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昭和怪談

昭和怪談その弐<隙間王子>

作者: 仙堂ルリコ


五月十日、午前七時に電話を掛けた者です。


対応された方は、話の途中で受話器を置かれました。

悪戯電話と処理されたでしょうか。

最初から手紙にするべきだったと後悔しています。


何から、どこから書けば良いか判断できませんので始まりから全て書きます。

長くなりますが、最後まで読んで下さると信じています。


私が何者なのかをまず、知ってください。


三十五才で未婚です。製薬会社の研究室に勤めています。

両親ともに健在で実家で暮らしています。小さな建売住宅です。

二階の二間が私と弟の部屋です。弟は九州に就職して今は家に居ません。

でも盆暮れに帰省するので部屋はそのままです。


私は生まれつき大柄で丈夫で、精神面も弱い方では有りません。

ただ一つの妙な癖を覗いては心身ともに健康といえます。


とりあえず、癖と書きましたが、かなり特異で日常生活に影響を及ぼす症癖です。


私は、隙間があれば、覗かずにはいられないのです。幼い時からです。


たとえば家の中では冷蔵庫と食器棚の間、そとでは建物と建物の間とかです。

好きだからではありません。怖くて気になって仕方が無いからです。

暗い狭い空間が怖いのではなく、奥に潜んでいるかも知れない「目」が怖いのです。


「目」はどこかの隙間で私を待っている気がするのです。


家の中に三十六カ所ある隙間の中に不意に現れるような気もします。いつ、何処で「目」に遭うのか分からない。

隙間を覗いては恐れる「目」が無いのを確認して安堵するのです。


恐れる対象の「目」は、片眼です。

まつげが長く大きくて目尻に盛り上がった黒子があります。


「神経症みたいなこと、やめなさい」と、母に叩かれこともあります。小学校の入学式だったのではっきり覚えています。

 視線も足も隙間の前でいちいち止まっていたのでしょう。

 父にも、神経症かと聞かれました。

 神経症が何か知らなかったので、わからないと答えました。

 何度も手を洗うとか、戸締まりの確認が一回では気が済まないとか、それと同じかと、言われたので、それなら、自分は神経症かもしれないと、頷きました。


 父は怒りました。

「違うだろ? 二度とするな。気持ち悪いんだからさ、やめろ」

 何度も頬を打たれました。

 それ以来、両親の前では隙間が気になっても、絶対に見ませんでした。

 これは気持ち悪い行為で、両親は娘が神経症なのは許さない、と理解したのです。

 

 それでも「目」の存在は頭から消えません。

 禁じられるまで淡い幻だったのが、鮮明になってしまいました。

 まるで両親が咎める力に坑がうように。

 結果、バレないように隠れて隙間のチェックを続けました。

 父も母も娘の奇行が続いているのに気がついていたと思います。

 しかし二度とは咎められませんでした。見て見ぬ振りをしてきたのです。

 五歳下の弟がやんちゃ盛りで私の挙動に構えなくなったのと、その癖以外に特に問題が無かったからだと思います。

 学校の成績が良ければそれでいい、元気ならそれでいい、そんな親でした。

 

 子供時代を過ぎ、自分の癖も頭のなかに住んでいる「目」も、変だと、さすがに考えるようになりました。「目」が幻想だと理解したわけです。

 ……しかし「変な癖」は身体に染みついてしまったのか、隙間を覗かないと、落ち着かないのです。

 「目」などないと分かっているので、儀式のように形だけになりましたが……止められなかったのです。

 

