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青い槍刃 02


 ただひたすらに、息が上がる。

 心臓に早鐘を打たせることで、脳と筋肉は酸素の欠乏を訴え続ける。

 乳酸の溜まった脹脛は強く堕落を強要し、足を止めればどれだけ楽であるかを囁く。


 そんな疲労に苛まれる逃走の最中、僕は山中の細い街道を、あるいは足場の悪い岩場を駆け続け、幾人もの追い縋る兵士を屠っていた。



 ある兵士は剣を振りおろし、弓を射かけてきた。

 一方で一部の兵士は騎乗鳥に跨り、細長い槍を繰りだしこちらを貫かんと突進を仕掛けてくる。

 そんな共和国の兵士たちが、現在残り六一人。


 僕は皆と離れ一人囮となった状態で、それだけの共和国軍兵士を相手に逃走を続ける。



<数本の矢が放たれています。右へ回避してください>


「そっちは崖だぞ! 落ちるっての!」


<大丈夫です。四mほど下に段差があります、そこを足場に>


「ああ、クソッ!」



 回避行動の最適解を示していると思われる(・・・・)エイダの言葉に従い、悪態つきつつも右手の崖へと飛び降りる。

 一見して奈落の底と見えたそこであったが、確かに彼女の言う通りだ。

 浮遊感を感じた直後には、しっかりと足は地面の感覚を捉えてくれた。


 着地の直後、そのまま正面に伸びる道なんだか岩の出っ張りだかわからぬ場所を突っ切っていく。



「これで死んだと思ってくれないだろうか」


<無理でしょう。位置的には後続の兵士から丸見えです>



 なけなしの希望が口を衝くが、どうやらそれは叶わぬ望みであるようだ。

 エイダの淡々とした宣告に内心で肩を落とす。


 それにしても、いったいどれだけの時間逃走しているのだろうか。

 何十人もの兵士たちに追われ、多くの攻撃を回避し、幾人もの兵士を屠り続けているためだろうか。

 どうにも時間の感覚というものがない。


 僕は上の足場へと飛びつき崖から脱すると、チラリと背後を振り返った。

 既に視界の中にリヴォルタの街並みは映らず、見えるのは岩肌と追いかける兵士ばかり。



「もうそろそろいいんじゃないか? 十数人も斬れば、無理と判断して撤退するだろう」


<だといいのですが、楽観的観測であると言えます。倒せば倒すほど、逆上してくる危険性も>


「……そいつは否定できないな」


<それにこれ以上の戦闘稼働を継続すれば、著しく体力を消耗します。よしんば勝利しても、その状態で山地を移動するのはお奨めしません>



 僕は走りながらエイダの事務的な口調を聞き、一々に納得する破目となった。

 以前に北方で戦った時に、左腕に嵌めたブレスレット型の装置を全力で起動し戦った時のことを思い出す。

 あの時はあまりにも高い負荷により、しばらく真面に動けなくなったものだ。


 ここまでの逃走でそれなりに消耗している上、手持ちの水も少ない状況。

 そのような状態で強い日光に晒され続けるこの土地を歩けというのは、かなりのリスクであるのは確か。

 正直なところ、こればかりは御免被りたかった。




 その後も僕は身体に鞭打ち、迫る兵士たちの攻撃を避け続け、一路南の王国方面へ向けて逃走を続けた。

 道中何度となく追い縋る騎兵を薙ぎ倒し、淡々と鎧の隙間へ短剣を刺し入れる。

 ここまで片手で数えられぬだけの兵士を屠り、そのうち両手を使ってもでも足りなくなった。

 今は自身の両足を使っても足りず、倒れた兵士の手を借りてようやく足りるといったところだろうか。



<王国との国境まで約一二km>


「随分と逃げてきたけど、連中もよく諦めないもんだ。王国との国境に兵は居るか?」


<進路上、双方の兵は確認できません。ですのでまだ距離はありますが、国境を突破すること事態は容易で――おや?>



 王国の領土が迫りつつあると告げるエイダ。

 そこで僕は先にも敵が存在するかを問うたのだが、何やら彼女は異常を察したようであった。



「どうした?」


<追撃の兵が速度を緩めています。順次撤退を始めている模様>


「国境が近いせいか……。今はまだ王国と事を構えるつもりはないってことだな」



 まだ距離があるとは思うが、国境の一歩手前まで追いかけるという訳にはいかないのだろう。

 共和国からしてみれば、どこで王国の兵が見張っているとも限らないのだ。

 たったの数十人であるとはいえ、大勢で迫れば侵攻の意志があると判断されてもおかしくはない。


 そう考え安堵しかけた僕であったが、エイダはまたもや異常を感知したようだ。



<待ってください。一騎だけ、こちらへと迫る兵が居ます>


「一人だって? 功を焦ったのか……?」



 振り返るってみると、彼方から騎乗鳥に跨った騎兵が一騎、こちらへと駆けて来るところだった。

 騎兵にしては随分と軽装な衣類を纏い、頭には兜の類すら被ってはいない。

 どうして一人だけでと考えるが、単騎であれば倒してしまう方が面倒がないだろうか。




 その騎兵は短剣を構え振り返った僕から、少し離れたところで騎乗鳥を停止。

 地面へと降り立つと、一本の槍を携えてゆっくりと近づいて来た。



「随分と大胆な曲者が居ると聞いて参ったが。なんだ、小童ではないか」



 ゆっくりと迫る兵は、青い布を柄に巻き付けた槍を肩へ担ぎながら告げる。

 僕は現在ローブに付いたフードで、顔を隠している。

 であるのにそう言ったからには、仕草や何がしかの情報から歳を判断したのだろう。


