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1:行き倒れたその先は

「…………」


 ふと、目が開いた。

 しばらく、何も考えられずに、木造の天井をただぼんやりと見つめていたが、やがて思考が纏まってくると、ずれていた焦点も次第に定まっていく。

 そして、なんとなく視線を感じて左に顔を傾けると、そこには。


「お。起きた」


 ピコピコと、頭の上にある大きな耳を動かしながら、僕の手に顔を乗っけている女性の姿があった。

 顔を戻し、ひとつ息を吐く。

 まず、自分はどうやら見知らぬ部屋に寝かされているらしいことがわかった。


 ……いや待て。それしかわかることがない。


 再度、顔を傾ける。

 獣耳の女性がそこにいる。まぁ、獣耳に、更にその向こうにある大きな尻尾に関しては、まだ理解出来る。目にするのは初めてだが、彼女は亜人、それも獣人と呼ばれる人なのだろう。

 しかし、その彼女が何故、寝ていた僕の左手に、気持ちよさげに顔を乗っけているのか。色々とわからないことはあるが、とりあえず今の疑問はここにあった。


「えっと……」

「長いこと寝てたねぇ。身体の調子はどう? アルマの治癒魔術は確かだから、多分大丈夫だとはおもうんだけど」


 起き上がった僕に言う彼女は、微妙に名残惜しそうに顎を触っている。

 言われて気付いたが、空腹に喘いでいた身体は、みすぼらしい程に痩せ細っていたままだったが、確かにそれなりに体調は良くなっていた。

 僕の様子を見て大丈夫だと判断したのか、彼女は立ち上がると、すぐ側にあった丸テーブルから何か器を取り上げると。


「私の朝食で悪いけど。これなら多分今の君でも大丈夫だよね」


 木製のスプーンで一匙、お粥のようなものを掬うとこちらに差し出してくる。

 反射的に口を開けると、少々強引にスプーンが突っ込まれた。それが引き抜かれた後に、でんぷん質の何かを咀嚼して、飲み下す。

 それは、特別美味しいというわけでは無かったのだけれど。


「……っ」


 気が付けば、涙が溢れて嗚咽を漏らし、か細い声が喉から絞り出されていた。

 傷んだ身体が、抱き寄せられる。

 彼女は、ただひたすらに泣き続ける僕を、何も言わずに包み込んでくれていた。





 ふと気付くと、また僕は天井の方を向いていた。

 どうやら、泣き疲れて眠ってしまっていたらしい。起き上がって周りを見渡して見ても、彼女の姿は見当たらなかった。


「……助かったんだよ、な」


 細い指先を見つめ、確かめるように呟く。

 街の外に放り出されてから何日経ったのだろうか。五歳になったばかりのこの身体が、よくまぁここまで頑張ってくれたものだ。

 死んでたまるか、と意地になったのも助かった理由のひとつではあるだろうが、やはり一番大きな理由を上げるとするならば――


「二十年ばかしの経験に助けられた、か。こことはまるで世界が違うけども」


 そう。

 今の僕こそ、この間五歳になったばかりの子供ではあるが、精神的には二十五歳――つまり、前世の記憶がそのまま残っているのだ。

 それを自覚したのは確か三歳の時だったが、妄想にしてははっきりとした記憶が残っている。感覚的には、去年まで二十歳だった自分の姿が手に取るように思い出せるし、教えられてもいない日本語の読み書き、四則演算から上の計算までしっかりと覚えているのだから間違いない。

 まぁ、日本語に関しては、この世界で使われている言語に掠りもしていないので暗号くらいにしか使えない訳だが。

 因みに、今の僕の見た目は金髪碧眼と言うやつで、まんま外人と言うよりはハーフ寄りの顔立ちをしている。ちょっぴり女顔にも見えるが、まぁ成長すればどうにでもなるだろう。

 そんなこんなで、四歳になる頃には、とある貴族の神童としてもてはやされていた僕。一応、あまり目立たないようにはしていたのだが、それでも隠しきれない箇所も多々あった。

 この世界では識字率があまり高くない。同様に、計算も商人や一部の貴族にしか出来ず、その中ですらすらとそれらを習得していった僕は、文字通りの天才として彼等に認識されていた。


 そんな僕が、何故にあんな場所で餓死しそうになっていたのか。


 それは、僕の五歳の誕生日。その日に、僕の全てが否定される事件が起きてしまったのだ。

 この世界では、五歳の誕生日に『祝福』が授けられる。

 『祝福』とは、神がその人間に与える才能のようなものだと思えば良い。例えば、武に有望であるなら『武人』。商いに明るいならば『商人』。言葉の形には様々なものがあるらしいが、およそ分かりやすい形でその人に与えられる。

