23:開戦
その日は、とうとうやってきた。
フォッグさんが来た日から、一月と少し。予想よりは遅かったようにも思えたが、そんな些細な誤差はこちらには関係ない。
「真夜中にくることも有り得るとは思ってたんだがな」
「フォッグは、なんて?」
「明日の朝一に襲撃。書いてあんのはそれだけだな。それしか書けなかったのかもしれんが」
傍らに佇む大きな狐――確か、クグリといったか――の背を撫でながら、その手の手紙をこちらに放ってくるアルマさん。
受け取ったクリスがそれに目を通すと、確かに、とだけ呟いてまたアルマさんに放り返した。即座に青い炎に燃やされたそれは、消し炭も残らずに無くなってしまう。
「今までとやることは同じ……とは言えねぇか。少しばかり規模が違いすぎるわな」
夕焼けに沈む森の姿。
明日の朝には、この静かな森の姿も、きっと無くなってしまうのだろう。それを思うと、少しだけ気が沈む。
が、直ぐに顔を上げて気持ちを切り替えた。今の僕に、周りを気にしていられるだけの余力があるとは思えない。とにかく、自分の身を守ることだけを考えなければいけないのだ。
「あぁ、それとリオ」
不意に、アルマさんに名前を呼ばれる。何か、と思ってそちらを見ると、そこには艶やかな金色の体毛が目の前に。
クグリと言う名の狐は、僕の前に何故か行儀よく座っている。その疑問は、遅れてアルマさんが答えてくれた。
「クグリはお前がテイムしておけ。少なからずお前の力になる」
「……いいのかな?」
「俺達をテイム出来ない以上、他で補うしかねぇだろ。 クグリも納得してるから大丈夫だ」
アルマさんの言葉に反応するように、クグリは僕の顔をその大きな尾で撫でてくる。
確かに、アルマさんやクリス達をテイムして手軽にステータスを高める方法が取れない以上、未だにテイム数の限界が見えていないモンスターをテイムすることでしか、僕には力を高める術が無い。
厳密に言えば、獣人であろうとテイムする数には限界が見えていないのだが、テイムしてしまうと僕の意志や思考がどうしてもテイムした対象に影響を与えてしまう。
乱戦になれば、前線に出て戦うクリス達に、それは枷にしかならない。僕のステータスを上げようとして、肝心の彼女達の戦力を下げては本末転倒なので、その案は採用されなかったのだ。
その理論だとモンスターにも、特にサピィのような理知的とも言える存在にも影響があってしかるべきなのだが、今のところ弊害は感じていない。
「じゃあ、よろしくお願いするよ。クグリ」
手早くテイムを完了させ、その金色に輝く身体を軽く撫でる。ナイトとはまた違う、フサフサとした感触だ。特に尻尾はまさにモフモフ。
後でじっくり楽しませてもらおう――そんなことを考えながら、ステータスを確認する。
名称 フレイムキッズ
レベル33
スキル 『狐火』
状態 テイム
筋力D- 体力C 俊敏D- 魔力B 精神A
更に、僕の後ろにいるナイトとサピィのステータスも。
名称 ナイトウルフ
レベル18
スキル 『牙の一撃』
状態 テイム
筋力D 体力D 俊敏C+ 魔力D- 精神D-
名称 スピリット
レベル18
スキル 『精霊の囁き』『精霊の戯言』『風の魔術』
状態 テイム
筋力G 体力G 俊敏G 魔力B- 精神B-
これで、テイムしたのは三体。そして、シンクロによって底上げされた僕のステータスは――
名称 リオ
レベル18
祝福『最弱』
スキル 『エンドレステイム』『シンクロ』『ステータス閲覧』
筋力F 体力E 俊敏E 魔力D 精神D+
まぁ、ぶっちゃけて言えば微妙なパラメーターだが、それでも全最低値よりは遥かにましな数値になった。
筋力や体力といった、直接身体能力に関わる値が低いのが痛いが……まぁ、元より僕自身は前線に出る存在じゃないし。
三体の内二体が魔術主体の成長をしているので、片寄るのもまあ仕方がない。魔術に耐性がついたと前向きに考えておこう。
「リオ、お前はクリスと一緒に今日はもう休め。ベアクルがいれば不意の襲撃にも対応出来る」
「アルマさんは」