 十代、二十代になっても、「癖」は続きました。友達との、心が弾けるような楽しい時間でも、青臭い涙を流しながらも、恋の最中でも、隙間のチェックは欠かせませんでした。


 二週間前のことです。

 友人のワンルームマンションで、こっそり家具の隙間を覗いていました。そして、その行為を友人に見られてしまいました。

「ピアスが外れて、どっかに、いっちゃって」

 とっさに誤魔化しました。ピアスなど、つけていなかったのに。

 友人は、掃除機で家具の下や隙間を吸引し、ゴミをほぐし始めました。

 申し訳なくて、嘘だと詫びました。

 何故? と悲しげな表情で問われました。


 誰にも話したことのない癖と、その訳も話すしかありません。

「変でしょ、まつげの長いぱっちりした目で、目尻に大きな黒子があるんだ。それがね、隙間の奥にあるような気がするの」

 気まずさを誤魔化すために、笑みを浮かべていたと思います。


 友人は、何故か大笑いし、

「実はアタシも、そういうのあるよ」

 と言いました。

 びっくりしました。自分の他に「目」の存在に怯えている人がいるなんて、思いもしませんでした。

 でも、ちょっと別の、そういうの、でした。

「アタシの場合はね、寝る前に必ず窓を開けて外を見るの。馬鹿馬鹿しいんだけど、私を連れ出してくれる王子様が、窓の外にいる気がするわけ。なんで窓の外か分かる? ピーターパンとロミオなのよ。

子供の頃にアニメか絵本で見て強烈に印象に残ったんでしょうね。

私の王子様も窓の外に居るって刷り込まれてるのよ。笑っちゃうでしょ。

ファンタジーだよね。お互い結婚できない訳よ」


 まつげの長いぱっちりした、と聞いて、王子様のようなイメージを持ってしまったようです。

 違う、「目」は、とても怖いモノで、と言えませんでした。

 友人は、私が恐れているモノを、隙間王子と名付けてしまいました。


「で、隙間王子の元は分からない訳ね? 目尻の黒子がポイントね。子供の頃に流行ったアニメで、なんか、そんなキャラがいたような気がするんだけど。特撮ヒーローかもしれない。隙間に潜んでるシーンがあったとか」

 雑談の話題にも尽きた頃で酒も入っていました。

 友人は隙間王子の正体を絶対つきとめるとハイテンションで言い出しました。 

 私は、友人の推理の方向は案外正しいかもしれないという気がしてきました。

 幼い子供が何を怖いと感じるかは大人とは違う、「目」の原点は怖いものでは無いかも知れないと。


 友人はインターネットで「目尻に黒子のある美少年」を検索しました。

 私ではありません。

 ……何気ない友人の行為がなかったら、このような手紙をかくことも無かったのです。


 アニメキャラの紹介、名も無き人の創作小説文章の一部がいくつか並ぶ中に、

「行方不明事件まとめサイト」がありました。


「美少年神隠し事件」、です。

 行方不明になった高校生が目尻に黒子のある美少年でした。関西でもトップクラスの進学校に通い、テニス部に所属して全国大会出場だそうです。

 三十年前の事件です。


「まさに王子様じゃないの。テレビで報道してたのを見たのかも。カレが魅力的で幼心に幼い瞳に焼き付いたんじゃないの。何で隙間かわかんないけど」

 と友人は言いました。

 美少年というネーミングが大げさではない、三十五歳の女二人から見れば目の保養になるレベルでした。彫りの深い顔立ちにスリムで締まった身体。濃いまつげの左の目元に小豆大の黒子があります。

 もし前に一度でも彼を見たら忘れ得ないだろうと、その時は思いました。

 私が探している「目」ではない、違うと友人にも言いました。


 それでも、行方不明の美少年は魅力的で、事件の詳細が気になりました。


 葉山秀一君十六歳。

 昭和六十年八月十日午後三時頃、本屋に行くといって出て行ったきり帰ってこない。本屋には立ち寄らず、家出の可能性もないことから何らかの事件、事故に巻きこまれた可能性あり……。

 そこまで読んで可哀想にと胸が痛みました。この少年は、もう生きていないかもしれない、だけど、永遠にネットの世界で、その美しい姿でとどまっているのだと。

 感傷的になり、少年が居なくなった場所にひっかかったのは、友人が画面を閉じようとする寸前でした。

 大阪府南大阪市、とあります。

 叔母が以前に南大阪市に住んでいたのを思い出しました。

 母が弟を出産する時に、二週間位預けられました。


 南大阪市なら一度行ったと、友人に喋りながら……弟は昭和六十年八月二日が誕生日だと、何気なく口にしました。


「昭和六十年八月二日が弟ちゃんの誕生日、カレが失踪したのは八月十日でしょ。お産って一週間位入院するんだ。それなら八月十日に、アンタは南大阪市にいたかも」

 と嬉しそうに言いだし、叔母の家と葉山秀一君の家は近いのかと聞くのです。


 南大阪市としか分からないと答えました。

 伯母一家は、その後奈良県に家を買って移り住みました。現在も住んでいるその家なら、数回行ったし住所も町名まで知ってますが。

 友人は諦めませんでした。


 彼女とは大学のサークルで知り合ってからの付き合いです。都内のマンションに一人暮らしなので、週末に二人で飲み明かすのが習慣でした。私大の図書館に務めているのですが、たしか本格推理小説が好きでした。

