面接とは、会社が人を選ぶのか?人が会社を選ぶのか?
「どうぞ二階へお上りください」
普通の家のような建物の一階にある受付で、女性が、電話をかけながら応対してくれた。
結構、本格的である。
ミュージアムの面接も、トランシーバーで面接者の連絡をしていたけど、ここも、受付に来た人を面接者に知らせるシステムらしい。
ミナミはおずおずと二階の階段をのぼった。受付の時計をみると10時35分になっている。5分遅刻だ。
「これって致命傷かなぁ」
ミナミはつぶやきながら、階段をのぼった。
一キロやせたといっても、152センチにして66キロある。世間でいう肥満だろう。
おそらく、今、検診をうけたら、何かに引っかかる。
少なくとも、成人病検診に引っかかる。
でも、ジムに行き始めて、ミナミの足取りは軽かった。
ミナミの頭が軽いという人もいるけれど、心は確かに軽かった。重々しいのも暗いのも、ミナミは苦手だった。小説でも映画でも、解決策がしめされているものが好きだった。
だからか、コメディばっかり観ていた。
映画でも革命でも仕事でも同じだと思うんだけど、たとえば一万時間勉強したらプロになれると、言う人もいる。
でも大事なことは、プロになった先だと思うし、映画も革命も同じ。その先なのだ。
その先に何を提示できるか。
ここをミナミは見ている。
娘のヒカルがあるとき
「小説家がね、小説書けなくなって自殺した人いるんだって」
と、つぶやいた。
ミナミはムキになって反論していた。
「小説書けないんだったら、別のことすればいいのに!」
「いや、小説しか、書けなかったんじゃないの?」
「いやいや、小説掛けるくらいの鉛筆なりペンなり、キーボードを打てるくらいの力があるんなら、鍛えれば土木作業員だって何だって、できるよ!」
ミナミの言っていることに、ヒカルは不満そうだった。
多分、小説家の不幸みたいなものをかみしめたい年頃なのだろう。
でも、ミナミから言わせれば、
「えええええ?損じゃないの~!」
「せっかく生まれたんだから、楽しまなければね!」
ミナミも小説は好きだけど、小説家にはこだわりがない。どんな小説家も書けなくなって、
「今日からコンビニで働きます!」
って、宣言しちゃっても、むしろ喝采を受けこそすれ
「一万時間の法則に歯向かう気ですか」
とか、ののしられることはないと思う。
その小説家は忘れ去られるかも知れない。
でも、どちみち、忘れ去られるのだ。死んだら、忘れられるのかも知れない。シェークスピアのように、死んでも忘れられなくても、地球がほろびるとか、世界がなくなるとかしたら、なくなってしまうかも知れない。
それに、ミナミみたいにシェークスピアを読んでいない人間にとって、シェークスピアは、小説家ですらない。
忘れられるよりシェークスピアにとっては、その方がショックかもしれない。
「こんなに有名になっても、読んでくれない人も一定数いるのかーーーーっ」
てね。
そんなこんなを考えるうちに階段の上についた。
上がるとすぐにガラス張りの事務所が見えた。
事務所の女性たちはみんな制服を着ていた。
「失礼します」
制服をきていない男性スタッフ2人と、制服をきた女性が1人、仕切られた別室から出てきた。
といっても、そこもガラス張りなので、その人たちが面接官なのは一目瞭然だった。
どこでもだけど、面接官は男の人が多い。一部の例外を除いて。
事務所に入ってすぐの制服を着た女性が、立ち上がって、隣の仕切りに案内してくれた。
「ありがとうございます」
ミナミは、社会的常識を見せとこうと気張りながら、斎藤一人方式で、ありがとうを連発しておいた。
なんか、ご利益あるかな、と期待しながら。
座ろうか、立っていようかと迷っていた時、さきほどの三人が入ってきた。
白髪が混じった男性が一番奥に、そして中央にはミナミと同年配くらいの制服をきた女性、そして入口近くに30代くらいの男性が入ってきた。
「お座りください」
「で、今まで働いたところですが・・・・・・」
一番中央の女性が、切り出した。
「あ、あの高校を卒業してすぐに、両親が自営する卸売り会社で働きました」