 僕への期待は凄まじいものがあった。家始まって以来の神童、天才にはどんな『祝福』が授けられるのか。口々に勝手な予想を言う周りの人間達。

 僕自身もまた――あの時はまだこんなことになるなんて思ってもいなかったし――楽しみではあった。

 しかし、僕に授けられた『祝福』は、およそ祝福とは呼べない、予想だにしない最悪とも言えるワードだったのだ。


 僕に授けられたのは、『最弱』。

 文字通りの意味しか持たない、その通りにしか受け取れない。

 静まり返る教会で、誰かがぽつりと呟いた。


 ――『死神の祝福』。


 それは言い換えるならば、『呪われた人間』が妥当なところか。もっとわかりやすく言うなら、忌み子、が一言で済んでいいかもしれない。

 そこから先はあっという間だった。期待の神童は呪われた子供に早変わり。何を恐れたか両親は僕をいない人間として扱い始め、そのうち眠っている間に街の外へ運ばれて、気が付けば天涯孤独の身となっていた。

 その後は、街に戻る道も判らずにひたすらに歩き続け、とうとう体力が尽きて倒れこんだのがあの雨の日。

 獣人の彼女に助けられていなければ、きっとあのままくたばっていたことだろう。

 色々と聞きたいこともあるが、まずはお礼を言いたい――そう思ったところで、部屋の扉が開かれる。ちょうどよく、彼女が戻ってきてくれたのだ。


「あ、あの」

「あ、起きたんだね。良かった良かった」


 背中の尾を緩やかに振りながら、手に持っていた編み籠をテーブルの上に置く。

 そこから何やら林檎のような果物を取り出すと、僕のいるベッドに腰掛けた彼女は、慣れた様子でその皮を剥き始めた。

 必然的にふさふさとした尻尾が目の前にくるわけだが、触りたい気持ちを今はグッと押さえつける。


「あの。……ありがとう、ございました」

「んー? あぁ、いいよいいよ。それより、君は驚かないんだね」


 尻尾と耳をこれみよがしに動かしながら、彼女は言う。

 一瞬、言っている意味がわからなかったが、すぐに理解出来た。彼女達のような亜人――とりわけ獣人は、この世界では迫害の対象なのだから。

 それ故に、街では殆ど獣人の姿は見掛けない。いるとすればそれはどこかの奴隷であるか、無惨にも殺された死体であるか。

 ほぼ家の外に出ることが無かった僕ではあるが、常識を学ぶ過程で人間と亜人の関係はさわり程度だが知っている。今では、人間が圧倒的に立場が上に立っているようで、亜人は人間から逃げ隠れるように暮らしているらしい。

 彼女もまた、そんな獣人の一人なのだろう。

 しかし、そうなると少しだけ疑問が浮かんでくる。


「僕は別に何とも思いません。けど……逆に、なんで人間の僕を?」

「見た目に似合わない話し方するね、君……。まぁ、普通なら無視しても良かったんだけど。なーんか、君は不思議な感じがしたから」

「不思議?」

「うん。上手くは言えないし、本当になんとなく、ではあったんだけど。それに実際、私に負けず劣らず普通じゃないしね」


 いきなり随分な評価を下される。

 普通じゃない、とは、やはり『最弱』の祝福のことを言っているのだろうか。目の前の彼女に話した覚えは無いのだけれど……。

 そんな思いを込めつつ視線を送っていると、彼女はそれに対して怪訝そうな顔をして、しかし直ぐに何か納得したようだ。


「なるほど。まだ自覚出来ていない訳か。それならあんなとこで野垂れてたのも納得か」

「……?」


 意味がわからず、首を傾げる。

 自分で自覚出来ていない? まさか、僕が気付いていないだけで、この身体には何か秘められた力があるとでも言うのだろうか。

 ……だとしても、祝福が引っ掛かって微妙に喜び切れないのが悲しいところか。

 因みに、この世界には所謂ファンタジーな要素が多く、魔法やモンスターが普通に存在している。勇者や魔王も史実に存在しているし、その人の才能と努力次第では文字通りの一騎当千が可能な世界である。

 それを知った当時の僕はそれはテンションが上がったものだが、どうやら僕に魔法や剣術的な、分かりやすい才能が皆無だったらしくぬか喜びに終わっていた。だからこそ、勉学方面に走っていたわけなのだが。

