4:緑のスピリット
さて。クリスに拾われ、自分のスキルを自覚してから早一ヶ月。最近ようやく、アルマさんとメルニャさんの両方から全快のお墨付きを受けた僕は、先程目覚めたばかりの頭でこれから何をするか考えていた。
結局、こうして全快になったところでステータスの値は変わらず、平均的な五歳児と比べてもひ弱な僕。
身体の方は、ようやくちょっと痩せすぎかな、で収まる程度には肉が付き、食欲も最初に比べれば随分ついた。
つまり、とりあえずは最低限やらなければいけなかった身体の回復は、概ね完了した訳だ。
「……で、じゃあ次に何をするか、なんだけど」
屋敷にいた頃は、とりあえず暇なら本を読むことで時間を潰せていた。そのお陰でそれなりに知識は蓄えれていたし、今更この世界の常識について学ぶ必要はあまりない。
里を歩き回るにしても、この一ヶ月でクリスに連れ回されてしまったので、特に目新しい場所は無くなってしまった。
身体を鍛えるのも多分無意味だろう。同じ理由で魔力が皆無なので、魔法の練習も必要ない。ふと思ったが、他はともかく精神の値が最低値とか、見ようによってはちょっと悲しいものがある。いや、実際は魔法の素養や抵抗力を現しているらしいので、決して頭が残念とか、思考が幼稚とか、そういう意味ではないのだけれど。
「むぅ。いつもなら嫌でも構ってくるクリスも、今日はいないみたいだし……」
本当なら、目が覚めてもしばらくは熟睡しているクリスに捕まっている為に、こうして起き上がることは出来ない。そして起きた後も、まるで犬を可愛がるかのように執拗に構ってくるから、こんなことを考える暇も無かったのだ。
そんなクリスも、何か用事があったのか今朝は姿が見えなかった。ベッドに温もりも残っていなかったので、相当早くに出掛けていったらしい。
「考えてみれば、こうして一人になるのは、ここにきて初めてなのか?」
大体クリスは僕から離れて行動することがないし、仮にいなくてもメルニャさんかアルマさんがいた。
そう考えると、この時間は意外と貴重な時間なのかもしれない。まぁ、やることに困っている現状を見れば、それほど有効活用出来そうにないけれど。
そんなことを思いつつ、ベッドのすぐそばにある窓から、今日も長閑な里の風景を眺めていると。
「……ん?」
誰かに肩を叩かれた気がして、反射的に振り返る僕。
けれど、そこには誰もいない。
物音もしなかったし、気のせいかと結論付けて。
「……やっぱりお前か」
窓に向き直ると見せかけて、またすぐに振り返る。
そこにいた、大体20センチくらいの女の子を捕まえた僕は、改めてその姿をまじまじと見つめた。
緑色の髪は癖っ毛が所々跳ねたショートカット。勝ち気そうな瞳は、髪よりも深い緑色。
背中には二対四枚の羽があり、ワンピースにしては少しタイトな、けれどやっぱり緑色な服を身に纏っている。
「前々からちょくちょく見かけたけど……こいつは一体何なんだろう」
僕の手の中でわたわたとしている彼女。どうやら捕まるのは予想外だったらしく、割と本気で慌てているのが伺える。
実はこいつ、これまでもちょくちょく僕の周りで姿が見られていたのだが、今のように接触してきたのは今回が初めてだ。
多分、僕が一人になったからこそ、ちょっかいを出してきたのだろうが……。
「うーん……。もしかして、こいつは『スピリット』って奴か?」
言いながら、手の中にいる彼女を注視……する前に、逃げないから離してくれ、とでも言いたげな姿勢で手をたしたししてきたので離してやることに。
開いた手のひらにちょこんと座り、背中の羽をパタパタ動かしながら調子を確かめている彼女を、今度こそ注視する。
名称 スピリット
レベル1
スキル『精霊の囁き』
筋力G 体力G 俊敏G 魔力F 精神F
「やっぱりスピリットか」
スピリット。様々な物に宿るという、精霊的な存在。
多分この子は緑のスピリットで、基本植物等に宿るスピリットなのだろう。
他にも火やら水やら土やら何やら、とにかく多種多様な種類がスピリットには存在するらしいが、なにぶん滅多に姿を現さないので、なかなか謎が多い存在である。
因みに、一番ポピュラーなのが緑のスピリットで、理由は性格が総じて活発でいたずらっ子な為に、今のように人間に存在を感付かれることが多いからだとか。
後は、緑のスピリットだから緑の近くにいないとダメだとか、別にそういうわけでもなく。スピリットとして顕現した時点でそのしがらみから離れているようで、興味や好奇心を刺激されれば割とどこにでも現れる、らしい。
ここにいるこの子も、多分そんな理由でここにいるのだろう。
問題は、どうして最近僕の周りをうろついていたのか、だが……。
「喋れる……訳じゃあないみたいだしな」
頬を指先でつついてやっても、ぷにぷにされるだけで嫌がる素振りは無い。
意志疎通がはかれないのが少し辛いところだが、どうだろう。彼女をテイムしてみるのは。
レベルも1、ステータスもほぼ最低値と、今の状態では特にメリットは見当たらないが、逆に言えば安心確実にテイム出来るチャンスだとも言える。幸い、頭を撫でても嬉しそうにしているくらいには懐いてくれているみたいだし、悪い案でもないだろう。
と、いうわけで。
「えっと。対象を自分の支配下に……」
以前、クリスをテイムした時の感覚を思いだし、その再現を試みる。
やがてイメージが固まり、胸に少し熱が籠った感覚がやってくる。クリスの時とは比べものにならないくらい小さな感覚だが、きっと成功した証拠なのだろう。
もしくは、『シンクロ』によるステータス上昇がこの反応を起こしているのか。どちらにせよ、テイムが成功しなければ起こらない現象なので構わないのだが。
「どうかな?」
『何が?』
「お?」
『ん?』
頭に直接、可愛らしい声が響いてくる。
これはもしかしなくとも、目の前にいる彼女の声だろうか?
