共和国 04
夕刻。切り立った丘の上から眼下に望む先に見えたのは、まず目的地としている町の姿だった。
ラトリッジに比べれば随分と小さく、おそらく規模としては二割にも届かないといったところだろうか。
町の名前をなんと言うのかまでは知らない。
ただ一つ言えることは、この町こそが僕等が足を踏み入れる、敵国最初の土地であるということだ。
道中一度だけ遭遇しかけた敵兵に関しては、結局上手くやり過ごすことに成功した。
背負う荷物の匂いで気付かれるかとも思ったが、運よく降り始めた雨によって、ある程度匂いを誤魔化せたのは運が良かったと言っていいのだろう。
当然移動そのものは、雨のせいでより大変になったのは確かだけれど。
「ようやく見えて来た。思ったよりもずっと遠く感じたよ」
「ずっと山越えであったからな。如何なレオであっても、今回ばかりは疲れているだろう?」
「ああ、少しだけ」
ここに来るまでに見張りの立つ共和国軍の砦を避けるため、遠回りして幾つもの山を越えたのだ。
当然最短距離を移動するよりも遥かに時間を要したし、道とも言えぬ場所を通過してきた。
ヴィオレッタだけでなく、体力馬……、体力自慢なレオであっても、流石に疲労の色は隠せないようだ。
現状遠目から見る限り、町中で何か異変が起こっている様子は見られない。
それはエイダに頼んで衛星を介して見ても同様であり、僕等が共和国へと潜入することになった理由を察するのは叶わなかった。
諜報活動のために、どれだけの人数がもぐり込んでいるのかは知らされていない。
ただその人たちが何らかの理由によって、増援を必要としている。
となれば共和国内で何がしかの動きがあり、今いる人員だけでは対処しきれなくなっていると考えるのが普通だろう。
「とりあえずは風呂に入りたい。いい加減この匂いにも慣れてきたが、そろそろ何とかしておきたいところだ」
「気持ちはわかるけど……、向こうさんと合流するのが先だよ」
丘の斜面を慎重に下りながら、目的地へ辿り着いた安堵からヴィオレッタは願望を口にする。
季節的にも気温が上がってきているため、かなり汗ばんでいるのだろう。
背負うハーブの匂いで誤魔化されているが、当人はおそらく自身を汗臭いと感じているのかもしれない。
なので彼女の言い分もよくわかるのだが、まずは本来の目的を達しなければ。
きっと潜入している隊の人間はここで僕等を待っているはずだし、どの程度急ぐかは知らないが、早いに越したことはないはずだ。
最後にもうひと踏ん張りと、ダレた身体に鞭打ち、町へ向けて坂を下り始めた。
町中へと入ってみてまず思ったのは、他国とはいえあまり同盟の都市と街並みにそう差異がないということ。
だが考えてもみれば、その点は別に不思議でもないのかもしれない。
平野部が多い同盟に対し、共和国は山地が多い。その違いこそあれ、基本的にはどちらも比較的気候は穏やか。
建築様式などが似通っていたとしても、然程驚くものでもないのだろう。
「常時侵略を仕掛けている国にしては、随分と落ち着いている」
「そうだね。同盟側が攻撃を仕掛けることがないせいもあるだろうけど、それにしては人々も裕福そうだ」
ヴィオレッタは隣を歩き、周囲へと視線を向けつつ小声で話しかける。
この町へ入って以降人々を観察しているが、彼女の言う通り四方の国家へと喧嘩を売っている国にしては、道行く人たちの健康状態は良好そうだ。
食糧や資材を軍に接収され、市民に物資が行き渡っていない光景すら想像していたというのに。
やはり彼女はこの点が強く気になっているようだ。
こっそりとではあるが、道行く人々へと視線を向け、それとない悪態をつく。
「これだけ豊かであれば、他国を侵略する必要などないであろうに。もっとも、我々にはそれが必要であるというのも否定できぬが」
何度となく侵略を繰り返してくる隣国の存在は、民衆にとっては迷惑そのものだろう。
ただ僕等傭兵にとっては、飯の種を提供してくれる重要な存在。
人の不幸を糧として富を得るのだから、なんとも因果な稼業であるとは思う。
「それは言えてる。ただ……」
ヴィオレッタの言葉に肯定しつつ、僕は通りから逸れた裏道へと視線を移した。
陽の当たらぬ暗がりではあるが、そこにもある程度人々が行き交っている。
しかしどうにも表を歩く人たちとは、纏う格好が大きく違う。
ある程度貧富の差というものが存在するのはどこでも同じだが、そこを歩く人たちが着る服は一様にしてボロボロ。
見るからに暮らしぶりからして異なるようで、幾度も継ぎを当てた衣類は汚れ放題。
「どうしたのだ?」
「いや、ちょっとね……。なんでもない、とりあえず移動しようか」
裏通りへと視線を向け立ち止まった僕へ、振り返り問うてくるヴィオレッタ。
表の通りと大きく違う様子が若干気になるのは確かだが、今はそれどころではない。
まずはここで潜入している団員と合流しなければ。
僕は二人を促し、ひとまず落ち着ける場所へと移動しようとする。
しかし歩を進めようとする僕等へと、背後から一人の人物が僕等を呼び止めた。
振り返ってみると、そこに立っていたのは一人の女性。
小奇麗な身なりをした彼女は手に篭を持っており、中には幾つかのパンなどが入れられている。
おそらく買い物の帰りか何かだろう。
「そちら、おいくらですか?」
その女性は唐突に、僕等へと問い掛ける。
背負っている背嚢を指さしているので、この荷物の値段を問うているのは間違いない。
背負う荷物を売るために来たとでも思っているようで、かごの中から布製の財布まで取り出し、既に買う気満々でいるようだ。
「申し訳ありません、実は既に買い手が決まっておりまして」
「あら、そうなのですか?
