憧憬
「敬礼っ!」
毎朝必ず僕等は起床後すぐに広場へと整列されられ、その上で人数を数えられる。
このキャンプに参加した当初の僕は、これにいったいどんな意味があるのかと考えたりもしていた。
しかし入ってから数日もすれば、その意味に気付かされる。
何のことはない。訓練に耐えかね、深夜の内に逃げ出す者が後を絶たないのだ。
この日もやはり、訓練キャンプに参加してまだ間もない少年たちの人数が、若干ながら減っているようにも見える。
実際に最後まで数え終えた教官がその数を叫ぶと、昨日よりも若干ながら人数を減らしているようだった。
数人が昨夜のうちに脱走したのだろう。
「よろしい、今日もまた腰抜けの鼠が数匹逃げ出したようだが、問題はないだろう」
年嵩な教官の言葉には、それを気にした様子はない。
実戦でもない訓練キャンプの最中に逃げ出すような者であれば、傭兵稼業など到底勤まりはしないはず。
戦場に出て死ぬよりは、今ここで見切りをつけた方がよほど賢いというものだ。
「では、これから読み上げる者はこの後の訓練には参加せず、すぐに荷物を纏めて本部に集合するように」
連絡事項を読み上げる教官の声に、訓練生たちからは微かなざわめきが興る。
こういった場合に名を呼ばれるのがどういった者か、昨日今日入った新入りでもない限り、全員が知っている。
そう、今日の僕を含めて傭兵としてのデビューを飾る者だ。
「デニス、ドルー、ケイリー、イーデン――」
壇上に立った教官が次々と名前を読み上げ、呼ばれた少年たちは威勢よく返事をする。
ケイリーの他、見知った顔の同年代の子や、名前だけは知っているが話したこともない子など。
呼ばれた人数は想像していたよりもずっと多い。
風の噂ではあるが、戦域の拡大によって傭兵の需要は日々増しつつあると聞く。
当然それに伴って、戦死したり大きな怪我を負う者も後を絶たない。
減った人員を補うためにも、僕等訓練生が多く戦場へと送られていくようであった。
「マーカス、ハンフリー、ナイジェル・ネス、アルフレート」
「はいっ!」
名前を呼ばれた僕は他の訓練生……特に年下の子たちに負けぬよう、声を張り上げる。
これで周囲にも、僕が傭兵として独り立ちするのだと周知されたはず。
密かに強く拳を握り、若干怯みそうになる気持ちを奮い立たせながらも、緊張を悟られぬように涼しい顔を作ってみせる。
僕とてこれまでの厳しい訓練を耐え抜いてきたという自負が有る。
周囲に対して無様な姿など見せられない。
「最後に、レオニード」
「……はい」
最後に名を呼ばれたレオは、それまでに呼ばれた少年たちよりも、ずっと張りの無い声で返事をした。
その覇気のない声のした方を見ると、レオは感情の動きが少ない表情のままで立っている。
選ばれたのが嬉しいのか、本当は嫌がっているのか。
彼との付き合いも一年近くになるが、相変わらずなかなか感情の読めぬ相手だ。
「以上だ。訓練を始めろ」
朝礼で連絡事項を伝え終えた教官の合図に従い、訓練生たちは各々にいつも通りの走り込みを始める。
だが僕は最初に指示された通り、訓練には加わらず自身の天幕へと戻り、速やかに荷物を回収しなければならない。
小走りでテントに戻る途中に一度だけ、後ろを振り返る。
振り返って見た先には、別の方向へと早足で歩くレオニードの姿。
その姿を視界に収めながら、僕はたった一年前の出来事であるというのに、どこか若干懐かしい感傷を抱く。
僕がこのキャンプに参加すると決めた理由の一端は彼にある。
あの時、僕の目の前で野生動物を仕留めた姿を目にして以降、レオの存在は常に僕の中で渦巻いていた。
その理由は主に二つあり、その内一つはレオの持つ得体の知れない身体能力。
レオは素早さという面ではともかく、常人ならざる馬力というか、怪力や強靭さを誇っている。
このキャンプに居る大勢の少年たちと比べてもそれは際立っており、未だにその秘密は定かでない。
そして二つ目、あの時僕の目に映った瞳の正体がなんだったのか。
僕の背を震えさせた深い色をもう一度覗き、その正体を探ってみたい。
今にして思えば、これらが訓練キャンプへの参加を決断した、最も大きな理由だったように思える。
随分と珍妙な理由であると、我ながら可笑しくなってしまうのだが。
