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忘焦 04


「もう限界だ、これ以上は食べれぬぞ!」



 宿へと戻るなり、ベッドへと飛び込み寝転がるヴィオレッタ。

 うつ伏せでは胃を圧迫するためか、身体を横へ向けながら苦しそうに告げる。



「無理して詰め込むからだ。明日以降に響いても知らないよ」


「仕方ないではないか。僅かとはいえマトモな食事が出て来たのだ、今の内に食べ溜めておきたいというのが、人として当然の欲求だろう?」


「否定はしないけどね。それにこの辺りは余所と比べれば比較的耕作地も多いみたいだし、まだマシな方なんだろう」



 ヴィオレッタの言う通り、食事をした酒場で出てきた食事は、それなりに多様性があった。

 芋と豆の主食であるのは変わりないのだが、青い葉野菜や菌糸類といった物も出てきて、いたくこちらの腹を満足させてくれた。

 町中を見てもわかる通り、祭りが近づいているというのも、食材を豊富に使っている理由の一つとなっているのだろう。


 とは言っても、日持ちのする携行食の類はそうはいかず、然程他所と変わらぬ品しか手に入らなかったのだが。



「ところで、そのまま寝ないようにしてくれよ。折角宿の人に湯を頼んでいるんだから。もう少ししたら来ると思うけど」


「そうであった。ではアル、一人外で寂しく待っていてもらおうか」


「言われずとも。一応後で僕も使うんだから、溢さないでくれよ?」



 そう言って僕は薄い上着のみを羽織り、ヴィオレッタを一人置いて廊下へと出る。


 直後に宿の廊下奥から女性が一人現れ、手に抱えた大きな桶を部屋へと運び込む。

 その後彼女は木桶に満たされた湯を抱え、廊下と部屋を幾度も往復した。

 今部屋へと運び込まれているのは、宿の人間に頼んで用意してもらった入浴用の湯だ。




<随分と張り込んだものですね>


『料金はなかなかだけど、これでヴィオレッタの機嫌がよくなるなら安い物だろう?』



 一人廊下で立つ僕に、エイダの声が届く。

 特別安い宿でもなければ、多くの場所でこういったサービスは存在する。もちろん追加料金が必要だが。


 わざわざ部屋で湯を浴びるのは、宿に浴室が備えられていないためだ。

 とはいえそれは決して珍しいものではなく、むしろある程度以上の質を備えた宿でも、普通に有り得るものだった。



『ラトリッジなら、市街に何カ所か公共のがあるんだがな。意外と普段から綺麗にしてあるし』


<あそこは公衆衛生上も住みやすい土地ではありますね>


『もしかして、団長はそれが理由でラトリッジを団の拠点にしたのか……?』



 有り得ない話ではないと思う。

 僕と同様にこの惑星外に出自を持つ団長は、当然ながら入浴習慣というものが存在する世界で育った。

 僕などは幼い内からこちらで過ごしているのでそこまででもないが、団長にしてみればそういった要素を重要視したのかもしれない。


 直接見た訳ではないが、ヴィオレッタの話では団長宅には個人の屋敷であるにもかかわらず、風呂が備え付けられていると聞く。

 名前的にも団長は日系なはずなので、そこを考えれば不思議でもない。



 僕はそのようなことを考えつつ、呆としながら時間を潰す。

 すると不意に部屋の中から声が響いてきた。



「そこに居るのか!?」


「ああ、お嬢さんが終わるまでね」


「覗くなよ」



 その団長の娘であるヴィオレッタは、僕に警告らしき言葉を放る。

 別に心配せずとも覗いたりしないし、それによって今後彼女から白い目で見られるのは御免こうむりたい。


 言われるまでもない忠告に従い、壁にもたれ掛ってヴィオレッタが入浴を終えるのを待つ。

 そこまで時間がかかるとも思えないが、手持無沙汰のままただ外で立っているというのも、酷く暇なものだ。


 扉越しの部屋からは、彼女が動くたびに跳ねる水音が響く。

 別に聞き耳を立てているとう訳ではないのだが、やはり状況的にそういった音が否応なく耳に飛び込んでくるというのは、僕がやはり男であるせいか。



<衝動に奔るのはあまり感心しませんよ>


『しないって。僕を何だと思ってるんだ?』



 なんとも妙な心境になっていると、それを察知したようだ。

 エイダはこちらへと挑発的な言葉を向けてくる。



<今まで女性との深い関わりを経験していないので、つい烈情に駆られる可能性は否定できないかと思いまして>


『でも相手がヴィオレッタじゃなぁ……。ジェナさんとかエリノアさんみたいな、大人の女性ならともかく』



 これでヴィオレッタがもう少し淑やかな性格であれば、もう少し色っぽい展開になろうというモノなのだが。

