2:獣人の里『テラ』
「わぁ……」
目の前に広がる風景に、思わず感嘆の声が漏れる。
クリスの暮らしている家は、少し小高い丘の上に位置していた。つまり、そこからは他の風景を見下ろせる訳であって。
「ここが、獣人の里――『テラ』だよ」
緑に囲まれた和やかな、正に里といっていい風景が、眼下に広がっていた。
まぁ、眼下に、とは言っても。正直里の規模自体は決して大きくない。というか、小さい。
確認出来るだけで、家のようなものは三十くらい。他は小さな畑がポツポツと。里の真ん中を割るように川が流れており、生活の水はそこから引いてきているみたいだ。
「今、小さいって思ったでしょ」
「正直」
「アハハ。私も思ったよ。確か五年前だったかな。初めてここに来たとき、随分小さな里だなぁってね」
クリスの背に揺られながら、丘を下っていく。メルニャさん曰く、飢餓状態を抜けただけで体力は戻っていないので、いきなり動くのは無理だと釘を刺されてしまった為だ。
実際、ベッドから降りて立ち上がろうとしても、足に力が入らずに立つこともままならなかった。なので、クリスに背負われて移動せざるを得なかった訳だ。
ぶっちゃけ高すぎて少し怖い。
「五年前って、その前はどこにいたの?」
因みに敬語はついさっきやめた。クリスには気楽に接して欲しいから、メルニャさんには正直な話気味が悪いと不評だったからだ。少し傷付いたのは秘密。
僕の質問に、クリスは少しこちらを振り返る。
「私は『守人』って言うのをやっててね。物心ついた頃から、師匠にくっついて色んな亜人の里を回っていたの」
「『守人』?」
「うん。私達亜人は色々なものから狙われることが多いから。大体ひとつの里に一人は、『守人』がいてその里を守っているの」
色々、か。それには、きっと人間からの攻撃も含まれているのだろう。というよりも、それが守人の本来の目的なのかもしれない。
「ここに来る前にいた里には、私達が来るまで守人がいなくてね。見かねた師匠が新しい守人を育て上げるまでは、そこに暮らしてた」
「で、その育てた守人が一人前になったから」
「そ。それがちょうど五年前。私が十歳の時ね」
「十歳?」
五年前で十歳。ということは、彼女は今十五歳? え、この身体で?
「んふふ。私達獣人は、身体の成長が他に比べて凄く早いんだ。大体、早い人は十歳で成長しきっちゃうくらいにね」
「へ、へえ……」
つまり、クリスもまた、十歳の時点で大体今の身体まで成長していたと。
……こんなにデカイのに十歳とか言われても、正直信じられないんだけれど。
「で、私の師匠も三年前に死んじゃってさ。後釜として、私がこの里の守人をやってるってわけ。と、話してる間に着いちゃった」
小さな小屋の前で立ち止まり、若干ずり落ちていた僕を背負い直すクリス。
ここは、誰の家なのだろうか。僕の目が覚めたら連れていく予定だった、と二人は言っていたが。
「おーい。連れてきたよ、いるんでしょー!」
ガンガン、と。僕を背負っているので手が使えないからか、割りと遠慮無しに扉に蹴りを入れるクリス。
やがて扉が開くと、家の主は不機嫌そうに口をへの字に曲げて、
「家がちいせぇんだから、呼べば聞こえるっつーの。だからノック代りの蹴りは勘弁してくれ。お前の蹴りとか、家が崩れるわ」
「ちゃんと力加減してるもん!」
「揺れてんだよ、埃が落ちてきてんだよ。あとちょっと強かったら……お」
ぷんすか、と擬音が聞こえてきそうなくらいわかりやすく憤慨しているクリス。それをあしらうようにしていた、少し背が低めの彼は――因みに、多分狐の獣人――、ふと背中にいる僕を見て、ピンとその耳を立てる。
「ようやく目が覚めたか。調子はどうだ? 腹減って、骨と皮がくっつきそうになってる以外でな」