 私が恐れている「目」を隙間王子と名付け、それが葉山秀一君で、そのうえに私がカレの失踪について何か知っている……小説か映画のようなストーリーが友人の頭の中で構成されつつあるのは分かりました。


 パソコンの画面は南大阪市の地図に替わってました。


「何か、覚えてること無いの? 山が見えたとか、高速道路が近くにあったとか。電車で行ったなら駅から近かったとか」

 まだ五才だったから覚えていないだろう、と最初は思いましたが、駅からタクシーで行ったのをすぐに思い出しました。タクシーに酔って気分が悪くなって吐いたらどうしようと不安でした。父に助けて欲しかったけど、不機嫌な横顔に何も言えませんでした。

 父は、どの駅からも遠い、不便なところだとぼやいていました。


「他に何か覚えてない? 学校が近くにあったとか、公園であそんだとか」

 頭に叔母一家のイメージが浮かびました。

 叔母は昔スリムだったとか、……プールに連れて行ってくれたとか。


「大きな公園があって、その中にあるプールに行ったのを覚えてる。一回じゃなくて二回、歩いて行った」

「プールだね。それで、叔母さんの家はマンション? 」

 三階建て幅の狭い家でした。生まれて初めて余所の家に、二週間も居たから案外覚えていました。それと、確か隣がお店でした。自動販売機でジュースを買ってました。

「じゃあ、お菓子屋かパン屋じゃないの? 」

「お菓子は従兄弟達と一緒に商店街に買いに行ったから、違うと思う」

 父が自動販売機でビールを買っていました。酒屋かもしれません。

 昼間から飲んでる、と嫌な感じでした。


「子供のころの不快な体験はささいな事でも記憶に残るって聞いたことあるよ。ねえ、どの駅からも遠いってことは、少なくとも二つの駅の間ってことかな。それで近くにプールのある公園って、二週間に二回も行ったってことは入場料が安い市民プールかもしれない。市民プールに近くて駅からは遠い場所に、叔母さんの家はあった。あ。市民プールあったよ。広い公園の中にあるよ。それで、商店街の近くでしょ」