この香草にいったいどんな用途があるのか知れないが、店舗を構えている訳でもないのに、わざわざ話しかけてまで買いたいというのだ。
よほど需要の多い品なのか、あるいは入手が難しいのか。
彼女はただの一般人にしか見えないので、きっと家庭で使う用途なのだろうとは思うが。
「ほんの少しだけでもいいので、譲っては頂けないでしょうか?」
「残念ですが、既に全量を買うという契約をしておりまして……」
一度は断ったものの、食い下がってくる娘。
そこまでしてこれが欲しいようで、ますます背負っているこれが何に使うのか気になってしまう。
しかしここで譲歩し売ってしまえば、この娘の様子からして他にも買い求めに来る者が出て来るに違いない。
そうなれば収集がつかなくなる可能性もあるだけに、ここは譲れないところだった。
ただやはり案の定と言っていいのか。
発している匂いにつられたしまったようで、同様に何人かの人々が集まり、口々に荷を譲ってくれと詰め寄る。
「この篭一杯分で、ワシはこれだけ出すぞ?」
「ならこっちはその四割増しで払おう!」
「幾らなら売ってくれるんだ、ハッキリ言ってくれ」
「そうおっしゃられましても……。既に売約済みの商品ですので」
迫る人たちは、断る僕の言葉を聞いていないのか、強引に金を押し付け荷を買い取ろうとする。
デクスター隊長の話では、この荷物を持っていることそのものが、見つけてくれるための目印になるとのことだった。
しかしこれでは逆に目立ち過ぎだ。
いったい何を考えてこのような物を目印にしようとしたのか、責任者に問い詰めたい心境に駆られていた。
「少しくらい減ったところでわからんだろう。しょうがない、言い値で買ってやる」
少しばかり良い身なりをした男性は、財布を開きこちらへと見せつける。
中にはジャラジャラと高額貨幣が呻っており、金に糸目をつけないという意志がありありとしていた。
ただ相手の素性もわからないのに、大金を見せつけるというのはどうなのだろうか。
おそらく合流する人物というのも、同様に買い取ろうとする一般人のフリをして接触しようとするに違いない。
その場合は合言葉に当たる言葉を発するので、こちらとしてはちゃんと判別がつくようになっている。
しかしこのような状況では、危険と判断して最悪身を隠してしまう可能性すらあった。
まずはこの場を切り抜けるために、どうしようかと思案する。
すると集まった人々の向こうから、白い髭を蓄えた一人の老人が近づいてくるのが見えた。
「おやおや、これは大事になっておりますな」
集まった人の数に驚きつつも、「ちょっと失礼」と言いながら人の間をすり抜け、僕へと近づいてくる老人。
上等な服を纏い、手には木製のステッキ。そして頭には帽子。
柔和そうな顔には皺が刻まれ、帽子からは白髪が覗く。
それなりに歳を重ねていそうで、背が高そうではあるものの、腰は多少曲がっている。
その人物は人の群れを越えて僕に近寄ると、帽子を脱いで一礼し、穏やかな調子で話し始める。
「今年は山にあまり雨が降らなかったようですな。水分が少ないせいか、随分と香りが強い」
「……ええ、おかげで皆さんに気付かれました」
「ですが流石は熟達の山師殿、良い状態で摘まれたと見られる。やはり果実を絞るのは娘に限る、といったところですかな」
そう言って老人は、軽くではあるが愉快そうに笑った。
僕はその言葉を聞くなり、後ろを振り返って困った様子を見せるレオとヴィオレッタに頷く。
間違いない、僕等が合流する相手はこの老人だ。
「皆さま申し訳ない。こちらは既に私が手を付けておりまして、ご容赦願いたい」
背後に集まっていた人垣に対し、深々と礼をする老人。
ならば老人から買い取ろうと人々が詰め寄るも、彼は自分からさらに買い取る人物が居ると言って、頑として首を縦に振ることはなかった。
一切の交渉に応じようとせず、ひたすら断り続ける老人の姿勢に観念したのだろうか。
集まった人々も一人、また一人と散っていき、少し経ってようやく全ての人が去って行った。
「さて、お手間を取らせましたな。では行きましょうか」
老人はこちらを振り返り、一方的に告げステッキを突いて歩き始める。
僕等は黙って彼の後ろへとつき、通りから外れた路地へと進むその背を、真っ直ぐに見据え進んでいった。