「アルマ、目付き悪いよ。リオが怖がるじゃない」
「生まれつきだ、ほっとけ。……あぁ、一応名乗っとこうか? ここで里医者やってる、アルマ・アルグルマだ。メルニャには会ったか?」
こくりと頷く。彼はそれに対して同じように頷くと、ふさふさの尻尾をフラりと揺らす。
「お前を飢餓状態から引っ張りあげたのは俺だが、その後のケアは全部あいつがやってくれてる。もっかい会ったらちゃんと礼言っとけよ」
その言葉にも、素直に頷いておく。僕は、この人とメルニャさんのお陰で、一命を取り止めたらしい。
「ま、見た感じ平気そうだし。色々と聞きたいこともあるだろう。入れ」
「お邪魔しまーす」
アルマさんが言うや否や、遠慮無しに足を踏み入れるクリス。そんな彼女にやれやれと頭を抱えたアルマさんが続く。
家の中は、簡素な作りをしていた。
綺麗に整理されたベッドが三つほど並んでいる以外に、幾つかの棚が壁に並んでいる。その中には、何やら液体やら粉やらが入った瓶が列をなしていた。
真ん中のベッドに下ろされた僕は、クリスによって頭を押されて横にされる。その間に椅子を引っ張り出してきたアルマさんが、すぐ側にそれを置いて腰を落とした。クリスはベッドに座っている。
「さて。何から聞きたい……何て聞かれても困るだろうから、ある程度状況を整理させてやる。お前が行き倒れていたのを、そこのじゃじゃ馬が拾ったのはわかるだろうが」
「はい」
「お前は拾われてすぐに、俺の元に連れてこられた。ずぶ濡れの泥だらけなのは二人とも似たようなもんだったが、こいつはそんなのお構い無しにお前をベッドに寝かしやがった」
「仕方ないじゃん。あの時のリオが危なかったのは、アルマだって一目で分かったでしょ?」
「まあ、な。そん時のお前は、極度の飢餓と衰弱状態にあった。見りゃあ分かると思うが、正直今のお前の身体は物理的に酷く弱ってる。歩くのは愚か、立ち上がるのも恐らく不可能だろう」
確かに。だから、ここまでクリスに背負われてやってきたのだから。
それに、痩せ細った身体は自分でも貧弱どころの話じゃないと理解出来る。多分、今なら転んだだけで骨が折れるんじゃなかろうか。
「そんで、俺はまだ朝日も昇らない内から、お前を瀕死の縁から引っ張り上げた。衰弱した身体は、これからしっかり飯を食ってりゃそのうち治るから心配すんな」
口調こそ悪いが、言っていることは優しいアルマさん。面倒見の良いヤンキーみたいな感じだろうか、金髪だし。
そんなアルマさんを、クリスはニコニコ顔で楽しそうに眺めているのだから、多分その感想は外れていないだろう。
「で、こっからが本題な訳だが」
「?」
不意に声色が変わり、アルマさんの目付きが鋭くなる。きっと真面目な顔になっただけなんだろうが、どう見てもガンつけてきているようにしか見えない。
ちらり、とクリスがこちらを横目で見たが、特に反応が無い僕を見てか何も言うことはなかった。大丈夫、そう見えるだけなのは何となくわかる。
「お前、『ステータス』は分かるか? 意味の方だ」
「はい。……まぁ、まだ見れませんが」
ステータス。魔術やモンスターがいるこの世界では、その強さや能力をステータスとして表して、強さの指標としている。
モンスターを倒すことで上昇する『レベル』や、固有能力や鍛練で身に付けられる『スキル』。後は、純粋に数値として現れる五つの能力値。それに『祝福』を含めたこれらを総称して、この世界では『ステータス』と呼ばれるのだ。
人は皆、自身のステータスはとある魔術で確認出来るらしいのだが、僕はまだ魔術のまの字も知らないので、当然自分のステータスも分からないのだが。
「じゃあ、これから俺の質問に正直に答えてみろ。直感で良い」
「……? はい」
「俺とクリス。どっちが強そうだ?」
「は、はい?」
いきなりだった。