 推理を続けます。


「これ、商店街だよ、近いよ。ちょっと待って」

 行方不明のサイトに画面を戻して、「うわあ」と友人は妙な声を出しました。


「彼の家はこの、商店街から近いよ。もしかしたら本屋は商店街の中にあったのかも」

 言いながら発泡酒の缶を、また開けました。

 私の癖と行方不明の美少年を強引に結びつけたがってます。

 私は、なぜか、この話題から抜けたくなっていました。

 友人と負けぬ位頭にしみ通っていたアルコールが急激に醒めていくのが不思議でした。


 まだ自覚していない恐ろしい真実に出会うのを気取っていたのかも知れません。


 友人は地図を拡大したり航空写真で確認したり通りの画像を追っていったり……推理ごっこにのめり込んでました。


「商店街に本屋が、あったよ。商店街のまわりは倉庫か工場みたいな建物と、古い連棟の家が並んでる。ねえ、酒屋があるんだけど、隣の、この家、違う? よく見てよ」

 東西に延びる商店街の、三本南の通りでした。

 三階建ての家は廃屋のように見えます。友人は叔母の家を特定できたと思いたいようでした。

 残念ながら伯母の家かどうか分かりません。


「わからない。なにぶん小さかったし。母親にちゃんと聞いてみるよ、」

 不毛な推理ごっこを終わらせようとしました。

 葉山秀一君と、物心ついたときから知っている「目」が関係ある筈が無いと、内心思っていました。

 友人は物足りない、不満げな様子でした。


「叔母さんに直接聞いたらいいじゃない。自分が住んでたんだから住所くらい覚えてるでしょ。事件のことも覚えてるんじゃ無いの」

 今すぐにでも電話しろと言いかねない強い口調です。簡単に楽しい遊びから抜けたく無いと駄々をこねている感じです。


「叔母さんと、今はそんな親しくしてないんだ。先月法事では会ったけどね。双子の従兄弟の一人と来てた。ちょっと髪薄くてショックだったよ。まだ三七なのにね」

 これで勘弁してくれると期待したのですが、友人は、怒りました。


「双子なの? 二歳上ってことは、当時は一年生か二年生か。そういうの、言わなきゃだめじゃない」

「でもあんまり関係ないでしょ」

「何して遊んでたとか、いとこの性別と年齢で変わってくるじゃない」

 不機嫌になって、また新しい発泡酒のカンを開け、ぐいぐい飲ました。


「よく見てよ、なんか思い出さない? 商店街のお菓子屋に行ってたんでしょ。あった、お菓子屋だ。商店街は東西に八百メートル続いてる。南北の道がないよ。平行する通りも横に長くて縦の道がないんだ。 叔母さんの家がこの酒屋の隣だとして、商店街から三本南にある通の真ん中でしょ。商店街に行くのに、東から行ったとしたら、彼と、商店街を同じ時間に歩いてた可能性があるじゃない」

 パソコンのプリンターから紙を抜き取って簡単な地図を書き始めました。


「本屋は商店街の西の端で、アンタがお菓子を買いに行ってた店が真ん中。そしてカレの家は商店街の東にあるからよ」

 でも、と私は反論しました。


「カレが家をでたのが三時でしょ、居なくなったの。その時間になんで私が商店街にいったとわかるのよ」

「毎日おやつを買いに行ってたんでしょう? なら三時、頃でしょう。三時のおやつって言うじゃない」

 馬鹿馬鹿しくなりました。

 それに商店街で遭遇した可能性があるとしても、それがどうしたというのでしょうか。


「アンタが彼の失踪に関係してるかもしれないじゃない」

 友人は真剣な顔でとんでもないことを言い出しました。

「痴漢がつかまりそうになって自殺した事件あったじゃない。ほら、朝の通勤電車で……犯人の大学生が線路に飛び込んだ、あれだよ。つまり美少年はアンタを薄暗い路地に連れ込んでいたずらしようとして逃げられたんだ、それで発覚することを恐れて失踪して、どっかで自殺した。そうかもしれないよ、王子様じゃなかったかもよ。薄暗いところに連れ込まれたから、隙間が気になるんだよ。辻褄あうじゃない。あんた、思い出さない? 」

 呆れました。いくら何でも、行方不明のカレに失礼すぎます。


「あのね、一人で歩いてた訳じゃ無いでしょ。三人で歩いてたんだよ」

 納得すると思いましたが、

「待って。分かるけど、簡単に諦めちゃ駄目。双子はアンタを置いてきぼりにして、さっさと行っちゃったかもしれない。アンタが事件の真相を握っている可能性は残されてる。ねえ懸賞金でてるんだから頑張ろうよ」

 ……懸賞金。

 最後の言葉に熱意の理由を知ってしまいました。

 酔っての戯れ言は一層熱を帯びてきました。気が済み諦めるか、泥酔して眠ってしまうまで付き合うしかありません。

 私はとりあえず、いっそ早く酔いつぶれて欲しくて、友人の前にグラスをおき、ワインを満たしました。


「彼が歩いた路を、たどってみたら思い出すかもしれないよ」

 べったり肩を抱いて、くっつかれて、私はまた通りの写真を見せられました。


「カレの家から本屋まで行くよ、ほら商店街に入るよ。東側からね」

 商店街は赤い煉瓦が敷き詰めています。所々閉まっている店もありますが、寂れきっはいません。中程にお菓子屋はあり、出口近くに本屋もありました。


「改修したんでもなさそう、古い感じだから、何かおぼえてないの?」

 叔母の家かもしれない酒屋の隣から商店街への道も辿りました。

 何も思い出せません。見知らぬ場所でしかありません。


「アンタはいとこたちと一緒にこの道を歩いてお菓子を買いに行ったんだよ、こんな赤煉瓦を敷き詰めた路、珍しいよ。毎日お菓子を買いに行ったんでしょ? 二週間毎日……なんか思い出さないかなあ」

