32:かつての故郷
突然の訪問者は、僕を睨み付けた後にリリーさんへと視線を移すと、店の中へと歩を進めながら言う。
「まだ店は空いてないはず。何をしてる?」
「私の大切なお客様だから、こうして邪魔が入らない時間に対応してるだけよぉ」
「ふうん」
ローブの裾をはためかせながら歩くその人物を見て、僕は街中で見掛けたあの黒ローブの人影を思い出す。確証こそないが、きっと同一人物だ。
背丈はやはり僕と同じか、それより少し高い程度。フードの影に隠れて少し見にくいその顔はまだ幼く、年頃も同じくらいだろうか。
僕の近くを通り過ぎる時に見えた蒼い髪と瞳が印象的だが、敵意を剥き出しになっているせいで冷たさばかりが際立っていた。
その強烈とも言える見た目のせいか、思わず注目してしまったのもあり、意思に反して彼女のステータスが僕の目に映し出され――
名称 リステル・アトランティカ
レベル5
状態 認識阻害
祝福『災厄者』
スキル『過剰魔力』『魔力譲渡』『空間魔法』『魔力変換』
筋力F 体力F 俊敏F 魔力B+ 精神C
――時間にすれば、ほんの一秒にも満たない時間だっただろう。
それは、彼女と僕の視線が交わった時間でもあり、彼女のステータスに理解が追い付くまでにかかった時間でもあった。
「ふん」
気が付けば、彼女はカウンター横の扉の前まで移動していて、
「買ってきたものは部屋に置いておく。用があれば呼んで」
「はぁい」
そんな、なんでもないようなやり取りを経て、彼女は扉の奥へと消えた。
少し躊躇った後に、僕はリリーさんへと疑問をぶつける。
「彼女は、一体」
「見ちゃったなら、説明はいらないんじゃない?」
笑顔のままに、けれど少し悲しげに、リリーさんはそう答えた。
その言葉に、何かバツの悪さを覚えて、視線を落とす。
「あの子が、言っていた子? 顔は見えなかったけど」
「そうよぉ。顔が見えないのは、私の魔具の効果だけど。色々拗らせちゃってるから、あぁでもしないと人と話せないの。……でも、貴方には見えてたみたいね。リステルの顔」
俯いていたところに声をかけられ、顔を上げてから頷き返す。
閲覧者というだけで、ある程度の認識阻害を突破出来ることは、フォッグさんの時に経験済みだ。
今回はリリーさんの魔具によるものだったみたいだが、別段意識することもなく、自然とそれを突破していたようだ。
「年頃も境遇も似てるから、出来ることなら仲良くしてもらいたいものだけど」
「なんだか、凄く睨み付けられました……」
「ごめんなさい。あれでも、随分良くなった方なのよぉ」
リリーさんから謝罪されたものの、僕としては別に気にはしていない。
彼女の口振りからして、僕と似たような、もしくはそれより酷い人生を歩まされてきたのは、想像に難くなかったからだ。
そうでなければ、あんな純粋に敵意で染まったような目は出来ない。ましてや、僕らのような子供ならなおさら。
「……なんだか随分話が逸れちゃったわねぇ。元の話は――そうそう、マンドレイクがダメになってたから、下彫りだけでも進めようとしていたのよね」
「それなんだけど、結局どうするの? 素のマンドレイクは家にも無いから、取りにいくか依頼するかしないと」
そうねぇ……と考え込む二人だが、単にマンドレイクだけが問題だと言うのなら、そこまで悩むようなことでもない。
「僕が取りにいきます。ちょっと、確認したいこともあるんで」
僕がそう言い出すであろうことは予想はしていたのか、二人は驚きこそしなかった。
かわりに、わかりやく眉尻が下がるくらいには、心配そうな顔をされたが。
「……本当に大丈夫?」
「この辺のモンスター相手なら、よっぽどのことがなければ大丈夫。クグリより手強いのがいたら、ちょっとわからないけど」
言いながら、何もない開けた場所に門を開いて、クグリとナイトを呼び寄せる。
