共和国 05
表通りから外れ、未だ名も知らぬ街の裏通りを進む。
前を歩く老人は途中幾度となく道を右へ左へと曲がっていき、それはまるで尾行する人間を撒こうとしているようにも思えた。
実際にそういった者が存在する可能性もないとは言えないので、念には念を入れるということなのかもしれない。
「もう少し先になります。さあ、ついて来て下され」
老人はただそれだけ告げ先を進み、対して僕等はその間一度として口を開かない。
ここへと呼ばれた事情の説明を求めたい気持ちというのは、少なからず存在する。
しかしまずは落ち着いて話ができる場所へ行くのが先決であると理解しているからだった。
その後ろを歩く最中、僕は彼が最初に言った言葉を思い出す。
僕へと近寄った老人が「果実を絞るのは娘に限る」と言ったのは、果実酒を造るために樽の中で娘が裸足となり、果実を踏み絞ることに由来する言葉。
地球圏でも似たような意味の言葉は多々あるが、つまり山で香草を採取するのであれば、慣れた山師に頼むのが一番だという意味だ。
この言葉を今回、仲間である証明の合言葉として使っている。
なので彼こそが、合流する予定であった隊の人間であるのは間違いない。
『本当、まだるっこしいな』
<そうですか? 本来であればもっと複雑な合言葉でも良さそうなものですが>
持って回ったような手段に辟易していたが、エイダからしてみれば、随分と低いセキュリティーに思えてならないようだ。
たぶんエイダ曰く簡単な方法を取ったのは、僕等のような諜報の類に慣れていない人間に対し、あまり高度な方法を用いても適応できないと判断されたためだろう。
あながち否定できないところが、少々口惜しくはある。
老人の後ろをしばし歩き続け、表通りからどれだけ進んだのか、感覚的に判り辛くなってきた頃。
彼は一件の建物の前で立ち止まると、おもむろに扉を開けて中へと踏み込んだ。
「どうぞ、こちらへ。お早く」
手招きし急かす老人の言葉に従い、僕等は順に低い扉をくぐり中へと入る。
中は明り取りの小窓すらなく、昼間であるというのに暗い。
諜報活動を常とする隊の人たちが、程度の活動を行っているのかは知らないが、活動を継続するには拠点が必要となるはず。
ここは彼らが隠れ、休むのに利用するための施設なのだろう。
そこを更に奥へと進み、もう一つの扉をくぐった先で、老人は燭台へと火を灯した。
薄く照らされる部屋の隅に置かれた椅子へ座るよう促され、大人しく従い腰を下ろす。
すると老人はこれまでの陽気な声を一変。落ち着いた口調となり、異なる声色で話し始める。
「災難でしたね。申し訳ありません、合流に手間取りまして」
別段本人に責任はないであろうに、謝罪の言葉を吐く。
ただ僕はそのこと以上に、彼が発した声が気になってしかたがなかった。
若い。それが声を変えた眼前の人物に対して抱いた印象。
外見は好々爺然としているものの、その実中身は外見以上の若さであるようだった。
だが外見との差異だけではない。どこかで耳に馴染んだ、聞き覚えのあるその音は……。
「マーカスか」
不意に言葉を発したのはレオだ。
横へ振り向いて彼の顔を見ると、レオは僕とヴィオレッタに対し、少々意外そうな表情を浮かべていた。
どうしてわからないのか、とでも言いたげな。
再度正面を向き、老人と思っていた相手を見やる。
するとマーカスと呼ばれた彼は、サイドチェストの上に置かれた布を手に取り、顔を拭いながら笑う。
「やはりレオは騙せませんか。ボクもこちらに来てから、それなりに上手く騙せるようになったと自負していたのですが」
拭った布を置き、こちらへと顔を向ける。
燭台の明りによって照らされたその顔は、拭ったメイクによって線が引かれ、おかしな斑模様となっていた。
ただ間違いなく、その下にあるのは僕等が知っている人物のもの。
髪はどういう訳か白くなってこそいるものの、間違いようはない。
彼は突然の配置転換によって、別の隊へと移動になった僕等の元チームメンバー。マーカスその人であった。
「……どうしてこんな場所に居るのだ」
唖然とした表情を浮かべ、ヴィオレッタは問う。
二人が一緒に行動していた期間はそう長くはなく、精々が半年あるかないかといったところ。
だがそれなりには行動を共にしていたのもあり、突如再び再会した仲間の存在に、驚きを隠せなかったようだ。
レオに関しては、どうやって気付いたのかはわからない。
だが、彼のことだ。何やら動物的な直感が、マーカスの存在を匂わせたのかもしれない。
などとつい失礼なことを考えてしまう。
「詳しくは話せませんが、ボクは皆さんと別れた後で別の街へと行かされまして。そこで共和国内で活動する隊への移動を命じられたのです」
「そうだったのか……。でも全然知らなかったよ」
「それは当然でしょうね。ボクが所属する隊は、ほとんどの味方にすら秘匿されていますので。僕自身未だに騙されているように思えてなりませんよ」
僅かにおどけた様子で、マーカスは肩を竦めて告げる。