 尋問するようなまなざしに、義務のように再び記憶を辿りました。

 毎日お菓子を買いに行った。二年生の双子の従兄弟の後ろをついて行った、同じ服、同じ頭を追いかけて……。

 商店街じゃない、商店街を走った記憶はない、もっと細い、道じゃないような、暗いところを通って、明るい商店街にぱっと出たんじゃなかったろうか。


「もしかして、その記憶が確かなら……地図で確かめよう」

 画面は地図に戻り、最大に拡大されました。

「アンタたちは商店街を通らなかった。裏道を通ったのか」

「道はないでしょ?」

「道はない、だけど、よく見て。家から商店街のお菓子屋まで建物の間を抜けて、子供なら行けるかも」

叔母の家と隣の酒屋の間を抜ければ、確かに一本北の通りへ出ます。

次は文化住宅の間を抜けて左にわずかに行き、大きな工場か倉庫のような建物の間を行けば、商店街裏の路地に出ます。お菓子屋と薬屋の間に。


 記憶がうっすら蘇りました。長い暗い隙間で、横歩きしないと通れなかった。


「迷路みたいな……コドモ道、そう従兄弟が言ってた」

 友人のまぶたは半分閉じています。


「そのコドモ道を通ってたから、商店街の記憶がないんだ。あの日あんたはお菓子屋に行ったかも知れないけど、商店街は歩いてないのか。つまり遭遇するチャンスは菓子屋だけか。菓子を買ってる女の子が可愛かったんで声を掛けて……店先じゃあ無理があるか。残念。懸賞金三百万、飛んでっちゃった。ははは。私ら、よっぽど暇だね」

 友人はそこまで喋って、横になってしまいました。同時にいびきです。やれやれと、安堵しました。

 私の頭は冴えていました。

 

 友人が横たわっている背後の家具の隙間に、あの「目」があるような気配がするのです。

 私の人生につきまとってきた「目」と同じ、長いまつげで目尻に黒子のある、行方不明の少年が気にならない筈はありませんでした。


 彼の名前を検索し、詳細な経過がわかるサイトを見つけました。

 花屋の店主が彼と挨拶をかわしたと、出ていました。商店街の東にある店です。友人の推理通り、彼は商店街の本屋に向かっていたのです。

 花屋の店主は彼の祖母と仲がよく見間違う筈はないと証言しています。

 時間は夕刊の来る三時半より前だったと。

 つまり彼は商店街には入ったのに、本屋には行かなかったのです。

 本屋の店員が、その日彼が買う予定だった本は売れていないと、証拠の帳簿まで見せていました。

 商店街で細かい目撃情報を探したが、少年が誰かと言い争っているというようなトラブルはなかったそうです。

 彼の母親が涙ながらに語っている動画もありました。二年前の映像です。

 夕ご飯の時間がすぎても戻らないので、最初は途中で友人に会いでもしたのかと思っていた。

 それが十時を過ぎても戻ってこない。心当たりの友人宅に電話をかけたが情報は無かった。日付が変わる頃、交通事故に巻き込まれたのではないかと心配になり、警察に電話をかけたと。

 行方不明時のイラストもありました。

 ランニングシャツに短パン、素足にサンダル履きで本代の小銭だけを握って出て行ったのです。

 家出の筈はない。理由もない。

 花屋の前を通ったが本屋には行かず、商店街の中で忽然と姿を消したのでした。

 最後に、少年が本屋のほかに立ち寄りそうな店として、駄菓子屋のお婆さんの、事件当時のコメントがありました。

 

 三時頃には毎日来てた双子と、あと数人来たと思う。皆子供だった。彼の顔は知っている。来ていたら覚えている……。

 

 私は鳥肌が立ちました。

 

 商店街の画像も数枚あり、駄菓子屋の鮮明な画像があります。

 微かに見覚えがある気がしました。行ったことのある古い駄菓子屋の一つかも知れない程度のあやふやな既視感です。

 ……が、駄菓子屋の左端にある薬局のカエルは、知っていると、証言できます。

 自分より少し低い背丈で、首を振るのが面白くて、通りすがりに触りました。間違いありません。


 黒子のある「目」は彼かも知れないと思い始めました。

 近所で起こった事件ですから伯母は無関心では無かったでしょう。

 テレビ、新聞を見ては話題にした筈です。母も妹が住んでいる街の事件に興味を持ったでしょう。

 事件直後に、テレビか看板で彼の顔を見ていた可能性はあります。


 身体に染みついている、隙間を覗く癖、隙間にある気がする「目」の起源は、この事件かもしれない。     

起源が分かれば解放されるかもしれないと、期待しました。

 