「僕の言葉がわかる?」
『うん』
ほぉ。テイムしたおかげか、何やら意志の疎通が可能になった。これは、彼女のスキルが関係しているのか。確か『精霊の囁き』なんていう、それらしきものを持っていたはずだし。
「えっと。僕はリオ。君の名前は?」
『リオ……。名前?』
「そう、名前。もしかして、無い?」
首を傾げている彼女に聞くと、少し困惑した様子で頷いた。名前の概念はわかっているみたいだが、どうやら固有名詞は持っていないみたいだ。
なら、僕が付けるしかないのだが、さて。
「うーん……。スピリット……スピ、じゃあんまりか。サピ、サピィならどうかな」
『サピィ?』
「サピィ。君の名前」
『サピィ……。リオ?』
「うん。僕はリオ」
自分を指差し、次に僕を指差して確認する彼女。
その後、何度か咀嚼するように自分の名前を呟いた彼女は、不意に飛び上がり、何やらもじもじとし始める。
『サピィ……リオ』
「うん。サピィ」
『……えへへ』
どうやら気に入ったみたいなので、彼女の名前を呼んで頭を撫でる。すると彼女ははにかみながらも笑顔を見せて、僕の指先に触れるとお返しとばかりにその口を触れさせた。
なにこれかわいい。
「よろしくね。サピィ」
『うん!』
元気に返事をしたサピィは、喜び勇んで部屋の中を飛び回り始める。
と、そこで。
「ただいまー! リオまだ寝てるー!?」
バタバタと騒がしい音を立てながら部屋に突撃してきたのは、当然ながらこの家の主、クリスだ。
彼女はベッドの上にいた僕を見つけるや否や、そうすることが当たり前のように僕を胸に抱き寄せる。
……まだ寝てるー!? とか騒ぎながら来るとか、半分起こしにかかってるようなもんだよな、とか下らないことを思いながら、今ばかりはその抱擁から抜け出すようにもがく。
理由としては、単純に彼女の付けている胸当てが痛いから。普段なら心地の良い抱擁も、彼女の力で金属に押し当てられてはただの拷問である。
「クリス、痛いから」
「あぁ、ごめんごめん。今外すから」
僕を解放したクリスは、ガチャガチャと身に纏う防具を解いていく。ガントレットから胸当て、スカートタイプの下腹部を覆う鎧に、金属製のロングブーツ。
全身鎧に比べれば軽装備だが、それでもぽいぽい放り投げた先からかなりの重量が伺える落下音が響く。
やがて全てを外し終えた彼女は、しっかりと自分の体臭を確認した後に、仕切り直しだと言わんばかりに再度僕を抱き締める。
すんすんと頭の上から何かを嗅ぐような音に、やっぱり彼女も狼の獣人なんだなぁと再確認。
どうやら彼女は日に何回かこうしないと何やら禁断症状が出るらしく。一体僕の何が彼女の琴線に触れたのかわからないが、拒否すると哀れなくらい落ち込んでしまうので、よっぽどのことがない限りは受け入れることにしている。
結果的にスキンシップの九割が身体で語る感じになってしまっていて、少しこれから先のことに不安を覚えていたりするのだが、まぁそれはそれとして。
「何かあったの?」
「メルニャからちょっとした情報がきてね。念のため見回りに行ってたの」
あぁ、仕事だったのか。
守人の彼女は、いざと言うときの剣であり、里を守る盾になる義務がある。これからも、不意にいなくなることがあれば、今日のように有事があったと思えばいいのだろう。
「何? 心配してくれた?」
「いや別に」
「またまた〜。本当はちょっと不安になったりしてたんでしょ? かわいいなぁもう」
……まぁ、あながち外れてもいないのでされるがままになっておこう。
そういえば、サピィはどこに?
『…………ぅ』
「あ」
見れば、いつ入ったのか僕の胸元で苦しそうに呻いているのが見えた。僕はそれに苦笑して、彼女をクリスと僕の挟み撃ちから逃がす為に、クリスに頭を押し付けて胸の間に隙間をつくる。
そこから抜け出した彼女は、ひどい目にあったと言わんばかりにベッドの枕に寝転がった。
代わりに、クリスの胸に頭を押し付ける形になっていた僕を、何を勘違いしたか更にヒートアップした彼女が更に力を強めた為に、今度は僕が呻くはめになる。
――緑のスピリット、サピィ。
初めて僕が仲間にした、後に驚くべき進化を遂げる彼女。まだ彼女の持つ可能性なんて欠片も知らない僕は、無邪気に枕でバタバタしている彼女を笑顔で眺めといた。
……苦しい。