 ついでに言えば、おそらく彼女は覗いて得をするほどの、豊満な身体はしてはいないはずだった。

 随分と失礼な考えではあるとは思うけれども。



<ですが親御さん公認なのですから、いずれはそうなるでしょう>


『公認というか押し付けられたというか……』


<おや、ご不満ですか?>



 若干揶揄するようなエイダの発言。

 僕の親代りを自称する彼女だ。多少なりと心配するような気持ちが構築されているのかもしれない。


 ヴィオレッタとの付き合いもそこそこ長くなり、それなりには気心も知れてきた。

 なので別に不満があるというのではないのだが、何せ彼女はまだ世間的には子供と言われかねない年齢。

 彼女自身も本意ではないだろうし、あまり婚約者面するというのも考え物だ。


 妙に絡んでくるエイダの言葉をやりすごしながら、僕はなんとも困り苦笑する。




「終わったぞ。……何を笑っておるのだ」



 エイダ相手に会話をしていると、いつの間にやら入浴を終わらせたヴィオレッタが、扉から顔を覗かせる。

 彼女は濡れた頭へと布を被せた状態でこちらを見上げ、怪訝そうな様子を露わとした。



「誰か居たのか? 妙な笑いを浮かべて」


「いや、別に何でもないよ。ちょっと思い出し笑いをしてね」



 浮かべていた苦笑いを不審に思ったのだろう。

 姿の見えぬ相手と話していたなどと言う訳にもいかず、とりあえずその場は何でもないと言い張る。


 ただ今日はどうにもヴィオレッタまでもが妙にしつこく、疑いの視線を向け問い質してきた。

 これまでも度々頭の中でエイダと会話し、独り笑う機会があったので、そういった所も積もり積もっているのかもしれない。




「ああ、そういえば。一つ聞きたい事があるんだけど」


「おい、話しを逸らす気か?」



 彼女の追及から逃れようと、異なる内容を振る。

 しかしヴィオレッタには意図などお見通しだったようで、不服を露わとし咎めてきた。

 行動を共にするようになってしばらく経つせいか、こちらの思考などお見通しだと言わんばかりだ。

 逸らし方が下手なので、付き合いが短くても、容易にわかってしまうものだとは思うが。



「まぁいい。とりあえず部屋に入れ、外で話す必要もあるまい」



 ヴィオレッタは扉を大きく開け、部屋に入るよう告げる。

 このまま外で話す必要性もなく、言いかけていたのはあまり人に聞かれては都合の悪い内容だ。

 僕はそのまま入るなり扉の鍵をしっかりと掛けると、隅に置かれた椅子へと腰かける。


 すぐ側には大きなタライと、そこに張られた湯が柔らかな湯気を立てている。

 今まさにヴィオレッタが入っていたばかりの、入浴のために用意された物だ。



「……あまりジロジロと見るな」



 自身が先ほどまで浸かっていた湯をマジマジと見られるというのは、少々気恥ずかしいものがあるようだ。

 ある程度親しくなっていたとしても、そういった感情は残るらしい。



「で、話しというのは何だ?」



 一つ咳払いしこちらの視線を諌めると、ヴィオレッタは早速話を促した。

 そうだ、肝心なことを聞かねばならない。

 僕等が共和国に足を踏み入れて以降、気になり続けたことがあるのだ。



「デナムで話を聞いてから先、どうも様子がおかしいように思えてね。なにかあったのか?」



 これといった前置きをすることもなく、単刀直入に用件を述べる。

 彼女は共和国へ向かう道中、山地を越えようとしていた時点から、どうにも素振りから不審なものを漂わせている。

 道中妙にソワソワとしていたり、普段以上に細かな点への苛立ちを覚えていたりと。

 それは隠し事をしているというよりも、彼女自身の内面に起因するものであると思え、これまで問うてはこなかったのだが。



「何を言っている。私は普段と変わらな――」


「一応僕はこの隊のリーダーらしいからね。未熟なりに皆のことを見ていたつもりだ」



 彼女の否定する言葉を遮り、真っ直ぐな視線で見据える。

 僕とてそれなりに責任を持ってチームの、そして隊のリーダーとして動いて来たつもりだ。

 皆にとっては不満も有ろうが、そういった自負だけは持っている。



「話したくないならそれでも構わない。その時はただ一言、余計なお世話だと言ってくれればいいからさ」



 少々卑怯な物言いであるかもしれない。

 基本的には気丈なヴィオレッタとはいえ、こうも言えば多少なりと口を開いてくれるはず。


 すると案の定彼女は、やれやれとばかりに呆れた素振りを見せ、軽く吐息を漏らす。

 そうして開いてくれた口から話された内容は、やはり彼女が歳若い少女であると、改めて認識させられる物であった。




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