 私は……三十五歳で未だ独身ですが、過去に結婚したかった恋人はいました。

 しかし、去られてしまいました。一緒にいても心ここにあらずだから、落ち着かないと嫌われたのです。絶えず隙間が気になって、抱き合ってる時でさえ、視界に入る隙間に、「目」が無いのを確認していた、そのせいで嫌われたのだと心のどこかで思っていました。「目」のせいで、男の人に去られたようなものです。

 行方不明の美少年など、実はどうでもいい、これで「目」の元がはっきりしたら、頭の中にある像を消し去れるかもしれない。思いも寄らない幸運ではないかと考えました。


 翌日、早速母に、「美少年神隠し事件」をしっているかと聞いてみました。

「そんな事件あった?」

 気のない返事が返ってきました。パソコンでサイトを見せましたが、全く知らないと言います。

 伯母の家の近くだと、しつこく食い下がりました。

 母は南大阪市には行った事がないと、言いました。

 伯母一家が南大阪に居たのは一年ほどで町名も知らないと。


「目」が、事件当時の報道映像からの記憶と解釈したかったのが、揺らぎました。


 三十年前の夏、千葉に戻った五歳の私が、大阪府で起こった行方不明事件の少年を記憶に残るほど、見る機会があったのだろうかと。

 母は関心が無かったようだし、今のようなワイドショーがあったのか、あったとしても、そんな番組を子供が見たのか……。

 私の恐れる「目」と彼はやっぱり無関係だったと思いました。

 事件時に近くにいたという偶然は、ただの偶然でしかない。何の意味も無かったのだ。そう一旦は思いました。元々友人が酔っ払った勢いで探求した事件です。すぐに忘れてしまう程度のエピソードでした。


 でも、古いアルバムの中に写真がある筈だと母が言いだしました。


 それはすぐに見つかりました。

 昭和六十年八月十日と写真の裏に書いてありました。彼が失踪した日でした。

 そして、あの、友人に何度も見せられた家でした。

 従兄弟二人と私、叔父、叔母の五人並んでいます。

 左端に自動販売機が写っていて、看板から酒屋と分かります。

 叔母は姪を預かる役目が終わった安堵の表情に見えます。

 

 当時は見えなかった叔母の気遣いと優しさが染みてきます。

 叔父の記憶は薄いです。仕事から帰るのが遅くて顔を合わせたのは一、二回でした。

 白と赤のボーダ柄のシャツを着ている双子は、二年生にしては痩せていて随分小さかったんだと分かりました。五歳の私より少し大きいだけです。

 いやむしろ、五才の私は大きくて太っています。

 サクランボの模様のワンピースはお気に入りでした。

 よく見ると、右手でワンピースの裾をつまんでいます。その右手の肘に絆創膏があります。


「あれ? わたし、どうしたんだろう? 」

 問いの答えはどこからかスラスラと出てきました。

 父が迎えに来るから着替えるように言われて、それから、怪我をしたのです。

 

 私が、泣きながら帰ってきたから、おばさんは双子を叱りました。とても強く。二度と、通るなと、何度も言って。


「コドモ道で怪我をしたのかな? 」

 暗くて狭い怖い感じが、壁の何かでひっかいた痛みが、ひどく嫌な思い出がちゃんと頭の中から出てきました。

 駄菓子屋の帰りに、私は暗くてとても狭い場所で怪我をして、パニックになり身動きが取れなくなったのです。

 あんな怖い思いをしたのに、写真を見るまで思い出すこともなかったのかと、不思議な気がしました。

 この後に身に起こった大きな変化の勢いに、嫌な思い出が飛んでいってしまったのかもと、推理してみました。

 家に帰って赤ちゃんを見た驚きと喜びで、一瞬で辛い寂しい二週間を忘れたにちがいないと。

 産まれて初めて母と離れて辛かったのです。叔母は気を遣ってくれたし、従兄弟達も意地悪ではありませんでした。だから余計に良い子を演じて、嫌だと、怖いと言えず、暗くて狭いコドモ道を行ったのです。