「俺はベアクルの補佐につく。アイツの情報を信じないわけじゃあないが、偽の情報を掴まされてる可能性だってあるからな。少し酷だが、ベアクルには寝ずに索敵に励んでもらう」
「そんな、いくらベアクルさんでもそれは」
「だから俺がつくんだ。俺の魔術は何も怪我を治すだけのもんじゃねぇ。一晩疲れを感じさせない程度のことは出来る」
……まぁ、アルマさんの治癒魔術の凄さは、幾度となく身を持って味わっている。
それに、見回りせずに広範囲を見張ることが出来るのはベアクルさんだけだ。アルマさんの言う通り、多少酷でも彼女に頑張ってもらう他はなかった。
「リオ」
先に踵を返していたクリスの背を追おうとして、呼び止められて振り返る。
僕を呼んだはずのアルマさんは、そこから何も言わずに黙りこんでいた。
しかし――
「……大丈夫です。覚悟は、してます」
「…………」
その問いかけるかのような視線に、そう答えた。
ここまできたら、腹を括るしかないのだ。
死ぬのは怖い。痛いのだって嫌だ。それと同じくらい、殺すのも、傷付けるのも恐ろしい。
だが、もうそうも言っていられない。ここに残ると決めた以上、その全てを覚悟しなければいけなかったのだ。
守られるだけで良いのなら、あの地獄のような訓練だっていらなかった。それでも歯を食いしばって鍛え続けたのは、その覚悟に準ずるだけの力が欲しかったから。
中身のない薄っぺらな覚悟では、風に吹かれただけで軽く揺らいでしまっただろう。
今は違う。何があろうと、僕の気持ちは揺らがない。何を傷つけ、いくら傷つくことになろうとも、僕は彼女の側にあろうと決めたから。
「では」
「……あぁ。ゆっくり休めよ」
今度こそ、アルマさんに背を向けて歩き出す。
もしかすると、落ち着いて話をするのはこれが最後かもしれない。そう思うと、少し後ろ髪を引かれるような気がして。
けれど、歩みは止めずに、むしろ、見えていた彼女の背中に追い付くために足を速めた。
落ちかけた夕日を窓から眺める。
ギシリ、とベッドが沈むと、背後から慣れた重みが身体にまとわりついてきた。
肩口から通された腕は、僕の身体の前で手を組んで落ち着いている。
「大丈夫?」
「うん。今は、落ち着いてる」
優しい声色。彼女の体温に覆われて、本心からそう答える。
こうして里の風景を見下ろすのも、今日が最後になるのかもしれないと思うと、視界が自然と細くなってしまうのは、きっと仕方がないことなのだろう。
皆がいるから大丈夫だ、なんて。とてもじゃないが楽観的に考えることは出来ない。恐らくだが、無事に乗り切ったところで里はメチャクチャになる。
今なら胸を張って故郷と言えるこの里がそうなってしまうのは、当たり前だがとても辛い。
「まだ、起きていようか?」
「ううん。もう、寝よう。少しでも休んでおかなきゃ」
「……うん、そうだね」
そんな気持ちから、目に、心に焼き付けようと里を眺めていたが、もう暗くてよくよく見えなくなってきた。
目をつぶれば、数年に渡って過ごしてきた里の姿が、思い出を通して浮かんでくる。
もう、充分だ。
「消すね」
部屋のランプが消えて、だいぶ頼りなくなった薄暗い夕日のみが部屋を照らす。
あと数分もすれば、月が高く昇るまでは部屋を照らすものは何も無くなるだろう。
今まで、日が落ちる度にそうしてきたように、ベッドに身体を横たわらせる。ただそれだけのことにすら感慨を覚えてしまう辺り、やっぱり不安なのだろうな、と他人事ながらそう思った。
直ぐに抱き寄せられた僕は、彼女の胸に顔を埋める。普段なら満たされるような気持ちになれるはずなのに、今はひたすらに寂寥感しか感じない。
それは彼女も同じなのか、今日は普段よりも幾分力が強い。それに答えるように、普段は身を任せるままの僕のほうから、彼女の背中に手を回した。
離れたくない。その一心で、そのまま僕達は眠りにつくのだった。
夕日が落ちないうちに休んだ僕らは、朝日が昇らないうちに準備を終える。
クリスは見慣れた鎧の装備に、背中にあの幅広の大剣を背負っている。
僕は動きを阻害しない程度の装備しか身に付けていない。訓練で使っていた籠手に、すね当てのみだ。
サピィ、ナイト、クグリの調子を確かめ、順番に撫でてからクリスと共に家を出る。
