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17:極限思考

 座学が終われば、今度は実技の時間がやってくる。

 すなわち、戦闘訓練である。


「うひゃあああ!!」

「オラオラ、頑張って避けねぇと丸焦げになっちまうぞ」


 四方八方から飛んでくる青い炎から逃れる為に、全力で走って跳んで身をよじる。

 半年の合間に、サピィとナイトの成長により体力に余裕ができたとはいえ、当然それが延々と続けられるわけもなく。


「熱っ! 熱いぃ!」


 跳んで着地した時に体勢を崩し、足がもつれたところで迫っていた狐火に背中を炙られた。燃えた服をなんとかするために、尽きかけた体力を捻り出して全力で地面を転げ回る。

 最初の頃は、当たっても少し熱を感じる程度だったのが、今では普通に燃えるし火傷する温度になっている。理由としては、


「熱けりゃ嫌でも避けるだろ」


 の一言だ。

 まぁ事実その通りではあるのだが、いくら終わった後に治してくれるとはいえ、炎が自由自在に追いかけてくる恐怖は筆舌に尽くしがたいものがある。


「不用意に跳んだりすっからだ。罰として一個追加」

「ひいぃぃ!」


 五個だった狐火に仲間が増えて、抜群のチームワークで僕へと向かってくる。

 ひたすら避けることしか認められていないこの訓練では、当然サピィやナイトの助力は得られない。

 今日に限って、他に訓練をつけてくれるクリス、メルニャさん共に用事があって不在な為に、これから僕は体力が尽きるまで狐火から逃げ続けるしか出来ないわけだ。


「っ」


 顔に迫る狐火を仰け反ってかわし、再度走り出す。そこにアルマさんから激が飛んだ。


「かわす動きがデカイから無駄に体力を使う。数が多いからってパニックになるな。良く見て、引き付けて、最小限の動きしかするな!」

「そんなこと言われてもっ!?」


 言われてることは理解出来るが、理解出来たからといって実践出来るわけではない。

 それなら少し狐火の猛攻を緩めてくれてもいいんじゃないか、とすら思う。

 思うが――。


「熱っ……!」


 実践しなきゃ、何も始まらないのも事実。

 火傷への恐怖を噛み殺し、走るのを止め、ブレーキをかけて追い縋る狐火へと向き直る。直後、右肩に狐火が掠っていき、服が少し焦げてしまった。


「動きを、見てっ!」


 足、腕、顔、胴体。

 別々に襲いかかってくる狐火を、とにかくギリギリまで引き付けてかわすことを意識する。

 いきなり上手くいくわけもなく、避けられたのは顔だけ。他は、直撃とまではいかずとも、少なからず肌を焼いていく。


「最小限、最小限でっ」


 半分泣きそうに、半分叫びながらも、その場で狐火から身をかわしていく。もう火傷で心は折れそうだが、避けないともっとひどい目に遭うのは目に見えている。


 ――死に物狂いとは、きっとこういうことを言うのだろう。



「ううぅー!!」


 最早うなり声しか出なくなったのは、立ち止まってから何秒程だっただろうか。火傷の痛みと迫りくる炎への恐怖とで、噛み締めた歯を緩めることすら出来なくなっていた。

 極限状態に少しずつ近付いていくのがわかる。種類は全く違うが、死に目を見たあの時と同じ境地に、今なら辿り着けそうな気がしてきた。

 そういえば、あの時は走馬灯見なかったな。見るだけの力も残っていなかったのかもしれないが、それこそ今の状態が続けばきっと見れる。

 うん。もう必死過ぎて、やたらと頭の回転が早くなってきた気すらしてきた。ひとつ狐火をかわす合間に、結構色んなこと考えてる気がする。現実逃避してるとも言えるのかもしれないが。


「…………」


 汗が冷たい。炎の熱気と全身運動のせいでとめどなく溢れてきているそれは、体温調節とは他の意味で僕の身体を冷やしていく。

 またひとつ、狐火をかわす。脚を炙ったそれに対する注意を、また次の狐火に。蹴った脚をどこに置いて、それに体重を乗せて屈むことで肩口に炎をかすらせる――数瞬先の計算を弾き出して、それを実際に、確実に実行していく。


