貯金0、資格ナシ、向上心ちびっと
チビデブブスバカ性悪。本当になんの取り柄もないし、なにクソと努力するようなハングリー精神もない。情けない中年女が主人公の物語。
28歳で、最初にお付き合いした人と結婚したミナミ。
ミナミは一重まぶた、鼻は低くてシモブクレ。こどものころから、平安美人とか福笑いと笑われることはあっても美人とは一度も言われたことはなかった。
いわゆるヘチャムクレってやつ。
そういう地味な容姿の女の子って、なった人じゃないとわからないって思うんだけど、生きるのはちょっと辛いことが多い。
学校の成績も下の中くらい。なんともパッとしない。というより、この成績の時点で、人生の結末は見えてきたって言った方がいいのかな?
地元の偏差値43くらいのデザイン科の高校に行った。だからって絵がうまいってわけではなかった。
でも、絵を描くのは大好きだったし、メイクや髪型、洋服なんかは好きで小さい頃からずっと絵を描いてモノを考えてきたほどだった。
文字で何かを読んだり書いたりするのは20歳くらいまで苦手だったので勉強はいつも苦痛だったけどね。
ミナミの行ったデザイン科の高校は、偏差値こそ低いものの、集まっていた生徒は皆個性的。
高校生活は、母親からの
「こんな偏差値じゃねえ」
という愚痴をのぞけば、最高といってもよい楽しさだった。
日本の多くの高校生が、たくさんの教科書をより少ない時間で詰め込んでいる間、私たちは、のびのびと好きな絵を6時間授業のうち4時間は描いていた。
デザイン科は職業高校なので実質カリキュラムがない。
休み時間には友人と校内新聞を自主制作した。
よくある学校のお決まりの新聞などではない。友人と3人で始めて先生の介入の一切ない、まったくもっておせっかいな生徒発の新聞なのだ。
親友は、イラストと全体の構成、発行、配布と、ほぼすべてを担当。わたしは、友人が学校中にアンケートをとって決める不思議な「ミス」についてのエッセイを担当した。
この「ミス」だが、そんじょそこらの「ミス」とは違う。容姿とか、性格とか、性別など関係ない。
その月にちなんで「ミス桜餅」とか、風変わりなテーマで選ばれるのだ。
このテーマも親友が決めていた。面白いやつなのだ、この親友。
なんか、普段目立たない人とかが選ばれちゃったりして、そういうのを、その人にインタビューすることなく、ほとんど独断で、ミナミが勝手に妄想したその人の像を、たたえてエッセイにするというもの。
林真理子さんを真似て、ミナミはエッセイを書いたりしたのだ。
新聞も楽しかったけど、放課後も課題がないのをいいことに、ほとんどの友人はたくさんの本を読んでいた。
友達からすすめられた村上龍『限りなく青いブルー』は、武蔵美出身の作家ということもあって、とても刺激的だった。
県展や様々な賞に入賞する子や、予備校に通ってストレートで女子美などに受かった子もいる中、ミナミは学業も絵も、低空飛行だった。
よく、容姿がダメなら成績。成績がダメならスポーツ。スポーツがダメなら芸術。などなど、なんかあるでしょって、思いがちである。
例えば、料理がうまいとか、掃除はできるとか、裁縫がうまいとか。
でも、ありとあらゆるものが、ミナミは低空飛行だったのだ。
こうなると、もう、本人も笑うしかない。
ドラえもんとドラミちゃんなら、確実にドラえもんだし、ドラえもんよりも、もちろん、のび太その人こそ、ミナミと一番似た人だった。
でも、ミナミはおっとりしたもので、自分は器用貧乏なんだって思っていた。
それどころか、自分には、まだこの世界では未知の隠れた才能がある、早すぎた天才だって、一人妄想したりしていた。だって、その方が世界が楽しく見えるでしょ、ね。
楽しんだもの勝ちよ♡
事実、ミナミはなんでも、そこそここなすことができたのだから。
高校を卒業後、地元の4年生の私大に落ちたため、夜間の短大に行った。昼間の3年生へ編入するまでは朝5時くらいから配達をして、昼休みもなく事務作業に電話応対、倉庫整理、配達とフルで働いた。そして夕方5時にシャワーで汗を流してお出かけ用の洋服に着替えて学校に行くいう日々。