かたや森にてほぼ最強となる程に育ったナイトウルフ、かたやレベル33の猛者であるフレイムキッズである。
そこに風の魔術を扱うサピィに、盾役として僕の身を守ってくれるグラスがいれば、大概のことには対応できるだろう。
いきなり何もない空間から現れた二匹のモンスターに驚きながらも、リリーさんはまじまじと彼女達を見つめながら、
「ナイトウルフにフレイムキッズ……こんなに大きな個体は初めて見るわねぇ」
「クグリはともかく、ナイトは最初小さかったんですが」
伏せの体勢で大人しくしているナイトだが、その身体は文句なく巨大狼と言える大きさだ。
目算で、体長は二メートルに迫ろうかと言うところ。体高に関しては僕よりも高くなってしまった。
その横で静かに佇んでいるクグリ等は、所謂お座りの体勢だが、ガルニアよりも少し大きく見える程だ。
その豊かな尻尾も相まって余計にそう見える。
「確かに、戦闘に関しては大丈夫だろうけどぉ……採取はどうするの?」
「閲覧者の目でならマンドラゴラさんがどこにいるかわかるので、見付けたらサピィを通して葉っぱを分けてもらいます」
任せろ、と言わんばかりに僕の顔の前で胸を張るサピィをどけて、どうだろうかと首を傾げる。
世話になるのだから、これくらいはやらせて欲しいのが本音なのだけれど……。
それでも尚、難しい顔をするリリーさん。ミューズさんも、僕が採取に行くことには乗り気ではなさそうだった。
「前までなら良かったけど。この前の騒ぎで、王国近辺のモンスターの生態系がおかしくなっているの。見たこともない魔物もいくらか目撃されてるみたいだし、少し不安だわ」
「うーん……」
腕組みをしながら、渋い顔で不安要素を告げてくるミューズさん。
里に仕向けられたモンスターが散り散りになってしまったのが原因だろうが、なんとまぁ色々と傷痕を残していった戦いか。
あまり考えるとよくない気持ちが湧き上がってきそうだったので、頭を振って暗い気持ちを吹き飛ばしつつ、
「その辺りの様子も知りたいんだ。里があった場所がどうなってるのか、森自体はまだ生きているのか」
豊かな森にはマンドラゴラさんが住む。逆に、あの戦いで森が死んでしまっていたなら、どれだけ探そうがマンドラゴラさんは見当たらないだろう。
僕はあの魔人との戦いから記憶が無い。だから、あの戦いの結末がどんなものだったのか、どれだけ里が、森が傷付いてしまったのかがわからないまま此処に来てしまっている。
だからせめて、手遅れであったとしても、この目で現状を確認しておきたいのだ。
リリーさんがいるので、あまり細かい事情をまでは言えないけれど。あの戦いに身を置いた当事者としては、どうしても。
「けじめを、つけておきたいんだ」
僕の言葉に、唇をつぐんで黙り込んでしまうミューズさん。僕の細かい事情を知らないリリーさんもまた、危険を承知で僕を採取には向かわせたくはないのか、口は開かずにただこちらを見つめ続けている。
このまま、どちらも引かないままの膠着状態が続くかと思われたが――
「私がついていこう。それなら問題あるまい」
「……ガルニア」
いつの間にか真後ろまで来ていたのか、僕の頭に手を置いて、そのままくしゃくしゃと撫でてくる彼はこう続ける。
「結局のところ、私達はリオがどれだけ自分の身を守れるか、彼らを使ってどれだけ戦えるかを知らないから不安になるわけだ。ならば私がリオについて、それらをこの目でしかと見届けてくれば、後々判断に迷うこともあるまい」
「それは、そうかもしれないけれど」
「それとも、私だけでは不安だとでも? 元がついてしまった聖騎士一人では力不足だと」
どこか挑発するかのような物言いに、珍しいなと感じつつ。
それに対してミューズさんは明らかにムッとした様子で口を返す。
「そうは言ってないじゃない」
「だったらここは私に任せて貰おう。……とは言っても、私の出番があるかはわからないが」
