術 07
普段と変わらぬ乾燥した風の吹きつける昼間。
この日は首都へと向かったもう一方の隊と共に予定していた、攻撃の決行日。
なんとか準備を間に合わせた僕は、ビルトーリオと共に彼が所属する軍研究所の建物内へ居た。
「おや、珍しいじゃないか。ビルトーリオ研究員が人を連れているなんて」
その研究所内、特別広くもない石敷きの通路を進む最中、僕等はすれ違う一人の人物から声をかけられる。
中肉中背でビルトーリオと同じく白衣を着たその人物は、考えるまでもなく軍属の研究職に就く人間だろう。
「ええ、少々人手が必要な場面がありまして。友人に手伝いを」
「ハハハ、友人なんて居たのか。ちょっと意外だな」
僕と共に歩いていたビルトーリオは、彼の随分と失礼な物言いにも動じた様子はない。
おそらくは普段からこのような調子であり、彼にすれば慣れたものなのかもしれない。
男は軽く笑っているのだが、どうもこの様子からして、嫌味で言っているつもりはないのだろう。
学術一辺倒でやってきた人間は、こういった面で気が利かないのだろうか。
などと考えてしまうのは、偏見であろうとわかってはいるのだが。
それほどまでに、男がした言葉は愉快なモノではなかった。
「ビルトーリオさん、そろそろ」
「ああ、そうでした。私どもは急ぐので、これにて」
僕はビルトーリオを促すと、無礼な発言を繰り返す研究者の男へと会釈。
木製の小さな車輪が付いた台車を押し、先へと進んだ。
ゴロゴロと石敷きの通路に鳴り響くその音を聞きながら、一度だけ背後を振り返る。
先ほどすれ違った男はこちらに関心などないのか、既に何処かへと去っており、視線の先にはただ狭い通路が伸びるのみだ。
「いつもああなんですか?」
「お恥ずかしながら。私はこの研究所では、あまり重宝されていないものでして……」
僕がビルトーリオへとこっそり問うと、彼は少しばかり目線を下げ、恥ずかしそうに小声で返した。
案の定ではあるが、やはり研究内容が有用と判断されねば、研究者としての価値が低く定められてしまうようだ。
軍の研究施設である以上、軍事的な内容に直結すると思われなければ、それも仕方ないのだろう。
ただ彼の場合は、他国に出自を持つため階級が低いというのも原因としてはあるのだろうが。
「とりあえず、怪しまれてはいないようですね」
「ええ。貴方が用意してくれたこいつのおかげですかね」
そう言って僕は自身の纏う、ビルトーリオが着るのと同じ白衣の裾を摘まむ。
こういった場所は、普通見ず知らずの人間が易々と入り込める場所であるはずがない。
ただビルトーリオがしている研究の重要性が認識できていなかった施設は、彼の研究室であれば然程秘匿するものではないと認識していたようだ。
服装を揃えてしまうだけで容易に門は開かれ、肩透かしなほどアッサリと潜入できた。
無論入口の兵士相手に、実験に必要な手助けを行うという方便も並べ立てはしたのだが。
『ここまでザルなセキュリティーだと、逆に感心するよ』
<基本的には攻めるばかりで、攻撃を受けるという立場にないせいもあるでしょう。無論そういった機密保護の意識が根本的に希薄であるというのが、最大の理由かとは思いますが>
機密度合いによるエリアの区分も適当な施設内。
ビルトーリオの持つ研究室の隣では、新型の攻城兵器などという機密度の高い兵器の試作が行われているらしい。
せめて重要度ごとに区分けでもすればいいのにとは思うが、そういった考えがまだ浸透してはいないのだろう。
だが僕等にとっては、非常に好都合であるのは確か。
とりあえず、その隣の部屋は優先して何とかしておくとしよう。
「ここが私の研究室になります」
しばし台車を押して通路を進んでいくと、とある部屋の前でビルトーリオは立ち止まった。
扉の上に掛けられたプレートには、彼の名前が刻まれている。
懐から取り出した無骨な錠を使い扉を開けると、周囲を窺いながら中へと滑り込む。
しかし部屋の中は真っ暗で、様子を窺おうにも暗闇に慣れていない目には何も映らない。
「すみません、火が使えないものでして……」
そう言ってビルトーリオは壁の方へと近づき、ガタガタと何がしかの動作を行う。
するとそこからはサッと光が差し、室内を薄く映し出した。
窓から照らされた光によって映し出されたのは、幾つかの棚と石材のテーブル。乳鉢などが転がる簡素な部屋だった。
ただ思いのほか壁の作りなどはしっかりとしているため、施設そのものには金がかかっているのだろう。
共和国が新しい技術への投資を、熱心に行っている証拠であると思えた。
「本当は日光も好ましくないのですが、流石にそれも無しでは作業が出来ないもので」
「それでは普段、研究は昼間だけで……?」
「はい。おかげで夜は何もできず、酒場で独り酔い潰れるばかりです」
ビルトーリオはそう言って頬を掻き、恥ずかしそうに告げる。
酒に釣られて研究内容をペラペラと話してしまい、仕舞いには敵国に加担する流れになってしまった自身を、今更ながら滑稽に感じているのかもしれない。
彼は石造りのテーブルへと近付くと、そっと手を這わせた。
暫し黙り込み、石の温度を感じようとするかのように身動き一つ取らない。
おそらくは今から行おうとする行為の前に、最後の名残を惜しんでいるのだろう。