まだ暗い里には、まだいつも通りの風が心地好く吹いていた。
「リオ。言っておきたいことがあるの」
「なに?」
「わかってるとは思うけど、戦いが始まったら、リオを守り切れなくなる場面が絶対に出てくる。そうなったら、リオは自分で自分を守らなきゃいけない」
頷く。その為に今まで頑張ってきたのだ。最低限の自衛くらいはこなさなければ話にならない。
しかし、その後に放たれたクリスの言葉は、少なからず僕を驚かせた。
「そして、もし周りに誰もいなくなって、リオ自身も危なくなったら。そうなったら私達はいい。あなた一人で、里から逃げ出しなさい。私達と違って、リオは人間だから、追って殺そうとまではしないはず」
「ちょっ……それじゃあ意味が」
「聞いて。リオが私達と一緒に居たいって言ってくれるのは嬉しい。でもね、それでリオが死んじゃったら、それこそ何の意味もないんだよ?」
「それは、そうだけど」
こちらに視線の高さを合わせ、眉尻を下げて懇願とも言えるように語りかけてくるクリスに困惑する。
普段なら、私が守るから絶対に大丈夫! くらいは言い切ってくる彼女だ。流石に今回はそれは無理なのはわかっているが、彼女の口から自分から離れるような頼みをされるなんて、思ってもみなかった。
「お願い。生きてさえいれば、きっとまた会えるから」
「……らしくないよ、クリス」
「…………」
思わず出てしまった本音に、哀しそうに眉を潜めるクリス。その顔を見て、失言だったと唇をつぐんだ。
しかし、それでも。
「お願い」
もう一度。肩を掴まれた上で、今度は力強く、彼女はそう口にする。
大きな瞳にはうっすら涙が滲んでいるようにも思えたが、そこに迷いは存在していなかった。もはや、頷く選択肢しか僕には残されていない。
絞り出すように、わかった、と答えると、彼女は一転優しく微笑むと、一度だけ僕を抱き締めると、立ち上がって歩き始める。
その後ろを、僕も追った。
「きたか」
「森の外にはもう到着済みよ。今までにない団体客が」
「はん、せいぜいもてなしてやるよ」
ベアクルさんの家に行くと、そこにはすでに準備を終えたアルマさん達が待っていた。
ここに来るまでに、里の住民達とも幾度となくすれ違ったが、皆今までに見たことがない程に張りつめていた。ちょくちょくステータスを覗いてみたが、少なくとも下手な人間よりは高い値を持っている。どうやら、里もまた全戦力でことにあたるらしい。
ここにいる里最大戦力達もまた、今までとは違う雰囲気を持ってここにいる。
アルマさんからは獰猛な獣の雰囲気が、メルニャさんからは研ぎ澄まされた刃物の気配が。
ベアクルさんに関しては、いつものおっとりとした雰囲気が成りを潜め、魔力特有の粘つくような空気をその身に纏わせている。
全員、前に見た時よりもステータスの値が伸びている。掛け値なしに、怪物達の集まりだと言えた。
その中でも頭ひとつ抜けた怪物であるクリスが、徐に口を開く。
「私はいつも通り単独で動くけど、いい?」
「いいも悪いも、それしかねぇだろ。ベアクルの話じゃあ、奴さんは里を囲うようにして待機してやがる。どのみち俺達は別れて動くしかねぇ」
例の着物の袖に両腕を通した格好で、アルマさんが答える。
その言葉に次いでベアクルさんもまた、それを肯定した。
「モンスターも含めるととんでもない数ね。予想していたよりも遥かに多い。森をぐるっと囲めるくらいなのだから、千や二千じゃきかないわ」
「何にしろ、里の住民はともかく、僕達はそれぞれ別れて動いた方が良いわけだ」
メルニャさんがそう結論付けて、全員がそれに頷いた。
僕は元から前線に出る予定ではないので、よっぽどのことが起きない限りは里で待機することが決まっている。
予想では里の中まで戦場と化してしまうので、安全な訳では決してない。あくまでも攻めこむことをしないだけで、戦闘に参加することは決定事項なのだ。
その後、軽く話し込んだ三人は誰がどの方角に向かうかを決めた後に、その時が来るのを待ち始めた。ベアクルさんは僕と同じく待機組だが、いざとなれば前線に出るつもりらしい。