「ああ、これですね、事務と」
ミナミは他にも配達とか書いておいたのだけど、そこには目を向けなかったようだ。
実際は、ミナミの場合、事務は仕事の中のごく一部でしかなかった。
配達が主な仕事で、納品書とか請求書、貸借対照表、決算処理、社会保険手続き、税務署への申告。すべては、配達と配達の合間5分とかの間であったり、休みの日、夜などの店が終わってからのものだった。
ミナミは高校を卒業して夜間の短大に通っていた。だから昼間はずっと家業を手伝って仕事をしていた。
給料というものを正式にもらったことはなかった。
ミナミのような人物は、ちょっと小説には出てこないだろう。
『どうで死ぬ身のひと踊り』の芥川賞作家も異例だけど、ああいう破天荒タイプでもなく、夜間の大学や短大で学びながら、昼間、激務をこなしているといった、一昔前の勤労学生の話だ。
地方で生きる、地方の零細企業で働き、そう熱心でもない昼間の学部の教授や、夜間短大だけに特化して雇われた、特別講師である、社会人の先生に教わるということ。
バブルがはじけて、まだ日本中がブランドにフィーバーしているころ、20キロの缶を両手に持って、汗水たらして運び続ける勤労学生。
我ながら絵にならない。誰も語らない日々。誰も見ようともしない世界だ。
小さな小さな世界の中で、ミナミはそれでも、精一杯気張って生きていた。
井の中の蛙大海を知らずというけれど、小さな世界の中からジェーン・オースティンは、普遍的な世界をつまみ上げてみせてくれた。
いまだに、ジェーン・オースティンの型から抜け出た恋愛映画ってみたことないってくらい、スタンダードだ、今でも。
ミナミは、小さな世界でも、井戸の中でも、世界は見えると信じていた。
フィリッパ・ピアスだったっけ。あるとき、主人公が、外に出られると知ったんだけど、結局、外に出なかったという小説があると、清水真砂子さんの講演会で聴いたことがある。
でも、それって本当?
つまんない展開じゃない、それって。確か、それは女性が主人公だったと思う。
パンドラの箱もそうだし、舌切り雀のおばあさん、コララインだって、お母さん。人形の家だって。モーパッサンも!
女性って、何?疫病神?
美しくない女性はダメ?美しくない女性は、せめて優秀でないとダメ?
もてるのはその両方を兼ねた女?
整形するのは嘘?
んんんんんんん?
待って、待って、待って、御待ちなすって!
ミナミはだから、『ハリスおばさんパリに行く』が好きだった。
ほかの作品は残念ながら好きではない。イギリスで家政婦をするハリスおばさんがパリのディオールでオートクチュールのドレスを頼むというユメを抱き実行にうつす物語だ。
ハリスおばさんは、若くも美しくもない、家政婦をするおばさん。
彼女がディオールのオートクチュールなんて、バカみたいと思うだろうか?
ミナミは、それが最高に素敵だと小学校3年生のときに思った。
ミナミは小さい時から絵を描くのが好きで、画家とか、デザイナーになるのが夢だった。
だから、今でも、洋服をみるのが大好きだ。
願わくば、いつも
「これいい!」
と、思えるものを身に着けていたいって思う。
「お母さん、イタイ」
と、長女のヒカルには揶揄されるんだけど、それでも、ミナミは、自分の生き方が好きだった。
美しい女や、スタイルの良い女のためだけに、ドレスも洋服もあるのではない。
男に愛されるためでもない。
一定の女は、自分のためにドレスを身にまとう。
そう、生まれついたのだと思う。
笑いたければ、笑うがいいさ、ってね。
って、ミナミは、笑われると恥ずかしくて恥ずかしくて、落ち込んでしばらく出かけられなくなるんだけどね、とほほほほほ。
と、考えていると、どうやら、面接官が何かを言ったのを聞き逃したようで、3人がこちらをじっと見ていた。しまった!
「えっと、もう一度言いますよ、最後の御勤め先は、NPOなんですね」
中央の女性が優しく微笑んだ。
最初から、ちょっとギスギスしていて、怖かったんだけど、ほほ笑みながら助け船を出す姿は、ああ、同じ女性で良かったと思った。
ミナミはホッとしながら、続けた。