髪の毛がくしゃくしゃになる前に話をつけてしまったガルニアは、軽く僕の頭を撫で付けるとこちらに微笑みを向けてくる。
言いくるめられた、とミューズさんはガルニアを睨みつけながらも、それ以上は何も言わないところを見ると、一応は納得してくれたようだった。
ガルニアがいれば、それこそ大概のトラブルには対応出来てしまうので、反対する理由が無くなってしまったのだろう。
僕は、そんなガルニアに感謝をしつつ、しかしひとつだけ言っておかなければならないことがあった。
「ガルニア」
「なんでしょう?」
「彼ら、じゃなくて、彼女たち、ね」
――僕がそう言った直後に、ナイトとクグリの尻尾が、彼の両の頬を強かにはたいていた。
その後、微かに頬を赤くしたガルニアとミューズさんに軽く街中を案内してもらい、夕方に差し掛かろうかと頃。
「取りあえず、案内出来るのはこんなところかしらね。必要なものも粗方揃えられたし」
「念のために言っておきますが、出かける際には必ず私か姉、もしくは家の誰かに付き合ってもらうのですよ」
ガルニア家の前、幾つかの紙袋を手に下げながら言うミューズさんと、重たい荷物類をお手伝いさんに預けて身軽になったガルニアに対して頷きを返す。
魔具屋に始まり、食材や生活用品、その他色々なものを扱う商店街。お約束とも言える冒険者のギルドや、武器防具、薬等の組合の拠点に、絶対に立ち入ってはいけない場所の入り口。
基本、僕が関わりそうな場所や知っておいて損がない場所しか教えて貰っていないので、王国全ては回っていないのだが、それでもこの時間までかかってしまっていた。
そして、これから何をするのかと言うと。
「じゃあ、気を付けて行ってね。なるべく長居はしないこと」
「うん。気が済んだら、すぐに戻るよ」
止めこそしないが、不安そうに言うミューズさんにそう約束して、ガルニアと共に背を向ける。
「しかし、そう急がずとも良かったのでは?」
横を歩くガルニアに、まあ当然とも言える言葉が飛び、僕はそれに頬を掻く。
「なんだか、気が逸っちゃって。元からもう一度行くつもりではあったんだけど、こうタイミング良くあそこに行く用事が出来ちゃうと、ね」
そう。僕達はこれからマンドラゴラの葉の採取、そして、獣人の里、テラがあった場所を見に行くのだ。
まだ日が落ちるにはいくらかあるが、帰る頃には間違いなく薄暗くなっているだろうことを考えると、ガルニアの言うとおりに今急いで無理をする必要はない。
それでも、僕は今日行くことを望み。ガルニアはそれに付き合ってくれた。
逸る気持ちは押さえ付けながら、それでも幾分早く歩き続ける僕の気持ちは、既に王国の外にあった。
「……もう大丈夫ですよ」
「よし。お願いね、ナイト」
しばらく歩き、王国から出て外壁から離れた場所まで歩いた所まできて、ようやくナイトを門から出す。
今はまだ、テイマーであることを隠した方が良いと言うのでここまで歩いたが、ここからは楽だ。僕は、だが。
ナイトの背に飛び乗り、その首元に両腕を回す。
「なるほど。それなら私も本気で走って良いな……」
「うん。じゃあ、急ごう。ナイト、走って!」
僕の言葉に、ひとつ吠えたナイトが勢い良く駆け出す。
流石にここまで大きくなるとそのスピードも洒落にならなくなっていて、考えてみれば本気で走ってもらうのは初めてだったかと、回す腕に力を込めた。
嬉しかったのは、サピィが気を使って、風の魔術で僕に当たる風圧を無くしてくれたことか。下手をすれば目を閉じてしまいそうになる風が無くなったので、随分快適になったと、思考で彼女に礼を言う僕だった。
「着きましたね」
「ガルニア、良くついてこれたね……」
「重い鎧が無ければ、こんなものですよ。……少し、疲れましたが」
見慣れた森の前、およそ三十分以上はかかっただろうか。
ナイトの足でここまでかかったのだから、王国からこの森まで、普通に歩けば半日くらいはかかってしまうのだろうか。
