の了承を得て、再びこちらに専念すべく通信を遮断しようとする。
しかし団長の方はまだ用があるのか、直前にこちらを引きとめた。
『ああ、ちょっと待ってくれ。確か今はスタウラスの首都に居るのだったな?』
『はい。おっしゃる通りです』
『ではその国に居る間、何か問題が起こり助けが必要な時には、"ロークライン"という男を捜すといい』
引き止めた僕へと、突然に一つの名前を口にする団長。
いったいそれが誰であるのかは知らないが、おそらくは過去に団長と関わりを持った人物なのだろう。
『そのロークラインという方は、どういった人なのですか?』
『かつてスタウラス国の軍で、諜報を担う組織に属していた男だ。かつて私やダリアとも行動を共にしていたこともある、頼れるヤツだよ。おそらくは今も似たような役割を果たしているだろうから、聞いてみるといい。"借りを返して欲しい"と伝えれば、手を貸してくれるはずだ』
『わかりました。では何か起こった際には、頼りにします』
『そうしてくれ。では君たちの土産話を楽しみにしながら、道中の安全を祈っているよ』
団長はそれだけ告げると、こちらの返答を待つ間もなく通信を打ち切った。
何とも突然ではあるが、彼の言動が脈略もないのはいつものことだ。
不意に現れた嵐が過ぎ去ったような感覚に襲われ、つい脱力し椅子の背に身体を預ける。
そうしていると、やはり僕同様の感想を抱いたのか、これまで口を噤んでいたエイダの声が聞こえてきた。
<いやはや、驚きましたね>
『まったくだよ。……やっぱり団長は、こういう手段を確保していたんだな』
<これまでは感知できなかったのですが、割り込まれた通信を逆探知した結果、こちらの衛星からは多少離れたエリアに、別の衛星を補足しました>
『それが団長の使っている物だな』
<そのようです。随分と古い型なうえ小型のようですが、立派な軍用衛星であるかと>
以前から予想だけはしていたが、案の定団長はこういった装備を保管していた。
だがこれによって、いざという時に連絡を取れる手段を確保できたというのは、喜ばしいと考えていいのだろう。
決して表沙汰には出来ないまでも、常に上に指示を仰げるというのは、傭兵稼業にとってはとても大きなメリットだった。
突然な団長とのやり取りも終わり、僕は置かれた香茶を口に含んで一息つく。
そうしていると、応接間の扉が叩かれる音が響き、直後部屋へと二人の人物が足を踏み入れてきた。
前を歩く方は見たことがないが、後ろに着いているのはライモンドだ。
「お待たせいたしました、わたしはこのノーラウザ広報社を統括しております、ビントゥーノと申すものです」
姿を現した男は、白く立派な髭を蓄えた、老紳士然とした出で立ちの人物であった。
おそらくは企業であるというこのノーラウザ広報社における、社長と言える立ち位置の人物なのだろう。
もっと上にはスタウラスの政府が居るようなので、トップと言うには語弊がありそうだが。
彼はひとしきりの挨拶を終えると、僕等の対面へと座り、前置きなく本題へと移る。
あまり長々と世間話をしたりしない辺り、個人的には楽で良い。
「ライモンドから、大まかな話は聞きました。共和国は現在、西方の同盟との戦闘に注力しており、そのために軍を引いたのではないかということですな?」
「そうなります。偶然立ち寄った町で、兵士が話していた限りでは」
「なるほど、それで突如として休戦を持ちかけてきたのか。これで得心がいきました」
社長と思われるビントゥーノは、こちらがした説明に納得の様相を示す。
おそらく彼らにとってこういった情報は、喉から手が出るほど欲しいに違いない。
彼らはいわゆるメディアであり、その役割においてこういった情報が役立つためだ。
加えて推測ではあるが、スタウラスの政府直下の組織であるということから察するに、ここは他国の情報を収集する役割も担っているのだろう。
つまりはメディアであると同時に、スタウラス国の諜報機関でもあるのだ。
だとすれば場合によっては、つい先ほど団長から教えられた、ロークラインなる人物が在籍している可能性すらある。
僕の完全な思い込みである可能性は、捨てきれないところではあるが。
「ただ……、少々こちらとしては疑わしいと思うところが、ないわけではない」
ここまで僕が口にする話を熱心に聞き入り、口元を綻ばせていたビントゥーノであったが、突如としてその表情が一変した。
口元は横一閃に引き締められ、頬の筋肉は緊張に締まる。姿勢もこころなしか伸び、こちらを威圧するかのようだ。
そら来た。こういった相手は一筋縄ではいかない。
急激にキナ臭くなってくる会話に、僕もまた緊張から足元へ力がこもる。
「疑わしい……、とおっしゃいますと?」
「貴方がたの正体についてです。一介の旅人がここまで他方で情報を集め、状況を推察するというのは不自然だ」
「これもまた自衛手段の一つです。いつなんどき争いに巻き込まれるとも知れませんから、危険そうな場所を回避するために、頭を使わねばなりません」