でもまぁ、いくらクリスが女性にしては背が高いとはいえ、別に筋骨隆々な訳でもない。むしろ、背負われている間は女性らしい柔らかな感触だった。
対してアルマさんは、ふさふさの尾や耳に目を奪われがちではあるが、どこかがっしりとした身体付きだ。目付きも相まって、抜き身のナイフみたいな印象だ。
「アルマさんの方が」
「ま、初対面ならそうだろうな」
僕の答えに、当然だと言わんばかりに、しかし別段胸を張るでもなく頷くアルマさん。クリスもまた、特別リアクションはとっていない。
「じゃ、次だ。今度はさっきよりもじっくりと、しっかりと。そうだな……俺達の外側じゃなく、内側を覗き込むような感じで観察してみろ」
「内側を覗き込む……?」
「そうだ」
有無を言わさない様子だったので、取り敢えず言われた通りにしてみることに。
外側じゃなく、内側を……。
うぅん……。
「ん?」
アルマさんの身体を、とにかくじっくり観察していると、一瞬何かが視界に写りこんだような気がした。
今のは何だったのか、と更に更に集中していく。
――すると。
名称 アルマ・アルグルマ
レベル 22
祝福 『治癒術師』
スキル 『治癒魔術』『狐火』『獣の咆哮』『ステータス閲覧』
筋力C- 体力C- 俊敏D+ 魔力C+ 精神D
「え、これって」
「見えたか。ちょっと教えただけで見れるようになんのは大したもんだな。じゃ、それでクリスを見てみろや」
いきなりの出来事に思考が追い付かないものの、言われるままにクリスへと視線を移す。
今度は、意識すると割りとすぐに見えてきた。
名称 クリス・アーノルド
レベル 38
祝福 『破壊者』
スキル 『身体強化術』『獣の咆哮』『威嚇』
筋力A 体力A+ 俊敏C- 魔力E 精神D+
「うわ……」
思わず呻いてしまう。
確か、レベルは20を越えれば充分に強者と言われる値だったはずだ。
能力値にしても、力自慢の大男でようやく筋力がCに乗るか乗らないかぐらい。Bから上は常識から外れる超人的な数値だと教えられている。しかも、この値は上に行けば上に行くだけ延びしろが大きくなるのだから半端ではない。
つまり、アルマさんも普通の人から見れば充分に強者だと言えるのだが、クリスは度を越して異常だと言えた。
レベルもそうだが、筋力と体力のふたつがA。Bですら超人的と言われるくらいなのだから、Aはもう人間辞めてるレベルだと思っていいんじゃないだろうか。
「どっちが強いか、わかるだろ? てか比べるだけバカ見るわな」
「私は守人だから強くなきゃいけないの! もう……」
「ま、これでわかったろ。お前は『閲覧者』、つまり他人のステータスを無条件で閲覧できる人間だってことだ。俺もな」
閲覧者……。初めて聞いた、そんな存在がいるなんて。
しかも、それが自分であることに、正直驚きを禁じ得なかった。
「で、まだここまでは前置きだ。本題はここから……お前、それで自分のステータスを覗いてみろ。意識を内側に向けるだけだ」
またも言われるがままに、意識を内側に向ける。直ぐに、見える表示が切り替わり、僕のステータスが映し出される。
そこでも、僕は衝撃を受けた。ある意味、クリスを見た時とは正反対の驚きではあるが。
名称 リオ
レベル 1
祝福 『最弱』
スキル 『エンドレステイム』『シンクロ』『ステータス閲覧』
筋力G 体力G 俊敏G 魔力G 精神G
「…………」
「見りゃあわかると思うが、まず悪い方から説明する。つっても、俺の憶測ではあるがな」
あまりにも酷いステータスに言葉を失っていると、アルマさんが場を持たすように話し始める。
「お前のステータスは軒並みGランク、つまり最低値な訳だが。これは今のお前が極度に弱っていることとは恐らく関係ない。身体が回復して、ある程度動けるようになっても、この値は動かんだろう」