以前一緒に行動していた頃の彼は、基本的には真面目な素振りを見せてきた。
だが時折皮肉めいていたり、悪戯っぽい一面を垣間見せる時があったものだ。
今の彼はどちらかと言えば後者であり、これがマーカス本来の姿なのではと思わせるものがある。
「でも違和感はないな。マーカスには合ってそうに思える」
「最近になって、ようやく自分の適性を自覚出来てきました。最初はどうしてボクがこんな役割にと思ったものですが」
どうやら彼自身、今ではこういった諜報活動への適性を自覚し始めたようだ。
僕自身は薄々感じていたのだが、彼はこういった方面に才能があるのではと思ってはいた。
人並み以上の体格ではあるが、忍んでの活動を得意とする上に人当たりも良い。
戦闘においても冷静さを保て、瞬時の判断能力は年配の傭兵たちも認める所であったのだ。
まさか変装までも上手くこなすとは思っていなかったが、僕のイメージするマーカスであれば、潜入工作などを任されていたとしても、そう不思議には思わない。
僕等はひとしきり再会を喜び合い、別れて以降の出来事を教え合う。
もっともマーカスは所属する隊の性質上、そのほとんどを口にすることが出来なかったようだ。
その点に関しては多少僕等も同様で、北方戦線での商業的な要素の強い戦場での出来事など、あまり口にすることが出来ぬものもあった。
彼は既にその件についても知っている可能性はあるが。
「それにしても、運んできたあの香草。町の人たちは随分熱心に欲しがっていたけど、いったいアレはなんなんだ?」
やはりある程度、この家は拠点としての活用がされているようで、最低限度の生活用品が置かれていた。
その置かれていたポットでお湯を沸かし、香茶を淹れ一息つく。
やっと一心地着けた状態で飲む香茶の香りを嗅いでいて、ふと思い出した疑問がそれであった。
ヴィオレッタもまた同様に気になっていたようで、頷きマーカスへずいと近寄り問い詰める。
「金に糸目を付けぬ様子であったが、そんなにも貴重な代物なのか?」
「あの香草ですが、共和国では魔除けの効果があると信じられているんです。この時期は祭りが近いというのもあって、特に需要が高まっているみたいですね」
あれだけ香りの強い香草なので、僕はてっきり実用の用途で使われると思っていた。
例えば料理であったり、クローゼットの防虫剤としてなどにだ。
だがマーカスが教えてくれたのは、以外にもこの辺り一帯で祭事に関連して使用する品であるというものだ。
どうやら取り出した色素で染料を作ったりもするそうなので、祭りに付き物な一種の縁起物とでも言えばいいのだろうか。
「毎年相当数が必要なのですが、共和国内では自生している地域が減っていまして。おまけにモーズレイ山脈で採れる物は質が良いのもあって、商人たちがこぞって買い集めているんです」
「商人たちってのは、どこに行っても押しが強いもんだな……」
この辺りはどこに行っても同じようなものか。
彼らとしては金こそが全てであり、金に関わる匂いや感触に敏感となるのは当然。
確実に金が動く商品が存在するとなれば、多少の無理を通してでも手に入れようとするのは、むしろ商人の本能とも言えるものだ。
「そんな奪い合いになる物を持たせたのか……。もうちょっと無難な品はなかったのか?」
「すみません。単純にこちらが見つけやすいというのもありますが、同盟側から移動してくるとなれば、ああいった品を運んでいるのが自然と判断したもので」
「……それだけか?」
飄々とした様子で説明するマーカスへと、カマをかけるようにして問うてみる。
答えを前もって用意していたように、妙にアッサリと返答する彼の言葉が、どうにも建前に聞こえてしまったのだ。
ただマーカスはこちらの問い詰める言葉に対し、思いのほか容易に口を割りもう一つの理由を吐露する。
「実は僕等の隊は慢性的な資金難でして。現金化し易い物が欲しかったというのも否定できません。多少出所が怪しくとも、今の時期であれば金を積んで欲しがる人の多い品ですし」
「確かにな。あの様子だと、ちょっとくらいおかしな相手であっても気にしないかもしれない」
「それに危険な代物でもない上に、使ってしまえば足もつきません」
なるほど、彼の言い分もごもっとも。
マーカスが所属する隊は、他国へと潜入し活動を行うという性質上、あまり大っぴらな行動が取れない。
活動費を稼ぐため下手に商売でも始めるのも難しかろうし、度々同盟側から資金を運ぶなどということも出来ない。
そもそも使用している通貨からして違うことでもあるし。
なので彼らは手持ちの現金を節約しながら、時折情報収集を兼ねてどこかで働き、その時に得た賃金で活動しているとのことだった。
なんとも苦労がしのばれる話しだが、こういった活動に耐えられるというのも、適性の一つと言えるのかもしれない。
ただ僕にはそういった意味でも、裏表を使い分けられるマーカスにはピッタリな役割に思えてならなかった。