しかしあの時のような深い色を湛えた瞳を、僕はあれ以降一度たりとて目にすることは出来ていなかった。
もし別々になってしまえばその機会を失うのではと考えていたが、僕が傭兵として独り立ちするこの日、彼と一緒であるというのは神ならぬ教官に感謝しなければいけない。
だがそれとは別に、僕は彼に対して一つの感情が芽生えるのを感じていた。
走っていくレオニードの後ろ姿を眺めつつ、一言呟く。
「負けてられない……」
出自云々による対抗意識ではないが、やはり僕とて男だ。
親しい相手であるからこそ、後塵を拝す訳にはいかない。
例えそれが、これから先も仲間として共に戦うであろう相手であるとしても。
力を込めて決意したその頃には、レオニードの姿は目の前を走る他の訓練生たちの姿によって、掻き消されてしまっていた。
▽
テントに戻って急ぎ私物を回収し、訓練キャンプ内にある本部へと集合。
全員が本部に集まった直後に何の説明もされず押し込まれたのは、座席の備え付けられた一台の馬車だった。
馬車とは言うものの、それを引くのは二足歩行の巨大な鳥。
航宙船を離れて人里に出た時に見たのと同じ、ダチョウと恐竜を掛け合わせたような生物。
騎乗鳥と呼ばれるその生物が引く鳥車の中、僕等は激しい揺れに耐えながら、ただ呆としている以外にすることもなかった。
大雑把に大きな石を押し退けただけの、街道とは名ばかりな土むき出しの道。
硬い木材で作られた車輪が小石を跳ね、その衝撃は席に座る者を容赦なく襲う。
僕などは比較的平気な顔をしてはいるものの、若干名が揺れに酔ってしまい、今にも嘔吐寸前といった様子だ。
十数名の訓練生たちは現在、二台の鳥車に分かれて移動している。
おそらくもう一方も似たような状況になっていると予想するのは容易い。。
可哀想ではあるが、いざとなったら自分で外に顔を出して、吐き出すなりなんなりするのだろう。
する事も無く暇を持て余し、数少ない私物でもある胸元の小さなペンダントを手で弄ぶ。
今は遠い地にある、航宙船のサポート用AIであるエイダと僕とを繋ぐ端末だ。
この惑星の言語を解せない僕は、これが無ければ皆とも碌に会話できず、エイダからのサポートも受けられなくなる。
一応は船に戻ればスペアもあるが、今手元にはこれ一つしかないため、無くす訳にはいかない。
戦場で無くさないようにするには、首から下げたままで大丈夫なのだろうかと考える。
「ねぇアル、それ最初に会った時からずっと持ってるけど、なんか訳ありの品?」
唐突に密着して肩へと腕を回し、手元の首飾りを覗き込むのはケイリーだ。
訓練生の中でも数少ない女子であるケイリーなのだが、どうにも彼女は男子との距離感が近すぎるように思えてならない。
訓練キャンプに参加している女子たちは、そのほとんどが男子から離れて固まっている。
訓練生同士気の置けない仲間であるというのは確かなのだが、やはりそこは男所帯である傭兵団。
自衛のために女子だけで集まり警戒するのが、当然といえば当然であった。
そんな女子たちの中で、ケイリーに関してはそういった集まりから一定の距離を置き、よく僕等男子へとちょっかいを掛けに来ていた。
その近すぎる距離感や、今もされる過度なスキンシップ。
それが多くの少年たちを困惑させ、勘違いさせてきたものだ。
彼女にその気はさらさら無いようではあるが。
ケイリーは僕の手にした、小さくシンプルな青い宝石をあしらったペンダントを凝視する。
実際にこれは宝石ではなく、各種センサーや中継器などといった機能を詰め込んだ装置なのだが、一見すれば確かに宝石にしか見えない。
おそらくこの惑星の技術水準では、これが何かを理解する者は居ないはず。
ケイリーは面白い物を見つけたとばかりに、顔にニタリとした笑み浮かべ、揶揄する言葉を向けた。
「もしかして誰かからの贈り物? 意外とやるじゃない」
「いや、そんなのじゃないよ。贈り物なのは確かだけど、家族からもらった物さ」
ケイリーのからかう言葉をあしらうように、僕は設定しておいた嘘を述べる。
エイダの分身とも言えるこれはある意味で、彼女から貰った物と言えなくはない。
永年の付き合いである彼女を家族と仮定するなら、それも嘘ではないのだろう。
家族からの贈り物だと告げた僕の言葉に、ケイリーは「ふぅん」とだけ反応し、それ以上問い詰める真似はしなかった。