 そのフードの下から目を覗かせ、兵士の顔を見やる。



「……珍しいな。女の騎兵とは」


「うむ、否定はせんよ。巨大な共和国軍の中に在って女性兵士は数多居るが、騎兵となればそう多くはない」



 僕の呟きとも会話とも知れぬ言葉に、向かい合う兵士は平然と返した。


 おそらく年齢は多く見積もっても三十の半ばくらいだろうか。四十には達していないだろう。

 スラリとした長身に、細身の身体。長い鳶色の髪を無造作に流している。

 戦場には似つかわしくない悪戯っぽさを醸し出すその顔は、多くの人が美人と形容するであろうものであった。


 よく見れば服装は他の兵士たちと異なり、少々堅苦しい。

 動き易さよりも見栄えを優先したと思われる、身体にフィットしたいかにも軍服といった出で立ちだ。



「士官か……」


「ご名答だ。私はここリヴォルタで、それなりの地位を拝命している。見た目からしてもわかるであろう?」



 その妙に固い口調も相まって、威圧感を感じてもおかしくはない。

 であるにも拘わらず、僕はどうにも彼女に妙な感覚を覚えてしまっていた。

 眼前の女性士官自身がリラックスしているせいもあるのだが、何やら妙な既視感を感じてしまうのだ。


 女性士官はこちらを眺めて若干顔をしかめると、商店で品の説明でも求めるような軽さで問う。



「で、そう言う貴様は何者なのだ?」


「素直に言うとでも思っているのか?」


「流石に正直に答えてくれるとは思っていないさ。見た目から察するに、シャノン聖堂国の兵士といった風体だな。何度か小競り合いをした時に、見かけたことがある」



 向けられた言葉は、僕等が意図して狙った通りの物。

 どうやらこの恰好は、ちゃんと王国の兵らしく偽装できているようだ。

 実際に目の当たりにしたというこの人物が言うのだから、そこは信用していいのだろう。


 ただその言葉からはどうにも、引っかかるモノを感じられる。

 その感想は当たっていたようであり、次いで彼女の口を衝いた言葉は、僕を当惑させるに足るものであった。



「だがおそらく変装であろうな。私の予想ではあるが、貴様は王国の兵ではあるまい。あまりにも姿が露骨すぎるし、逃走する際に姿を見せたのも、おそらく我々の目を引き付けるためだ」



 顎に手を当て、小首を傾げて告げる女性士官。

 推定の年齢と言葉使いの割には、少々可愛らしいその仕草ではあるが、言っていること自体は的を射ていた。

 敵を前にしても冷静さを保って会話に興じるあたり、彼女は頭に血が昇り、目にしたままを事実と受け入れたりはしない人間であるようだ。



「王国に疑いの目が向くよう偽装した、他国の人間と考えるのが自然だろう。そのために意図して姿を晒し、南へと逃亡を図った」


「……さてね」



 いちいち相手が言うことは正解だ。

 この欺く行為そのものは、騙す手段としては非常に稚拙であるため、ちょっと時間をかければすぐバレるような策に過ぎない。

 だがこうまで当然のように言い当てられてしまうと、こちらとしては立つ瀬がなかった。



「ただどちらにせよ、明確に王国の人間と主張した姿をしているのだ。こちらとしては当面王国側による犯行を疑わねばなるまい。君の……、あるいは君に命じた人間の(はかりごと)は、見事成功したことになる」



 彼女は担いでいた槍を地面に刺し、数度乾いた拍手をした。

 一見して称賛の言葉にも思えるが、どこか馬鹿にされているようだ。

 おそらくは両方が混ざっているのだろうが。



「皮肉交じりの称賛、有り難く受け取っておくよ」


「そうしたまえ。ただこれだけの距離を百に迫る数の兵から逃げ続け、無傷のままである点については、素直な称賛を贈ろうではないか」



 そう言って彼女は地面に刺した槍を引き抜き、一度だけグルリと回転させ穂先を向ける。

 柄に結ばれた青い布が舞い、その軌跡はまるで宙に水流が巻き起こるかのよう。

 動作は流れるようで澱みなく、長年一つの武器を使い続け熟達していることが明らかだ。


 僕は流麗とも言えるその動作と青い影に魅入られつつも、再び短剣の柄を握りしめ腰を低く保った。



『強そうだな……。他の兵士とは明らかに格が違う』


<そういうものでしょうか? 私にはわかりかねます>


『直感てやつだよ。いい加減そういったことが、僕にもわかるようになってきた』



 基本的にはデータで評価を下すエイダにはわからないのも当然か。


 女性士官は目を細め、表情的には柔らかなものを保っていた。

 だがその眼光からは鋭い光が漏れており、背筋をビリビリと震わせるような圧が感じられる。


 今まで遭遇した敵の中で最も強いと感じたのは、北方で遭遇した部族の族長であるドーエンとかいう戦士。

 彼もまた強い威圧感を誇り、実際に武器を振るってはこちらを酷く苦戦させたものだ。


 その彼とは方向性が異なるのだろうが、彼女もまた非常に高い戦闘能力を有しているはず。

 下手をすればかのドーエン以上に。




「人の上に立って以降、前線に立つ機会が極端に減ってな。悪いが少々、肩慣らしに付き合ってもらうぞ」



 彼女は一方的にそう告げるなりグッと腰を落とし、青い布を靡かせ一直線に槍ごと突撃を仕掛ける。

 その迫りくる彼女の顔に見える口元は小さく歪み、言動からはかけ離れた狂気が溢れ出しているかのようであった。

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