術 05
「とりあえず、しばらくはここを使って下さい」
「わ……、わかりました。他には何をすれば?」
「普段と同じで構いませんよ。いつも通りに研究室へ行き、いつも通りに研究をして、ここに帰宅してください。人と顔を会わせても、極力怪しまれぬように」
リヴォルタの中でも比較的喧騒の激しい、行商人などが多く泊まる宿。
僕はビルトーリオをその宿に在る一室へと連れて行き、一時の住処として使うように告げた。
結局あの後少しして追いかけてきた彼は、僕の提案を受け入れてくれることにしたようだ。
どこか落ち着ける場所を探し、そこである程度肝心な部分を省いた説明を行った。
それでも共和国に仇名す行為であるというのは言ったのだが、よほど共和国への不満が強かったようで、彼は二つ返事で了承してくれた。
随分とアッサリ受け入れたものだとは思う。
だがそれもそうか。何せ彼は元々共和国の人間ではなく、生まれ育った祖国を征服された側なのだから。
「そこは大丈夫だと思います。私はあまり、施設内でも人と話すことがありませんので……」
「な、なら良いんですが……」
ビルトーリの告げる、何とも寂しい言葉へと相槌を打つ。
決して良くはない気もするが、実際のところ彼は研究所内でも孤立気味であるようだ。
その出自によるところであったり、研究内容が軍事的な価値を見出されていないという点から、あまり良い待遇を受けていないせいだろう。
少々寂しいものだと思うが、実際こちらにとっては好都合だ。
それも一因となったが故にビルトーリオは大きな不満を抱え、僕等に協力するという選択をしてくれたのだから。
「ところでビルト―リオさん。貴方の研究しているという品ですが、少しばかり持ち出すことは可能ですか?」
「あまり大量となると難しいですが、小さい酒壷程度の量でしたら。……どうされるのですか?」
「実物がどういった物か興味がありましてね。案外色々と使えるかもしれません。お願いできますか?」
突然にした僕の問いに対し、ビルトーリオは怪訝そうな顔を浮かべつつも、首を縦に振る。
どうしてそのようなことを提案したのかと言えば、研究しているというその品が気になっていたためだ。
もし彼の研究品が、こちらが予想している通りの性質を持っているのであれば、今後大きな利益へと発展する可能性も高い。
それこそこの惑星における経済を、根底から覆してしまいかねないほどに。
それに想定通りの効果を発揮するのであれば、今回の襲撃にも使いようがあるかもしれない。
「では明日、持ち帰っておきます」
「すみません。また明日に顔を出しますので、その時に見せて下さい」
僕はそれだけ告げると、ビルトーリオを置いて部屋の扉を閉め、宿の外へと向かった。
まだ行動を開始するには準備が足りず、多少の時間を要する。
それまで彼には極力普段通りに、研究室に通うようにしてもらう必要があった。
ただこちらとしても直接彼の家に行くのは躊躇われたため、住処だけは移ってもらったが。
宿から外へ出た僕は、夏の盛りにも思える暑さを感じる空気を浴び、昼日中の通りを進んだ。
標高が高いとはいえ、やはり南部ともなれば気候も変わる。
太陽はジリジリと地表を照り付け、肌からは限りなく汗が搾り取られるかのようだ。
陽射し避けのために着ていた薄手の上着を脱ぎ捨てると、溜まっていた熱気が外へと流れ一瞬だけ涼感を感じる。
代わり焼け付くような日光に晒されたため、その上着を被り日除けとする破目となったのだが。
そのうだるような暑さから逃れるために、建物の影を歩く。
早く宿に戻って一休みしようと考え、足を速め始めた時、不意にエイダの声が頭へと響いた。
<ところで、本当に信用できるのでしょうか?>
『ビルトーリオのことだな』
<はい。途中で気が変わる可能性は常に考えておくべきかと>
彼女はビルトーリオが途中で怖気づき、この件を共和国軍に垂れこむ恐れがあると考えているようだ。