平気な顔をしてついてきたように見えるガルニアだが、息こそそこまで荒れていないが、額にはうっすら汗をかいているように見える。
そもそも、普通の人間は全力疾走を三十分も続けられないので、その気になれば何往復か出来そうな彼に疲れがどうとか言うつもりもないが。
今更だが、この世界の強者は色々とおかしい。
「まずは、森から見ていこう」
口を開けて舌を出しているナイトの頭を撫で付け、門からクグリにも出てきて貰う。
見た感じ、森に大きな変化は見当たらない。それでも、生態系に変化は出ている可能性は充分にあるので、警戒することにこしたことはない。
「私は後ろを歩きますので、リオは自由に行動してくださって結構ですよ」
「ありがとう。じゃあ、進むね」
ガルニアを背に、ナイトを先頭につけ、左右にクグリとサピィを警戒させる。因みにグラスだが、実は既に門から出てもらっている。
左手首に密着している半透明のブレスレットがついているのだが、何を隠そうこれがグラスだったりするのだ。まだ硬化していないのでぷにぷにしているが、いざとなればここから形を変えて僕の身を守ってくれる。
スライム状態の時と体積が一致しないが、それを言うなら盾になるときは明らかに元より大きくなったりするので、正直そこら辺はどうでも良い。見た目では計れない何かがあるのだ、グラスには。
「サピィ、どう?」
『ん……』
森の中は、ざっと見た限りでは、何の変化もないように思える。
ナイトもサピィも、元はこの森のモンスターだ。見た目でしか状況を判断できない僕と違って、小さな異変でも感じ取れる可能性がある。
実際、サピィはその表情をにわかに曇らせてから、
『私の知らない子がいるみたい。そのせいで、皆が怯えて出てきてくれないの』
「知らない子ね……まぁ、間違いなく前の残党か」
生態系が変わっているのは、可能性として充分に有り得たことなので驚くことはない。
僕を警戒させたのは、むしろその後にナイトから伝わってきた感情だ。
ナイトはしきりに鼻を鳴らしながら、その顔を歪ませて小さく唸り始めたのだ。
彼女は、なにかに対して非常に強い怒りを感じていた。
「なにか?」
「ナイトが凄く怒ってる。もしかして……」
今にも走り出しそうなナイトをなだめながら、それでも少し早足で森の中を進む。
そして感じる、異変。
森の香りに微かに混じる、これは――腐臭だ。
「これ、は」
その原因は森の少し開けた場所にあった。
それが視界に入ると同時に、むわりと腐臭が強くなった錯覚すら感じながら、僕らはその惨状に言葉を失う。
――そこには、森に生息していたであろうモンスター達の死骸が、大量に転がっていた。
ナイトの唸りが止まり、代わりに悲しげな細い声が喉から漏れている。その身体を撫でながら、屍となったモンスターを眺めた。
群れは全滅したのかもしれない。そう考えてもおかしくないくらい数多くのナイトウルフの姿が確認出来る。
「前の戦いで出た残骸か……?」
「ううん、違うと思う。あの戦いで襲ってきたモンスターは、ほとんど見たことがないモンスターばかりだったし」
それに、きっとアルマさんならば、その辺りこんな適当なことはしない。クグリもいたのだし、狐火で跡形残らずに燃やす選択をしているはずだ。
そう思いながら、クグリに全てを燃やすように指示を出す。
僕を一瞥したクグリは、ぽつらぽつらと種火を生み出すと、それらを死骸に向けて飛ばす。数秒後には、真っ青な炎が森の中に立ち上っていた。
それを座って見つめるナイトを抱くように、クグリの大きな尾と身体がナイトを包む。
それを横目に、僕は里がある方向に視線を向けた。
「嫌な予感」
何故だか、今の今まで頭から消えていたはずの魔人の顔が、これ以上無いほどにくっきりと浮かび上がってくる。
どうやら、つけなければいけないケジメは、思ったよりもしっかりとした形で残っているようだった。