「それは……」
「もう一度言っとくが、憶測に過ぎん。俺が間違ってる可能性もある。だが、経験上で語るなら」
一呼吸置いて、こちらを見据える黄金色の瞳。
そして、その下にある口は、僕に無慈悲な宣告をする。
「お前のステータスは、レベルを上げようがどれだけ身体を鍛えようが、この状態から変わらないものと考えた方がいい。……お前の受けた祝福は、その類いの『呪い』みたいなもんだ」
……やっぱり、この祝福のせいなのか。
祝福を受けたその日から、妙に身体が重くなったのも、気のせいでは無かったと言うことだ。恐らく、『最弱』となったその日から、僕のステータスはこの状態に固定されてしまったのだろう。
身体が回復したとしても、これでは日常生活に支障をきたしてしまうかもしれない。
「リオ……その」
隣にいるクリスが、心配そうに顔を覗きこんできている。けれど、それに笑顔で返すには、些かショックが大き過ぎた。
生きていく上で、多大なハンデを強制的に背負わされているのだ。自然と、顔が下がってしまう。
「顔を上げな、リオ。次は、良い点の話をしようぜ」
「?」
掛けられた声に、顔を上げる。
良い点、とは何のことだろうか。それは、このハンデを補えるような、大きな話なのだろうか?
そんな、ネガティブな思考に染まっている僕を見て、狐と言うよりかは狼のような獰猛な笑みを浮かべるアルマさん。
「俺は今まで医者ぁやってきて、色々な奴を見てきたつもりだが。お前みたいな、祝福なんて名ばかりの呪いを受けた奴も沢山見てきた。そん中には、そこのクリスも含まれる」
「クリスが?」
確か、クリスの祝福は『破壊者』だった。確かに、祝福と言うには少々物騒なものに感じるけれど……。彼女のそれは、呪いと言うには少し弱くも感じる。
そんな僕の視線に気付いたクリスは、あはは、と頬を掻きながら苦笑して、
「あんまり詳しくは、時間掛かるから話さないけど。昔は私、この祝福のせいで、触るもの全部壊しちゃうとんでもない奴でね……」
「壊しちゃう?」
「うん。力加減がわからないというか、なんというか」
「来たばっかの時に、俺の家ぶっ壊されてるから真実だ。まぁ、今はそんなことどうでもいい。言いたいことは、だ。呪いじみた祝福を受けた奴は、俺が見た中じゃあ全員、それを補うかのように飛び抜けた何かを持っていた」
そして、それはお前も同じだと。アルマさんは、どこか楽しそうに僕に希望を告げてきた。
言われて、僕は再度、自分のステータスを見る。
そこにあったのは、閲覧能力以外に存在する、ふたつのスキル。
「『エンドレステイム』と、『シンクロ』……」
「そうだ。そのふたつのスキルが、お前がこれから生きていく上での柱となる」
「ちょ、ちょっと待って。『エンドレステイム』って、まさか」
「そのまさかだよ。面白いじゃねぇか、なぁ?」
「私に負けず劣らずって……確かに、確かに……」
なにやらショックを受けた様子のクリスは、驚きに逆立てた尻尾をへなへなと倒れさせ、ぶつぶつと何か呟き始めた。
えっと。このスキルって、化け物じみたステータスを持つクリスを持ってして、異常と取られるものなのだろうか……。
なんとなく、スキルの内容は想像出来るのだけれど。
「まぁ、今は身体を治すことを優先するんだな。もしかしたら、多少はステータスにも変化が出るかもしれねぇ」
「あうっ」
「どうせ起きたばっかで連れてこられたんだろ? この里は基本安全だからよ、安心して眠れ」
身を起こしていたところを、頭を小突かれて多少強引に寝かされる。
アルマさんの手が額に翳され、柔らかな光が感じられると同時に、急激な眠気が僕の瞼を落としにかかる。あぁ、これもきっと魔術のひとつなんだろうな、なんて考えたところで、僕は意識を手放した。