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C-9 外から来た者①

 前回までのあらすじ。

 この世に生を受けておよそ六百年。猪の肉を食いっぱぐねる。


 あと今回出番がない。


 ◆


「ふん。こそこそと異界に隠れるドブネズミめ。我らが神に逆らうなど愚の骨頂よ。

 どれ、ご命令通り排除するとしようか。そしてこの大陸を我らの神へと献上しよう」


 神を僭称する者により今まで封じられていた大陸。

 そこから至る異界の地、どこでもない渓谷、流れ落ちる滝、その裏には俗物の隠れ家があった。

 男は笑う。全ては神より賜ったお言葉通りだ、と。


 いやらしい笑みを浮かべる男。

 大陸を治める女神・コートを人の姿へと貶めた、異なる神からの使者――いいや、刺客である。

 武器すら持たぬ拳を極めし者、闘士(グラップラー)・ジオ。人の身を捨て亜神へと転じた最強の格闘家。

 彼の心は怒りのために鈍く猛っている。己が信奉する神に汚泥を投げるかの如き神敵の愚行に。


 この怒りを鎮めるためには、万死を与えても尚生ぬるい。痛めつけ、なぶり、全てを奪ったあとで絶望を与えたのちに滅びを与えてやらなければ。


 ジオは臆することなく滝を潜り、洞窟の中へと足を踏み入れた。罠など恐れはしない。むしろ上等である。その全てを蹴散らしてこそ、相手にほぞを噛むような悔しさを与えることが出来るのだから。

 ジオは進む。警戒も注意もなく。

 しかし何もない。罠はなく、敵すらいない。

 ただただ歩く。ひたすらに。

「しかし長いな」

 何もない道を延々と歩き続けるしかない。入り組んではいるが迷路という程でもない。水があるので乾きもしない。

 歩かされる。ただそれだけの洞窟である。


 ――そうか。精神を試されているのか。ふん、小癪なマネを。


 ジオは敵の目論見を看破したと確信した。

 おそらくこの洞窟はどこかで空間をねじ曲げられているのだ。なので、進み続けようとも決してどこかへ辿り着くことはない。そうして相手の精神をすり減らし、無限地獄の中で衰弱死へと至らしめるのだ。

 だが種さえ割れてしまえば対策はある。空間の継ぎ目に力場を差し込み、閉じた世界を解放してやればよい。

 ジオはその境目を見逃さぬよう、目を凝らしながら歩を進める。どれほど時間がかかるか分からない。だがしかし、亜神であるジオの手にかかれば造作もないことだ。


 とか考えていたら一際大きな部屋へと辿り着いた。

 どう見ても終点である。

 なんかモヤッとする。

 が、ジオは気持ちを切り替えた。亜神のメンタルは並ではないのだ。


 ◆


 ドラゴン商会の男性事務員の一人、イズドーラは急な来客に困惑していた。

 商会長から留守を任された彼は、特に指示されていないが保養地の管理をしていた。今日も数日に一度の掃除に訪れていたところだ。

 保養地とはいえ元は商会長の持ち家である。留守中勝手に使用する訳にはいかない。なので現在、異界への入り口は閉じられ、ドラゴン退治のチャレンジャーも訪れることが出来ないはずだった。

 言ってみれば、ここは休業中の施設なのだ。


 ――あれー? おかしいなぁ。


 イズドーラは考える。

 これはトラブルだろうか。予定外の事態である。

 だが、若いとはいえ商会長はあれで抜け目のないドラゴンである。杜撰な空間管理はしていない。侵入者が入り込んだり、何かの弾みで迷い込んだりといったことはないはずだ。


 ――あ、わかったぞ!


 トラブルでなければ、サプライズだ。留守中にも真面目に管理し続けているイズドーラへのご褒美なのだ。商会長は割とそういうのが好きなのだ。

 合点がいった。イズドーラ、納得。なんなら「遠慮すんな、お前もドラゴンしちゃいなよ!」なんて幻聴すら聞こえる。

 持ち前のポジティブさで都合良くとらえたイズドーラは大喜びで強者へと向きなおった。


「よく来たな、強者よ! この私に単身挑むとは見上げた剛の者よ!」


 目の前の男は応える。


「ふん。上から目線でほざくかよ、トカゲ風情が! 我らが真なる神に牙を剥く愚か者め! 貴様の傲慢さ、この神の(しもべ)たる闘士・ジオが正してくれようぞ!」


 男の言葉を耳にしたイズドーラは、目を見開いて驚いた。


 ――え? ちょ、ま、なんだよそれ!


 目の前の男は何を勘違いしているのか、自分のことを悪であるかのように吐き捨てる。神をも恐れぬ邪竜のように。忌むべき穢れた異端者のように。

 それは、なんて――


 ――――なんて燃えるシチュエーション!


 思ってもみないスパイスが効いていた。これにはイズドーラ、大喜びである。

 気分も乗って絶好調。万歳小躍りしたいくらいだ。

 今、彼は、最高にドラゴンしている!


「はーっはっはっはーっ! 愉快だ! 実に愉快だぞ小僧!

 さあ、かかってくるがいい。捻り潰してくれようぞ!」

「それはこちらの台詞だ!」


 ◆


 ジオは多少の驚きと賞賛する気持ちを感じていた。

 神を僭称するなど愚かの極みと断じていたが、なかなかどうして、それを自称するだけの力はある。肌で感じたその強さ、並のドラゴンの比ではない。

 封じられた地でこれだけの実力を持て余していたとすれば、己こそがこの世で一番だと勘違いしてしまうのも仕方がない事やも知れぬ、と。


 だが、悲しいかな。それは世の中を知らなすぎだ。


 亜神であるジオに僅かに劣る程度。所詮はそこ止まり。

 神とは遥か高みにある者。手の届かぬ場所に在る絶対強者。

「おぶぇっ…………」

 ジオの拳がドラゴンの腹に突き刺さり、その巨体が身をよじらせて倒れる。そして横たわる頭部に気を込めた一撃を加え、昏倒させた。

 命を奪うつもりの本気の一撃であった。が、意識を奪うことしかできなかった。そのことが強敵であったことの証明となる。


 肩を上下させ大きく息をするジオ。

 亜神となって以来、これ程までに苦戦した相手がいただろうか。久しくなかった全力での闘いであった。

 正直に言えば惜しい気持ちもある。

 だが、神の御意志に逆らう気は毛頭無い。命じられたならば遂行するのみ。

「もしも貴様が外の世界を知っていたならば、あるいは――いや、言うまい。

 次に生まれ変わったならば善き神の(しもべ)となるがよい。さらばだ」


 トドメを刺す。そのために構えた拳だが、振り下ろされることはなかった。

 背後からとてつもない強大な気配を感じたためだ。

 振り返り、身構える。

 気付けばジオは冷や汗を垂らしていた。かつて味わったことのない危機感がそうさせたのだ。


 洞窟の最奥、巨大空洞。その入り口に立っていたのは――

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