背筋が冷たくなるような圧すら感じられる、ビントゥーノの低く響く声。
僕はそれを聞きつつ、その場で適当なそれっぽい理由を捲し立てる。
さり気なく横へと視線を移せば、ヴィオレッタの頬に冷や汗らしきものが流れるのが見えた。
彼女もこの状況が、あまり好ましくないと感じているようだ。
一方でライモンドはと言えば、これといって動じた様子もなくただ座って、事の成り行きを見守っている。
彼もまたビントゥーノ同様に、こちらへと一定の疑いを持っていたようだ。上手く隠し通していたものだとは思う。
「それもご尤も。ですが当然のことながら、私は貴方がたが普通の行商人であるとは素直に信じておりません」
「お疑いになるのも理解出来ます。ですが我々が行商人でないならば、いったい何であると?」
「これはあくまでも、個人的な想像にすぎません。ですが貴方がたが共和国へ潜入していた他国の密偵であるという考えは、私の妄想の産物なのでしょうか?」
逆に問い返してみるも、ものの見事に真実を言い当てられてしまう。
ただちょっと想像を働かせてみれば、このような結論に至るのも決して難しくはないのかもしれない。
わざわざ共和国からスタウラス国へと移動し、何処かへと去って行こうとしているのだ。
ここを経由地として本国へ戻ろうとしていると考えるのは、自然な思考ではないだろうか。
「あるいは直接的な可能性として、貴方がたそのものが共和国からの密偵であるとも。その危険性が排除できない以上、こちらとしては取れる手段に限りはあります」
「……どうされるおつもりで?」
「そうですな、一先ずこの場で拘束し、共和国へと身元の照会を行うというのはどうでしょう」
突然飛び出した発言に、肝が冷える。
だがここで取り乱すわけにもいかず、僕は必死に彼へと食らいついた。
「我々は共和国国民ではなく、方々を周って商売をし一つ所に定住せぬ身です。身元を確認しようとしても、無駄骨に終わるのでは?」
「それならそれで構わないでしょう。どちらにせよ、こちらにとって手間以上の不利益はない。もし本当に他国の密偵であったならば、共和国との取引材料にもできます」
淡々と告げるビントゥーノに対し、何とか食らいつこうとするも、返す刀で斬られたかのようだ。
彼は僕等を取引材料として使う可能性まで示唆し、冷たく笑う。
ついさっきまで穏やかに進んでいたというのに、急にこのような苦しい事態へと陥ってしまった。
やはりヴィオレッタが危惧していた不安は、当たっていたということなのだろうか。
本当にこの場で実力に訴え、逃げ出すという手段が現実味を帯びてきてしまう。
『危ない状況だな……』
<制圧を行いますか? これといった武器は携帯していないようですし、相手の筋肉量を見るに特別強くはないでしょう>
焦りを覚え始める僕へ、エイダは最初に想定していた最悪の事態への対処手段を提示する。
今の状況ではそれも酷く魅力的に見えてしまうのだが、そうもいくまい。
『戦えば制圧できるし、街から脱出するのも容易だろうな。だけどこんな狭い国土で、逃げ延びれるとは思えない』
<それもそうですね。よしんば港まで逃れたとしても、船に乗るまでまた時間がかかるでしょうし>
『ああ、戦って切り抜けるのは得策じゃない。自殺行為にも近いだろうな』
さあ、いったいどうこの場を切り抜けるか。
一見してこちらを試しているようにも見えるビントゥーノの発言。
だが彼はおそらく、必要とあらば口にした行動を取るのに躊躇うことはないだろう。
もしこのノーラウザ広報社が諜報に携わる組織であるならば、そのような行為は当然の手段だ。
「やましいことをしたつもりは有りませんが、共和国に突き出されるのは困りますね」
「ではそうせずに済むだけの、根拠や理由が欲しいところです」
肩を竦め飄々とした調子を作って言い放つ僕に対し、ビントゥーノとライモンドの目が興味深げな色を湛えるのが見える。
やはり彼らはこちらが何がしかの役割を負って、国境を越えていることに気付いている。
見逃して欲しければ、自分たちに有益な何がしかの対価を払えと言っているに違いない。
それはきっと情報なのだろうが、実際これ以上彼らに話すことが出来る内容など持ち合わせてはいない。
ビルトーリオの持つ知識や、共和国に潜伏している要員に関する情報など、幾つか取引材料に出来そうなモノは持っている。
だがこれより先は、僕等が密かに同盟へと持ち帰らねばならない内容だ。
ならばここは早速だが、先ほど団長から託されたばかりのアレを使うしかないだろう。
「そうですね、まだ若干お話しできることはあります。ですがその前に、ある人物を捜して頂きたい」
「ふむ……。ある人物というのは、この国の人間かな? 名を言ってくれぬか」
「ロークライン、という人物を」
ビントゥーノの問うてきた言葉に、僕は簡潔にその名を口にする。
直後、彼の表情が僅かに強張り、動揺の色が滲み出たのを見逃しはしなかった。