 

 この写真を撮った日、朝から家に帰れるのが嬉しくてしかたありませんでした。

 叔母は父が迎えに来たら、すぐに出ないと新幹線に乗れないと何度も言いました。

 そして昼ご飯のあとワンピースに着替えさせてくれました。

 父が何時に来たかは分かりません。

 大人が少し話をする間、邪魔だから、おやつを買いに行くよう言われました。

 

 嫌だったけど、双子についていきました。

 帰りに、ワンピースの裾が何かに引っかかりました。いちばん狭くて長い、工場と工場の間の隙間でした。双子はさっさと行ってしまいました。

 顔を横に向けると耳が当たるので、何に引っかかって、どうなってるのか、見ることは出来ません。

 手探りで、何とかしようとしたら肘を摺りました。痛さにもがいたら今度は膝やら頭が壁に当たるのです。

 泣きました。大きな声で泣きました……。

 それから?

 泣きながらも脱出したのか。

 どうやって抜け出したんだろう?

 

 一枚の写真から、何でも無い出来事が数珠つなぎに思い出せるのが何だか面白くなりました。

 何としてでも思い出してみたいと写真に魅入っていました。

 ベッドに寝そべって三十年前に思いをはせているうちに、うとうとしてしまいました。

 

 どれくらいの時間が経ったでしょう。


「そんなとこ、入ったらアカンやンか、ちょっと待ちや、いま助けたる」

 声が聞こえたのです。

 いたい、いたた、といいながら誰かが近づいてくる気配を、生々しく感じました。

 ギョッとして、身体を起こしました。

 とても、奇妙なことに、三十年前の、僅か数分の出来事が、不意に、細部に至るまで頭の中に再生されたのです。


 声は、ゆっくりと近づいてきました。そして

「むりや。破るで」

 と言いました。

 ワンピースの裾が自由になったのが分かりました。

「背中真っ直ぐにして、そのまま、ゆっくりカニさん歩きして、」

 声に従って、私は嗚咽しながらも、隙間を抜けることが出来たのです。

 それから?

 背中に、叫び声を聞いたのでした。


「大人の人、呼んできて、お母ちゃんを呼んできて」


 私は、お母ちゃん、という言葉に、母は呼べない、千葉にいるから呼べないのに……。

 変な事を言われたと思ったのです。


 明るい通りで双子が待っていました。

 私を真ん中に三人手を繋いで、次の隙間も横歩きで抜けました。

 酒屋の横から出てくるのを伯母に見つかってしまいました。

 私の怪我を見て伯母は驚き、双子は頭を叩かれました。


 そこまではっきり思い出して、私を助けてくれた人が「お母ちゃん呼んできて」、と叫んでいたのは何故かと、疑問を持ちました。

 

 もしかしたら、あの人は、身動きが取れなくなったのではないか。

 それは充分にあり得ると思いました。

 私でさえぎりぎりの幅です。無理して入ってきたけれど出られなくなる可能性はありそうです。

 可哀想に。でも、子供じゃないんだから、助けを呼べば誰かが気がつくと考えたのですが……。


 スレート葺きの工場だか倉庫だかは、四階建ての高さで隙間は二十メートルはありました。

 友人に見せられた画像で、私はその事実を知ってしまっています。

 叫んだとしても、どこから何のための叫び声なのかわかるだろうか? 

 

 じゃあ、何故私は助けられたのか?

 助けてくれた人は、駄菓子屋の横に入るのを見たのかもしれない。

 あんなところを入っていったと足を止めて隙間を覗いたから、コドモ道が見えた。好奇心で足を踏み入れたら私の泣き声も耳に届いたのかも。

 

 助けてくれた人は商店街を歩いていて……。

 

 推測が、葉山秀一君に結びついてしまった……。

 

 追憶の糸をたぐり寄せ、思い出した出来事に、

 体中から血の気が引いていきました。

 

 怖くて、あれが葉山秀一君であった可能性を、簡単に受け入れられません。

 

 叫び声が誰にも聞こえなかったとしても、従兄弟達がいる。

 遅くても次の日にはきっとまた行ったに違いない。

 他の子供が通るかも知れないと考えてみました。

 

