極彩色
ジャンル設定に悩んだので、現時点ではハイファンタジー枠で。
初回のみ三人称。
話の進行は遅めですが、ご容赦ください。
駆ける、駆ける。
手を伸ばせば指先すら見えぬほどに暗く視界の悪い森の中を、僅かな逡巡さえも感じさせぬ足取りで駆ける。
その影は僅か前方へと在る、息せき切って走る別の人物を追っていた。
だがその走り方は全力とは言い難く、どこか追う影の速さに合わせたものだ。
「ひっ……ヒィ……! 助けてくれ!」
先を行き逃げる男は、時折後ろを振り返りながら、何度となく助けを求める声を上げた。
それが自身を追う黒い影に対するものか、あるいはこの場に居ない誰かに向けたものなのか。
例えそれがどちらであっても、追う側の影にはどうでもよいことであった。
前を行く男は枝葉が自身に刺さるのもお構いなしに、走る勢いそのままに藪へと突っ込む。
多少傷付いたとしても、背後から追う者を僅かでも足止め出来ればという意図であろうか。
しかし追う側の影にとってみれば、男の身体によって枝が折られ道が出来ていくため、むしろ楽であると言えた。
結果として追われる男の体力を浪費し、要らぬ怪我を増やすだけに過ぎない。
「あ……っ、ガァっ!」
その逃走劇もどうやら終わりを迎えたようだ。
男は足元の大きな木の根へと躓き、その身体を派手に地面へと投げ出す。
背後から迫る者は倒れた男を見遣り、走る足を止めゆっくりと近づいていく。
見れば男の身体からは、そこかしこに裂傷が刻まれ血が流れ出しており、ここまで走って逃げて来られたのが不思議なほどであった。
無論、傷の多くには森の中を走った結果、枝によって出来たモノが多数含まれる。
「た、頼む! 見逃してくれ!」
転がったまま振り返る男は、自身を追う影に向けて懇願の声を上げる。
その様子からは、自身の命が危機に晒されているという事実を如実に表す。
迫る影の手には大振りな短剣が握られており、それによって男を害そうとする意図がありありと見えた。
男が命乞いをするのも、当然と言える光景。
「な!? あんたも同業なんだ、恨みっこなしだってのはわかんだろ!」
そう言いながらも、男は手近に転がる枝や小石などを投げつける。
言葉と行動が相反しているようにも思えるが、それ程までに必死なのであろう。
なんとしてでもこの場を切り抜けねば、男の命が危ういというのは明らかだ。
「金なら全部やる! 俺の持ってる装備も土地も! なんだったらうちの妹だって!」
「……黙れ」
この時点になって、初めて影から声が発せられた。
金によって命を買おうとした行為か、自身の妹さえも渡そうとする行為に苛立ったのであろうか。
あるいは単純に、その言葉が煩わしく感じたのかもしれない。
ただそれによって発せられた声は、そこまで年齢を感じさせるものではなかった。
少年とまでは言い切れないが、決して成熟した大人とは言い難い。
二十歳に達しているかどうか、それすら迷うような青年の未成熟な声。
「……お前の望みを叶えてやれない理由はいくつかある」
青年はゆっくりと、食い殺す前に得物を嬲るような、どこか粘着性を感じさせる空気と共に理由を上げていく。
「一つ。お前は同業であると言ったが、同業であればこの裏切りが許されざるものだと理解しているはずだ」
「それは……しょうがなかったんだ、どうしても金が必要で……!」
「二つ。金が必要だと言うが、お前はこの一件で手に入れた金を、全て賭け事につぎ込んでいる。よって命の対価として見合うだけの金を持ち合わせていない」
告げられた言葉に、男は絶句する。
頬を血と共に一筋の汗が流れ、困惑の色を露わにしていた。
どうしてそのような事実を知っているのか、察しかねているようだ。
「三つ。お前が持つ装備には大した価値はないし、土地など端から持ってはいない。そして妹も存在しない。それはお前自らが娼館に売り払った末に、既に故人となっているからだ」
どこまで知っているというのか。
男はこれまで決して話した事の無かったであろう事実を知られていることに、唖然とする。
そんな男の顔を見下ろしつつ、青年は更に言葉を重ねていく。
「四つ。お前がこちらに与えた損害は、金銭に換算して埋め合わせできる程度のものではない」
追っている最中は一切の無言であったというのに、青年はここにきて随分と饒舌になっていた。
それほどまでに、男に対する怒りが強いのであろうか。
今も徐々ににじり寄り、手にした短剣を揺らして男を脅し続ける。
「頼む! 見逃してくれたら、依頼人の情報を全部吐く。それに今後はお前たちに協力する! 絶対に裏切ったりはしない」
地面へと頭を擦りつけ懇願する男のすぐ側へ、青年は近寄りしゃがみ込む。
すると手で肩を掴み男の身体を起こすと、耳元へと顔を近づけ告げた。
「別に吐いてくれなくても構わない、こちらはもう全てを承知しているからな。それに何か新しい内容を口にしたとしても、家族でさえ売り払うような人間だ。信用するなど到底不可能だろう?」
「そ、それは……」
「それと、五つ目の理由だが」
どこかザラリとした印象すら感じる声。
その言葉を耳にした男の瞳は、一気に絶望へと染まっていく。
「僕自身がお前を許すつもりはない。そして"あいつ"も決して許しはしない」
ズクリ、という耳に障る音の後、男の口からは空気の漏れる音。
深々と男の胸へもぐり込んだ短剣が、肺を傷付け呼吸を阻む。
既に声すら出せぬ男が最後の助けを求め、視線によって助命を願うも、青年はそれに対し突き放すように短剣を胸から抜き横へと薙いだ。
喉を深く切り裂き吹き上がる鮮血。
青年は自身の腕をかざしてその返り血から自身の目を守り、死にゆく男の末路を見届けることなく立ち上がって振り返る。
「わかってる、二人だろう?」
いったい誰を相手に会話をしているのか。
青年は死にゆく男から意識を外し、森の奥から時折聞こえる葉の擦れる音へと耳を澄ませる。
迫りくる二つの音は、今しがた殺害した男の仲間が追いかけてきたのであろう。
青年は手近な木へと近づき、背を付けて身を潜める。
僅かに木々の間から漏れ入る月明かりを受け、手にした短剣が赤く浮かび上がった。
瞼を閉じ、ガサリガサリと徐々に近づく音を聞く。
懐から一本の小振りなナイフを手に取り、刃の部分を摘まむように持つと、そっと木の陰から顔を出して相手の姿を視認する。
視線の先には、身をひそめるでもなく会話を始めた二人の男。
その様子を窺い、青年はタイミングを計ると、手にするナイフをその内一人へと投擲した。