夜9時半くらいに帰宅したらすぐに眠って、翌朝5時の配達に備えた。
ミナミの不満は、恋人ができないことだった。
容姿はイマイチだけれども、配達などの激務だったので、体はいつもスリムで引き締まっていた。
髪型もお化粧も最大限気を使っていたけれども、出会いもゼロなら、申し込みもゼロ。
今のようにインターネットもスマホも出会い系もなかったので、そりゃあ寂しいものだった。
そんなわけで、多くの大学生と違って学業と仕事の両立で、働きづめの青春をすごした。
バブルがはじけた直後くらいの時代のことなので、ミナミの青春っていうのは、かなり特殊なものだったといえる。
ただでさえ、オール地味なミナミの人生は
「なんのおもてなしもできませんが」といった幕開けのまま、順調に駒をすすめていっていた。
そんなミナミが、初めて好きになったのは、26歳の時に、インターネットで知り合ったメル友だった。
東北大出の猫好きの8歳上のSE。
でもこの恋は、ミナミの写真を送った途端に、連絡がこなくなるという悲しい結末で幕を閉じた。
20年近くたち、中年になった今でも、このことを思い出すと泣けてくるのだ。
このトラウマのせいか、今でも映画のラブストーリーはみない。ムカムカするのだ。
だって、メル友で、実際には一度もあったこともないし、手を握ったこともない相手とはいえ、心から好きになった人だったのだ。そもそも、誕生日に送ってもらったCDは、ミナミにとって初めての男の人からのプレゼントだった。
それが写真一枚で壊れるなんて!!!
地味な女の恋バナって、ま、こんなものよ。
傷心の中、地元でボランティアを一緒にしていた13歳上の人とお付き合いしたのが、28歳の誕生日前日。というよりも、彼以外の誰にもプロポーズされたことはないので、もはや、これを逃したら結婚することはないだろうことは、ミナミにもはほんっきりとしていた。
捨てる神あれば拾う神あり。
ミナミは生まれて初めて、そしてきっと、これが最後の一人。
男の人から恋をされてしまったのだ。
そしてその人と29歳の誕生日の1日前に結婚して、今年で16年目。
ミナミはクリスマスイブが誕生日なので、誕生日に入籍するっていうのが幼い頃からの夢だった。
しかし、その日が仏滅(なんでまた!!)ってことで、姑から反対されて23日に入籍することになったのだ。
ミナミは44歳、今年で45歳になる。
5歳と14歳の、二人の娘もでき、何不自由なく、とはいかないものの、とりあえず食べるのに困らない生活を送っていた。
夫はミナミみたいな女にはもったいない人で、電機会社につとめるサラリーマン。結婚当時は1000万に収入が届くかというほど。田舎ではあるものの農家の長男ということで大きな家と田畑も持っていた。
ただ、貯金はなかった。
父親を高校のときに亡くし母一人で子どもを3人育ててきた人が、姑となった。
そのためか、夫は結婚直後から、隣の実家に直接返ってご飯を食べ風呂に入り、ミナミの待つ家には滅多に帰らなくなっていた。
もちろん、仕事が忙しいこともあった。帰りが午前2時とか4時とかで、シャワーだけをあびて6時、7時に出勤といったことも珍しくなかった。
ミナミは新婚といっても、ほとんどの時間を一人で過ごすことになっていた。
結婚して8か月くらいで妊娠したけれども、病院も一人だったし、生まれてくる準備もすべて一人で用意した。
ここ、もしも美人の運命ならば、きっと夫に文句をいうとか、別れるとか、そういうことになったかも知れない。
でもミナミは違う。才色兼備の正反対。才色兼不。
それどころか、貯金ゼロ、資格ナシ、向上心ゼロ、才能も、整った容姿もない上、努力も嫌い、コネも実力もないし、怠け者、生活習慣はまったくなっていないし、性格も悪いという最悪のパターンだったのだ。
そして無類の映画オタク。
夫がいないのを良いことに、朝から晩まで映画三昧。お風呂に入った後に、一人で夜でかけてレイトショーをみるのも大好きだった。
こういってはなんだけど、ミナミは、人生をその場にあるもので、ちょっと楽しめる才能だけは持ち合わせていたのだ。




