三下り半な妻
「ちょっと、どうしたの?」
母の声に驚いた拍子、持っていたコーヒーをこぼしてしまった。
ラインを見ているミナミに母はラインを見たそうにこちらを窺っている。
「ああ、田中さんから」
ミナミは結婚以来ずっと、夫のことを両親の前では田中さんと読んでいた。
「田中さん、なんて?」
両親も姉も、ミナミの夫のことを「田中さん」と呼んだ。
「やっぱり離婚はしないって」
「どうして?」
「ん、田中家の4代目のあととりだから、離婚するわけにいかないって」
ミナミがそういって画面をタッチして返事を書こうとしていると父が横やりを入れてきた。
「ちょっとまてよ、うちは1300年だぞ、1300年」
「ふう」
ミナミはまたかと、ため息をついた。
父の家、二宮家は、田舎の神社の神主の家系でミナミの祖父の代で家系図が焼けるまでは、出どころもすべてたどれる長く続いた家であった。神社は祖父の子どもの頃に、統合されて今はない。
いわゆる旧家ってやつか。
「39代はいっているんだ、うちは」
父はまくしたてる。
「うちだってお前についでもらいたいと、何度も行ってきただろう」
姉のトクコは教師という職を持っているし子どももいない。だから家はつがないと言ってきた。
父は長男で直系にあたるため、長女のトクコが本来なら次期当主である。
「というか、神社がないし、当主ったって、今はただの普通の庶民だしね」
そういうミナミを両親は睨んだ。
「子どもまでとは言わない、お前がついだのを見てから俺も死にたい」
父は意外にも真剣にそう言い放つ。
そこまで家にこだわりがあるのは驚きだ。
ミナミは家とか家系なんてどうでも良かった。
全然ピンとこないのだ。
「でも田中家も、それなりにプライドはあるだろうし」
「農家の4代目だし、子どももいるのに贅沢だ!」
父はつばをとばしている。
「まあ、確かに」
ミナミみたいな嫁は、別にこどもさえいればいらないって感じではある。
このことは結婚する前から何度か話をしてきた。
夫は、籍を入れずに事実婚でもいいと言ってくれていた。
でも、子どものためも思い、ミナミは入籍する方を選んだ。
そもそも、姓をつぐ問題よりも、ミナミは親の介護の方が問題だった。
昔と違って今はどこも子供の数が少ない。だから、老人介護は子どもたちにとってかなりの負担である。
夫には、働いていなくて子どももいない結婚した妹が、姑の近くに住んでいる。
この夫の妹と姑は仲が良くて、毎日何度も電話で話し合っている。
ミナミが夫の実家に行けなくなってから、うすうす気が付いたのだろう。義妹が姑をみるという話が出ていた。
といって、ミナミにだって、父の妹である痴呆症の叔母と、両親のことがある。
今の時代に、長男の嫁がみなくてはならないってことは問題があるのだ。
男兄弟がいない家は、誰もみないのかってことになるが、そうはいかない。
姉妹の家で離婚が割と多いように感じるのは、なんとなく親の介護が絡んでいるのかなあとも、ミナミは思ってきた。
実際、両親も70歳を超え、ミナミも考えないわけにはいかなくなっている。
「お前、ついでくれ」
父は、ことあるごとに、ミナミに二宮家の姓をついでくれと言ってきている。
「うん、まあ」
そうだなぁと思う。
もともと、事実婚にしても良いといっていた夫のカズキである、ちょっと言ってみよう。そう思った。
ミナミは夫の実家にいくと過呼吸がでることもあって、しばらく行けそうにはない。
子どもたちの籍を抜かずに、夫婦別姓ということにしたら世間体だって悪くないし。
「相談してみるね」
ミナミはそういうと、早速ラインに書いた。
夫からすぐに電話がかかってきた。
「私と離婚したいんやね!」
「いや、そうじゃなくて」
と、言ったものの、電話はすでに切られていた。
熟年離婚とは言ったものだが、理由って様々だと思うのだ。
少子化の流れには、いまだに残る家系の問題と、介護、それに様々な心理状態がからんで一口には言えないものとなっていると思う。夫婦だけの問題とか、個人の性格の不一致。そんなものでは収まりのつかない理由が様々にあるのだ。
ミナミは、どっと老け込んだ気がした。
そして無性に、チョコレートが食べたくなって、立ち上がった。
「散歩に行ってくる」
ミナミはそういうと次女のユウカの手を引いて、近所のスーパーでお菓子を買って、公園のベンチで食べた。
「おいしいね」
そういうユウカの笑顔をみながら、ミナミはお菓子をよく噛むこともせずに飲み込んでいった。
そうしなければ、なんだか気持ちがおさまらなかったのだ。