エイダが警戒するのはある意味で当然。
何せ知り合ってからまだ二日と経っておらず、人となりも完全に把握しているとは言い難いのだから。
『たぶんね。とりあえず今回に限っては、ちゃんと協力してくれるはずだ』
<今回に限ってはそうでしょう。ですが私が言っているのは、成功した後で彼を同盟へと連れ帰って以降のことです>
どうやらエイダが言いたいのは、こうも簡単に共和国を裏切った人間を、迎え入れることの危うさについて。
今回に関してはいい。共和国への不満や恨みといった感情があるせいで、おそらく約束を反故にしたりはすまい。
だからこそ、ここまで容易にこちらの誘いに乗ったのだから。
ただ逆に言えば、容易に他国からの勧誘に応じ、身を翻す可能性がある人間だとも解釈できる。
『連れ帰って以降も、ある程度監視は必要になるだろうな』
<当然です。むしろ当面は軟禁に近い状況を強いる必要があるかもしれません。知りませんよ、団長に何も相談せず勝手にこんな約束をして>
とはいえ今から団長に許可を求めるわけにもいくまい。
なにせリヴォルタからラトリッジまでは数百km以上に及ぶ、途方もない距離があるのだ。
今から連絡を取ろうにも、襲撃の開始までに間に合う訳もないし、そもそもそんな手段など存在しない。
『それも彼が研究しているっていう代物次第だな。想像通りであれば、監視の手間を含めても十分におつりがくる。団長も結果を示せば文句は言わないだろう』
<あまりそういった事に、あの人物が頓着しているとは思えませんが……>
エイダは団長がそういった面で、執着を示すとは思っていないようだ。
利益となりはするだろうが、確かに傭兵団の扱う商売の範疇かと言えば少々怪しい。
そこに関しては、あまり否定の余地がない。
<とりあえずその点はいいでしょう。それで、もし本当に裏切ったら、どうするつもりですか?>
『その時は……。僕が責任を持って対処するしかないだろうね』
一応僕自身の判断で連れ帰ると決めたのだ。それも皆に何の相談もなしに。
なのでそういった場合の対処など、こちらが責任を負うのが当然。
手段に関しては、その時々で変わるだろうが。
『とりあえずは当面の問題だ。一応上からビルトーリオを張っておいてくれないか』
<了解です。もしも何がしかのおかしな接触が行われていれば、即座に報告を行います>
「そうならないことを祈っているよ……」
おそらく問題は起きないだろう。
ただそう言った確証も得られていないため、エイダにビルトーリオの監視を頼んでおく。
もしも万が一、彼の気が変わってしまった時に備えて。
そのような会話を行いつつ、僕は途中で無駄に遠回りをしつつ、住処としている借り受けた民家へと戻った。
扉をくぐると、出迎えてくれたのはヴィオレッタ。
彼女はこちらの帰りを待っていたようで、扉を閉めるなり近寄り状況を問うてくる。
「戻ったか。首尾はどうだ?」
「上々だよ。今のところは心変わりもしていないようだしね」
返しつつ周りを見てみるも、彼女の他には誰も居ない。
おそらくマーカスは襲撃の準備に追われ、何処かに出ているのだろう。
レオがどこへ行ったのかは知らないが、彼のことだ。どこかに遊びに出たということもあるまい。
「ならいい。マーカスの方だが、もう少しだけ時間がかかるらしいぞ。どうやら当てにしていた武器商が廃業していたらしい。今は他に武器を流してくれそうな商人を当たっている」
そう言ってヴィオレッタは大きくため息を衝く。
僕がそれとなく部屋を見渡したことによって、自身一人しかない状況を気にしたと悟ったようだ。
どうやら出だしから躓いてしまっているようだ。
現状僕等は怪しまれるのを防ぐために、碌に戦闘も行えない程度の武装しかしていないため、何処かから武器を手に入れなければならない。