家族に関する話を根掘り葉掘り聞く行為。それは明文化された決まりではないものの、訓練生の間ではルール違反となっている。
傭兵稼業に身をやつそうとしている者の多くは、それを失っている者たちである可能性が高いからだ。
もっとも、ケイリーに関しては最初に会った時にそれを告げているのだが。
「ねえ、ちょっと貸してみてよ」
ケイリーは気を取り直さんとばかりに、ペンダントを貸すように要求する。
一瞬だが僕は、その要求を受け入れていいものか悩む。
少々の衝撃で破壊されるような強度ではないはずだが、それでも貴重な品には違いない。
「……いいけど、絶対に壊さないでくれよ?」
少しの逡巡を経て、ケイリーへと貸としてみることにした。
言語の翻訳は僕の頭皮下に埋め込まれた端末と無線でやり取りするため、直接肌に触れている必要はない。
彼女はお調子者な性格ではあるが、大切な品と知っていながら無茶な扱いをするような人ではないはずだ。
ケイリーはペンダントを受け取ると、すかさず首の後ろで紐を結び、見せつけるようにポーズを取ってみせた。
紐は彼女の胸の下、鳩尾に近い場所まで伸びている。
僕の首には丁度よい長さではあるが、ケイリーには少々持て余すようだ。
「どう? 似合うかな?」
淡いブロンドの短い髪に、ほんの少しのソバカス。
常に明るく男子たちに混ざって馬鹿話に興じ、異性というよりは男友達と接しているような感覚さえ覚える彼女。
そんな個性を持ったケイリーには、その首飾りは些か清楚すぎるようにも思えた。
「微妙」
「うっさい! ほら、返す」
そう言い放ったケイリーは、外したペンダントを僕へと押し付ける。
だがふと思い出したかのように、その紐を僕の手首へと巻きつけ、ペンダントの先をはめたグローブの中へと押し込んだ。
「これなら無くさないでしょ?」
そう言ってニカリと笑うと、すぐさま興味を失ったかのように、反対側の席に座る男子へと話しかけ始める。
どうやら僕がこれを手にし、何を考えていたのかを見透かしていたようだ。
快活な性格とは裏腹に、存外気配りのできる彼女へと心の内で感謝し、このやり方を使わせてもらうことにする。
ケイリーの言う通り、これならば首に掛けたりポケットに突っこんでいるよりは、紛失する恐れは減るに違いない。
その後の僕は再びすることも無く、ただひたすら荷車鳥車に揺られるだけとなった。
ケイリーと他の男子が楽しそうに会話する様子を意識の端で聞きながら、向かい側の席へと視線を向ける。
簡素な座席の隅へと座り、先ほどから誰と会話するでもなく、ただ俯き続ける一人の人物。
どこか人を寄せ付けようとしない雰囲気を纏っているのはレオニードだ。
「酔ったか?」
「……いや、そんなことはない」
そんなレオだが、話しかけられれば、ぶっきらぼうにも返事はする。
しかし人との交流を苦手としているのは間違いなく、キャンプでも僕とケイリー以外に話しをしている光景はほとんど見かけない。
「レオは僕よりもずっと長く訓練してきてるけど、緊張したりは?」
「俺はない。アルこそどうなんだ?」
上手く疑問を引き出せた気がする。
ここまで話せれば、彼もそれなりに口が回ってくれるのだ。
「緊張しっぱなしだよ。昨晩もあんまり眠れなかったしさ。レオはスゴイよな、槍や大盾だって上手く使えるから」
「その代わり俺は素早くない。アルこそ何でもできるだろう、凄い」
珍しく人を褒めるレオの言葉に、僕は背中がこそばゆくなるのを感じた。
彼は確かに力こそ人並み外れているが、その代わり瞬間的な速さなどに欠けるというのは否定できない。
それでも彼はそういった弱点を補う立ち回り方を身に着けているため、然程問題にはならなかった。
彼の扱う大剣や大盾によって、僕は訓練中に何度弾き飛ばされたことか。
おそらく戦闘となって前線に出れば、さぞや活躍してくれることだろう。
それを伝えてみると、レオは少し黙り込んで余所を向いてしまう。
「なんだ、照れてるのか?」
「五月蠅い」
抑揚のない声で言い放つが、たぶん照れているに過ぎないのだろう。
時折僕はこうやって、レオをからかう時がある。
そのときばかりは、彼も歳相応に顔を赤らめ、感情の色を表に出してくれるから。
僕は俯いて表情を隠そうとするレオの様子が少しだけ可笑しくなり、揺れる鳥車の上で小さく笑いを漏らしていた。