 しかし……従兄弟達は「もう、あかんな、頭あたる」と言っていたし、

 他の子を見かけた覚えもないのです。

 

 次には、思い出してしまった事実を否定しました。

 五歳の記憶なんだし空想が混じってると思おうとしたのです。

 さらには、あれが秀一君だったとしても、自分に責任はない、悪い偶然が重なっただけ。交通事故のようなもんのだと、自分を守る理屈に逃げました。

 

 万が一、

 秀一君が、あの場所に白骨となってとどまっていようが私には関係ない事。

 この先倉庫が解体になって彼が偶然発見されても、なぜ、隙間に挟まっていたのかは謎のままで終わると。

 でも、「目」が、許してくれませんでした。

 

全てを思い出してから、はっきりと見えるようになったのです。

 家の三十六の全ての隙間に、ありありと見えるのです。

 黒目があり得ないほど外に寄ってこっちを見ている左の目です。

 目尻に大きな黒子が有ります。


 隙間で見た秀一君の「目」が脳裏に焼き付いたのだと思いますか?


 三十年前、父でも伯母でも、大人を呼んでこなければいけなかった。

 私は、やるべき事を怠った。潜在意識にあった罪悪感が「目」となって、三十年間ずっと自分を罰してきたのだと。


 全て思い出した今、その幻はよりはっきりとした幻覚となって、私を追い詰めている。

 幻覚に怯え、彼に許しを乞い、恐怖から解放されるために、切羽詰まって電話し、手紙を書いていると解釈されたでしょうか。


 もしそうなら、幻覚なら、どれだけ救われるだろうかと思います。


 「目」は私が作り出した幻覚ではありません。


 あの場所は、隙間は、顔を横に向けられないほど、狭かったのです。

 私は助けてくれた人を見る事が出来なかった。

 ただ声を聞いただけなのです。

 隙間を抜けきった後も、一度も振り返りませんでした。

 振り返ったとしても薄暗い中の黒い影を見ただけでしょう。

 

 見ていない、知らないモノを幻覚で見るでしょうか?

 

 綿綿と書き連ねたとおり、私は「美少年神隠し事件」を知りませんでした。

 南大阪市で過ごした日々を思い出すこともなかった。

 写真がなかったらコドモ道で怪我をしたことなど一生思い出さなかったでしょう。


 潜在意識に罪悪感があろうはずは無いのです。

 それなのに「目」はずっと私の側に居たのです。


 電話では、まともに取り合っていただけなかった事を再度お願いします。


 昭和六十年八月十日から行方不明の葉山秀一君は、同封のプリントアウトした地図の徴をつけた場所に、おられる可能性がたかいです。

 

 三十年前の事を、何故今になって言うのか?

 葉山秀一君がその場所に居る根拠、という言葉だったかどうか記憶が不確かですが、

 そういう意味の質問を受けました。


 根拠を、話し始めたら、電話を切ってしまわれました。

 長くなりましたが根拠を書き連ねました。

 

 文書にすることで情報と扱ってもらえる、無視できないと信じています。

 早々に葉山秀一君を家族に返してあげてください。

 

  


  秀一君は行きがかりで私を助けた為に、薄暗い隙間に閉じ込められた。


  まだ十六歳だった。

  あの日、漫画を買いにふらりと出かけた。

  そこで、人生が終わってしまうなんて微塵も予測していなかっただろう。

  最後になっても諦めきれなかったに違いない。

  彼は理不尽すぎる死を受け入れていなかった。

  命尽きても。

  まだ、私を待っていた。


  私が大人を連れて戻ってくるのを待ち続けていた。


  彼は最後の瞬間まで

  隙間の先、細長い光の方を、左目だけで見つめていたのだ。

 

  そしてとうとう彼の魂は、その一眼になってしまい、

  私を呼び続けていたのかも知れない……。

 


  彼の白骨遺体が発見され

  供養された後

  私は、もう<目>がどんなだったか思い出すコトも出来ない。

  隙間を覗く癖も、無くなった。

 


  優しいお兄ちゃんは

  私を恨んでいたのじゃ無い。

  ただ、<隙間>から出して欲しかったのだ。


  自分は許されたのかと……思う度に

  心の中で彼に手を合わせる。

  

 




      

      


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