その目途が立たなくなってしまったということは、すぐに行動を起こすのが不可能になった事に他ならなかった。
「そうか……。レオはどうしたんだ?」
「レオには食糧の買い出しを頼んだ。ここに隠れてばかりでは、気が滅入ってしまうからな」
どうやらヴィオレッタの話では、マーカスから遅れを伝えられた時点で、気分転換も兼ねて外へ行くよう促したらしい。
普段のレオはジッとしていることを苦とせず、むしろ暇であれば居眠りするくらいには神経が太い。
だが衣食住に慣れぬ異国の地。多少なりと心労が溜まっているだろうことは、想像に難くなかった。
「その代わりに次買い出しをする時は、私が行かせてもらう。私たちはアルやマーカスのように、この街で外を出歩く機会がないからな」
「ご自由に。でも怪しまれない程度にね」
「無論だ。私たちとてそれなりには心得がある」
ヴィオレッタはフッと笑むと、腰に手を当てその薄い胸を張った。
それにしても、武器の入手が今以上に遅れるとは困った事態だ。
現状そこまで切羽詰った事態とは言い難いが、それでもあまり悠長にしている暇はない。
なにせコルナローツァからの距離では、リヴォルタよりも首都の方が近い。
つまり首都で行動する隊は、僕等がここへ到着するよりもずっと早く準備を開始しているはずだ。
<予定通りであればあちらの隊も、まだ行動は起こさないでしょう>
『今のところはね。でも状況が変わる可能性は捨てきれない』
僕の心配に反応したエイダは、前もって打ち合わせておいた予定の内容を告げる。
確かにコルナローツァを出立する前に話し合った末に、ある程度タイミングを合わせるため、決行の基準となる日時を指定してはいた。
だが何時であっても不測の事態というのは起こりうるもの。
何がしかの事情によって、行動を速めなければならなくなる可能性は、常に存在すると考えるべきだ。
「まだ数日は余裕があるけど……。万が一には、こいつでやるしかないか」
僕は懐に仕舞い込んでいた、小振りなナイフを取り出す。
それは護身用であったり諸々の作業に使うといった代物だ。
当然のことながら殺傷能力を持ってはいるが、このような物は一般の市民を含め大人であれば誰しもが持っている。
僕が呟き取り出したナイフへと目を向けたヴィオレッタは、しばし凝視して苦笑した。
「随分と頼りない武器ではないか。私とて、それで大勢を相手に立ち回る自信はないぞ」
「僕もだよ。数人程度なら、不意を討てばいけるだろうけどね」
実際にはもう少しいけるとは思う。
ただ兵士が多く寝泊まりしているであろう、軍の施設にこれ一本で立ち向かえというのは、いくら何でも分が悪すぎる。
分が悪いというよりは、無謀、あるいは無茶。もっと言ってしまえば、自殺志願と捉えられてもおかしくはない。
「槍が無ければもう少し手に入れ易そうだけどね」
僕はヴィオレッタに対し、ニタリと表情を歪め少しばかりの嫌味を飛ばす。
実際に入手の難度がどうという話ではなく、そういう事も覚悟しておくようにという意味も込めてだ。
ただそのようなこと、僕に言われるまでもなく彼女は理解していたようだ。
「そこは譲れん。……と言いたいが、この状況だとそうも言ってられぬか」
「ああ。剣の一本でも手に入れば、上等かも知れない」
「距離の取れぬ武器は苦手だが、致し方あるまい」
予期せぬ事態へと動いてしまったため、ヴィオレッタも我儘を言っている場合ではないと認識しているようだ。
そもそも槍でなければならないという話しも、心底本気で言っていた訳ではないのだろうが。
一抹の無念さを抱え、残念そうにヴィオレッタは息を衝く。
ただその気持ちも理解は出来る。
遠い異国で戦うのに、愛用する得物がないというだけで心細いというのは確かだ。
僕とて短剣やナイフの扱いは得意とするとはいえ、使い慣れた中剣が仕えない可能性に対し、少々気の落ち着かないものを感じていた。