 なので、今更何かを自覚していないと言われても全くピンと来ないのだが……。


「クリス。いるかい?」

「メルニャ? ちょうど良かった、入ってよ」


 僕がウサギカットされたリンゴを口に入れたところで、なにやら訪問者が訪れた。

 扉を開けて入って来たのは、


「おや、意識が戻ったんだね」

「……ネコ」

「その通り。ネコの獣人のメルニャだ。初めまして、だね」


 頭の猫耳をひとつ動かした彼は、笑顔で僕に手を差し出してくる。

 少し戸惑いつつもそれを握り返した僕は、そのままその耳に伸びそうになる手を抑えて、代わりに彼の全身を眺める。

 白衣に隠れてはいるが、非常に細身な身体付き。しかし不思議とひ弱な印象は受けず、絞りこまれた鋭利な刃物のような印象を受ける。

 彼を迎えるように立ち上がった犬……と言うよりは狼のような獣人の彼女も、良く見れば少し大柄な身体付きをしている。というか、普通にデカイ。

 メルニャ……さんが大体170前半だとすれば、彼女はそれよりも背が高い。女性にしてはかなり大きい部類に入るだろう。獣人だから、というのもあるのかもしれないが。


「メルニャ。彼、自分のスキルがどんなものかわかってないみたい」

「当たり前だろう。彼の年で自分の才を把握出来る人なんてそういない。……それに、ひとつは死にかけることで半ば強制的に目覚めたようなものだ。理解してなくて当然」

「私は結構早く気付けたけどな」

「……君基準でモノを計らない」


 どこか呆れた様子のメルニャさんは、気を取り直すかのように白衣の襟を正す。

 そして、ひとつ断りを入れてから、僕の身体を調べ始めた。

 ひとしきり調べ終えると、頭は痛くないか、とか、身体はだるくないか、とか。簡単な質問をしてきたので、特には何もないことを返しておいた。


「うん。一時はどうなるかと思ったけど、大丈夫みたいだね」

「気合い入ってたからね、アルマ」

「珍しいことだ」


 クスクスと笑う二人。

 会話に入れるはずもなく黙っていると、悪い悪いとメルニャさんが言う。


「さて、じゃあ少し情報を整理しよう。君は……あぁ、名前を聞いてなかったね。教えてくれないか?」

「名前……」


 名前を聞かれ、素直に答えるか迷う。見事なまでに、文字通りに投げ捨てたあの家の名を名乗るのに抵抗を覚える自分がいるのだ。

 生き残ったからにはいつか……まぁ、名前くらい覚えておくが、既に執着は薄れてしまっている。


「どうかしたかい? まさか、覚えてないとか?」

「いいえ、覚えてはいます。けど……その、名乗りたくないというか、その名前でいたくない、というか……」

「……なるほど。まぁ、あの森にいたらしいから、何やら事情はあるんだろう。名前は後で……」

「はいはい! なら私が名前をつけてあげる!」


 いきなりの挙手からの提案に、僕もメルニャさんも彼女に目を向ける。

 そんな僕らに、どこか照れ臭そうに頬を掻く彼女。


「君を拾った時から、ずっと浮かんでた名前があったんだ」

「クリス……。彼はペットじゃないんだぞ」

「わかってるけどさ。名前がなきゃこれから困るじゃん」

「……その名前は?」


 おもむろに口を開き、今度は二人の視線が僕に集まる。

 メルニャさんが驚いたように目を見開き――あ、やっぱり猫目なんだ――ぱちぱちと瞬きをしていた。


「……いいのかい?」

「捨てられた時に、あの名前も捨てたと思うことにします……しました」

「君は……年に似合わないことを言うな。何歳だい?」

「五歳になったばかりです」

「五歳……」


 まだ物理的に頭の重い年頃であるが、精神的にはとうに成人している。五歳児にしては冷めた考えだろう。しかし、あれだけ見事に掌を返されては、情だって残らない。

 あの名前を持つ僕は、あそこで死んだのだ。


「じゃあ決まりだね。君は、これからリオ。リオが、君の新しい名前」

「――――」

「宜しくね、リオ」


 胸が、高鳴る。


 ――偶然だ。

 これは、本当に単なる偶然に過ぎない。けれど、なんて悪戯な偶然なのだろう。また、この名前で呼ばれる日が来るなんて。

 幾度となく呼ばれ続けてきた、リオ――理緒という、僕の名前。

 異世界で受けた名前を捨てたかと思えば、その前に捨てたはずの名前が戻ってくる。

 厳密に言えば、『理緒』とは違うリオだけど。それでも、何かこの名前に運命のようなものを感じるのは、気のせいなのだろうか?


「……もしかして、気に入らない?」


 気が付けば、彼女は不安そうに尾を揺らしながら、僕の顔を覗き込んでいた。

 僕はそれに、クスリと笑い返してから。


「まだ、名前を教えて貰ってないから」

「えっ……あ」


 言われて、自分が名乗ってないことに初めて気がついたのだろう。

 まぁ、メルニャさんがちょくちょく呼んでいたのでわかってはいるのだが。


「私はクリス。クリス・アーノルド」

「……リオ、です」


 彼女――クリスは、僕の返事にとっても嬉しそうに笑顔を咲かせ、ぎゅっと僕の身体を抱き締めてきた。

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