「動いたわ。開戦みたいね」
ピリピリした空気の中、どれくらい時間が経ったのだろうか。
緊張感の中で浮き足立ちそうになりながら、ただ何かを待つだけの時間が終わる。
ベアクルさんの言葉に、全員がその場から立ち上がった。
「無理はしないようにね」
「はい。メルニャさんも、気を付けて」
僕の肩に手をおいたメルニャさんは、最後ににっこり笑って家を後にした。真っ黒の衣装に身を包んだ彼は、一瞬で消えてなくなってしまう。
「おい」
「は、いっ!?」
それを見ていると、かけられた声。振り返った瞬間に、最早見慣れた青い炎が顔面を掠めていく。
反射的に体勢を整えて次弾に備えると、
「上出来だ。それが出来りゃあ取り敢えずは死なねぇよ」
次の狐火は現れず、かわりにぐしゃぐしゃとアルマさんの手が僕の頭を掻き乱す。
呆気に取られている間に彼はとっとと出ていってしまったので、何も声をかけることが出来なかった。
本当に、アルマさんは自分のペースを崩さない人なんだなと、こんな時になんだが苦笑が漏れた。
「じゃ、リオ。行ってくるね」
「うん、気を付けて。……いってらっしゃい」
「いってきます」
最後に、クリスが『いつものように』笑顔で出ていった。
繕った笑顔。ぎこちないやりとり。願わくば、お帰りなさいがいつものように言えるように、僕に出来るのは自分が生き残ることと――ただ、願うことだけだった。
皆を見送ってから、数分も経たない内に、次の変化は訪れた。
外から響く怒号。どうやら、モンスターが里に侵入してきたようだ。
「さて。いよいよここも危なくなってきたかしら?」
「その割には口調が緩やかだけど」
「焦ったって変わらないからね。リオ、覚悟は決まってる?」
「当然」
「心強いわ」
ベアクルさんが微笑むと、家の壁が勢いよく破壊される。そこに立つのは、豚の頭を持った二本足で立つモンスター、オークだ。
オークは森の住むモンスターではない。なればこそと、ステータスを確認しようとしたのだが――
「品がないわねぇ。ちゃんと玄関から入ってきなさいなっ」
結果から言えば、オークのステータスは見ることが出来なかった。
数秒前まで確かに立っていたオークは、ベアクルさんが降り下ろしたトゲ付きの鉄球に、見るも無惨に叩き潰されていたからだ。
流石に予想だにしなかった光景に固まっていると、オークの返り血を払ったベアクルさんはさぞ不機嫌そうに、
「これだからあんまり使いたくないのよね、これ」
見れば、辺りは飛び散ったオークの残骸でメチャクチャだ。
それを生み出した鉄球を改めて確認する。
直径はボーリングの玉を一回りも二回りも大きくしたようなもの。トゲのついたそれには鎖が伸びていて、ベアクルさんの持ち手の部分で幾重にも巻かれていた。
あんなものを降り下ろされたら、そりゃあ一撃で粉砕されるだろう。
考えてみれば、見た目は細腕でもステータスは下手な男よりも遥かに高いのだから、これぐらいは出来てもおかしくはないのだ。
それでもインパクトが強すぎて、多少頭が理解を拒否してる感もあるのだが。
「っていうか、どこからそんなもの」
「あら? 知らない? 『ボックス』っていう魔法なんだけど」
「知らないけど、まぁなんとなくわかった」
異空間収納みたいな魔法かと、今は軽く流すことにしておいた。魔術ではなく魔法。魔法使いであるベアクルさんなら別段不思議なことでもない。きっと。
気分を切り替えて、壊された壁から外に出る。
直ぐに、大鷲のようなモンスターが急降下してきたが――
「サピィ!」
『はーい』
頭に乗っていたサピィが風の魔術を行使する。突如として吹いた局地的突風に体勢を崩した大鷲のモンスターは、次の瞬間に、
「ナイト!」
風下に控えていたナイトが跳躍して、大鷲を捕まえて地面に叩き落とされた。
即座に首を折られた大鷲は動かなくなり、その後ろでクグリが手持ちぶさたに尻尾をゆるやかに振ってお座りしていた。
心配せずとも、君の狐火には大いに期待していますとも。
「さぁ、一緒に生き残るわよ、リオ」
いつの間にか傍らにきていたベアクルさんの言葉に頷く。
戦争が、始まった。