 次を、次を、そのまた次を。膨大な思考は、脳を掻き乱す勢いで頭の中を駆け巡る。


 ――そこで、不意に疑問が浮かぶ。流石に、これは――


「っ、あうっ!」


 その瞬間、フル回転していたような思考は途切れ、踏み出した先にあった小石に躓いて転んでしまう。

 慌てて身を返して狐火へと対処しようとするも、その思いに対して身体はピクリとも反応してくれなかった。

 思わず目をつぶり、背中に現れるであろう熱の痛みに身を縮こませたが――


「今日はこれぐらいにしとくか」


 予想していた痛みは現れず、代わりに暖かな光が全身を包み込んでくる。

 これは、治癒魔術だ。


「リオーっ!」


 そして聞こえてくる、クリスの声。どうやら、見回りを一度終えて帰ってきたらしい。

 途端に身体の力が抜けて、少し戻った力で仰向けになる。すぐに、見慣れた顔が僕の顔を覗き込んできた。


「お疲れ様、かな?」

「ちょうど良い。お前、そのままリオ連れて帰れ。しばらく動けねぇだろうからな」

「……あんまりやり過ぎないでよね。まだリオは小さいんだから」

「そうも言ってられないのは、お前だってわかってるはずだがな。ま、加減して無茶してっから大丈夫だ」


 素晴らしく矛盾した言葉を残し、アルマさんは去っていったらしい。

 クリスは何やら、歯に物が挟まったような顔を見せてから、僕を抱えて歩き出す。


「寝ちゃっても大丈夫だよ。ちゃんと身体も綺麗にしてあげるから」

「それぐらいは自分でやる……」

「むぅ。リオはもう少し甘えることを覚えた方が良いと思う」


 ふくれるクリスに苦笑しつつ、僕は妙に重たい頭に手を当てた。何日も寝ずにいたような感覚だ。気を抜けば、簡単に意識を手放してしまいそうな感覚。

 これは、やっぱりさっきのあれが原因なのだろうか。無我夢中だったのであまりよく覚えてはいないけれど……。


「リオ、大丈夫? ……頑張るのも良いけど、あんまり無茶しちゃダメだからね?」

「ん……大丈夫。ありがと……」


 そして、それは一度意識してしまえば急激に僕を侵食していく。有り体に言えば、とんでもなく眠たい。

 しかし、クリスに任せると本当に隅々まで身体を綺麗にしてくれてしまうので、恥ずかしい意味でそれは許容出来ない。

 その一心で意識を保ち続けた僕は、無事に自分で清潔にした身体を引き摺って、ベッドの中へ潜り込むのだった。







 目が覚めたのは、もう夕方になろうかという時だった。

 しばらくぼうっとしていたが、妙な違和感を覚えて首を傾げる。

 その違和感の正体は、すぐにわかった。


「……あ、サピィとナイト、ベアクルさんに預けたままだ」


 今日は訓練に入る前に、ナイトはともかくサピィが近くにいては危険なので預けていたことを思い出し、取り敢えず迎えに行こうとして――


「う……まだ、ちょっと重たいな……」


 頭の重みは、数時間寝た程度では消えてくれなかったらしい。ベッドから足を降ろして立ち上がろうとしたところで、目眩に襲われてまた座り込んでしまう。


 もう少し休まないと駄目か……。


 けれど、あまり離れたままでいるのも少し不安だ。かといって、これじゃあベアクルさんの家まで行けそうにない。


「……念じたら呼び出せたりしないかな」


 ナイトはともかく、サピィあたりなら何か感じ取って来てくれそうな気もする。

 あながち有り得なくもない。ちょっと試してみようか。


「…………」


 目をつぶり、サピィの存在を強く想う。しばらく名前を頭の中で呼び続けて、


「……ま、無理、か……?」


 頭の重みが増しそうだったので、呼び掛けるのを止めて目を開くと、目の前に何か――こう、変なものが現れていた。

 例えるなら、異次元への入り口とでも言うのか。空間が裂けて、その向こうにはぐにゃぐにゃした妙な空間が広がっている。


「……えっと」


 予想だにしなかった現象に、倦怠感も忘れてしばらく瞬きを繰り返す。

 空間の裂け目は小さなものだ。縦に20センチ程度、横は、一番広がっている箇所で10センチ程度だろうか。

 サピィなら余裕で通れるだろうが、身体の大きなナイトは無理だろう――と、そこまで考えて。


「まさか、ね」


 そう口では言いつつも、確信に近いものを持ちながら、僕はその空間の裂け目に意識を向ける。そうして、恐る恐る口を開いて、



「――サピィ? こっちにこれる?」

『はーい』




 ……あっさりと、彼女は空間の裂け目から飛び出してくるのだった。

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