その別れも済んだのか、ビルトーリオは手を離し壁際へと近寄る。
「お待たせしました。これがそうです、早くやってしまいましょう」
「わかりました。ではこれに」
意を決して告げたビルトーリオの言葉に倣い、僕は彼が指さす瓶へ向け台車を転がす。
台車の上に被せていた布を剥すと、中から現れたのは幾つもの小壷。
それら全てが、壷の口から一本の紐が覗いている。
「全て移してください。ここではそのうち半分を使います」
「あまり急かさないで下さい。慎重にやらないと、ちょっとのことで引火してしまうんですから」
僕とビルトーリオは、手分けして運び込んだ小壷へと、彼の研究成果たる液体を移していく。
この壷の中には衣類などに使われる繊維が詰め込まれており、濃度の高い液体も相まって纏わりつき、少々揺れた程度では零れないようにしてある。
使う時には口から伸びている紐へと着火し、投げつけて使えばいい。
ようするに火炎瓶の類だ。
上手く紐の燃焼速度などを調整し、時限式の装置と出来れば上等だったのだが、この短期間ではそうもいくまい。
これだけでもかなり携行性が改善されたのだ、今回は上手く使っていくしかないだろう。
「これで全てです」
「了解。ビルトーリオさん、覚悟はいいですか?」
「……はい」
液体を全て小壷へと移し終えると、僕は彼に向けて開始しても大丈夫かを問う。
少しだけ逡巡したかと思うも、ビルトーリオもとうの昔に踏ん切りはついていたようだ。
ハッキリと了承の旨を告げ、拳を握りしめる。
彼の肯定を確認すると、僕は運び込んだ台車の一部を蹴り割った。
すると中からは、細身ながらも一本の中剣と二着の衣服が姿を現す。
これは今日のためにマーカスが死に物狂いで用意してくれた、比較的隠し持ちやすいよう作られた武器。
そして王国の人間に偽装するための衣装だ。
僕等は急いでそれに着替えると、液体を詰め込んだ小壷を全て台車へと乗せる。
「まずは隣。次いで資料庫です。道案内は任せました」
「は、はいっ!」
施設内の案内を任せるよう告げると、ビルトーリオは剣を手にする僕の言葉に緊張の面持ちで頷いた。
これから行おうとしているのは、迫る障害を排除しつつ施設内の各所へと火を放ち、その成果を抹消することだ。
研究の経過などは基本的に資料庫に納められているようなので、そこは確実に処理しなければならない。
途中どうしても誰かに見られてしまうため、そちらに関しては僕が対処しなければならないだろう。
当然のことながら、基本的には罪のない人間も含めて。
ビルトーリオにはそういった点も含め、事前に理解してもらっている。
「では行きましょう」
そう言って僕は扉を開け放ち、通路へと飛び出すと隣の部屋へ。
分厚い木製扉の取っ手へと手をかけると、鍵の掛けられていないそれを開け放ち中へと飛び込んだ。
部屋の中へと入ると、目の前にビルトーリオの研究室よりも随分と広い空間が広がる。
そこには数人の男たちが立っており、彼らは一様に白衣ではなく作業着を着こみ、部屋の中央へと据わる何がしかの機材を取り囲んで会話をしていた。
「な、なんだね君は、いきなり押し掛け――」
突如開かれた扉に動揺した研究員らしき男たちは、動きを止めつつも飛び込んできた僕等へと不平を述べようとする。
が、その間もなく一足飛びに接近すると、僕は男の言葉を聞くこともなく中剣を振るい、最も前に居た男を斬り裂いた。
驚愕に見開かれ、ただ何が起こったのか理解が及ばぬ目。
その身体が仰け反って床へと倒れ行き、他の男たちはただ立ちつくし見送るのみ。
不意に行われた事態に対し、脳の処理が追いていないのだろう。
やはり彼らは軍の所属とはいえ、戦いに身を置かぬただの研究者に過ぎぬようであった。
「……ヒッ」
このまま事態を把握できぬまま、黙っていれば好都合と考えていたのだが、一人が本能からか悲鳴にも似た声を上げかける。
しかしそのまま大声を上げさせるわけにもいかず、男へと接近。
左の手で口を塞ぎ、右手で胸へと剣を突き立てた。
くぐもった声が微かに掌へと伝わる。
剣を引き抜き、次いで近くに立つ三人目の研究者へと飛びつく。
それを繰り返していき、僕は瞬く間に総勢五人の研究者たちを床へと沈めた。
「ビルトーリオさん、お願いします」
全員を片付けた僕が背後を振り返ると、部屋の入り口には立ちつくすビルトーリオの姿。
台車こそ部屋へと運び込んでいるものの、扉は開け放たれたままで、ただ呆然と立ち尽くしたまま。
しかしそれも致し方ないのかもしれない。
石造りの床は五人の男たちが今も流し続ける血に塗れ、鉄を感じさせる異臭が漂い始めているのだから。
「時間はありません、早く。それと扉も閉めてください」
「は……、はい」
促す言葉に彼は反応し扉を閉めると、青褪め始めた顔で台車から一つ二つの小壷を取り出し、火を放つ準備を開始した。
準備の最中に彼はこちらと骸をチラチラ横目に映し、怯えた空気を纏っていく。
事前にこういった状況になると告げているとはいえ、嘔吐し気を失わないだけマシであろう。
おそらくは情景を想像していたとはいえ、易々と同僚たちの命を奪った傭兵という存在へ、畏怖し始めているのは想像に難くない。
案外彼は今頃になって、僕の提案を受け入れたことを後悔し始めているのかもしれなかった。




